2016年10月の記事一覧
◎2016年10月28日 ---- ボス ◎
- 吉田拓郎コンサート
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北は埼玉から南は横浜まで、「吉田拓郎 Live 2016」が全国(?)4つの会場で5公演、開催された。パシフィコ横浜であったその最終公演に行ってきた。◆2度の抽選に外れ「ああ今年は拓郎ライブを楽しめないのか」と落ち込んでいたところに偶然、運良くチケットを譲り受けたのだった。ラッキー!・・◆開演の一時間前、午後5時半に着いたパシフィコ横浜ではすでに長蛇の列ができていた。この列に並ぶ観客たちの様子がなんとも寂しい。私と一緒に行ったFさんは「市役所の失対に並ぶオッサンたちみたい」と厳しい差別的発言をしていた。拓郎がすでに70歳、そのファンもほとんどが60歳オーバーだ。色気もなくオシャレもできず、ただあの頃を、あの青春時代を、懐かしみたいために来ている老人たちの列であった。その情けない列に並んでいて、ガラスに映る自分の姿を見ると、普通にその失対の列になじんでいる。ああ、オレも十分に冴えないジーさんになってしまったんだな。寂しく思った。◆それでもやっぱり拓郎と拓郎ファン。コンサートは素晴らしかった。オープニングの「春だったね」で既に全員総立ち。失対の列に並ぶジーさん、バーさんのどこにこんなパワーがあるのかと思うくらい、皆がはち切れていた。拓郎はもっともっと若い。遠目には40歳代、声だって40歳代のものだ。オープニングではさらに「マークⅡ」「落葉」と続いた。その後も休憩なしで2時間半、拓郎は歌いしゃべり続けてくれた。「旅の宿」「全部抱きしめて」「流星」など名曲を堪能した。そしてエンディング。あの「ある雨の日の情景」を観客全員と合唱した。そして最後の締めが「人生を語らず」 観客は総立ちで、まるでチャゲアスの「YAH YAH YAH」のように拳をみんなで突き上げた。◆恐るべし吉田拓郎。素晴らしい夜だった。そういえば春に行ったボブディランのコンサートはサービス精神の全くないボブディランにがっかりしたが(「風に吹かれて」を歌わないのだ!)、昨夜は拓郎がとても味のある「風に吹かれて」を歌ってくれた。 ノーベル賞はボブディランではなく吉田拓郎にあげればよいのになあ。
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◎2016年10月27日 ---- ボス ◎
- Aクラス美女
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今年の春、我が社の近所にレンタルルームがオープンした。入り口には「45分、1600円~」と看板が立っている。最初は「誰がこんなところを利用するのだろうか?」と思っていた。「TSUTAYA」や「ローソン」に行くときなど、私はこのレンタルルームの前を一日に何度も通る。すぐに気付いた、「ここは風俗で利用されているのだな」と。若い男女の利用が多いが彼らはカップルで入ることはない。男も女も一人で入って一人で出てくる。女性はスマホの地図で探しながら来る人が多い。入るときと出るとき、女性はどこかに電話をしている。◆「風俗利用」と気付いたら私の好奇心がくすぐられた。この道を通る機会が増えた。3回通れば1度くらいの割合で風俗嬢を見かける。キレイな女性とすれ違うと、彼女がそのレンタルルームに入るのではないだろうかと気にかかる。入らずに直進する後姿を確認してなぜだかほっとする。この店に入る風俗嬢は「いかにも」といった感じの、アタマの軽そうな、安っぽい服を着た、清潔感のない女性が多い。「あっ、こいつは入るだろうな」とすぐに分かる。まず間違いなく予想は当たる。◆昨日、たまたま「ローソン」の帰り道、当社の女性社員Yさんと一緒になりそんな話をしながらレンタルルームの前を歩いていた。Yさんも私と同じことを思っていたようで「私も、ちょっと見ただけで『ああこの人はそういう人なんだろうな』って分かるようになりました」と言っていた。「だいたいC級の女性だよね。でもたまにBクラスの女の子もいるよ。でもキミのようなAクラスの女性はいないよね」・・・私はセクハラまがいの言葉を正直に言った。「まっ、私がどうかは知りませんが確かにAクラスの女性はいませんね」とアタマの良いYさんは上手に返してきた。ちょうどその時、向こうからまさにAクラスの美女が歩いてきた。私は小声で「この女性は入らないようね?」とYさんに言った。Yさんも「ええ、この人は違いますね」と言った。我々はそのAクラス美女とすれ違った。「まさか」と思いながらそのAクラス美女がレンタルルームに入るのではないかと振り向き振り向き歩いた。するとビックリ、その美女はすっとレンタルルームに入って行った。◆私は決して風俗を利用することなどないのだが「あんな美女がこんなところで・・・」と唖然とした。Yさんに「今頃、思わずラッキーって喜んでいる男があそこに一人いるんだよね」とまたしてもセクハラ発言。賢いYさんは「そうですね、確かにあんな女性がやってきたら、オトコの人はラッキーって叫ぶかもしれませんね」と。
