2017年08月の記事一覧

2017年08月25日 ---- ボス

墓も個人情報の管理下に

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大陽工業株式会社の創業者であり社主であった酒井邦恭さんから私は経営者としての心構えを学んだ。酒井さんはいろんなことに興味を持ち、いろんなことにチャレンジされた。一人の人間としてはとても優しい方だったが経営者としては冷徹な面もあった。「みんなで頑張るんだ。頑張らないヤツ、ずるいヤツを見つけて、それを追い出すのもお前さんの仕事だよ、なあキノシタ」などと笑顔で教えてくれた。美しいものが好きで、オシャレで、芸術を愛し、なによりも人が好きだった。8年前に亡くなられた。酒井さんが亡くなられた頃、私は超多忙な毎日であった。誰も酒井さんの死を教えてくれなかった。私が酒井さんの逝去を知ったのは葬式から数日たってからだった。◆「偲ぶ会」には参列したがお墓に参ったことはこれまでなかった。今日が酒井さんの命日であった。午前中、少し時間が空いたので私は泉岳寺に眠る酒井さんに会いに行くことにした。行っても墓が見つけられなくては困る。事前に泉岳寺に電話した。「今日、そちらに眠ってられる酒井邦恭さんの命日なのですが、そちらに行けばお墓の場所は分かるのでしょうか?」と尋ねた。期待した返事ではなかった。「まことに申し訳ないのですが、個人情報なのでこちらではお教えすることはできないのです。10年位前まででしたらご案内できたのですが最近は厳しく管理されています」・・丁重に、申し訳なさそうに答えてくれた。◆私は酒井さんの墓を参ったことのあるかつての同僚に電話をしてそのことを話した。彼は「行ってみたらなんとかなるよ」と言い、酒井さんの墓地の場所の概略を教えてくれた。「左の方へ坂を上っていった先の、大きな桜の樹の下だよ。探したら見つかると思うよ」と言った。私はコンビニで線香とローソクとマッチの入った「墓参りセット」を買って泉岳寺に向かった。泉岳寺には赤穂浪士の「四十七士」も眠っている。案内図を見ると赤穂浪士の墓と、檀家の墓は分かれている。私は檀家の墓のエリアへと向かった。ところが檀家の墓の敷地には開閉式の門がありその門は施錠されている。前もって墓参を通知した親族しか立ち入りが許されていないようだ。私はあきらめて、「墓参りセット」を持ったまま会社に戻った。◆墓すら勝手に参ることができなくなった。せちがらい。泉岳寺から出て歩きながら、小さな声で歌っていた。「♫ わたしのーお墓のまーえで 泣かないでください。そこに わたしは いません。ねむってなんか いません・・・・」 そうだ、ここには酒井さんはいないんだ、そう思うことにした。 ◆オフィスの机につき、私は 酒井さんの教えをいろいろと思い出した。

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2017年08月24日 ---- ボス

コミュニケーション

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昼食で会社近所の食堂に入る。旨いものが食べられたらそれだけで幸せだ。私は会計をしながら「美味しかったよ、また来ますね」と言う。店員は「ありがとうございます。是非またお越しください」と返してくれる。双方とも笑顔になる。◆文房具店でノートとファイルを買う。「すみませんが領収書をください」とお願いし、領収書を受け取るときに「どうもお手数をおかけしました」と伝える。店員は「どういたしまして」と明るく答える。双方ともに笑顔になる。◆書店で本を買うときに「カバーはお掛けしますか?」と聞かれる。基本的に私は「いいえ、結構ですよ」と答えるがたまに「すみません、お願いします」と言う。そしてその時は本を渡されるときに「どうもお手数をお掛けしました」と頭を下げる。双方ともに笑顔になる◆たった一言を口にし相手に伝えるだけで人間関係は円滑になり笑顔が増える。英語ができなくても、難しい漢字が読めなくても、気配りさえできればコミュニケーションは高めることができる。それなのに、それは分かっているくせに、それができない大人が多い。◆朝の挨拶すらできない社会人がまだたまにいる。相手に聞こえるように「おはようございます」の一言が言えない未熟大人がまだまだ多い。

