2015年01月の記事一覧
◎2015年01月30日 ---- ボス ◎
- 厳し過ぎないか? 白鳳への仕打ち
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白鳳の偉業についてここで改めて述べる必要はないだろう。彼の言動はテレビを通じてしか知らないが、親方衆まで含んだ今の角界の中で最も品格のある人物だと思っていた。大鵬の大記録を更新した今回の優勝、祝賀パーティーで美酒を飲まされすぎたのかその白鳳が少し油断をしてしまった◆明け方まで飲んでいたようで、アルコールが残った状態で宮城野部屋での記者会見に1時間以上遅れて来たという。会見の席で、13日目に同体取り直しとなった大関・稀勢の里戦の一番について自らの勝利を信じていたと語った。「子供が見ても分かる相撲。もう少し、(審判は)緊張感を持ってやってもらいたい。本当、肌の色は関係ないんだよね」と相撲協会の審判部を批判してしまった◆稀勢の里との取組を私は見ていない。だが彼がここまで言うのだ。本当に悔しかったのだろう。「相手が日本人の稀勢の里でなかったら、同体・取り直しとの判定にはならなかった」・・そう感じたのだろう◆日本の国技、相撲の頂点をモンゴル人がつかんだのだ。大鵬の大記録を破ったのだ。これまで随分と「肌の色(国籍)」で不愉快な思いをしてきたのだろう。美酒を飲み過ぎ、酒が残り、そのうえ回りは気心の知れた記者ばかり。つい本音を口にしてしまった。・・・私はそう確信する。間違いない。白鳳のこの発言はテレビカメラにも音声レコーダーにも収められていないのだ◆どこかの意地の悪い新聞記者が記事にした。他社も後を追わないわけに行かない。そうして「横綱の品格」が足りないと大騒ぎしている。スポーツ新聞の見出しの方がよっぽど品格がない。白鳳は、審判に裏切られ、今また記者たちに裏切られたと思っていることだろう。◆大横綱といってもまだ29歳の若者だ。伝説上の双葉山や大鵬と比べるのはあまりにも酷だ、と思わないのか?◆双葉山も大鵬も「日本人」として相撲を取っていた。双葉山の時代も大鵬の時代もマスコミには「オフレコ」という素晴らしい気配り制度があった。記者を信頼できる風潮があった。そしてスマホもツイッターもなかった。双葉山も大鵬も神ではなかった。彼らだってグチの一つくらい言ってたであろう。だがマスコミはそれらをオフレコにし、彼らを神に近いものに仕立てた◆神と比較され、耐えに耐えている29歳の偉大な横綱。今の角界で最も品格のある人物、白鳳を私は心から応援している。頑張れ!◆仲間のふりをして失言を待ち、社内での評判を上げる(=出世)ためには簡単に信頼関係を裏切る。こんなマスコミの記者ばかりになったようだ。品格のない記者ばかりの品格の無い新聞社。その記事を読んで自分のアタマで考えることなく「そうだそうだ、審判批判なんてとんでもない。双葉山や大鵬は絶対にそんなことはしなかった。白鳳は品格に欠けるなあ」などと言っている読者はさらに品がない。
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◎2015年01月29日 ---- ボス ◎
- 8℃は16℃の半分?(その2)
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言葉のセンスを疑う。コミュニケーション能力の低さを憂う◆「テレビの天気予報で『今日は16℃まで気温が上昇するが明日は8℃までしか上がらない。今日の半分だ』と言っていた。おかしいと思わない?」と弊社の社員に聞いてみた。彼は私の質問に不思議そうな顔をして「えっ?おかしいですか?16℃と8℃ですよね?半分ですよね?あってるんじゃないですか?」と答えた。まるでセンスがない。このようなセンスの者がお客様の前で当社の商品を上手に説明できるとは思えない。限界を感じた◆自宅に帰って社会人4年生の娘と慶応大学3年生の息子に同じ質問をした。彼らも当社の営業マンと同じ反応。私はだんだんと腹が立ってきた。これも“ゆとり教育”の影響なのだろうか?◆「じゃあキミは『銀座4丁目は8丁目の半分』と聞いておかしいとは思わないのか?」とくだらぬ質問をした。息子の答えは「そりゃおかしいよ。だって銀座0丁目ってないでしょ」だった。なるほど上手なたとえではなかった。私は再び聞き返した。「じゃあキミは『モスクワは東経40度、沖縄が120度だからモスクワは沖縄の三分の一だ』と言うのか?『朝の4時は8時の半分だ』と言うのか?」・・息子は不思議そうな顔をしていた。「そりゃおかしいと思うけど、そんな細かいことガタガタ言っていると、父さん、社員の人たちに嫌われるよ。どうでもいいことでしょ」◆教育ではないのかもしれない。センスか?いずれにしろ、算数のセンスのない者たちのこの情けない言葉遣いに唖然とした。◆それとも息子が言うように「どうでもいいこと」なのか。こんなことにこだわると若い人たちに嫌われてしまうのか?
