2015年11月の記事一覧
◎2015年11月30日 ---- ボス ◎
- マイナンバー制度
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自分は年金生活者だ、という爺さんからのメールをラジオで紹介していた。自宅にマイナンバーを知らせる郵便物が届いたが受け取りを拒否した、という。その爺さんが受け取りを拒否したのは「国民一人ひとりに背番号を付けられるみたいで気に食わないから
」という。ラジオのコメンテーターはその行為を注意しないどころか「そういう抗議の仕方もあるんですね」とばかりに煽っていた。マスコミがこうだからこの国には算数のできないその場感情のみで行動するバカ者が増え続けている。◆マイナンバー制度が導入されると、税の取りっぱぐれがなくなり社会保障や税の給付と負担の公正化がはかられる。導入されて最も困るのはこれまでに脱税や節税をやってきたズルい(或いは賢い)金持ちたち。年金生活者は経済的な恩恵はありこそすれ損することはない。だがマスコミはそのことを伝えない。◆国民1億2千万人の我が国に、銀行及び郵貯の口座が10億以上ある。一人で10も20も口座を持っている者がいるのだ。架空名義での口座も多い。マイナンバーによってこれらの名寄せが行われれば脱税額は大きく減ることになる。税収は上がる。その分、貧しい方々の生活は改善される。「背番号を付けられるみたいで気に食わない」などと下らぬことを言っている場合じゃないのだ◆マスコミ関係者の中にもマイナンバーの導入によって不都合が生じる者は多い。複数の企業から収入を得ている者。アルバイトをしている者。収入のあるカミサンを扶養家族にしているもの。資産を隠している者。いろいろある。もちろん彼らは「私に不都合が生じるからマイナンバーには反対だ!」とは言えない。そうは言えないから、誰かに、できれば多くの国民に「マイナンバーには反対だ!」と言ってもらいたい◆そのために「背番号を付けられるみたいで気に食わない」と言って通知郵便を受け取り拒否するような爺さんまで応援する。あるいは「プライバシーが・・・」などと不安を煽る。別問題だ!◆もう一度言う。マイナンバーを導入されて一番困るのは「ズルをしている金持」ちなのだ。あなたが今ほんの少しズルをしていたとして、マイナンバーの導入によって「あなたがズルができなくなるデメリット」よりも「大きなズルをしてきた悪い奴らがズルできなくなることによって生じるあなたのメリット」の方がきっと多いだろう。... 続きを読む
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◎2015年11月27日 ---- ボス ◎
- 老ける
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この一年間で急に老け込んだ。◆昨日、床屋で「キノシタさん、鬢(びん)に急に白いものが目立ち始めましたね」と言われた。確かに・・・。頭頂部が薄くなり始めたのは随分と早かったが育毛剤のお蔭か、なんとか頑張ってきた。白髪は少なかったのだが、こちらはもう限界か。そろそろ白髪染めを始めようか。・・・・男でも、外見が老け込むのは寂しい◆読書が進まない。「面白そうだ」と思って購入した本が50ページまで読んでもなかなか面白くならない。これまでなら面白くなくても頑張って読み切っていたが最近は50ページで止まってしまう。50ページまでしか読んでない本が机の回りに5冊ほどある◆記憶力が落ちた。「あの話は誰としたんだっけ?」・・・話の内容は覚えていても話した相手が思い出せない、そんなことが多くなった◆諦めが早くなった。ほんの少し前までは「欲しい」と思ったら「どうやったら手に入るのか」を真剣に考えていた。少々無理をしても取りあえず手に入れていた。だが最近は「欲しい」と思っても「本当に欲しいの?必要ないんじゃないの?我慢できるよね?」と言う自分がいる。或いは「頑張っても、きっと手に入らないと思うよ。諦めなよ」という自分がいる。◆ずるくなった。みずから先頭に立って歩こうとしなくなった。これまでなら「じゃあオレがやるわ」と言っていたところを「頼まれるなら断れないな」という風に変わった。◆この一年間で変わったのは自分の外見や思考だけではない。回りにあった多くのモノが徐々に消えて行っている。なんだか「整理」に向かって行っているようで怖い。記憶も、思い出も、記録も・・・どんどん減って行っている。大切にしていたものがどんどんと無くなっている。◆これが「老い」への準備なのだろうか?
