2017年10月の記事一覧
◎2017年10月31日 ---- ボス ◎
- 生意気だった頃
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若かった。無知だった。そして生意気だった。◆私が学生だった頃の九州大学は、2年生の前期までを六本松の教養学部で学び、後期から箱崎の本学で学ぶというシステムだった。最初の1年半で教養課程の単位を取得できなければ留年だ。◆高校2年生の頃から品行方正ではなくなっていた私は大学生となり、さらに怠惰な生活をおくっていた。それでも教養学部はなんとか留年することなく本学へ進むことができた。◆本学では「水理学」「構造力学」「計画数学」など難しい必須科目が多かった。大学の試験は60点未満は不合格である。試験前は一夜漬けで勉強したが、それで合格するほど甘くない。◆配られた問題用紙を見た瞬間、「あっ、これは無理」と思うことが多かった。どう頑張っても20点くらいしか取れない。カンペが回ってきてもせいぜい30点か。そう思ったら私は躊躇なく白紙で解答用紙を提出していた。いつも一番先に教室を出ていた。そうすることがカッコいいと思っていた。「どうせ不合格なんだ。悪あがきはしない」・・いきがっていた。生意気だったのだ。不合格者救済のために行われる再試でも同じ態度だった。◆「水理学」、さすがに再再試前は必死に勉強した。再再試となると受験者は4.5人になっていた。難しい科目だがほとんどの同級生は再試までで合格していた。再再試の問題を見たときに「厳しいな」と思った。それでも頑張って時間いっぱい使って答案用紙に書き込んだ。60点取れたかもしれない。取れていなければ留年だ。再再試の結果は一人ひとり、教官室に伺いに行く。◆結果、私、一人だけ不合格だった。厳しい表情の先生がノートを見ながら不愉快そうに言う。「キミは本試験はゼロ。再試も零点だね。再再試は44点。つまり合計で44点だよ。60点ある者しか合格は出せないよ」と・・。後で分かったが再再試のみでは私よりも点数が低かった者が本試、再試の点数をプラスされて合格していた。◆えーっ!「本試」と「再試」と「再再試」の合計得点で合否が決まるの?そんなの聞いてないよー! と言いたかった。知っていれば本試でも10点は取れ、再試では15点は取れた。私はいきがって白紙で提出していた。留年した。◆あれから約40年が経った。社会人となり、大人になった。あの時の教授の気持ちも理解できる。いきがっていた生意気な自分が恥ずかしい。と同時にいきがってた生意気なあの頃の自分が可愛くもある。
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◎2017年10月30日 ---- ボス ◎
- アインシュタインのメモ
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アインシュタインが帝国ホテルのベルボーイにチップ代わりに渡したメモが、100年近くたった今、オークションで2億円もの高値で落札された。そのメモには「穏やかでつつましい生活は、成功を追求するせいで常に浮き足立っているよりも、より多くの幸福をもたらす」と書かれていた。◆わかる! そう! 「穏やかでつつましい生活」・・・そろそろ私もそんな生活に入って幸福を感じたい。いや、もちろん今「不幸だ」ということではないのだが・・・。
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◎2017年10月27日 ---- ボス ◎
- 不手際
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昨日から猛烈な下痢と発熱で苦しんでいる。昨夜は医者にもらった薬を飲んで早く寝た。夜中に五枚寝汗で濡れたTシャツを着替えた。 熱は少し下がったが下痢はまだ心配。だが今日は仙台へ出張の予定。キャンセルするわけには行かない。万一に備えお尻にティッシュを数枚挟んでパンツを履いた。◆ティッシュを挟みながらテレ朝の情報番組を観ていた。ニュースを伝える間に女性アナウンサーのリラックスした態度が映ってしまった。彼女は慌てて「失礼しました」と原稿を読もうとするがチグハグになってしまった。VTRとコメントがずれてしまった。まあテレビでは珍しくもない失態。私は一所懸命に取り繕うとするその美人アナウンサーに好感を持った。そのままコマーシャルになった。だがここからが問題。◆コマーシャルが開けるとそのアナウンサーはこう言ったのだ。おそらくカンペを読み間違えたのだろう。「さきほど、ふてさいが続きました。お詫びします」と。私は「ふてさいってなんだろう?」と一瞬考えた。