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2017年08月23日 ---- ボス

川嶋さんの教え

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私の恩人、川嶋信義さん(元前田建設工業副社長=故人)に関するエピソードをもう一つ◆昭和60年ころの話だからもう30年以上も前のことだ。その頃、私は水道橋の工事作業所で現場監督をしていた。川嶋さんはいくつかの作業所の統括所長。41歳か42歳だった。その若さで複数現場の統括所長だから異例の出世であった。◆その日は工事が一区切りついた後の、のんびりとしたムードの土曜日だった。当時は多くの会社は土曜日は昼までの勤務(通称「半ドン」)であったが工事現場は夕方6時までの勤務体制だった。午後1時ころだったろうか、川嶋大所長様が現場に来られた。大所長ではあるが、偉ぶることもなく誰にでも気さくに声をかけてくれる優しい方だったからこちらも緊張はしない。「キノシタ、お前、いま何してる?」と聞いてきた。続いて「ちょっと話がある。付き合え」と言って速足で歩き出す。私は川嶋さんのあとを追いかけた。お互いに作業服である。10分近く歩いたろうか「どこに行くのかなあ?」と思っていると川嶋さんは黄色いビルに入っていった。後楽園の「場外馬券売り場」だ。会社の勤務時間中に会社のマークの作業服を着て、大所長がペエペエの部下を連れて「馬券売り場」へ。しかも「馬券売り場」は前田建設本社からは目と鼻の先。誰が見ているか分からない。それでも川嶋さんは動じることはない。◆なんの話をしたのかは覚えていない。どうってことない話をしながら競馬を楽しんでいた。最初のレースで川嶋さんは2万円分の馬券を買った。びっくりした。メインレースでもないのに2万円も! 当たった。2万円が8万5千円になった。「おっ、キノシタは幸運の男神様だな」と言って五千円札を私に差し出した。「取っておけ、小遣い」と言ってくれた。「えっ、いいんですか?」と答えて私はその五千円を受け取った。川嶋さんは次のレースも勝ち8万円が20万円以上になった。また五千円くれた。「ありがとうございます」私はまた素直に受け取った。そしてメインレース。川嶋さんはその20万円以上のカネをすべて馬券に変えた。「これが当たれば300万円だなあ」などと言っていた。見事に外れた。結局、川嶋さんは1円も儲けずに馬券売り場を後にした。私は申し訳なく「あのー、いただいたおカネ、半分返します」と言った。「全額返します」と言ったかもしれない。よく覚えていない。川嶋さんは笑いながら「へえ、オマエ、そんな遠慮も知ってるんだな」と言った。「オレは博打を楽しめたし、キノシタは一万円儲けた。今日はいい一日だったよ」と言いながら決して私からの返金は受け取らなかった。◆「かっこいい!」と思った。「将来、オレもこんな大人になりたいな」と思った。

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2017年08月22日 ---- ボス

人の良い面を見る

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私に社会人としての基礎を教えてくれ、私の仕事に対する姿勢に最も影響を与えてくれたのが川嶋信義さん(元前田建設工業副社長)だ。彼と出会っていなかったら今の私はない。最も尊敬する方だ。残念ながら4年前に亡くなった。なにも恩返しできなかったことが辛い。◆その川嶋さん、まず人のことを誉めることがなかった。私と飲んでいてAさんの話題になる。どんな人なのかと私が問うと「Aっていうのは本当にいい加減なヤツでな・・」と始まる。「Bはダメだな、あいつは〇〇にゴマすって昇級したけど・・」とか「Cは調子がいいだけだ」などと人の悪いことしか言わない。おそらく私も「キノシタっていう、とっぽいヤツがいるんだけど・・・」などと言って人に紹介されていたのだろう。とにかく人のことを誉めることがなかった。ところが私がAさんに会うとそのAさんは「私はなぜか川嶋さんに目をかけていただいて・・・」 Bさんと話すと「私は川嶋さんに引っ張られて所長になったので・・・」 Cさんは「あの川嶋さんが『ちょっと教えてくれよ』って言ってわざわざ私のところに・・」 などと言う。 誰一人、川嶋さんのことを嫌っていない。いや嫌うところか皆、川嶋さんの大ファンなのだ。◆川嶋さんはいつも誰のことも誉めなかったし貶(けな)すことばかりだったが、そこには間違いなく愛情があった。「あいつはダメだ、こいつもダメだ」と言いながらも彼らを見放したり見限ったりすることはなかった。Aさんも、Bさんも、Cさんも、そして私(キノシタ)も、みんなダメ人間であり欠点も多いが、川嶋さんはみんなを貶しながらも応援してくれていた。◆私も「若いころからオマエは尖っていたな」「とっぽいヤツがいるな、と思ってたよ」そんなことを言われながらずっと応援してもらっていた。「オレは人を誉めて育てるってのが苦手でな・・・。もっとも誉められるような優秀な部下はいなかったなあ・・」・・川嶋さんの毒舌が聞こえてくるようだ。◆「口で誉める必要はないよ。だけどなキノシタ、人の良い面を探すことは忘れちゃダメだぞ。どんなヤツでもいい面や可愛いところがあるもんだ」・・・そういうことを教えてくれた。今でもときどき無性に川嶋さんに会いたくなる。