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◎2016年10月26日 ---- ボス ◎
- ペイズリー禁止
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久しぶりの、秋らしい青空だ。朝、一旦オフィスへ入ったがもったいないので愛宕神社まで散歩にでかけた。大きな心配事もなく、嫌なこともなく、秋の晴天のもと散歩ができる。幸せなことだ。これまで苦しかったことも多かったがその分だけ些細なことに幸せを感じるようになったのかもしれない。◆この時期になると毎年何本かネクタイを購入する。蒐集というほどではないがネクタイを沢山持っている。おそらく平均的なサラリーマンの10倍は持っているだろう。毎朝、スーツとワイシャツを選んだあと「さてどのネクタイにしようかな?」と数本をピックアップして鏡の前に立つのも幸せを感じる一時である。100本近いネクタイの中からその日の気分にあったものを選ぶ。このひととき、なかなか楽しい。◆いろんな柄のネクタイを持っているがペイズリーは一本しか持っていない。ペイズリーが嫌いなわけではない。ネクタイ売り場に行ってまず目につくのがペイズリー柄。思わず手に取る。「いいなあ」と思うが購入はできない。◆もう30年も昔の話だ。「エトロ」が銀座松坂屋に出店した。ペイズリー模様がなんともオシャレだった。その頃はじめて「ペイズリー」という言葉を知った。ある日、私のビジネスの師匠であり当時私が在籍した会社のオーナーであった酒井邦恭さんと話をしていた。酒井オーナーはとてもオシャレな方で、美術や書にも造詣が深かった。私のことを随分と可愛がってくれた。銀座のオーナー事務所に呼ばれて行ってもほとんど仕事の話はない。雑談や美術の話が多かった。そのとき、たまたま「エトロ」の話題になった。「キレイですよね。でも僕には高すぎて買えません」・・・そんなことを私が言った。酒井オーナーは笑顔で「ああ、あれはキレイだな。でもな、キノシタ、ペイズリー柄は身に着けちゃいけないよ。ペイズリーを身に着けるとおカネが近づいてくれなくなるよ。気をつけな」と言われた。酒井オーナーは毎日、ミッソーニやソニアリキエルなどの派手なネクタイを楽しんでられたが確かにペイズリー柄はなかった。◆それ以来、私はデパートのネクタイ売り場で、感じの良い女性店員が「これお似合いですよ」とペイズリーを勧めてくれても「ある事情があって我が家ではペイズリーが禁止なのです」と答えている。ネクタイに限らず洋服の裏地も、靴下も、カバンも、我が家ではペイズリー禁止になっている。 ◆(2年前、米国出張時、サンフランシスコのノードストロームでふと魔が差してゼニアのペイズリー柄のネクタイを買ってしまった。買ってしまったからには、とたまにしている。)
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◎2016年10月25日 ---- ボス ◎
- 西鉄グランドホテル
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出張で福岡に来ると西鉄グランドホテルに泊まることにしている。学生時代や若い頃には高級シティホテルの代名詞のようだった。ロビーで待ち合わせをするだけでそわそわしていたことを思い出す。30年経ち、少し色褪せた感じはするがそれでもそのホテルを福岡の常宿にできるようになったことに喜びを感じている。◆家人は福岡出身であるので家人の実家に泊まることは勿論可能だが、やはり落ち着かない。お互いに気を使う。仕事での福岡はやはり天神近くに泊まり、若い頃には行くことが出来なかった綺麗なオネーサンのいる店などで、博多弁を聞きながらウィスキーを愉しむに限る。大好きな博多の夜は楽しい。◆だがそんな福岡の、西鉄グランドホテルのチェックイン時に気になる光景を目にした。私の隣でチェックインしようとしている紳士にフロントの係りがキーを渡しながら「お部屋は3階の◯◯◯号室です。禁煙のお部屋です」と言った。キーを受け取りながらその客は「えっ?禁煙室なの?」と聞いた。するとフロントは「タバコをお吸いになるんですか?」とその客に聞き返した。客は「ああ」と答えた。その次のフロントの対応に驚いた。そのフロントマンは「後ほどすぐに灰皿をお持ちします」と答えたのだ。客は納得してエレベーターの方へ歩いて行った。◆そんなのあり? 西鉄グランドホテルでは客が吸いたいと言えば禁煙室でも灰皿を部屋に持って行って「はい、どうぞ」なの?◆私は次回からホテルを変えることにした。