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◎2015年11月25日 ---- ボス ◎
- 速すぎるバラマキ
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「政府は2015年度補正予算案で、低所得の年金受給者向けに1人あたり3万円の給付金を配る方針を固めた。対象は約1000万人にのぼるとみられ、財源は3000億円程度となる見込みだ。・・・年金受給者は、景気回復に伴う賃上げの恩恵を受けていないととらえ、給付金で個人消費を活性化させてGDPを伸ばす。」(読売新聞ニュースより)◆一人当たり3万円とはかなり大きな額であるな、と私は感じた。これを次回の消費税増税予定の2017年4月まで取っておけばいいのに、とも思った。◆17年4月に消費税率が現行の8%から10%へと、2%上がる予定だ。「たかだか2%」と思う国会議員は多いようだが年金生活者にとっては大きな2%になる。そのために「せめて食料だけは非課税に!」などとややこしいことを言い出し、その声が大きくなり、押し切られてしまった。「3万円」は150万円の2%。年間、一人で150万円も食料品を消費する年金受給者は少ない。その時にとっておけば良かったのに、と私は思ったのだ。◆「消費税を8%から10%に引き上げるのに際し、年金受給者には一人当たり3万円を毎年支給します。これは食料品150万円分の増税額です。食料品を150万円購入しない人にとってはこちらの方が得ですよ」と訴えれば賢い年金受給者なら「それならいいよ」と言ってくれただろう。賢い年金受給者たちは、あまり賢くない年金受給者たちに説得してくれただろう。◆消費税増税に関し、政府はアイデアを出さない。(アイデアを出すときはとんでもないややこしいものになっている) 一方、マスコミは賢くない消費者の不安や不満を煽る。庶民請けの良い善人ヅラした政治家と、同じように腹黒いが庶民の味方の顔したテレビコメンテーターたちが、賢くない低所得者を不安に陥れ、結果、この国の政治と景気は右往左往している。◆ばら撒くにはばら撒くべきタイミングがあるのに、この国の政治家たちは、「日本株式会社」の賢い経営者には到底なれそうにない。
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◎2015年11月25日 ---- ボス ◎
- 宝くじ
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今年もまた「年末ジャンボ宝くじ」の売り出しが始まった。1等前後賞を併せると10億円だという。テレビでは「当たりくじが多く出る」と言われている売り場に昨夜からできた行列が映っていた。賢そうではない男女がインタビューに答えていた。◆人よりも少しでも早く楽しみたいからゲームソフトやアイパッドの販売で前日から行列ができるのは理解できる。人よりも少しでも良い席で応援したいからサッカーや野球観戦で行列ができるのも分かる。もちろん、おいしい料理店の前の行列も理解できる。だが何故、宝くじ売り場で前日から並ぶ人がいるのか不思議でならない。正直に言うと私は彼らを蔑(さげす)んでいる。早く並ぶメリットはなにもない。当たる率が高くなるわけでもないし、他人よりも早く当選番号が分かるわけでもない。そもそも「当たりくじが多く出る」という売り場は「多く売れる」からそれに比例して「当たりくじが多く出る」だけ。その売り場で買うメリットなどなにもない。算数が苦手な、確率が分からない、働くことがあまり好きではない連中が宝くじ売り場に行列を作っている◆もっと言うと、「10億円もの非課税の不労所得」を「ラッキーな27人」にも出すことがこの国にとってなんのプラスになるのか分からない。それよりも「真面目に働かなくちゃお金持ちになれませんよ」と教える方がずっとプラスだと思うのだが。
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◎2015年11月18日 ---- ボス ◎