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◎2015年01月27日 ---- ボス ◎
- 8℃は16℃の半分?
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毎朝、起きるとすぐにテレビをつける。どのチャンネルも似たような情報番組ばかり。どこを見ても一緒、こだわりはない。最近は超美人アナウンサー夏目三久さんの笑顔によって私の早朝チャンネルザッピングが終わることが多い。今朝もそうだった。TBSテレビ「朝チャン」、夏目三久さんの笑顔に満足しながら軽い朝食を取っていた。画面が夏目さんの笑顔から天気予報に替わった。◆気象予報士の女性が今日の天気を予想し解説している。「今日は雨が上がりますとその後で気温もグッと上昇します。16度、4月上旬並みにまで上がります」・・ここまでは良かった。次の説明が引っかかった。「ところが明日はずっと冷え込んで8度、今日の半分にまで下がってしまいます」だと。「なんじゃ?半分って?」・・・この予報士の言葉のセンスを疑った◆「今日が16度、明日は8度。8度は16度の半分」ということなのだろう。この予報士はいつもこのような表現をしているのだろうか?少なくとも今日の「朝チャン」の中、6時半頃と7時半頃の2度の天気予報コーナーで彼女は「明日の気温は今日の半分」という表現を使っていた◆朝チャンのメインアンカーは私も尊敬する日本語のプロ、斉藤孝先生である。なぜ誰も彼女に注意しないの?不思議でならない◆「8℃は16℃の半分」という表現は「AM4時はAM8時の半分」と言っているのと同じようなもの。「半分」というのは数量を比較するときの言葉。「4時間は8時間の半分」というのなら分かるが「8℃が16℃の半分」という表現は小学2年生以上は使ってはならない。◆テレビも新聞も基本に立ち返り、もう少しキレイな日本語を勉強すべきだ。斉藤先生、お願いしますよ!
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◎2015年01月26日 ---- ボス ◎
- ダメなのはマスコミだ。
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過激派組織集団『ISIS』が日本人人質を殺害した。許し難い暴挙。日本国民全員が一丸となってこの暴挙を責めなければならない。ところが一部マスコミは『ISIS』の気持ちも理解できるとばかりに「この時期に中東に入った安倍総理が悪い」と伝える。その発言をテレビで聞いた自分のアタマで考えることをしない多くの日本国民が「そうだ、そうだ、安倍が悪い!」と続く。一部マスコミは「集団的自衛権を認めるとこうなる。日本は戦争に加担する国になっってしまった」とさらに煽る。自分のアタマで考えることのない国民は「そうだそうだ、集団的自衛権などとんでもない」と主張し始める◆ここではできるだけ政治的発言は控えたい。ただ、みんなに「もう少し自分のアタマで考えてみようよ。誰かの発言の受け売りは止めましょうよ」と言いたい。◆よく分からない安倍さんの中東歴訪や難民支援のための200万ドルの拠出に対してどこかの評論家の受け売りで文句を言うよりもまずマスコミの無思慮な報道姿勢を非難するべきではないだろうか、と私は思う。なぜ、そちらにアタマが向かない?なぜ、そう発言する者がいない?◆我が国はいつこの過激派組織集団を国家として認めたのか?誰も認めていない。議論さえ起きていない。なのになぜ、ただのテロ集団に対して我が国のマスコミは国と認めたような報道姿勢を取るのか不思議でならない。『ISIS』は国ではない。過激テロ集団なのだ。なぜマスコミはそれを「過激テロ組織『ISIS』」と呼ばなくなった?当初はそう呼んでいたのにいつのまにか「イスラム国」などと彼らの名乗るままに受け入れ、最近では「」(かぎかっこ)が取れてまるで一つの国家のようなイスラム国と報道するマスコミも増えた。これでは国民が誤解する。◆本来ならこの過激テロ集団に怒りを向けなければならないのに、イスラム国と報じることにより多くの国民は中東の国と国の戦争と思うようになっている。北朝鮮とイスラム国を同じレベルで「とんでもない国」と見始めている。◆マスコミはただちにイスラム国と報じることをやめて「過激テロ集団『ISIS』」と呼び方を戻すべきだ。
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◎2015年01月23日 ---- ボス ◎
- 不安