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2017年08月21日 ---- ボス

忖度

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子供たちがまだ幼かった頃、我が家は練馬区の下石神井にあった。当時、私はある会社の航空事業部の事業部長代理だった。私の上には事業部長しかいない。事業部のナンバー2だった。連日、残業と接待で深夜帰りが続いていた。そんなある日、久しぶりに残業を早く切り上げ午後9時ころ自宅最寄りの「井荻」駅に着いた。「この時間なら子供たちもまだ起きているだろう」 ・・私は自宅に向かって歩を速めていた。あと1分で自宅、というときに肩から下げた弁当箱のような携帯電話が鳴った。嫌な予感がした。◆「あー、キノシタさん、今どこですか?」 予想通り、その電話は私の上司、事業部長からのものだった。いま考えても不思議なのだが「もう自宅の前です」と答えることができなかった。私は「あっ、高田馬場です」と答えていた。すると上司は嬉しそうに「じゃあ来れますね。『ヴィラ・バローネ』に来てくれませんか」と銀座の高級クラブの名を告げた。「分かりました。10時までには着けると思います」そう答えると私は急ぎ足で、いま来た道を「井荻」駅まで戻った。10時過ぎに銀座のクラブに着くと上司はホステスに囲まれ楽しそうに飲んでいた。「遅いじゃないですか」そう言いながらも私を笑顔で迎えてくれた。◆私にとっては迷惑な誘いではあったが、彼にとってはこれが「キノシタさんをねぎらう一番の方法」だと思ったようだった。今の人なら簡単に「勘弁してくださいよ、もう自宅の前なんです」なんて言いそうな状況、私は「あっ、高田馬場です」ととっさに答えていた。あれは上司に対する忖度(そんたく)だった。あの夜のことは忘れない。決して悪い思い出ではない。サラリーマンの鏡のような自分の判断に今頃感心している。

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2017年08月18日 ---- ボス

罪と罰

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大阪国際女子マラソン優勝などの実績がある原裕美子さんがコンビニで化粧品など3000円弱相当の品を万引きした疑いで逮捕された。大阪国際マラソン優勝は2007年のことで、世間のほとんどの方は原裕美子さんの名前すら忘れていた。この日、たまたま大きなニュースがなかったからなのか、テレビでは顔写真や過去のインタビュー風景などを交え、この万引き事件を大きく報道した。もちろん万引きは立派な犯罪である。それは否定しないが、私はこの報道による社会的な制裁は、罪に対してはあまりにも重い罰のように感じられる。◆3000円程度の品の万引きはわが国では毎年15万件程度も起こっている。そのうち10万件程度が検挙される。年間10万人もが万引き犯として捕まっているのだ。もちろん捕まった者たちはそれなりの罰を受ける。私は現在社会に於いて犯罪の「罪」と「罰」のバランスは「罰」が軽すぎると思っている。「罰」を重くすることによって犯罪の発生件数は減ると信じている。例えば数年前に酒気帯び運転の罰を重くしたら途端に酒気帯び運転は減った。「罰」はもっと重たくて良い。だが・・・◆だが同じ「罪」に対して、人によって「罰」の重さが異なってはならない。万引きをして、警察に連れていかれ拘置所で一泊し、「ごめんなさい」と言って釈放される奴らが圧倒的に多い。彼らは大した反省をせず、また万引きを繰り返すかもしれない。無名なヤツらには「罰」が小さいのだ。今回の原裕美子さん、それほど有名人ではない。社会的責任のある有名人や高額所得者ではない。もはや世間からも忘れ去られた過去のマラソンランナーがその実績だけでこのような大きな社会的制裁を受けることに対して私は大きな違和感を感じ不満を抱いている。可愛そうな感じ。「罪」は反省しなければならないが、なんとか立派に立ち直ってもらいたい。マラソンのときは応援しなかったが今、応援する。「がんばれー! 原 ! ガンバレー 原裕美子 !」