- チカンを捕まえる
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「女風呂とか更衣室を覗きたいと思うのはオトコなら普通の欲求。しちゃあダメだけど、まあ、理解できる。でもな、絶対にしちゃあダメなのは痴漢。もしオマエが痴漢行為をしたら父さんは絶対に許さないからな!」と自宅で酒を飲みながら息子に注意をしたことが何度かある。「するわけないでしょ!」と息子は反発する。家人は家人で「お風呂や更衣室は覗いてもいいような言い方はやめて!」と言う。まともな注意をしたつもりなのだが、こちらが非難されてしまう。おかしい◆痴漢を捕まえて駅員室まで連れて行ったことが二回ある。どちらとも15年くらい前のことだ。◆当時私は海浜幕張からJR京葉線で新木場へ通っていた。私の乗る快速電車は毎日、超満員だった。決して美人ではない、全く女性としての魅力のない、三十歳くらいのその人といつも同じ電車になった。◆その朝私はいつものようにドア付近に立ち本を読んでいた。決して美人ではない、女性としての魅力の全くないその人も私のすぐ近所に髪の毛をボサボサにしたまま立っていた。私は、すぐ近所で痴漢行為がなされているなど全く気付いていなかった。新木場駅に到着する寸前、あの美人ではない女性が大声を発した。「チカン、チカン! こいつチカンです!」 ドアが開いた。乗客はホームに押し出される。女性は男の腕をつかんでいる。一番近所にいたのが私だった。正義感の強い私は瞬間的に、その男が逃げないように彼の服をつかんだ。◆女性は美人ではないし、女性としての魅力もないし、髪の毛はボサボサだ。男はこれまた貧相な五十歳代後半。情けない風体だった。私に服をつかまれで観念したのか、その男が謝りはじめた。「ごめんなさい、ごめんなさい。もう絶対にしませんから・・」 すると女が大声で男をののしる。その言葉がすごかった。その美人ではない女性は自分のことをオレと言った◆「テメエ、オレのケツをずっと触りやがって!このヤロー。黙って我慢してたら調子に乗りやがって!オレのケツずっと触ってたろうが!この手で!」 確かに彼女は「オレのケツ・・」と何度も言った。「オレのケツ」と言った決してオカマではない。単に育ちの悪い、知性も魅力もない女性だった。私は貧相な男の服をつかんだままだったが情けなくなった。「おじさん、よりによって、なんでこんなオンナのケツなんか触ったの?」と聞きたかった。いや、心のどこかで「オレ、強く握ってないよ。振り払って逃げたら逃げられるかもよ」とさえ思っていた。しかしその貧相なオトコはおとなしかった。「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返し「なんとか見逃してくれませんか?」と私とその魅力のない女性に懇願してきた。◆「はい、どうぞお逃げなさい」と言うことはできない。女は「ふざけるなよ、この変態ヤローが!」となお毒づいている。私にうながされ男は素直に駅員室に入って行った。「チカンです」私は男を駅員に手渡した。駅員は「ありがとうございました」と言った。名前は聞かれなかった。男を引き渡すと私はそのまま会社へ向かった。◆その翌朝、またあの魅力のない女性と同じ電車になった。女は「昨日はありがとうございました」などとは一言も言わず、会釈もせず、昨日と同じドアの脇に立っていた。私のことは無視した。◆私は少し後悔していた。そしてこの育ちの悪い女に対し大変腹を立てていた。・・・・・それでも私はその数か月後、またしても新木場駅で痴漢を捕まえてしまった。2回目の痴漢を捕まえた話はまた後日・・・・・。
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◎2015年11月11日 ---- ボス ◎
- 大満足 のちに ちょっぴり激怒