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40歳前に独立して随分と苦労をしてきた。会社は確実に徐々に大きくなっていたが私はいつも不安だった。1年の三分の二は「眠れない夜」だった。不安で眠れない、怒りで眠れない、そんな夜ばかりだった◆人からは気楽に見えるかもしれない社長業。「うらやましい」と思われているかもしれない社長業。いえいえ決してそんな楽なものではない。いまだに毎晩、不眠と寝汗に悩まされている。5時間強の睡眠時間中に10回以上も目が覚める。夜中に2回、寝汗で濡れたシャツを着替える。毎晩、着替え用のシャツを枕元に準備してからベッドに入る。夜中に目が覚めると途端に仕事のことを考えている。寝汗で濡れたシャツを着替えながら、売上高や利益額など数字を考えていいることが多い。「いま考えたところでどうしようもない。それよりぐっすり眠ったほうが良いよ」・・自分に向かって言う。分かっているが眠れない。相変わらず不安による睡眠障害は続いている◆開発のことを考えて目が覚めることもある。夜中にふと目が覚めてその瞬間に良いアイデアを思い付いたことが何度かあった。こちらは前向きな睡眠障害。残念ながら不安による睡眠障害に比べるとその回数はとても少ない◆「今期も過去最高の売上高。利益も十分。不安に感じることなどないじゃないですか」と金融機関の営業マンは励ましてくれる。「今期のことが不安なのではないのです。来期以降が見えないのです。3年後、5年後が見えないのですよ」私は答える。明らかに過去の苦労がトラウマになっている◆「常に慎重に、先を考えている良い経営者」「気が小さく、悩んでばかりのダメ経営者」・・・私のことをよく知っている当社の部下や金融機関の方々の私に対する評価は二つに分けれているようだ。◆私は「早く楽になりたい」と思っているばかり。
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◎2015年01月22日 ---- ボス ◎
- 酒
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昨年の5月7日のこの欄で私は「人生を潤すもの」として「英会話」「車の運転」「ゴルフ」の3つをあげた。この3つができたら人生は楽しくなる、と書いた。間違いないのだが一つ忘れていた。それは「酒」◆楽しく上手に酒を飲むことができるのとできないのとでは「人生の潤い」が大きく違ってくる。たまに酒で人生を狂わせる者がいるがそれは「上手に酒を飲むことができない」ということだ。私は酒に強い方ではないがこの人生においてどれだけ酒に助けられたか知れない。酒を飲んでいなければあの人とは出会っていない、この人とこんな良い関係になってはいない・・・私の回りはそんな人ばかりである。酒が原因の失敗がないわけじゃないが酒がもたらしてくれた幸運と比べたら取るに足りない◆たまに酒を一滴も飲めない人がいる。かわいそう。飲めるけど飲まない人もいる。面白くない。彼らには申し訳ないが「酒を飲めない人」「酒を飲まない人」が混じると飲み会がしらけてしまう。「飲めない人」はまだいい。しようがない。「飲まない人」の方が問題。エチケットとしてビールの一杯くらいは付き合うべきだと思うのだが、どうだろう?少なくとも私は息子・娘には「飲みすぎるなよ。それでも宴会では少しは飲むように」と指導している◆ところが今年になって体調が悪い。特に酒を飲んだ翌日がきつい。少し酒を控えることにした。昨日も一滴も飲まなかった。飲まないと寂しい。楽しくない。◆1月も20日を回ったがまだまだ多くの新年会が待っている。「飲まない」わけにはいかない。場がしらける。・・・・ビール2杯までにしよう。うーん、ちょっとさびしい。ビール2杯と焼酎のお湯割り1杯までは許そう。
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◎2015年01月21日 ---- ボス ◎
- 小便をこぼさない男
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男女兼用のトイレが多い。今ではほとんどの家庭がそうであるし小さなオフィスやバーでも多い。飛行機の中のトイレも男女兼用だ。男が利用するときは便座を上げ用を足す。そのままにして出る男も多いが紳士である私は用が済むと便座も蓋も下ろしてその小さな部屋を出る。日本のトイレは諸外国に比べ圧倒的にキレイである。トイレはキレイであるが大抵の男は小便を便器回りにこぼしてしまう。気配りが足らない。そのために飛行機ではスッチー(今はCAという)が、バーではオネーサンがマメにトイレ掃除をしている。(国際線のトイレを清潔に保っているのは断然ANA、続いてJALだと私は確信している。エミレーツもシンガポールエアもかなわない。いわんやアメリカやフランスにおいてをや・・・。日本人は世界一の清潔好きであることは間違いない。)◆さて私は・・。私は少々酔っていても小便を便器の外にこぼすことはない。いえ、座って用を足しているわけではない。男らしく立って用は足すのだが慎重に慎重に行う。それでもたまに一二滴こぼしてしまったらペーパーで丁寧に拭き取る。スッチーやオネーサンはきっと喜んでくれていることだろう◆10年以上前のことだ。私は六本木一丁目にオフィスを開設した。東京タワーが見える新築のキレイなビルだった。社員は私を含め、まだ6名しかいなかった。トイレは男女兼用であった。