2017年09月の記事一覧
◎2017年09月27日 ---- ボス ◎
- 幸せの秘訣は「無欲」
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私が勝手に「恵まれてないな」「ついてない人生だな」「かわいそうだな」と思っていた同級生のほとんどすべての人が、実は自分のことを「幸せだ」と感じているということに気づいた。彼のことを「ついてない人生だな」とか彼女のことを「かわいそうだな」などと私が思うのは優しさでも同情でもないただの思い上がりだったようだ。彼らは同情されるのが嫌で「オレ、本当に幸せな人生だと思うよ」と言っているのではなく、まさに本心から「幸せだ」と思っているのだ。直接話したらそのことはよく分かる。◆どこに私の勘違いが生じたのだろう。なぜ私は彼女のことを勝手に「かわいそうだな」などと上から目線で思ったのだろうか。◆おそらく私にはまだ「欲」があり、私は同級生の彼らにも私と同等の「欲」があるものだと思い込んでいた。そしてその「欲」が満たされない人生を送っているように見える方々を勝手に「かわいそう」と決めつけていたようだ。違った。◆六十年も生きてくると、大抵のものは「欲」が無くなる。「欲」さえなくなれば現状に満足する。現状を「幸せ」と感じるようになる。同級生たちからまた多くのことを学んだ。◆経営者である私は、まだ「欲」を捨てることはできない。経営者を終え、「欲」を捨てたとき私の人生は「本当に幸せな人生」になるのだろう。◆・・・朝から哲学的なことを考えていた。
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◎2017年09月26日 ---- ボス ◎
- みんな幸せ
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昭和32年生まれの私は今年六月に60歳になった。同級生もみな今年度還暦を迎える。退職や転職する者が多い。そのためか今年は例年以上に同級生での集まりが多い。盆休みには中学校の同窓会、高校の同窓会と続いた。先週も木曜、金曜、土曜と大学時代の同級生に会っていた。◆かつて一緒に遊び学んでいた連中も、還暦にもなると、それぞれが様々な人生を送っている。「末は博士か大臣か」と期待されていたが目立たぬ役人で終わった者がいる。逆に30歳頃まで定職に着かず周りに心配をかけていた者が役人のトップになっていたりもする。いわゆる天下りによって悠々自適な生活に移った者もいる。50歳前に東京での仕事を止め故郷に帰って漁師をしている者もいる。病気で苦しんでいる者も何人か。旦那に浮気ばかりされて諦めている女性の同級生もいれば、入院中の主人に献身的に尽くす女性同級生も。この年になって離婚を考えている者も何人かいるのには驚いた。お盆に話した中学時代の同級生は「モトミくん、私な、まだ九州を出たことないんよ。飛行機にも乗ったことない」と楽しそうに話してくれた。◆みんないろいろ。もちろん本人の努力や才能によって人生は大きく変わるが、それ以上に「運」によることが多い。「上司が悪かったから」「若い時に病気したから」「旦那が飲兵衛だったから」「子供が事故を起こしたから」・・様々な偶然でその人の人生は大きく変わる。幸せにも不幸にもなる。◆私個人は運や人に恵まれて、極めてラッキーな人生を送って来られたと思っている。同級生に会うたびに何人かの者に対しは「運が悪かったのだろうな」などと感じてしまう。もちろん決して口や態度には出さない。だが違った。私が「きっと彼は運が悪かったのだろうな、可哀そうだな。今はどう見ても幸せそうじゃないな」と感じる同級生、彼らはみな口々に「オレ、とっても幸せよ」とか「私、とても良い人生送ってるよ」などと言う。それを聞くとこちらも嬉しくなる。◆人の人生、人の幸せ、は分からない。こっちが勝手に「ヤツはツイてないな」などと思うのは彼に対して失礼なことだと気づいた。60歳まで生きれば、みんなほどほどに幸せを感じている。60歳まで生きて「オレは不幸だ。オレの人生はツキに恵まれなかった」などと考えている人はとても少ないようだ。
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◎2017年09月22日 ---- ボス ◎