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昨夜は当社の創立記念パーティーを華々しく、大手町の『コットンクラブ』で開催した。当社社員やお客様、私の友人や家族まで含めて総勢170名の大パーティーとなった。冒頭、私が挨拶をした。「義理・道徳」を忘れず心掛け、人様に後ろ指を指されることだけはないように私自身は生きてきたしエアロファシリティーもそういう会社である、とお話をした。「義理・道徳」に続いては「美・粋・遊び心・道草精神」を常に意識して仕事をしていることを報告した。パーティーの司会はあの及川奈央さんが引き受けてくださった。ゲストはあのウェイウェイウーさんの率いるカルテットの演奏。とてもとても素晴らしいものになった。すべてのお客様が大満足の様子で帰って行かれた。◆私も大満足であった。お客様が帰られたあとの当社社員たちも満足そうであった。準備に励んでくれた皆様に心からお礼を言いたかった。「ありがとうございました。お疲れ様」◆「美・粋・遊び心」を十分伝えられたパーティーではあったが実は私はさらに「美・粋・遊び心」を仕掛けていたつもりであった。私と準備会社の意思の疎通が十分ではなかったのかチェックが甘かったためにそれが実現できていなかった。残念。悔しい。激怒。◆パーティーには女性客が当社社員を含め40名程度いた。この女性客には、女性客ならではのお土産を入れるようにと指示をしていた。「中に入れるモノはコレ」と写真で確認していた。◆フィレンツェのサンタマリアノッベラ薬局の紙香水。これなら女性客は自宅に帰り、あるいは帰りの電車の中でお土産を開けてみて「うわっ、素敵!さすが木下社長! 粋だわ!遊び心あるわ! きっと銀座で仕入れた情報ね!オシャレね!」となると思っていた。◆自宅に帰ると、(我が家からは3名の女性がパーティーに参加したのだが)だれも「お土産までステキだったね」と言わない。彼女らのお土産を見せてもらった。「なんじゃ、こりゃ?」こんなものをもらって喜ぶ女性はいない! 私は激怒した。◆なぜ事前に、お土産の実物を確認しなかったか? 「お土産はコレ」と写真付きで決めたのは2か月前。実物を確認するチャンスは十分あったのに・・・。前日の夜、オフィスでもない場所で「担当者から言付かってます。お土産はこれです」と袋を渡された。信用しきっていた私は袋だけを確認して中身のチェックをしなかった。あそこで「これじゃない!写真と違うじゃない!」と気付いても遅かっただろう。◆一旦、100点満点を付けたイベントであったが「終わり悪けりゃすべてダメ」とは言わないが、完璧を目指す私はくやしくて眠れなかった。◆パーティーに参加してくださった女性のみなさん、ごめんなさい。私のチェックミスです。
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◎2015年11月10日 ---- ボス ◎
- 創立20周年記念パーティー
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とうとう今日になった。我が社の創立20周年記念パーティー。朝、7時30分にデスクに付きパソコンを開くと私の大恩人、川嶋信義さんの奥様からメールが届いていた。昨日、ご自宅のある三鷹から川嶋さんの眠る千葉のお墓に行って「明日はあなたの代わりに私が木下さんの20周年記念パーティーに出席してきますからね」と伝えてくださったとのこと。嬉しくて、寂しくて、朝から涙が止まらない。◆パーティーの準備は万全だが、実は最初に行うことになっている私の挨拶の言葉をまだ全く考えていなかった。一言でいいな、と思っていたのだが、なんやら話したいことが増えてきた。さて、私の挨拶の言葉、ここで練習してみよう◆「私は今から34年前、昭和57年に九州大学の土木工学科を卒業して前田建設工業の東京支店に勤務します。大学では留年をしてしまい5年間かかっての卒業でした。前田建設では工事現場のいわゆる現場監督をやったのですが、まあ良く働きました。とにかく一所懸命に働き、勉強もしました。わけあって昭和63年に前田建設を退職し、大陽工業という会社へ移ります。今から20年前、平成7年には大陽工業の取締役航空事業部長という肩書を持っていました。