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2017年08月17日 ---- ボス

赤ボールペン

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貧乏性である。なかなかモノを捨てられない。ポロシャツだろうが靴下だろうが「まだ着られるな」と思うと処分できない。そのくせ新しいものも買ってしまう。だからタンスの引き出しの中はいつもパンパン、ギュウギュウだ。「断捨離」という言葉は知っているのだが・・・、整理下手だ。◆オフィスの机の中も同じ。ボールペンが何本も入っている。ビッグサイトなどの展示会に行くとボールペンを配っている。それらを捨てられない。机の中にボールペンが増える。悪循環 ◆昨日、書類に赤ボールペンで線を引いていた。徐々にかすれてきてやがて書けなくなった。インク切れだ。私は景気よく使い終わったボールペンを捨てた。デスクの引き出しをあけ別の赤ボールペンを探した。私の机には何本もボールペンが入っている。ところが・・・。ない。赤色ボールペンがないのだ。10本以上あるボールペンはすべて黒か青。ダメだ。◆どういう事態でも、そこから何かを学ぼうと思っている私は思った。  「そうだ、イベント会場で配るのは黒ボールペンでなくて赤ボールペンにした方が効果が大きい。目立つし確実に利用してもらえる」・・・  どうだろうか?

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2017年08月16日 ---- ボス

寒の地獄温泉

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「おやっさん、久しぶりにあの冷たい温泉に行きたいな」 社会人2年生の長男が言った。盆帰りで「温泉県おおいた」へ戻るなら、ついでにちょっと寄り道しようよ、ということだ。彼は社会人になってからも自宅住まいのため私と毎日顔は合わせるのだがお互い忙しくゆっくりのんびり話をすることがなかった。いいチャンスだ。「おっ、いいな。じゃ男二人で温泉巡りでもしようか」 私はすぐに温泉巡り計画を立てた。「明礬(みょうばん)温泉」⇒「寒の地獄温泉」⇒「長湯温泉」というルート。◆まずは明礬温泉の「別府温泉保養ランド」へ。室内の泥湯に浸かって一度シャワーで泥を落として露天のコロイド湯へ。「混浴と言っても女性専用コーナーができちゃったからな、オンナの人はこっちに入って来なくなったなあ。父さんが学生の頃はな、オンナの人も一緒に入ってたよ。若いオネーサンも小さいタオル一枚で入ってきてたよ。ドキドキしてた。」私の思い出話を息子は「いいなあ、オレもその頃来てみたかったなあ」と返す。◆小一時間、明礬温泉を楽しんだあと、本日のメーンイベント、もっとも刺激的な「寒の地獄温泉」へ。ここは真夏でも13℃の冷たい源泉に入る。私と息子はちょうど5年前初めてここを訪れ大変感動した。冷たくて最初は足首まででも30秒も浸かれない。徐々にカラダを慣らしてやっと肩まで浸かって、せいぜい10秒。二人で冷泉(霊泉)から飛び出て隣のボイラー室へ。カラダを温めて再度霊泉に挑戦。これを繰り返す。最後は肩まで沈んで30分間我慢できた。壁に大書された文を読む。「はだをさすこの霊泉が 病をなをす 希望は忍耐を生じ 忍耐は困難をのりこえる がんばれ 今ひとときがんばれ」・・頑張った。その後ボイラー室でいくらカラダを温めても一旦芯まで冷えたカラダはなかなか戻らない。「長湯」に向かうクルマ、この真夏にヒーターを付けて走った。◆「長湯温泉」は「ラムネ温泉」として有名なように非常に多くの炭酸を含んでいるため浸かるとカラダ中に気泡が付く。冷泉で冷えたカラダを癒やすには最高。◆途中、息子といいろんな話をした。社会人として確実に成長している。悪くない盆休み、盆帰りだった。