- 古き良き時代
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大学3年生の時に留年した。1年遅れで4年生になったがそれでも卒業に必要な単位はまだまだたくさん残っていた。中でも「測量Ⅱ」という必修科目は難しかった。私は試験で不合格となり、続く再試験、再々試でも合格できなかった。「再留年が決定か」と落ち込んでいたところ「最後のチャンス」が巡ってきた。私は「工学部土木工学科」であったがなんと「農学部農業土木学科」で「測量Ⅱ」の再試験があるという。それを受けて良い、と許可が出た。これで落ちれば本当に再留年が決定する。私は徹夜で猛勉強した。◆試験当日、私は心細かった。広い教室には10人程度の学生しかいない。工学部の学生は私一人。周りは知らないヤツばかり。カンペが回ってくる可能性はない。だが私には猛勉強からくる自信も少々あった。そこに試験担当教官が問題を持って入ってきた。「あっ、マキズミさんだ!」・・教官は私が兄貴のように慕っていた、当時工学部の助手であった牧角さんだったのだ。とはいえ農学部の教室での試験、私の卒業がかかった試験、馴れ馴れしくすることはできない。◆試験が始まった。問題は六問あった。すぐに「四問は解けそうだ」と思った。四問正解なら合格できる。私は解き始めた。三問は完璧だった。もう一問も「多分これで大丈夫だろう」と思いながらも少し引っかかるところがあった。◆牧角さんは学生の回答を一人ずつその横に立って黙って眺めていた。私の横に来た。随分と熱心に私の回答を眺めていた。そして私の回答の一部を指さしながら小さな声で「分母分子が逆」と教えてくれた。それはちょうど私が自信持てないところであった。牧角先生のアドバイスで私は消しゴムでゴシゴシやり、急いで書き換えた。「うん、これで四問は解けた」と安心していた。終了時刻が迫っていた。教室前のほうで農学部の学生の答案を見ていた牧角さんが慌てた様子で私の方に速足でやってきた。「キノシタ、悪い! さっきんで良かった。おうちょった。分母分子はあれで良かった」・・・私はまた大慌てで書き換えた。私が書き換え終わるのを待って牧角先生は「はいっ、時間です」と言って各人の鉛筆を置かせた。もちろん私は合格した。◆古き良き時代のエピソード。あれから36年経った。今日、福岡で「牧角龍憲先生退官記念講演会と記念パーティー」が開かれる。もちろん私も参加する。牧角先生、お疲れさまでした。ありがとうございました。◆良い友、良い先輩、良い先生に恵まれた私の人生を確認する機会でもある。
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◎2017年09月19日 ---- ボス ◎
- 番匠川、溢れる
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母は台風が近づくと必ずこの話をして父を懐かしがっていた。私の父は大分県庁に勤める土木技術者であった。◆母の新婚当初のことだから今から70年近く前の出来事だ。巨大台風が近づいた。そのとき二人は佐伯市の母の実家に帰っていた。大雨はなかなか止まなかった。番匠川(ばんじょうがわ)は水嵩が増した。番匠川のそばに住む母の一家は不安になる。そこに市役所の職員が避難勧告に訪れた。夜間だったが、近所の方々はみな指示に従い非難をはじめた。ただその時、父は一所懸命に何かを計算していた。そして「この雨で番匠川が溢れることはない」と断言したそうだ。母も、母の両親も、父のその言葉を信用した。「あんたが『大丈夫』っちゅうんなら、わたしゃあんたを信じるよ」っていう感じ。市役所職員の説得を聞かずに非難しなかった。父の予想通り、番匠川は溢れることがなかった。◆市の職員の避難勧告に、県の土木職員が従わないというのが良いことなのかどうか分からない。だがこのエピソードを嬉しそうに語る母はいつも誇らしげであった。「番匠川は枯れることも溢れることもない、とても優秀な河川やってよ」と母は父の言葉を伝えてくれていた。◆毎年、この時期になると台風が九州を襲う。台風が近づく九州の状況、などとテレビに「大分県佐伯市」が映る。私はその都度、父母が避難勧告に従わなかったエピソードと「番匠川は枯れることも溢れることもない、とても優秀な河川やってよ」との言葉を思い出していた。「心配ないよ。大丈夫だ」と思っていた・・・◆ところが先週末、その番匠川が一部で溢れた。びっくりした。死者が出なかったのは不幸中の幸いだが、わが強度に甚大な被害をもたらした。◆昨年、天国の父のもとへ旅立った母。きっと天国で父と二人、心配そうに番匠川の氾濫を眺めたことだろう。◆私は東京から、わが故郷の、早い立ち直りを祈っている。