ヘリコプターの整備・販売・運航を行う仕事をしていました。部下は50名。私の母親よりも年長の部下もできました。ところがバブルの崩壊で事業部を閉鎖することを銀行と大陽工業の本社から要請されたのがその前の年です。別会社を作り、運行部門だけは切り離します。これが現在、新木場の東京ヘリポートにありますフライトセーフティー株式会社です。フライトセーフティーを独立させたあとヘリコプターの整備・販売部門は閉鎖することになっていました。可愛い部下に辞めてもらうときは本当に苦しかった。毎日、毎日、憂鬱な日々でした。◆その頃、業界内で親しくさせていただいていたのが当時、第百商事株式会社の大阪支店にいらした木村さんです。木村さんは東京出張のついでに良く私のところを訪れてくれ、いろんな話をしていました。私と木村さんは同い年。木村さんは私の出身地である大分の大学を卒業されていたという妙な縁も感じていました。◆今から20年前、平成7年の1月にあの阪神淡路大震災が発生します。残念ながらヘリコプターは殆ど活躍できませんでした。我々は、その状態を反省しながら『災害の時に活躍できるのがヘリ、ヘリコプターの最も有効な活用方法活用目的は国民の安全を守るためのものだ』ということを確信します。また、神戸ヘリポートの状況を木村さんにお聞きしました。するとシャッターが開かない格納庫やエプロンの地盤沈下で出動できないヘリコプターがあった、とのことでした。私はもともとが土木屋です。建築もそこそこ詳しい。ヘリコプターが分かり、ヘリポートが分かり、土木建築が分かる者は日本にはそう多くありません。大陽工業の航空事業部を閉鎖するのではなく、事業の方向を思い切って変えて、ヘリポートや格納庫を作る専門会社にしようと思い至ったのです。◆「安全のためのヘリコプター・・・警察ヘリ、防災ヘリ、消防ヘリ、自衛隊ヘリそれから当時はまだなかったドクターヘリに焦点を絞ったヘリポート、格納庫の会社なら十分に利益が出せる」と確信しました。すぐに事業計画書を作り前田建設工業の元上司である川嶋さんのところを訪問しました。勝手に前田建設を辞めたのですが、私が辞めた後も川嶋さんは私に優しく接してくれていました。川嶋さんが随分と骨を折ってくださり、前田建設工業が当社への出資を決めてくれました。「出資はするけどいっさい口を出さない。オマエの思うようにやってみろ」そんなことを言われました。ところが苦しいことの連続です。苦しい時は川嶋さんに相談する、するとなんとかなる、そんな繰り返しでした。◆当社もやっとなんとか事業が安定してきたかな、と思えるようになったとき、その川嶋さんが病に倒れ、あっと言う間に天国へ行かれました。今日は奥様が川嶋さんの写真を持ってきてくださっていますが、一番ここに居て欲しかったのが川嶋さんなのです。残念です。◆私は幼い時に父を亡くしたので随分と苦労しました。社会人となっても随分と苦労を重ねました。そんな中で会社経営に於いて最も大切なことは「義理と道徳」というところに行きつきました。残念ながらまだまだ義理を欠くことは多いのですが、そうならないように注意しています。さらには「美・粋・遊び心・道草精神」を大切にしています。エアロファシリティーの仕事は「義理・道徳」に反せずかつ「美・粋・遊び心・道草精神」が無ければなりません。◆長くなりました。これからもまだまだここにおられる皆様方のご指導応援が必要です。社員一同、さらに頑張って参りますのでどうぞよろしくお願いいたします。今日は、日ごろの感謝の気持ちを表したい、と切に願っています。ウェイウェイウーさんの音楽、最高です。楽しんでください。お酒や歓談も楽しんでください。
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◎2015年11月09日 ---- ボス ◎
- 慌てる