社員はみなキレイにトイレを使ってくれていた◆そんなある夜、大学時代の親しい友人が新オフィス開設祝いにやってきてくれた。社員が退社したあとのオフィスで二人で飲んでいた。彼がトイレに立った。しばらくして私もトイレに入った。すると床に小便が10滴~20滴も垂れていた。私は腹が立った。トイレから出て彼に「もっとキレイに使えよ!」と文句を言った。彼は随分と酔っていた。素直に「ゴメン、悪かった」と返ってくると思っていたのだがそうではなかった。驚いた。「小便くらいでガタガタ言うな!男が小便すればこぼれるものなんや」と九州弁で開き直った。私の怒りは増した。「オマエみたいな公務員にはオレがどんな気持ちでこのオフィスを開いたのかなんて分からんのやろうがな、こっちは命がけなんぞ。ここは命を懸けて作ったオフィスなんぞ!トイレであろうがそんな言い分は許さん!」大声で責めた。すると彼の態度は一変した。謝り始めたのだ。酒のせいもあったのだろう。「ごめん、キノシタ。オレが悪かった。ごめん、俺を殴ってくれ!」と言い出した。「分かってくれたらいいよ」と言うのだが彼の方が収まらない。「ごめん、殴ってくれ!」を繰り返す。私も酔っていた。面倒くさくなって彼を殴った。右手の拳で彼の左頬を殴った。手加減はしたつもりだったがそれでもグーのパンチは効く。私より一回り大きい彼が大きくぐらついた。私も謝った◆男同士の友情って素晴らしい。彼とはその事件以来さらに深い友情で結ばれている◆私はあの事件のあとから、一層慎重に、「小便をこぼさない男」として生きている。
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◎2015年01月20日 ---- ボス ◎
- ぬるい! 航空局の指導
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世界中、病院のヘリポートには大きく白十字を描きその中に赤いHを記入することが決まっている。(左図参照)◆大災害時などは遠く離れた地域から救急ヘリやドクターヘリが応援に入る。東日本大震災のときは米軍ヘリが救助活動してくれた。これらの、その地域の状況に詳しくないパイロットでも容易に「どこが病院であるか」を見極めることができるためだ。世界共通のマークが左の絵なのだ。もちろん当社が病院にヘリポートを作る際には必ずこのマークを描いている。ところが救急指定の大病院であるのにヘリポートにこのマークを記載していないところも多い◆設計者やコンサルタントが無知であったことが原因なのであるが、ここへの着陸許可を出すのは国土交通省航空局だ。なぜ航空局は指導しないのか?ヘリポートに熟知し、国民の平和のためのヘリコプター利用を指導する立場にある航空局の職員だが彼らはこのマーキングに対しては全く指導していない。おそらくめんどくさいのであろう◆上司なり政治家なりから「ちゃんと指導しろ!」との言葉がかからない限り、法律であろうが条例であろうが彼らは指導しない。「だってこれまで先輩たちもそのことは指導してなかったんだもん。」が彼らの言い分。ぬるいのである。情けない!ぬるいぬるい公務員の意識を変えなければこの国は良くならない。
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◎2015年01月19日 ---- ボス ◎
- 体調不良
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今年になってカラダの調子が悪い。年齢からくる衰えなのか、それともどこかに疾患があるのか?具体的には激しくどこがどう悪いというわけではないのだが・・・◆最初に感じたのは愛宕神社に初詣でに行ったときだ。愛宕神社参道の86段のいわゆる「出世の階段」を上って異常に息が切れた。毎年数回、この階段を上って私は“神頼み”をしてきた。これまで私のお願いのすべてを愛宕神社の優しい神様は叶えてくれた。ずっと甘えてきたし今後も甘えたい。だから息切れしては困る。これは神様が「キノシタ君、キミ、一度病院に行って検査した方がいいよ」と言ってくれているのだろうか、と思った◆次に「おかしい」と感じたのは酒が異常に残るようになったこと。もともと酒は強くない。飲めないわけではないが飲むと二日酔いに悩まされてきた。今年になってその二日酔いの強烈度が一段と激しくなってきたのだ。昨日もそうだった。一昨日ワインをボトル半分弱飲んだ。これまでなら二日酔いになるかならないかの境目程度の量だ。ところが昨日は丸一日激しく苦しかった。無理してゴルフを頑張ったのだがここ数年で最悪のスコアであった。そして二日経った今もなおスカッとしない。三日酔いだ。肝臓がイカれたのだろうか?しばらく酒を控えよう◆以前からの睡眠障害はさらに悪化してきている。私は毎日5時間は寝るようにしているが途中で10回は目が覚める。眠っても常に夢を見ている。楽しい夢をみることは少ない◆そして記憶障害も進んでいる。毎年検査をしているが昨年も優しく美しい女医さんが「異常なしですよ。