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◎2017年09月15日 ---- ボス ◎
- 挑戦
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「経済評論家」と言う方々は「競馬の予想屋」と同じだと思っている。皆それぞれの根拠を持って持論を展開し今後を予想する。予想が外れてもなんの責任も取らない。◆私が「エアロファシリティー株式会社」を興したころ、ある経済評論家がこんなことを言っていた。「カタカナ名の会社はすぐに潰れることが多い」「横書き名刺の会社も寿命が短い」・・平成に入ってもコンサバな爺さん評論家は堂々と持論を展開していた。さらに「社長が外車に乗り出したらその会社は危ない」とも言っていた。◆私はこんなバカな評論家に耳を傾けずに、自分と側近の方々との読みと感覚でここまで進んできた。「航空施設株式会社」ではなく「エアロファシリティー株式会社」にして良かったと思っている。設立当初からスタイリッシュな横書き名刺にして良かったと思っている。◆いま私は少々疲れているが、もう少しこの会社の先頭を切って走り続けなければならない。老け込み休むわけにはいなかい。そんな気持ちもあって5年間乗ったクルマiを買い替えた。バカな経済評論家は「社長はクラウンかプリウスに乗るべき」などと言っているが私はまだコンサバジジイになるわけにはいかない。これからまた新しいプロジェクトが始まるのだ。◆ここまでの5年間は愛車BMW640iと走ってきた。最初は扱いにくくてこずった。そして最後まで「完璧」に乗りこなすことはできなかった。それでも魅力は落ちることなかった。私一人のための「書斎」にもなれば「音楽喫茶」にもなった。美しいフォルムは私の応援団でもあった。◆昨日、その愛車BMW640iが引き取られ、新しいクルマが来た。2~3年か、あるいは5年間か、私はこのクルマと過ごすことを決めた。私の人生最後の「頑張るためのクルマ」だ。 おそら、この車の「次に私が乗るクルマ」は落ち着いた「クラウン」か「レクサス」になるのだろう。◆子供の頃、ジェームスボンドが乗っていて「かっこいい!」と憧れていたクルマ、アストンマーチンが昨日から私の愛車になった。◆「カタカナ会社」「横書き名刺」「社長は外車」・・経済評論家からダメ出しをされても関係ない。時にコンサバは停滞を招く。私たちは「今を守る」だけでは5年も生きてはいけないのだ。「挑戦」には「刺激」が必要。
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◎2017年09月13日 ---- ボス ◎
- リタイア
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24歳でWBA・WBC統一ヘビー級チャンピオンになったジョージ・フォアマンは28歳でボクサーを引退し、宣教師に転身する。それから10年後、彼は現役復帰を発表する。多くの者は彼の復帰を「無理でしょ」と嘲笑したがフォアマンは実に復帰後24連勝してヘビー級タイトル戦線に再浮上する。だが再度1年以上ブランクを開ける。再々復帰後、45歳で20年ぶりにヘビー級チャンピオンに返り咲く。元チャンピオンが28歳で引退し、10年後に復帰、1年間再度ブランクの後、世界チャンピオンに復活したのだ。そして彼は48歳まで現役ボクサーとして戦い続ける。◆1995年、女子テニス世界ランキング4位まで上り詰めた伊達公子は翌年、世界ランク8位の時に引退した。まだ25歳だった。それから12年後、彼女はプロテニスプレーヤー復帰を表明する。そして復帰後3年、40歳で世界ランキング46位まで上る。その後も活躍を続け、日本の女子テニス界をリーダーとしてけん引してきた。昨日(9月12日)彼女の最終試合が有明コロシアムで行われた。負けはしたが、多くの拍手と称賛と笑顔と涙に見送られて彼女はコートを去った。