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毎週、週末はゴルフを楽しんでいる。一昨日の土曜日も私のホームコース、千葉県君津市のロイヤルスターゴルフクラブでのラウンドを楽しんだ。◆早朝5時半に広尾の自宅を出て、木更津東インターを降りたのは6時15分だった。インター近くのセブンイレブンに寄る。ロイヤルスターでのゴルフに向かうときのルーティン。私はいつも必ずこのセブンイレブンで「明治ヨーグルトR-1」と「はちみつ黒酢ダイエット」と「おにぎり一つ」と「セブンイレブンのホットコーヒー」を購入する。カップに「ホットコーヒー」を入れながら急いで「R-1」を飲む。続いて「ホットコーヒー」に蓋をしながら「はちみつ黒酢」を飲む。そしてゆっくりと車に戻って「おにぎり」を食べ、コーヒーを飲みながらコースへ向かう。これが私のルーティン。ルーティンを守っているとちょうどコースへ着いた頃、トイレに行きたくなってくる。◆一昨日もそうだった。着替えを終えると私はトイレの個室を目指した。個室は一つだけ空いていた。入るときにトイレットペーパーを確認する。個室にはペーパーが2つ並んでいる。どちらともかなり細くなっているが白い紙を確認した。これもルーティン。「ペーパー、よし!」心の中で声を出した。ゆっくりとトイレを済ませ、ウォシュレットできれいにし、ペーパーに手を伸ばすと・・・・なんとペーパーはなく、白い芯棒だけだった。2つとも芯棒だけだった。さっき「ペーパー、よし!」と確認したのは「紙」を見たのではなく白い芯を見たのであった。迂闊だった。どうしよう・・・。子供の頃なら「かみー!」と叫んでいたかもしれない。あたりを見回すが予備のペーパーは置いていない。「ウォシュレットで洗ったのだ、汚くはない。乾くのを待とうか」・・そんなことを考えて時計をみたらスタート時刻が迫っていた。「このままパンツを上げると気持ち悪いだろうなあ・・」などと考えながらあたりを見回した。◆いいものが見つかった。「便座シート」。私は「便座シート」など使ったことがない。昔、「人のカラダで最もキレイなところ、黴菌の少ないところはオシリだ!」と誰かに聞いたことがあった。それ以来、その言葉を信用して便座シートは使ったことがなかった。◆便座シートは2枚残っていた。1枚を取り出して尻を拭く。「これはいい!」私は心の中で叫んだ。2枚目の便座シートを使って完璧に仕上げた。何事もなかった風に私は個室を出てアウトコースへ急いだ。ふと、「私の後からあの個室に飛び込んだヤツは大丈夫だろうか?」と考えた。「ヤツには便座シートすら残ってないな・・・」そんなことを思いながらのティーショットはびっくりするくらいのナイスショットであった。
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◎2015年11月05日 ---- ボス ◎
- 拉致被害
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佐伯鶴城高校の普通科の同級生は7クラス280名。子供の頃から交友関係の広かった私は、卒業するころには同級生の全員を知っていた。280名のうち半数は小学校か中学校での同級生であったから、高校の同級生のほとんどすべての者が友達の友達であった。◆卒業するころには「全員を知っている」と思っていたが、アルバムを見てどうしても思い出せない同級生が一人だけいた。今津淳子さんという名のその方だけ、思い出せない。一緒のクラスにはなっていない。高校時代には知っていたのだろうか?話したことはあるのだろうか?◆その、たった一人の、私の記憶にない同級生、今津淳子さんが北朝鮮による「拉致の疑いが濃厚」78人のリストに載っている。◆「昭和60年4月30日、休暇を取って大宮の運転試験場へバイクの免許を取りに行った。同日7時頃、寮の同僚に『これからバスで帰る。何か買い物はないか』と電話連絡したまま消息不明。警察は公開捜査を行ったが目撃証言もなく安否につながる情報もない。同日21時頃最寄りのバス停と寮の間の民家の人が犬が激しく鳴くのを聞く。翌朝その家の人が畑の中に今津さんの両方の靴を発見。『北朝鮮にいる』という情報がある。」・・・と特定失踪者問題調査会の報告書に書かれている。◆私の記憶にない同級生ではあっても、彼女は多くのルートで私の「友達の友達」であることは間違いない。早く、無事に、帰ってきて欲しい。◆記憶に残っていないし、親しくもなかったが、彼女が帰って来たら空港まで駆けつけたい。苦労を重ねた、高校の同級生。なにか言葉をかけてあげたい。◆早く、無事に、帰ってくることを切に切に願っている。