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◎2016年10月21日 ---- ボス ◎
- ジャズパーティー
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「遊びの時くらいは真面目にやれ!」「遊びのできないヤツにまともな仕事ができるか?」・・・そんな言葉が大好きである。◆客や取引先との仕事の話が終わって「一杯飲みに行きましょう」と新橋や銀座に繰り出す。私はそこで相手の力量を見定める。おいしい料理とお酒がでても一所懸命に仕事の話の続きをする賢くないヤツが意外と多い。「酒を飲むときでも私は仕事のことを考えていますよ」とバカなアピールでもしたいのか?こういう人と食事をすると悲しくなる。「あなたの人生は仕事だけなのですか?」と皮肉りたくなる。◆かつて私の大嫌いな経済評論家が『麻雀・カラオケ・ゴルフは、おやめなさい』との本を出した。そこそこ売れた。私はその本を読んでいないが、題名だけで腹が立つ。学者かデイトレーダーならともかく我々は人と関わりあって生きている。「人と一緒に遊ぶ」ことが結果、経済を豊かにすると私は信じている。少なくとも「遊ぶ」ことで、その人の人生は豊かなものになる。『テレビゲームは、おやめなさい』と私は言うが『麻雀・カラオケ・ゴルフ』は『おやめなさい』ではなく『おやりなさい』だろう。麻雀人口、ゴルフ人口の衰退と、景気の後退はリンクしているではないか。◆お酒・グルメ・音楽・美術・映画・恋愛・旅行・・・・これらはすべて「遊び」である、と私は思っている。人生は『遊び』『勉強』『仕事』からなっている。そのバランスが大切。『よく学び、よく働き、よく遊べ』である。◆さあ今夜はわが社主催のジャズパーティー。お客様や仲間たちと楽しく盛り上がろう。これが今後のより良い仕事につながると信じている。
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◎2016年10月20日 ---- ボス ◎
- 秋場毅さん、納骨
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昨年9月30日、この欄で「不義理」と題して、私が大変お世話になり、大好きだった先輩、秋場毅さんのことを書いた。◆あまり差し出がましいことも慎むべきだろうが、もし秋場さんが無縁仏となってしまうことがあるようだったら私が墓を準備するつもりであった。将来、自分が入る墓の隣に秋場さんの墓を作り、そこに先に入っておいてもらおうと思っていた。家人にもそのことを話していた。お金も準備もしていた。◆先週、前田建設時代の秋場さんの同僚だった方から連絡をもらった。いろんな処理が終わり、秋場さんの両親の墓が分かり、そこへ秋場さんも入ることになったということだった。私は安心した。その墓は静岡県御殿場の近くにある。この週末(22日・土曜)納骨式だという。もちろん私も参列する。無縁仏として処理されるかもしれなかった秋場さんを無事ご両親のもとへ導くことに大変なご尽力くださった秋場さんの同僚、新谷良司さんに深く深く感謝する。
[以下 昨年9月30日の文]
昭和57年に九州大学を卒業した私は前田建設工業(株)の東京支店に勤務することになった。夜行列車で単身上京した。最初の勤務地は練馬区石神井公園の橋梁工事の現場であった。当初は江戸川区にある社員寮から通っていたが、現場が忙しくなるとほとんど毎日仕事場に泊まり込むことになった。当時の作業所にはいわゆる「飯場(はんば)」と呼ばれる宿泊施設があった。六畳間に五人が寝ることも珍しくなかった。◆入社1年目の正月休みの間、私はその作業所に当直勤務を命ぜられていた。大した戦力にならない1年生を現場が休みの間当直させ、正月休みが開けたら代休を取らせるという所長(私の恩人・川嶋氏)の配慮があったのだと思う。その当直期間中に私は扁桃腺炎で高熱を出し寝込んでいた。◆39度3分の高熱に苦しみ、食べるモノもなく一人煎餅布団に寝ていた。元日だったか二日だったか、3年先輩の秋場毅(あきばたけし)さんが車で様子を見に来てくれた。手におせち料理を持っていた。