◆仙台に向かう新幹線の中で調べてみた。彼女は「ふてさい」ではなく「ふていさい」と言ったのかもしれない。聞きなれない言葉だが「ふていさい(不体裁)」ならば使い方はおかしくない。・・・・失礼しました。... 続きを読む
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◎2017年10月27日 ---- ボス ◎
- ビジネスのONとOFF
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バリ島旅行の中で「ぼーっとする」ことの大切さに気付いた。◆これまでは「ぼーっとする」ことはもったいない、と考えていた。とにかく何かをしていなければならない。何もしていないようでも私はいつも何かを考えていた。サラリーマンを辞めた30歳過ぎからこれまでずっと、常に仕事モード。「24時間 ON」が正しいと思ってきた。OFFにすると仕事で失敗しそうで怖かった。できなかった。OFFであっても、いつでもONになれる態勢をとっていた。・・・疲れた。◆還暦過ぎて友人の娘さんの結婚式に乗じたバリ島旅行。日本では選挙も終わり慌ただしい日々がスタートしているであろう月曜日も火曜日も私はバリでぼーっとしていた。今はOFFなんだ。仕事場には敢えて連絡しなかった。「これからはON・OFFの切り換えをうまくやっていこう」・・そう思いながら水曜日午前、帰国した。◆午後から出社した。いくつかの問題が私を待っていたが、その多くは担当者が上手に対応してくれていた。一つだけ気になっていることがあった。私の故郷、大分県佐伯市に関係することだ。私は佐伯のその病院に電話を入れてみた。意外な返事!◆ヘリコプター業界の数人に連絡してみた。状況が分かった。腹が立った。◆どこが悪かった? 何を間違えた? 誰が悪い? オレも悪い。・・・・いろいろと考えた。バリ島旅行の疲れで早く寝たが眠る直前まで考えていた。◆「あなた昨夜、なにか、うなされてるようでしたよ。」今朝、家人に言われた。そういえば夜中に何度も目が覚めた。覚める都度、あのことを考えていた。◆本当はオフィスではON、自宅ではOFF、にしたいのだが長年しみついた「24時間ON」は簡単に抜けそうにない。
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◎2017年10月26日 ---- ボス ◎
- バリ島旅行往復
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バリ島旅行出発の10日ほど前だった。家人が「いま、バリ島旅行って大丈夫なの?」と聞いてきた。選挙と重なることの心配だろうと思い、「なんとかなるさ。オレは期日前投票していくよ」と答えると「そうじゃないわよ。火山のことよ。アナタ知らないの?」と言う。バリ島のアグン山が噴火したため旅行客の多くがキャンセルしているという。・・・・◆平成4年からしばらく、年に2.3回アメリカへの出張があった。成田からサンノゼ空港かダラス空港へ向かうジャンボジェット(ボーイング747)をよく利用した。当時のビジネスクラスはまだフルフラットではなく今の新幹線のグリーン車程度のリクライニングシートだった。それでもエコノミーシートに比べると格段に快適だった。ビジネスクラスを利用できることをとてもありがたく思った。ところが・・・・。後方のエコノミー席を覗いてみると空席だらけ。ガラガラなことが多かった。バブル景気崩壊の頃、アメリカへ向かう飛行機はすいていた。ジャンボ機は左右の通路に挟まれた4席があるのだがその4席にごろっと寝ている人が多い。まさにフルフラットシートだ。高いカネを払ってビジネスクラスに乗ってもリクライニングなのにエコノミークラスでフルフラットで眠られる。うらやましかった。ちなみにこの当時はまだ飛行機の中でたばこが吸えた。◆さてバリ島旅行。私は火山の噴火を気にすることなくアリサちゃんの結婚を祝福しにいくことにした。仕事でのフライトではないので往復ともエコノミークラス。エコノミークラスで7時間のフライトはかなりの苦痛を伴うことと覚悟していた。ところが火山噴火の影響がありキャンセルあいついだ飛行機はガラガラ。ボーイング777には4席続く席はないが窓側から3席が続く。少し窮屈ではあるが立派なフルフラットシートが出来上がった。
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◎2017年10月22日 ---- ボス ◎