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◎2015年11月04日 ---- ボス ◎
- 懐かしい良い時代
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私の在校時、佐伯鶴城高校には普通科と体育科があった。体育科には野球、水泳、陸上、体操のスペシャリストが全国から集まっていた。普通科の生徒と体育科の生徒は比較的仲が良かったが、やはり深い交流は少なかった。普通科の生徒は全部で280人体育科は40名。大した不良もおらず、イジメもない、居心地の良い典型的な地方の進学校であった。教師と生徒の距離も近く、私も何人かの先生の自宅へ伺ったことがある。生徒と教師の間で繰り広げられるドタバタはそのままテレビドラマになりそうなモノも多かった◆高橋君は佐伯市近郊の漁港である米水津(よのうづ)町の中学を卒業して鶴城へ入学した。当時はまだ交通の便がわるく、自宅からの通学は無理なので、高校の近所に下宿していた。そして同じ下宿に教師なりたての岩田先生もいた。岩田先生は広島出身の英語の教師。高校1年生の私たちは16歳、岩田先生は23歳であった。先生というよりは優しいアニキという感じだった。◆2学期の期末試験が終わったその日、仲のよい4名(私・K君・S君・Y君)が高橋君の下宿に泊まりにいった。高橋君の下宿は、友人が泊まる場合には下宿のおばさんに挨拶しなければならなかった。「期末試験の反省会をします。今夜は泊めてもらいます」・・高橋君を含む我々5人は感じ良くおばさんに挨拶した。この辺は心得ていた。我々は外面を繕うのがとても上手だった。地元では「鶴城の学生さん」というだけで信頼感があった。そんな時代であった。◆夜の8時、「試験の反省会」のフリをしている部屋をおばさんが覗きにきた。「そろそろ玄関を閉めますよ」と言った。我々は期末試験の問題用紙から顔を上げ「はい、大丈夫です。おやすみなさい」と笑顔で挨拶した。おばさんは玄関にカギをかけ、自分の部屋へ戻っていった。◆おばさんが自室へ入るのを確認すると、「待ってました」とばかりに、酒盛りが始まった。酔いが回ってきた夜の11時頃、体育科の山脇君が下宿の塀を乗り越えて高橋君の部屋の窓から入ってきた。映画を観た帰りだ、と言っていた。多分、日活ロマンポルノであったのだろう。そして山脇君は手にウィスキーのボトルを持っていた。宴会は6人になった。山脇君は酒も強かった。山脇君につられて、我々はさらに飲んだ。そのうちY君が気分が悪いと言い出した。「便所に行って吐いてくる」と言って出ていった。◆ちょうどそのタイミングで岩田先生が高橋君の部屋へやってきた。自室で飲んでいたのか、外で飲んでいたのか、岩田先生も既に酒に酔った赤い顔をしていた。トイレで吐いているY君を除いた我々5名は「先生も一緒に飲みましょうよ」と岩田先生を誘った。岩田先生は一瞬困ったような顔をしたもののニヤニヤしていた。驚きも怒りもしなかった。◆そのとき部屋の外で声がした。トイレで吐いているY君に、下宿のおばさんが「どうしたの?大丈夫?」と優しく声をかけていた。「まずいことになった」・・岩田先生、山脇君、高橋君、私、K君、S君は黙ったまま交互に顔を見あっていた。すると酒の匂いに気付いたのか、それまで部屋が騒がしかったことを不審に思っていたのか、おばさんが我々のいる高橋君の部屋へやってきた。部屋は十分に酒臭い。「高橋さん!これはいったい、どういうことですか?」おばさんが怒り出した。◆まず山脇君を見て「あれっ? あなたは、どなた? どこから入ってきたの?」 きつく問い詰める。山脇君が答えあぐねているとおばさんは岩田先生に気付いた。「えっ?岩田先生!