いえ、むしろ平均値を大きく上回っています。心配いりません」と言ってくれた。これは本当に心配要らないのではなく検査方法が未熟なのであろう。私の記憶力は確実に大きく低下してきている。おそろしい◆目も一段と悪化した。毎朝、左の目が開かない。なにかゴミが入っているような感触。飛蚊症も一段と悪くなっている。昨年だけでも3件の眼科を訪問したがどの医院でも「大した心配はありませんよ」と明るく医師はこたえてくれた。現在の眼科医療はまだまだ未熟だ。私の目を治すことを誰もできないのだから◆「動悸・息切れ」「二日酔い」「記憶障害」「睡眠障害」「飛蚊症とドライアイ」・・・どんどんカラダが衰えていく。あっ、もう一つあった。トイレが近くなった。我慢できなくなってきた◆あっ、そうだ、まだあった・・・・。 歳は取りたくない。今週中に病院へ行こう。
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◎2015年01月16日 ---- ボス ◎
- 芥川賞
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ここ十年以上、芥川賞受賞作品を読むことがなくなった。いつのまにか私の中に「芥川賞受賞作品は面白くない」という印象が染みついていた。◆『されど我らが日々』(柴田翔)を読んだのは高校生の頃だった。面白かった。早く大学生になりたい、大人になりたいと思ったことを覚えている。高校生の頃に読んだのでその頃の芥川賞受賞作品だと思っていたが調べてみると私が小学一年生の時(1964年)の受賞作であった。昨年読み返してみた。全く面白くなかった。◆『偲ぶ川』(三浦哲郎61年)、『赤頭巾ちゃん気をつけて』(庄司薫69年)、『杳子』(古井由吉71年)なども私の高校生時代の受賞作品だと思っていた。全く違っていた。懐かしい歌謡曲は聴くとその当時のことを思い出すが懐かしい芥川賞受賞作品は時代とは関係ない。あの頃は「過去の芥川賞受賞作」を読んでいたようだ。◆私の記憶の中で、芥川賞の受賞作品が受賞年次とリンクしてくるのは 『限りなく透明に近いブルー』(村上龍76年)、 『エーゲ海に捧ぐ』 (池田満寿夫77年) 『僕って何』 (三田誠広77年)『蛍川』(宮本輝78年)あたりから。彼らはみな偉大な作家になっていったがこれら芥川賞受賞作品はどれも今一つ面白くなかった。徐々に私は芥川賞受賞作品への興味を失った。逆に直木賞受賞作品はみな面白かった。私は直木賞受賞作のみ書店で購入するようになった。◆昨日、芥川賞・直木賞の発表があった。そこに嬉しい名前があった。小野正嗣。彼は数年前『にぎやかな湾に背負われた船』で三島由紀夫賞を受賞していた。私は読んでいない。読んではいないのだが当時少し私の回りで話題になった。彼、小野正嗣さんは私の郷里、大分県佐伯市の出身であった。佐伯鶴城高校の卒業で私の後輩である。その小野正嗣さんが今回『九年前の祈り』で芥川賞を受賞した。会ったこともない後輩の快挙だが私も素直に嬉しい。さあ、久しぶりに芥川賞受賞作を読んでみようか。いや「やはり芥川賞はなんだか小難しくて面白くないな」と思ってしまう可能性が高いのでやめておこうか。迷っている。
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◎2015年01月15日 ---- ボス ◎
- 現代学生百人一首
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新聞各紙が朝刊で「現代学生百人一首」を紹介している。各紙とも幾つかの歌をピックアップしコメントを付けている。心打たれる歌、「頑張れ!」と応援したくなる歌、「オレもそうだったな」と懐かしくなる歌、ほほえましい歌、悲しい歌・・・学生たちが今のありのままの心境を三十一文字に巧みに詰め込んでいる。中でも私が特に気に入ったのが朝日新聞の「天声人語」が紹介している中学1年生の男の子の歌。≪「勉強は?」と聞かれる度(たび)に見せつける中指にあるふくらんだ皮フ≫◆中学1年生でペンだこは少しかわいそうだがなんとも微笑ましい。きっと優しいけど教育熱心なお母さんが「勉強してるの?」と彼にとってはうるさく感じるほどに聞いてくるのだろう。「皮フ」との表現がまた良い。かわいらしい。私も受験時代はペンだこができるほど「書いて覚えた」ものだが我が家の息子・娘が「書いて覚えよう」としている姿を一度も見たことがない。今の学生は「書かずに覚える」ことができるかもしれないなどと思っていた。◆もう10年も前だろう。たしか「週刊文春」の中のどなたかのコラムであった。そこでは短歌ではないがやはり学生の作った俳句を紹介していた。その二つの句が忘れられない。≪転校を打ち明けられた二人乗り≫ ≪クロールの息継ぎを見て恋終わる≫ 中学生の作品だったと思う。 どちらとも女子の作品であったと記憶する。懐かしい香りのする純粋な句。私も中学生時代には甘酸っぱい思い出が多い。楽しかった。夢もあった。学生時代、青春時代・・戻れるものなら戻ってみたい。◆今朝の「天声人語」は他の作品にも触れていた。≪将来の夢を問われて黙り込む幼い頃は三つも言えた≫・・・徐々に徐々に夢は小さくなっていく。今年、私は58歳になる。