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2017年08月10日 ---- ボス

病院別の生存率発表のリスク

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がんと診断された人を、治療によってどの程度救えるかを示す「5年生存率」について、全国188の病院別データが初めて公表された。「この公表にはリスクが存在する」ということをここで指摘しておきたい。◆どの病院も生存率を高くしたい。あたりまえだ。だが「生存率を高くする」最も簡単な方法は「末期患者を受け入れない」ことなのだ。がんでも早期発見者のみを対象とすれば生存率は高くなる。同じ症状でも体力のある若い方のみ受け入れて高齢者を受け入れなければ生存率は高くなる。医療の向上よりも受け入れ患者の選択によって簡単に生存率は調整できるのだ◆随分以前、特許事務所別の特許取得率が発表されていた。「出願申請」した中で何パーセントが「特許として権利化されたか」を表すもの。このような数字を出せばどの特許事務所も高い点数が欲しくなる。そのために何が起こったか。それまでは「これは特許権取得は難しいかもしれませんがチャレンジしてみましょう」ということがなくなった。「これなら確実に特許取得できそうだ」というものしか受け付けない事務所が出てくる。「難しいことにチャレンジする事務所」よりも「確実なものしか受けない事務所」の方が高得点になりそれが宣伝効果につながり客が増えるということになった。◆医者の中だけ、或いは特許事務所の中だけでデータを公にするのなら専門的な分析ができてサービスの向上につながるのかもしれない。だがそのようなデータを広く全国民に公表すると必ず誤解や不正が生じてしまう。なんでもデータは公表すればよい、というものではない。

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2017年08月09日 ---- ボス

世界陸上を眺めながら

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20年間以上、睡眠障害で悩んでいる。まともな睡眠ができないのだから長生きは無理なのだろうと諦めている。◆夜、12時にベッドに入るとすぐに眠りにつく。2時間後、不快感で目が覚める。ぐっしょりと寝汗をかき鼻が詰まっている。シャツを着替えてもすぐには眠れない。ベッドを抜け出しリビングへ移動。ソファに寝てテレビを眺めながら次の睡魔を待つ。じきに眠たくなる。テレビを消し眠りに就く。次に目が覚めるのが午前4時。この間ずっと夢を見ている。またまた寝汗でぐっしょりのシャツを着替える。そんな生活が続いている。◆最近は午前4時にテレビをつけると世界陸上をやっている。うつらうつらしながら眺めている。◆「世界陸上」を観ながら面白いことに気付いた。どうだろう?◆私が中学生、高校生或いは大学生の頃、陸上短距離をやっている女性はその後姿(うしろすがた)を見ればおよそ簡単に見分けることができた(と記憶している)。彼女らは決まってふくらはぎが太く、歩くとふくらはぎにチカラコブが浮き上がっていた。それを嫌がる風潮はなかった。私も、女性の太いふくらはぎは決して嫌いではなかったし、もちろん「醜い」などとは思わなかった。しかし・・・◆「世界陸上」を見ていると世界中の陸上選手の足がみな実に美しい。バーニー人形のような足の女性ばかり。かつての、ふくらはぎのチカラコブを持った女性は皆無である。不思議だ。◆私の記憶違い、思い違いなのだろうか? 或いは陸上競技のトレーニング方法が変化した結果なのだろうか? ◆「たしかに昔の陸上競技をやっている女子はふくらはぎが太かったのになあ・・・」などとボーッと思いながら今朝もソファに横になり眠たい眼でテレビを眺めていた。