吉祥寺の自宅から通っていた秋場さんは私が正月に一人で当直しているのを可愛そうに思い、母親の作ったおせちをわざわざ持ってきてくれたのだった。もちろん私が寝込んでいることなど知らなかった。布団の中の私を見て「キノシタ!どうした?大丈夫か?」と心配してくれた。私はなんとか布団から這い出て、久しぶりの食事をいただいた。おかげで翌日は熱が38度3分まで下がったことを覚えている。39度3分の熱が38度3分に下がると随分と元気になった気がした。翌日も翌々日も、秋場さんは母親の手料理を持って私を見舞いに来てくれた。若い私は三日後には元気になった。◆私が前田建設工業を辞めてからも秋場さんとの交流は続いた。飲み会があるといえば電話をくれ「オマエも来いよ。みんな会いたがってるよ」と誘ってくれた。私は秋場さんを通じて、お世話になった前田建設工業との繋がりをずっとずっと維持できた。その秋場さんが病に倒れ前田建設工業を辞めたのは10年くらい前だったろうか。週4回の透析を続ける秋場さんは会うたびに痩せ、老けていった。こちらが誘っても「お酒も飲めないし、食事も一緒にできないから」などと言ってやんわりと断られた。歩くこともきついようだった。◆昨日、ある方から秋場さんの死を知らされた。「今年の2月に亡くなられたそうだ」と彼は言った。生涯独身であった秋場さんは一人住まいのアパートでひっそりと亡くなっていた。昨日まで、アパートの大家以外は誰も秋場さんの死を知らなかった。秋場さんには親類縁者もいなかった。◆あのときお母さんの手作りのおせちを私に届けてくれた秋場さんに、前田建設工業との縁を繋ぎ続けてくれた秋場さんに、私はなんの恩返しもできなかった。◆偉そうに「義理・道徳」が最も大切だ、などと言いながら、私はまた大きな不義理を犯してしまったことに気づき、苦しんでいる。◆秋場毅先輩、ありがとうございました。ごめんなさい。安らかに眠ってください。ごめんなさい。... 続きを読む
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◎2016年10月18日 ---- ボス ◎
- 初乗り410円は運転手のマナーが大切
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国土交通省は、東京のタクシー初乗り運賃を410円に下げる実証実験の結果を発表した。日本人利用者の約6割が、410円になればタクシーの利用回数が増えると回答したとのことだ。初乗り運賃を現行の730円から410円へ引き下げることにより、タクシーの利用回数が月4.8回から月7.0回へ、約46%増加する結果が得られたとのこと。東京オリンピックまでに初乗り410円となる可能性が出てきた。だが・・・。◆20年ほど前、練馬から千葉市幕張へ引っ越した。最寄りの駅は京葉線の海浜幕張駅。駅から自宅まで歩くと15分程度、タクシーでは初乗り料金(ワンメーター)かツーメーターの距離だった。私は遅い時刻の帰宅にはよくタクシーを利用した。駅前にはタクシープールがあり、10台程度のタクシーがいつも客待ちしていた。幕張へ引っ越して2.3か月くらい経ったころだった、私がタクシーに乗り自宅のマンション名「パティオス」まで、と運転手に告げると、その運転手は舌打ちし、「またパティオスだよ。お客さん、これで4人連続パティオスなんですよ」と言った。彼としてはタクシープールで自分の順が来るのを待ち、できれば長距離の客を乗せたかったのだろう。連続4人、ワンメーターの客でうんざりしたのだろう。◆私はこの不愉快な思いを最後に幕張でタクシーに乗ることをやめた。少々遅い時刻の帰宅ても歩くことにした。聞くと私のまわりの、パティオスに住む殆どの方々が同様の不愉快な経験をしていた。徐々に皆、タクシーを利用しなくなった。◆自分のことしか考えない運転手がいると、せっかくのサービスが逆効果になってしまう。運転手教育をきっちりやらないと業界のパイが小さくなってしまう。ワンメーターの客でも笑顔で丁寧に接することで需要が増える。タクシー業界に限ったことではない。
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◎2016年10月18日 ---- ボス ◎
◎2016年10月14日 ---- ボス ◎
- 恥を知れ! 都議会自民党