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◎2015年01月14日 ---- ボス ◎
- 初老紳士の教え
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その話をしてくれたあの初老の紳士はいったい誰だったのか思い出せない。あのときたまたま隣の席に座った人だったのだろうか?いや違う、彼は私の向かいの席に座っていた。なにか仕事の打ち合わせをしていたような・・・。誰だったのかどうしても思い出せない。顔と声は覚えているのに・・・。場所は平河町にある半地下の喫茶店。今から25年ほど前、私がサラリーマンを辞め、我が家には長女が生まれたばかりの頃だった。◆穏やかにそして茶目っ気たっぷりにあの初老の紳士は自分の経験論を話してくれた。「キノシタ君ね、キミは若い。若くて元気だ。だけどカネはそれほど余裕ないでしょ。僕もそうでした。家族を養うので精一杯。キレイな女性と浮気するような余裕はありませんでしたよ。・・・・・・40歳代の後半になって給料が随分と上がりヘソクリもできるようになったけどその頃は仕事がとても忙しくてね・・自分の時間が持てなくなりました。銀座ではそこそこモテたのですが浮気をするような時間を作ることはできませんでしたよ。・・・・・・60歳手前になっておカネも時間も少し余裕ができたのです。やっと浮気ができる状況になったのです。カネと時間があれば60歳でもオトコはモテるもんなのですよ。ところがね悲しいことに私はもうカラダが疲れ切っていて役に立たないのですよ、アチラが。・・・・・ずっと浮気願望はあったのですが結局はそんなことできませんでした。男ってのは寂しい生き物なんですよね。」◆若いころはカネがない。カネができたら時間がない。カネと時間に余裕ができたらカラダが言うことをきかない。・・・寂しいものだ。◆かくして私もあの初老の紳士と全く同じ道を歩み続けている。カネと時間に余裕ができたとは言えないがカラダは確実に疲れきって言うことをきかなくなってきている。「浮気したい」と強く願っているわけでもないが振り返ると寂しい人生だったのかもしれない。◆「いや、これでいいんだ。これが幸せなのだ。」と合理化規制を働かせ自分を慰めている。今日は早朝6時から1時間、自宅近所のスタジオでみっちりとヨガのレッスンを受けてきた。頑張ろう。
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◎2015年01月13日 ---- ボス ◎
- マスク
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欧米では病院内や食品工場など以外でマスクをする者を見かけることがない。中国やベトナムなどでは大気汚染対策でマスクをしている人を見かけるが風邪でマスクをする者はいない。恐らく風邪対策のために街なかや職場でマスクをしているのは日本人だけだろう。ちなみに私は就寝時にマスクをするが昼間はしない。かっこいいものではない、と思っている◆マスクにどの程度の予防効果があるのかは知らないが健康に関するものだけに「みっともないよ。日本以外では誰もしていませんよ」などと注意するわけにはいかない。我が国では誰にでも「マスク着用の自由」は保障されている。「マスク着用の自由」に対して意見するつもりはないのだがマスク着用にはそれなりの礼儀があるのではないだろうか?と思う◆初対面の人と挨拶するのにマスクを着けたままでは失礼であろう。会議の場では「風邪気味でして・・。申し訳ありませんがマスクをしたままで・・」などとの断りを述べるべきであろう。それが気配りというものだと思う。先日、ある大会社の受付で女性がマスクをしたまま客に接していたのを見て「情けない!」と思った◆若い女性が電車の中で平気で化粧をしているのを見かけることが多くなった。「電車で化粧」を見て「みっともない」と思わない者が増えてきているようでもある。「誰に迷惑をかけているわけじゃなし、いいじゃないの」ということだ。◆マスクも同様。「人様から病気をもらわぬよう、人様に病気をうつさぬように着けているのだから、いいじゃないの」ということのようだ◆「見た目」より「実用」ということらしい。働く女性の服装が徐々にだらしなくなってきた。男性もスーツ、ネクタイをする必要のない職種が増えてきた。夏場は国会の中でもクールビズだ。外見を気にしなくなった日本という国がどんどんとだらしなくなっているように私は思えてならない。◆「人は見た目が大切」とまだ私は信じている。
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◎2015年01月09日 ---- ボス ◎
- 表現の自由