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2017年08月08日 ---- ボス

貧しかった頃

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小学校2年生の時にタクシーの起こした事故で父を亡くした。我が家は急に貧しくなった。それまでは大分市の金池小学校に通っていたが一時母の実家へ転居し、私は佐伯市の佐伯小学校へと転校することになる。昭和41年のことだ。我が国はまだまだ貧しかったが後期高度成長期に突入したこの年から、我が家を除く周りの者たちは、徐々に生活にゆとりが出るようになってきた。取り残されたように我が家だけ貧しい生活が続いた。私たちは友人の自宅の二階に間借りして暮らしていた。◆クラスで私だけ、学年で私だけ、買ってもらえないものがいくつかあった。「これを買ってもらえないのはクラスの中で自分だけ」ということが恥ずかしかった。だが欲しいものを「欲しい」と口に出さずに我慢した。◆小学校5年生の頃だったろうか、友人たちはそれまでの子供用の自転車から大人用のものへと買い替えてもらっていた。当時はドロップハンドルと呼ばれるスポーツタイプの自転車が流行っていた。誰かが買い替えると皆で眺めて批評していた。「いいなあ、オレもこんなん欲しいなあ。でもこれ高いけんなぁ、無理やろうなぁ」などと羨ましがっていた者が翌週、もっとかっこいい自転車に乗って現れ、他の者たちから羨ましがられる。そんなことが続いた。徐々に私は自転車の会話をする輪から離れていくようになった。しばらくすると周りの友人たちはみんなドロップハンドルの自転車になった。クラスで一番カラダが大きい私だけが子供用の自転車に乗っていた。そのうち私は自転車に乗らなくなった。一人小さな自転車に乗るくらいなら走ったほうが(精神的に)楽だった。◆ある夜、マンガ本の裏表紙にドロップハンドルのかっこいい自転車の宣伝を見つけた。布団に入ってマンガを読み終えたのち私はその自転車の写真をずっと眺めていた。「こんなんが欲しいなぁ」私はその自転車に乗って仲間たちと遊びに行く自分の姿を想像していた。欲しくて欲しくてたまらないが母には「ドロップハンドルの自転車が欲しい」とは言えなかった。あの悲しい夜のことは忘れない。私は涙を流して眠っていたようだ。◆翌日だったろう、母が「あんたの自転車、もう小さかろう。大人用を買ってやるわあ」と言い出した。「えっ、本当?」私は嬉しくて聞き返した。ところが・・・◆母が買ってくれた自転車は今で言うママチャリの原型のような不格好なものだった。「これなら私も借りられるからなあ」と母は言う。私は落胆した。友人たちが前傾姿勢でドロップハンドルを握って走る中、私一人、背筋を地面と垂直にまっすぐに伸ばしオジサンみたいに走っていた。「僕が欲しかったのはこんなんじゃないよ」・・言いたかったが言えなかった。◆50年が経った。社内人になり多くの人たちと接した。子供の頃、私よりも貧しい生活をしていた方も意外と多い。あの貧しさが自分をたくましく育ててくれたのかもしれない。「若いころの苦労は買ってでもしろ」という言葉は確かだ、と思う。だが・・だが、本当に貧乏が苦しかった。マンガの裏表紙のドロップハンドルを涙して眺めていた夜のことを時々思い出す。◆そう、50年が経った。愛車BMW640iを買い替えることにし、手続きを始めた朝、電車の中であの買ってもらえなかったドロップハンドル自転車のことを思い出していた。涙が出てきた。気付くと一駅乗り過ごしていた。



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2017年08月01日 ---- ボス

冗舌なコミュニケーション下手

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よくしゃべるヤツはそれだけで「自分はコミュニケーション能力が高い」と勘違いしていることが多い。もちろんそんなことはない。◆宴会のとき幹事や主賓が挨拶しているのにそれを聞かずに小さな声でペチャクチャしゃべっているヤツがいる。そんなヤツで仕事ができる者はいない。周りの状況を把握できないおしゃべりは多い。仕事のできないおしゃべりが多い。◆私は仕事の関係者と毎日のように夕食やお酒を伴にしている。割烹や料亭で料理を楽しみながら相手との共通の話題を探り距離を縮めようと考えている。みずから裃(かみしも)を脱ぎ、硬い仕事の話は避ける。食事やお酒の席で仕事の話を長々とするのはヤボだ。高級割烹や料亭では食事を楽しみたい。一緒に食事を楽しんで仲良くなりたい。◆割烹や料亭、あるいは寿司屋などでは一品出されるたびにその料理の説明がある。二人の会話をしばし止めて料理の説明を聞く。一口食べて旨い時には「うーん、旨いなあ」と口に出す。料理の話題になれば自然とリラックスしてくるしお互いに心を開いてくる。旨い料理やおいしいお酒は仕事の潤滑油としての枠割が大きい。◆ところが仕事のできないヤツに限って料理に全く興味を示さず、説明も聞こうとしない。「旨い」も言わずに、自分はどれだけ仕事熱心なのかを語り続ける。周りが見えない技術者や、人から意見されることが少ない役人出身者などにこのタイプが多い。技術者だろうが役人だろうが偉くなった人はそのマナーを知っている。マナーを知っていたから偉くなったのかもしれない。若い方で、まだ偉くはない人でも、割烹に連れて行ってそつなく楽しく舌鼓を打っている人は必ず立派な仕事をする。◆何事もまわりの状況が見えず、目先の、自分の考えのみを熱心に説いているヤツで賢い人を見たことがない。◆自己主張はほどほどに、周りに気を使いながら、それでいて常に楽しく、食事やお酒を味わえる人が優れた大人であるということは断言できる。

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2018年11月16日 ボスの
スケジュール
  • 午前机回り整理
  • 午後「新ヘリポートの造り方」執筆
  • 夕方協力会社との安全集会
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