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小池都知事には叶わない、とみたのだろう。腹の中では「くそっ!このアマっ!」と思っているが世間に向かっては「恭順の意を示す姿勢を取った方が得策だ」と読んだのだろう。◆昨日、東京都議会定例会が閉会した。閉会後に議長に挨拶に行った小池知事に対し、川井重勇議長は自ら進み出て小池知事の手を取り「ご苦労様でした」と頭を下げた。マスコミに対し、小池知事とは全く対立していない風をアピールした。これまでの数々の非礼を詫びることもなく、だ。◆まともな都民、国民は騙されることはないだろう。「かなわない!」と思ったらコロッと態度を変える。まさに手のひら返し。◆私は6月21日のこの欄で「人相悪い都議会議員」と題して彼らの多くを貶した。昨夜、小池知事と(無理して作った)笑顔で握手する河井議長の姿を見て、さらに情けなく思った。◆落とし前を付けようともせず、人としての矜持もなく、道徳心に欠ける人たちが地方議会の議員には多い。その中でもどうやら都議会自民党は最低の部類の人が多いようだ。
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◎2016年10月12日 ---- ボス ◎
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「残業100時間で過労死は情けない」とするコメントを武蔵野大学(東京)の教授がインターネットのニュースサイトに投稿したことについて、同大学が10日、謝罪した。長谷川教授は「月当たり残業時間が100時間を越えたくらいで過労死するのは情けない」「自分が請け負った仕事をプロとして完遂するという強い意識があれば、残業時間など関係ない」などと記した。電通社員の過労自殺のニュースが配信された時間帯に投稿されたもので、コメントがネット上に拡散。「こういう人たちが労災被害者を生み出している」「死者にむち打つ発言だ」などと批判が広がった。長谷川教授は8日に投稿を削除し、「つらい長時間労働を乗り切らないと会社が危なくなる自分の過去の経験のみで判断した」などと釈明する謝罪コメントを改めて投稿した。武蔵野大は10日、公式ホームページに「誠に遺憾であり、残念」などとする謝罪コメントを西本照真学長名で掲載。「不快感を覚える方がいるのは当然」とし、長谷川教授の処分を検討している。(以上、「朝日新聞デジタル」より) ◆どうなんだろう?と私は思う。インターネットの投稿文に関して「不快感を覚える方がいるのは当然」との理由で処分するのが妥当なのか? アメリカではトランプが、フィリピンではドゥテルテが、好き勝手を言ってそれでも多くの支持を得ている。多くの国民が「不快感を覚えている」にもかかわらず、だ。◆実は私も思った。残業100時間で過労死ってどういうことだろう、と。「残業」に休日出勤分を含めるのなら私だって若いころは200時間以上も残業していた。それでも残業代は20時間分しかもらえなかった。この教授が「100時間で過労死は情けない」と言って処分されるのなら、「じゃあ何時間だったら」と聞きたい。この恵まれすぎた国では、そのうち「昨日、2時間も残業させられました」と言って自殺する者が出てくることだろう。
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◎2016年10月11日 ---- ボス ◎
- 誰もやっていないこと
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電話を発明したのはグラハム・ベルということになっているが、ベルが電話の特許を出願したその日、2時間後にエリシャ・グレイが同様の特許を出願申請している。ベルとグレイはどちらが先に電話を実用化できるかを競っていたのだ。電話の発明に関してはエジソンも似た特許を申請していた。彼らだけでなく欧米の複数の発明家が競っていた。たまたまベルが最初に完成形に到達した。ベルは偉大な発明家ではあるが、もしベルがいなくても歴史は大きく変わらない。教科書で「電話を発明したのはベル」となっているのが「電話を発明したのはグレイ」に代わっている程度なものだろう。◆ライト兄弟の飛行機発明にしろ青色ダイオードを開発した中村修二先生にしろ、世界中の研究者と、「どちらが早く成しえるか」を競って勝ったものだ。もちろんベルもライト兄弟も中村修二先生も偉大である。南極点に初到達したアムンゼンもエベレストに初登頂したヒラリーもまた偉大である。何事でも1番になることは、2番と大きな差がつく。2番では名前が残らない。1番になることの意味は大きい。◆ところで今年ノーベル賞を受賞した大隅良典先生の言葉に私は大きく共感した。「誰が一番乗りするかを競うより、誰もやっていないことを見つける喜びの方が大事ではないか」・・・・この、先生の言葉を聞いてとても嬉しくなった。私もそう思っているからだ。「そのことであなたが1番になったとしても世の中は変わらない。誰もやっていないことをあなたがやったら世界は変わる」・・・1番になることは難しいし素晴らしいことだが誰もやってないことを成し遂げるのはその何倍も素晴らしいことだと思う。