- バリ島にて
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お世話になっている親しい友人の娘さんがバリ島で結婚式を挙げることになった。私たちは彼女の結婚をお祝いしついでにバリ島でゴルフを楽しもうと計画した。計画した時にはまさか選挙と重なるとは思ってもみなかった。選挙は期日前投票で済ませバリに向かった。バリ島のデンパサール空港にはなんと結婚式を翌日に控えた娘さんが迎えに来てくれていた。親父はすでに親戚連中と酔っ払っている、ということだった。◆確かに親戚連中は結婚式の前後は忙しい。一人、ヒマな私はクタのビーチを散歩だ。
◆クタビーチにいる観光客のほとんどが白人だ。オーストラリアから来る客が8割。彼らと比べられたくない貧相なカラダを真夏の太陽に晒しながら私は一人ビーチに寝転んでいた。ぼーっとしながらいろいろと考えた。 まず「ああ、こんなにぼーっとしたのは、いつ以来だろうか」と思い嬉しくなった。続いて思ったことが面白い。まるで死に行く老人のように「楽しかったなあ、オレの人生はなかなかなものだったなあ。ま、合格点はつけられるよなぁ」そんなことを考えていたのだ。◆ビーチを歩きながら口ずさんでいた歌はサザンでもチューブでもなく小椋佳。面白い。◆数年後、本当に人生の終わりを迎える時に今日のような気持ちになれるように、もうしばらく頑張ろう。◆アリサちゃん、あなたの結婚式を機にオジサンもいろいろと考え、ぼーっとし、楽しむことができました。ありがとう。いつまでもお幸せに!... 続きを読む
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◎2017年10月20日 ---- ボス ◎
- 人も企業も重要なのは「道徳」
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「義理・道徳」の大書を、私のデスク後ろの壁に掛けてある。人も企業も義理と道徳を欠いてはダメ、という強い信念がある。◆三十余年の取締役、二十余年の社長業の中で、どうしても許せない裏切りや非道徳に会った。◆バブル崩壊時の第一勧業銀行の担当者の言動。リーマンショック時の三井住友銀行支店長の態度。同じころの商工中金担当者の態度。金融機関の「手のひら返し」には何度も泣かされた。頭にきた。◆後に20億円もの負債を抱え倒産することになる地方の航空会社のいかがわしいアタマの悪い女性経営者の非道徳な行為にも怒りで眠れない日が続いた。◆当社が多額の開発費をかけて米国で開発した製品を「分社しました。この製品は私が担当です」と言って、当社を辞めた元課長が売り歩いていた。私は自殺すら考えた。◆人間として取ってはならない行動をした彼らだが、おそらく誰もが言い訳はするが反省することなく今ものうのうと同じように仕事を続けている。ずるい奴らは、人さまから後ろ指を指されようが気にしない。「自分さえ儲かればいい」「人がどんなに苦しむかなんて知らない」・・そんな奴が大手を振って生きていることが寂しい。生きられることが悔しい。◆私が煮え湯を飲まされた会社がもう一つ。その会社は「神戸製鋼」。もう十五年くらい前のことだ。詳細は避けるがあまりにも誠意に欠ける人を馬鹿にした態度に頭にきた。たまたま事情を知った著名な経営コンサルタントの先生が当社の応援をしてくれた。◆神戸製鋼の不正が連日報道されている。数十年前から続く不正とのこと。「やっぱりそんな会社だったんだ。誠実でない、非道徳的な会社なんだ。ずるい奴しか出世できない会社なんだ」・・テレビのニュースを見ながら、今となっては懐かしい、当時の腹立ちを思い出していた。
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◎2017年10月19日 ---- ボス ◎
- 育ちの違い