先生までもが1年生の生徒さんたちと一緒に飲んでるんですか?えっ?大問題ですよ!」 先生は相変わらずニヤニヤしながらおばさんに答える。「違うんだわ、ワシは今この部屋を覗いたところなんや・・・」広島弁でのらりくらり答えていた。先生は自分のことをワシと言っていた。◆その後、どうなったのか詳細は覚えていない。高橋君の下宿はその事件以来、訪問できなくなった。岩田先生が上手に言い含めてくれたのか、親からも教師からも、この件に関して注意された者はいない。良い時代だった。◆そしてその後、山脇君はマジメに体操の練習に打ち込みオリンピック選手になった。吊り輪に「ヤマワキ」と言う名の技を残した。◆内村航平選手の活躍をテレビで見て、山脇君や当時の仲間たちのことが懐かしくなった。
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◎2015年11月02日 ---- ボス ◎
- 太ももの痛み
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本格的な秋の深まりを感じるこの季節になると必ず、昔痛めた左足太もも裏側ハムストリングがしくしくと痛み出す。◆平成3年か4年だったろう。当時、私の仕事場は新木場の東京ヘリポート内であった。有楽町線の終点、新木場駅で電車を降り、そこからはバスで東京ヘリポートに通う毎日であった。まだパスモやスイカのない時代、電車で通う者は定期券を駅員に見せて改札を抜けていた。切符の者は自動改札機を通していた。◆その日、コートを着ていたから季節は冬だったのだろう。新木場駅で私の前を歩く男は切符を自動改札機に通さずに何かを駅員にチラっと見せて改札を抜けようとした。駅員に止められた。「お客さん、定期券を見せて!」と駅員が詰める。するとその男は「定期券じゃねえよ、今、切符を通したよ」と言い出した。駅員が「いや切符は通してないでしょ!」とさらに詰め寄る。男は「通したよ」と繰り返している。その男の真後ろで彼の行動を見ていた私は「切符入れてないよな、定期券見せるフリしてたけどな」と言って駅員を応援した。駅員は私に「すみません、ちょっといいですか?証人になってもらいたいのですが・・・?」と頼んできた。正義感の強い私はなんの躊躇もなく「いいですよ」と答えていた。◆駅員二人が彼を挟むように歩き、新木場駅隣の交番へ向かった。私は彼らの後ろをついて言った。一人の駅員が彼のコートのベルトをつかんでいた。彼は立ち止まってその駅員に向かってすごんだ。「ベルト持つなよ。逃げねえよ」。交番まで20mくらいのところだった。駅員はベルトから手を放した。その瞬間、ヤツが走り出した。不意を突かれて駅員のダッシュは遅れた。「待て!」と叫ぶが足は動かない。彼を追いかけたのは私だった。右手に大切な書類が入ったカバンを持っていた。放り出すわけにいかない。彼も右手に小さなカバンを持っていた。条件はほぼ同じ。150mくらい追ったが距離は縮まらない。離れもしない。彼と私のスピードは同じだった。さらに追いかける。突然、左足太ももがブチンと切れた。私は歩道に倒れた。私が倒れて10秒くらい経ったころ、駅員が私の横をトロトロと走っていった。駅員もまだヤツを追いかけていたのだ。◆私はタクシーを捕まえて仕事場へ向かった。すごい痛みに耐えて午前中は会議をこなしたが午後から整形外科に行き、夕方は松葉杖をついていた。ハムストリングの肉離れであった。ヤツはおそらく逃げ切ったのだろう。駅員からは感謝の言葉も、お見舞いもなかった。「大丈夫ですか?」とすら言ってもらえなかった。私がタクシーに乗って消えたのだからしようがないか。もちろんタクシー代も病院費用ももらえなかった。◆寒くなると左足太ももが痛む。あの日のことを思い出す。もし、肉離れにならず、ヤツに追いついていたらどうなっていたのだろう。「刺されていたかもしれないな」、そんなことを考えて怖くなる。若い頃は恐ろしいものがなかった。
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