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◎2016年10月05日 ---- ボス ◎
- ゴルフ 面白い
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今70歳の元プロゴルファー100人に ①「何歳のころが最も飛距離が出ましたか?」 ②「何歳のころが最もスコアが良かったですか」 との二つの質問をしたら、恐らく①も②も 「25歳から35歳」の間の数字が答えとして返ってくることだろう。では同じ質問を今70歳のハンデキャップ15くらいのアマチュアゴルファーに尋ねたらどうだろうか? ①の「飛距離」に関しては元プロゴルファーと同じで「25歳から35歳」の間が最も多いだろう。だが②の「スコア」に関しては多分、ずっと後ろにずれることだと思う。◆無作為に抽出したハンデキャップ15の70歳ゴルファーなら「60歳」と答える人が最も多くなるのではないだろうか?もちろん25歳や30歳と答える人も結構いるだろうから平均(mean=average)や中間値(median)ではもっと低い数字になるだろうが最頻値(mode)では60歳あたりだろうと思う。◆私もゴルフ大好きな典型的、平均的なアマチュアゴルファー。59歳。そろそろピークが近づいてきたと思っている。秋のゴルフシーズンがやってきた。腰痛を押しながら、なんとかハンデキャップをあと一つ縮めたいと頑張っている。
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◎2016年10月03日 ---- ボス ◎
- アーケティング
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上京してきて半年たった頃のことだ。私はまだ独身で、もちろん若かった。その夜、私は先輩に連れられて新宿で飲んでいた。少し酒が回った頃、その先輩が「キノシタ、ピンサロに行こうよ」と誘ってきた。私はそれまでピンサロなる場所へ行ったことがなかった。スポーツ新聞や週刊誌の情報で、ピンサロではどんなサービスが行われているかはよく知っていた。「行ってみたいです」私は即座に、素直に答えた。歌舞伎町のそのピンサロの前には女性たちの写真が並んでいた。若い女性ばかり、どの子もかわいい。写真の横に「指名料2000円」と書いてあった。「キノシタ、どの子でもいいのなら指名しなくてもいいんだよ。オレは明美ちゃんを指名するけどね」と先輩が言う。「そうですか、じゃ、オレ指名料を節約しようかな。どの子でもいいや、みんなかわいいし」・・そう言いかけたときに一人、とんでもない女性が目に入った。「ラブちゃん」というその女性は私よりも体重がありそうだった。「オレが誰も指名しなかったら、きっとこのラブちゃんがオレのところにやって来るのだろう」そう思った。それだけは避けたかった。私は2000円の指名料を払ってラブちゃんの隣の写真の子を指名した。その店はデブの「ラブちゃん」を置いておくことで指名料を稼いでいた。誰からも指名されない「ラブちゃん」にも十分な在籍の意味があった。◆最近、腰痛がひどくなったのでマッサージに行くことが多くなった。ニュー新橋ビルの中のその店はマッサージをしてくれる女性が5~6人在籍している。すべて中国人で、みんな愛想もよく、そしてみんなマッサージが上手い。残念ながら美人はいない。若い女性もいない。指名料はタダだが私は特定の女性を指名しない。どの人でもいい。私はマッサージ嬢みんなから名前を憶えてもらっている。私の顔を見ると「キノシタシャチョウ、イラッシャイ」とみんなが笑顔で迎えてくれる。そのマッサージ店に2か月ほど前、新しい女性「Kさん」が入ってきた。ところがこの「Kさん」の腕が悪い。だが人の良い私は「あなた下手ね」とは決して言わない。Kさんに向かっても「ありがとう。おかげで楽になりました」と笑顔で料金を払って帰る。そう、私はとても良い客なのだ。だが行くときには「今日はKさんに当たりませんように」と願っている。そして徐々にマッサージ店に行くことが少なくなった。◆多くの〇の中に一つの✕。ピンサロの✕であった「ラブちゃん」は売り上げに大きく貢献し、マッサージ店の✕「Kさん」は売上減に繋がっている。私はこんなところからもマーケティングの勉強をしている。
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