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西麻布のバーで、大手商社に勤めるYクンに久しぶりに会った。Yクンは30歳を少し回った好青年。前回会ったのは今年の始め、寒い頃だった。その時は「なんとか年内に結婚しようと思います」などと、彼女の自慢話を聞かされた。◆「どう?順調?婚約はしたの?」私は軽くYクンに声をかけた。「あれっ、キノシタさんに話してませんでしたっけ?別れたんですよ、カノジョとは」と少し驚いた表情のYクン。だが落ち込んでいる風ではない。おそらく別れてしばらく経ったのだろう。「そっか、まあいろいろあるもんな」とだけ私は返した。◆しばらくくだらぬ話をしているとYクンが、「キノシタさんはホント優しいですね。『どうして別れたの?』とか聞いてこないですもんね」と言った。少し意外だった。「なんだ、これは、聞いて欲しいんだろうな」と私は思いYクンに尋ねることにした。「優しかぁないよ、これから聞こうと思ってたんだよ。で、なにが理由で別れたの?」◆Yクンは「待ってました」とばかりにしゃべり始めた。「いろいろと小さいことが溜まりましてね。考え方の違いですね。でも最後はラブホテルでの彼女の態度でした」・・・私は「ラブホテルでの彼女の態度」と言う言葉で、会ったこともない彼女の痴態を一瞬想像した。そうではなかった。◆「部屋を出る前にベッドの布団のめくれを直したり、タオルをきれいに重ねたりと僕はするんです。彼女はしないんです。その日も僕がベッドを片付けていたら彼女が 『すぐに掃除のおばちゃんが来て布団を取り換えるんだからそんなことしなくていいよ』とか言うんです。カチンと来ました。そういえば彼女は婦人服売り場でも畳んでいるセーターなんかをパッと広げてみてそのままそこに置いていくんです。あれ、オレ、嫌なんですよ」・・それを聞いて私は妙に納得した。私は残念ながら?ラブホテルには行ったことはないが出張で利用する普通のホテルを出るときでもベッドはキレイにする。私とYクンは同じタイプの人間のようだ。◆「Yな、そういうのは『考え方の違い』というよりもおそらく『育ちの違い』なんだと思うよ。別れて正解だと思うよ。」・・・思わずそんな言葉で慰めた。酔いのまわったアタマで私も人生を振り返ってみた。「育ち」「教育」って大切だなあ、とあらためて思った。
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◎2017年10月12日 ---- ボス ◎
◎2017年10月11日 ---- ボス ◎
- みっともない「えーと・・」という口癖
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会議や面接など少し緊張感を伴う状況での発言時「えーと」を連発する者が多い。実にみっともないが誰も注意しない。私は時々本人に注意する。「えーと」と言うことを控えるように努力した方がいいよ、と。
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◎2017年10月06日 ---- ボス ◎
- 村上春樹氏、ノーベル賞受賞ならず
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「今回こそは村上春樹さんがノーベル文学賞」・・・確信に近いものがあった。しかし私は最近、スケジュールに追われ、その予想を人に伝えることがなかった。◆発表があってから「実はオレ、今年は村上春樹が受賞するって思ってたよ」と言っても後出しジャンケンみたい。それで、昨夕、発表前に急いで私の予想をこの欄に書いた。見事に外れた。今年の文学賞はカズオ・イシグロさんという私の知らない作家だった。両親とも日本人、それも九州の人だという。村上春樹さんがまたしても受賞を逃したことと、私のみっともない予想の外し方に関しては置いておきましょう。素直に日本人の血が流れる作家がノーベル文学賞を受賞したことに拍手。
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◎2017年10月05日 ---- ボス ◎
- 予想 村上春樹氏 ノーベル文学賞受賞
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今夜遅くか明日にはノーベル文学賞受賞者が発表される。それで慌てて書いている。今年はやっと村上春樹氏が受賞するのだろう、と予想するから。◆理由はいくつか。①ここ数年、毎年候補に上がっている。そろそろ順番が来てもいいころ。②昨年のボブディランには懲りた。誰もが納得する者に授けたい。③ノーベル医学、物理学、化学などの分野で今年は日本人ノーベル賞受賞者が出ていない。・・・などなど ◆ 明日、朝、出勤してから「今年は村上春樹さんが取りそうな予想をしてたんだ」と言うと「後出しジャンケンなら誰でも勝てるよ」と言われそうなので、取り急ぎ私の予想を書いて公表する。念のために言っておくが私は昨年までは「今年は村上春樹」などと予想したことは一度もない。機は熟した、と思い慌てて書いている。