47歳目前での引退であった。◆フォアマンが48歳まで、伊達が47歳直前まで現役で活躍できたのは、選手途中で一旦長期リタイアがあったからだと思う。リタイアしないまま選手を続けていたら二人とも引退が10年は早まっていただろう、と思う。熱中していること、命を懸けていることでも、一度距離を置くことは永い目でみるとプラスに働くことが多いのかもしれない。◆私は「取締役」の名刺を持ってすでに三十年、「代表取締役社長」となってから既に二十余年が経った。その間、一度も「取締役」を外れたことがない。実は少々疲れている。◆ソフトバンクの孫正義社長は私と同い年。今年60歳になる。彼は24歳で起業し、以来ずっと、休みなくトップを走り続けている。私の何千倍もの負荷を彼は一人で背負い続けている。尊敬し敬服する。フォアマンも伊達公子もすごいが孫正義はもっともっとすごい。◆凡人である私は、少し休みたいと思っている。
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◎2017年09月12日 ---- ボス ◎
- 正義のかけらもない、「報道の自由」との名を借りた下品な金儲け
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「もちろん浮気はして欲しくないけど、もしするときは絶対私にバレないようにやってくださいね」・・結婚するときに家人にそんなことを言われた。気の小さい私は、浮気をすればバレそうで、(残念ながら?)そういうことはなかった。私が浮気をしなかったのは決して正義からではなく、単に「チャンスがなかった」からであり「もてなかった」からであり「意気地なしだった」からだ。どれか一つでも欠けていたら私でも浮気の一度や二度、或いは三度くらいはあったかもしれない。私だけじゃない、男だけでもない、恐らくみんなそんなもんなんだろうと思っている。◆ところで私はとても友人が多い。そして私は口が堅い。私は口が堅いということをみんな知っているので、友人たちは何でも私に話してくれる。私の統計によると最近の人は結婚後3年も経つと、男も女も50%以上は浮気経験者になる。そして、そのほとんどは配偶者にはバレずに済んでいる。私に言わせれば、この平和な国ニッポンでは、ほとんどの男女が浮気を楽しんでいる。そして彼らはそのことを誰にも気づかれていないと思っている。もっと言うと「私って悪いオンナ」「オレって悪いダンナ」という気持ちを楽しんでいるのかもしれない。◆「浮気」や「不倫」はもはや半数以上の者が経験する時代になっているのにも関わらず、誰も「私も浮気しました」と言わないから、表向きは「珍しいこと」「悪いこと」とされている。「文春」の記者だろうが「新潮」の幹部だろうが、みんなやっているくせに・・・。石田純一じゃないが、すでにこの国では「不倫は文化」になっている。珍しいことでもなんでもない。配偶者にさえバレなければ誰も傷つけない。キリスト教徒だろうが仏教徒だろうが、みんなやっている◆「文春」の記者だろうが「新潮」の幹部だろうがみんなやっていることを「有名芸能人」や「政治家」がやると、例によって「とんでもないことをやっている!」と大きな事件に仕立てる。(誰にもばれていないから)自分のことは棚にあげて「汚らわしい」とか「不誠実」だとか「モラルに欠ける」だとか言いながら非難する。誰にも迷惑をかけていない二人の秘めたる罪を公(おおやけ)にさらし、悪いと思ってもいなかったことなのに「大変なことをやってしまいました。申し訳ない」と頭をさげさせる。◆そう、あなたたちが騒がなければただの「二人だけの秘めたる罪」だったのだ。一線を越えていようがいまいが関係ない。純粋なプライバシーの問題。「公人だから」などとの言い訳で、平気で人のプライバシーを暴く下賤な雑誌記者とそれに食いつくテレビ。そこには正義のかけらもない。「報道の自由」だとか「知る権利」などの言葉だけが幅を利かせている。ふざけるな!下品なマスコミが金儲けのためにやっているだけじゃないか! ◆「自分もチャンスがあればやりたい」とみんな思っているがなかなかチャンスがなくできない。自分ができないことをやっている政治家や芸能人に嫉妬し、「とんでもない!」「下品だ!」「モラルに欠ける」などと非難する。そんなことはそろそろやめませんか?