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北朝鮮の金正恩第1書記暗殺計画を描いたコメディー映画「ザ・インタビュー」の配給元であるソニー・ピクチャーズエンタテインメント(SPE)がサイバー攻撃を受けた。捜査したFBIはサイバー攻撃を仕掛けたのは北朝鮮であると断定した。米国は北朝鮮を再度「テロ支援国家」に指定し経済封鎖等の圧力をかけることを検討しているという。一度はこの映画の上映を中止すると決めていたSPEに対し「米国はテロには屈しない」という姿勢を明確にするために上映を促し、結果SPEは公開に踏み切った。「テロに屈しない国」アメリカは強い。◆昨日パリにある政治風刺の雑誌「Charlie Hebdo」(CH)の本社に銃を持った2人の男が乱入し、12人が死亡、多数の負傷者が発生した。「イスラム国」あるいはアルカイーダのテロとみられている。CHは「イスラム国」指導者の風刺画をたびたび掲載していた。フランスでも「テロに屈しない」との強い意思表明のための大規模デモが起こっているという。◆双方とも「(表現の自由)VS(テロ)」である。そして「テロには屈しない」という強い意志。◆私個人的には「テロには屈しない」という強い意志表示は応援したい。いかなるテロも許してはならないと思うし、テロに屈しないことがテロ自体を減らすことになると思っている。そうは思っているものの「でも、どうなの?」と問いかける自分もいいる。◆個人でもそうだが国家間、宗教間、組織間で価値観が大きく異る場合がある。こちらでは善であってもあちらでは悪であることも多い。すべてこちらの価値観で物事を進めることに対しもう少し慎重になるべきではないだろうか。こちらには「表現の自由」があってもあちらにはそれがないのだから。◆コメディー映画であちらの国家の元首の首が吹っ飛ぶシーンが必要なのか?もう少しあちらに配慮すべきではなかったのか。我々日本国民でも、あちらの国が作った娯楽映画に天皇陛下や総理大臣のそっくりさんの首が吹っ飛ぶシーンがあれば許すことはできないだろう。◆日本人仏教徒は穏やかで寛容であるので「何妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」を「ナンミョー ホーレンソー」などと大声で歌われてもにっこり笑って返す。成田山や明治神宮の初詣で大勢の参拝客の中で「神はあなたを救います。聖書を読みましょう。イエスキリストは・・」などとキリスト教徒が布教活動をしていてもなにも言わない。ところがこれがイスラム教徒に対してコーランを貶したりメッカ巡礼の場所で仏教の布教活動をすればとんでもないことになることを皆知っている。◆こちらとあちらでは価値観が違うのだ。こちら側の「表現の自由」というものは絶対的なものではない、ということを一度じっくりと検証すべき時期になっているのではないだろうか?
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◎2015年01月08日 ---- ティー子 ◎
◎2015年01月07日 ---- ボス ◎
- ふるさと納税
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都会と地方の経済的格差が開いているという。「地方再生」という言葉をよく耳にするようになった。政治家も官僚もそれなりに方策を考えているようだがなかなかうまくいかない。年収数億円のテレビ司会者が「アベノミクスにより格差は開く一方だ」と深刻な顔をして訴えているのは滑稽でもある。◆厳しい言い方になるが私は「地方は政治のせいにして自分で努力することを忘れているんじゃないの?」と思うことがある。地方の方々に聞きたい「あなたはどんな努力をしているの?格差是正に向けて明らかに都会の人以上に努力していると言えますか?」と。◆「ふるさと納税」という制度がある。地方税を現在の居住地ではなく故郷に納めることができる制度。私の例で言うと現在住んでいる渋谷区ではなく大分県佐伯市に納めることができる。(実は日本中どこの自治体へでも納めることができる制度) 私は毎年、かなりの額を佐伯市に納めてきた。黙って渋谷区に納めるのと違ってわざわざ銀行へ言って手続きをする。5千円以上の手数料もかかる。それでも私を育ててくれた佐伯市のため、佐伯市へ恩返しと思って続けてきた。◆ところが佐伯市の対応はいかにも事務的、お役所的なもの。形式的なお礼を述べる文書と粗品が送られてくるだけ。誠意も工夫もない。「都会で稼いでいる人間が郷里に送金するのは当然」とでも思っているようだ。それでも数年続けていた。憤慨したのは納税のお礼に「佐伯市歌」のCDが送られてきたとき。いまどき出身地の聞いたこともない「市の歌」のCDを送られて喜ぶ都会人が居ると思うのか?あなたはこれ貰って嬉しいの?・・腹が立った。情けないと思った。意見をしようと佐伯市のホームページで「ふるさと納税」のページに行くとそこには直接記入できず、意見を書くページをプリントアウトして手書きで記入後FAXで送信してくれとある。