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◎2017年10月05日 ---- ボス ◎
- 国際民間航空機関(ICAO)
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航空関係者でなくても「国際民間航空機関(ICAO)」という言葉をニュースなどで耳にした人は多いはずだ。ICAO・・通常は「イカオ」と呼ぶが、通ぶった方は「アイカオ」と表現する。国際的な航空ルールを取り決める機関である。我が国でも「航空法」に特に記載のないことは基本的に「ICAO」の定めたルールに従うことになっている。航空業界にいるものにとっては日常的に使われているこの「国際民間航空機関」という言葉。「ちょっと待ってよ! 『民間航空機関』ってことは『警察航空隊機』や『政府専用機』や『消防航空隊機』は該当しないの?」 と誰も聞かないことが不思議だ。・・知らないくせに。知らなくても疑問を感じない、好奇心のない者ばかり。◆私はみんなが疑問に感じるかもしれない、誤解するかもしれない、と思ってこの言葉を使うときには必ず《注》を付けるようにしている。◆「ここで言う『民間』というのは『軍ではない』ということです。我が国で言うと『自衛隊機を除く』と言うことです」と。◆「国際民間航空機関」よ訳さずに「国際非軍航空機関」とか「国際除軍航空機関」と訳せば良いのに、と思う。
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◎2017年10月02日 ---- ボス ◎
- 社会不適合者
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母は70歳代後半にになり記憶力の低下が顕著になった。同じことを何度も話すようになった。回りの者は皆「おかしい」と気付いていたが母に直接注意できる者はいない。同じ話を繰り返す母に対し「さっきも言ったじゃあ」と言うと「そうやったかねえ、トシやけんねえ」と、自分の記憶力の低下を年齢のせいだと決めつけていた。もちろん年齢のせいだけではなかった。◆正月に帰省しているとき母が「あんた、東京には誰か高校時代の友達はおるんね?」と聞いてきた。「うん、おるよ。吉田のチカシくんとか、増井さんとか錦邊さんとか・・」と答えると「チカシくんちゅうのは海崎出身の子やったなあ」と返してくる。「そうよ、海崎出身よ・・・。よく覚えとるねえ・・」などと話して一旦その話題が終わる。三分後また母が「あんた、東京には誰か高校時代の友達はおるん?」と聞いてくる。「さっき言ったじゃない!」と言うと可愛そうなので、私はまた先ほどと同じように答える。「うん、おるよ。吉田のチカシくんとか、増井さんとか錦邊さんとか・・」するとすぐに「チカシくんちゅうのは海崎出身の子やったなあ」と全く同じフレーズが続く。同じ話を3回繰り返し、4回目「あんた、東京には誰か高校時代の友達はおるん?」と聞いてきた。私は「おらん。東京には高校の同級生は誰もおらんのよ」と答えた。「えっ?誰もおらんの?」でその会話は終わった。私はほっとした。◆春になった。「病気かもしれんから一度病院で診てもらおうよ」 姉と二人で母を説得した。母は猛烈に怒り出した。「あんたたちは私んことをボケとるっちゅうの?! わたしゃあボケとらんよ。誰でも歳をとれば記憶力は落ちるやろ!」・・・嫌がる母を何時間もかけて説得し、やっと病院に連れて行った。「初期の認知症」と診断されたが私たちは「初期ではない」と思っていた。薬を処方してもらったが母はその薬を飲むことを忘れることが多かった。認知症はどんどんと進行した。本人も辛かっただろう。◆社会生活をしていると、本人は自覚していないが明らかに社会生活不適合な人と出会う。周りの者は誰も、最初は彼が病気だとは気付かない。注意すれば治ると思って接触する。しばらくすると「これはおかしい」と気付いて病院に行くことを勧める。本人が「おかしい」と自覚している者は素直に病院に行く。翌日、「うつ病」などの診断書と処方薬をもらってくる。やっかいなのは私の母のように「おかしい」と自分で認識していない人。身内でもない者が「病院に行っておいで」とは言えない。「うつ病」も「アスペルガー」も病気。彼らを責めるのはかわいそう。「病院に行ったほうが・・・」・・自覚していない人にもしそんなことを言ったら私の母の怒りどころではないだろう。◆「わたしゃあボケとらんよ!」と大声で反発した母の姿を時々思い出す。
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