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◎2017年09月07日 ---- ボス ◎
- 几帳面
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私の机の周りには非常に乱雑に書類や名刺などが散らかっている。そのために恐らく当社職員の多くは私のことを「だらしない人」と思っているかもしれない。でもそうじゃないんですよ。「僕は本来はとても几帳面な性格なのですよ」と伝えたい。◆30年くらい前の話。当時大好きだった女優、浅野ゆう子さんがテレビでタモリさんと対談していた。お酒の話題になったときに浅野さんが「バーのカウンターで飲んでるときグラスの水滴がカウンターにつきますよね。あの水滴をおしぼりできれいに拭く人がいるんですよ」・・テレビを観ながら私は「あっ、オレのことだ」と思った。タモリさんが聞く「ええ、いますね、几帳面なひと」と、浅野さんが続けた「私、ああいう几帳面な人って大っ嫌いなんです。いいじゃない水滴くらい、そんなの気にしなくて・・・」 私が浅野ゆう子にフラれた瞬間だった。◆バーのカウンターで飲むとき、いつもあの浅野ゆう子さんの話を思い出す。「そうか、女性はあまり几帳面なオトコは好きじゃないのかもしれないな」・・そんなことを思いながら毎回、それでもグラスの水滴をおしぼりで拭いている。◆「几帳面は女性にもてない」との確信が私の机の周りを乱雑にさせているわけでは決してないのだが・・・。
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◎2017年09月01日 ---- ボス ◎
- さじを投げる
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人を嫌うことがなくなった。◆子供の頃から友達が多く、分け隔てなく誰とでも仲良くしていた。それでも若いころはたまに嫌いなヤツもいた。反りの合わない相手との口論もあった。「オレはあいつが嫌いだ」と思うこともあったし、そのことを平気で口にしていた。だが歳のせいか立場がそうさせたのか、気が付くと、まず人のことを「嫌い」と思うことがなくなっていた。「苦手」はあっても「嫌い」はなくなった。少なくとも自分と出会った人たちはみんないい人であって欲しい、いい人であるはずだ、と思うようになった。と同時に「ここを直せばもっと良くなるのに・・」と欠点も見えてくる。「根は悪くないのだから、ここを注意すれば・・・」と思う。「あなたはいい人なんだから・・」と注意したくなる。◆「言葉遣いに注意しなさい」「もっと外見に気を使いなさい」「周りの人に配慮しなさい」「大きな声で挨拶しなさい」「自分勝手な行動は慎みなさい」・・・いろいろと注意をする。何度注意しても聞かない者もいる。反発してくる者もいる。◆何度注意しても直らない者もいる。私はさじを投げる。「この人は根は悪く無いんだけどな。残念だな」と思いながらもさじを投げる。私は教育者ではなく経営者であるから、と言い訳しながらさじを投げる。
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