これじゃ「意見など聞きたくありません」と言っているのと同じ。このような例はおそらく佐伯市だけではないだろう。◆やはり役人は役人。「納税してくれた人はどんなお礼が嬉しいのだろうか?」と真剣に考えることがないのだろう。◆私は東京で同窓会の幹事をしている。同窓会があっても「なあ皆さん、僕もやっているけどみんなでふるさと納税しようや」と誘えないのである。私が大分県の役人だったら年末年始は職員総出で大分空港に立ち、都会からの帰省客に「ふるさと納税」をお願いするのだがな。「ふるさと納税」してくれた方々にはそれなりの凝ったお返しをするのだがな。同窓会の幹事を見つけ出して「みんなを誘って『ふるさと納税』してよ」とお願いするのだけどな。・・・地方の役人と東京の経営者には感覚に大きな差がある。私は当分「ふるさと納税」をすることを辞めた。めんどくさいのである。
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◎2015年01月06日 ---- ボス ◎
- 丁寧語
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昨年の暮れ、当社の協力会社各社を招いて忘年感謝パーティーを開いた。前年に続き今回もコンラッドホテルの宴会場を借り切っての華やかな楽しいものになった。当社の職員も嬉しそうであった。そのパーティーの冒頭のこと。当社の女性スタッフの岡崎さんがマイクを持った。「これからエアロファシリティー社の忘年感謝パーティーを開催します。私は本日このパーティーの進行役を務めます岡崎と申します。どうぞよろしくお願いいたします。」と言った。嬉しかった。「さすがオカザキ!」と感心した。◆最近は「進行役を務めます・・・」とはなかなか言えない。結婚式であろうが謝恩会であろうがアカデミー賞授賞式であろうが司会者はなぜか必ず「本日の進行役を務めさせていただきます〇〇です」と妙な日本語を使う。◆「いたします」という美しい謙譲語がある我が国の言葉がいつのまにか「させていただく」といううわべだけの妙な謙譲語に駆逐されてきている。使う本人は丁寧なつもりであろうがそれを「おかしい」と思う常識人も多いだろう。◆この「させていただく」という変な日本語が普及したのはいつごろからなのだろう。私の記憶では26,27年ほど前か。当時通勤に利用していた西武線、ホームのアナウンスでそれまで「ドアが閉まります」と言っていたのがある日「ドア閉めさせていただきます」に替わった。私は「バカじゃないの?」と思ったことを思い出す。
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◎2015年01月05日 ---- ボス ◎
- 新年の小さなグチ
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あけましておめでとうございます。今年も「スカイアゴラ」をよろしくご指導お願いいたします。◆「なんとなく 今年は良いことあるごとし 元日の朝 晴れて風無し」・・・箱根で元旦を迎えた私は露天風呂から初日の出を拝みながら啄木の歌を口ずさんでいた。晴れて風のない元旦には毎年この短歌を口にしている。本当に良い年になってほしい。◆元旦におせちをいただきながら「元旦というのはね、元日のことではなく元日の朝のことなんだよ」などと息子(慶応大学3年生)娘(社会人4年生)に講釈を垂れていた。ふと啄木の歌を思い出し「なんとなく今年はよいことあるごとし・・・・この続きは?」と下の句を息子、娘に問うた。双方とも「知らなーい」との返事。「今どきの慶応生はこの歌も知らないのか・・・」私は不満だったが優しく下の句を教え解説した。彼らは「へえー、そうなの」と言ったが興味なさそうだった。◆おせちの中に「なます」があった。娘が「わーい、なますだ。私、なます大好き」と言って嬉しそうに食べていた。すると「なますってなんなの?」と慶応3年生が聞いてきたので、また少し講釈を垂れた。そしてうるさい教授がまた質問を出した。「何に懲りて膾(なます)を吹くの?」・・・慶応3年生と社会人4年生はまたしても「知らなーい」◆啄木の歌も、「羹(あつもの)に懲りて膾を吹く」も知らない慶応3年生がすでに複数の企業から内定をもらっているという。正月早々、日本の将来が不安になった。◆ふと救いの言葉が見つかった。「そうだ、キミたちは『ゆとり教育』で育ったからな。ダメだな、『ゆとり教育』なんて」。そう言った私に社会人4年生がすぐに反論してきた。「おとうさん、私たちは『ゆとり教育』じゃないよ。円周率は3.14って習いました」だと。◆我が家の教育水準が低すぎたようだが、それにしても「ゆとり教育」の弊害は大きいと今更ながら思った。「3.14」はともかく彼らはまさに「ゆとり教育」時代に義務教育を過ごしていた。◆正月早々、グチになったが、まあまあ平和な年明けではあった。
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