2018年03月の記事一覧

2018年03月30日 ---- ボス

桜は散り、椿は落ちる。

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新橋の南桜公演で昨夜、当社の有志で花見を楽しんだ。ただ「楽しい」だけでなくまた「お酒美味しい」「桜キレイ」だけでもなく、社内の親睦を深めコミュニケーションを取りやすくするのに最高。私も少々飲みすぎたが意義深い楽しい花見となった。社員たちの笑顔は嬉しい。◆少し二日酔いの残る今朝の出勤時、いつものように愛宕神社の前を通った。「苦しい時」が多い私はよく86段の“出世の石段”を上って「神頼み」をする。今朝も参ってきた。「●●●●が上手くいきますように!◆昨夜は満開だった桜が吹雪となって舞っていた。境内にある椿の花の多くはすでに落ちていた。「桜は散り、椿は落ちる」日本語は面白い。「散る桜 残る桜も 散る桜」。

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2018年03月29日 ---- ボス

くそ面白くない奴ら

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ある立食パーティーの会場。私は周りに話し相手がいなかったので黙って一人でワインを飲んでいた。向こうの方には知っている学者たちもいたがそれほど親しいわけでもない。おべんちゃらを使うよりは一人の方がまだ楽だ。そっと一人で飲んでいた。この手のパーティーは苦手だ。◆「くそ面白くない奴らね」隣で女性の声がした。以前から知っている女性だった。「くそ面白くない奴らね。うわっつらだけ。人間としての厚みがないのよね。きっとあれ以上の何もないのよ」酔っているわけでもなさそうだが彼女は私にだけ聞こえる小さな声で向こうの彼らの悪口を続ける。「私だってはじけていた頃にはいろんな経験をしたわ。黙って天国まで持っていかなければならない思い出も多いわ。キノシタさんだってそうでしょ?でもきっと奴らはそんなのなんにもないのよ。あれがすべてなのよ。面白くないわよね、あんな男たち」なんとなく彼女が言いたいことは理解できた。正直に言うと彼女の言葉が心地よかった。だが肯定するわけにもいかない。「おいおい待ってくれよ。キミが若いころどんな悪さをしたのか知らないけど僕には黙って天国まで持っていかなければならない思い出なんてないよ」私はまるで村上春樹の小説の主人公のような言葉で反論した。彼女は一言「ウソおっしゃい」と言った。◆悪い気はしなかった。「くそ面白くない奴」と陰で言われるよりは勘違いされてでも「面白い奴」と思われていた方がいい。

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2018年03月28日 ---- ボス

ジャイアント馬場みたい

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健康のため毎日最低1万歩は歩いている。自宅から会社まで電車に乗ると「広尾→六本木→神谷町→霞が関→日比谷→銀座→新橋」と6区間なのだが毎日2区間しか乗らず神谷町で降りて歩いて出社している。速足で歩きながら仕事のことを考えることが多いがこの季節は桜を楽しんでいる。愛宕の桜はとてもきれい。◆毎日歩いているせいか少しずつ体重も落ちてきた。毎朝、測っている。元日から2kgほど減った。鏡で自分を見る。寂しい。胸の筋肉がなくなった。「どこかでこんな体形の人を見たことあるな。誰だったっけ?」・・思い当たった。そうだ、ジャイアント馬場だ。なんだかもっと寂しくなった。

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2018年03月27日 ---- ボス

ペンディング

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36年前、私が社会人1年目のとき、会議の席で所長が私に言った。「じゃあ、この件はペンディングということにして次は・・・」。私はその頃まだ「ペンディング」という言葉を知らなかった。「すみません『ペンディング』ってどういうことですか?」すぐに尋ねた。所長はにやっとして「おっ、九州大学卒、『ペンディング』を知らないか?・・ま、保留ということだ」と答えてくれた。◆知らないことを、知らないまま流さないで、その場で「それってどういうことですか?」とすぐに尋ねることができるのは私の特技。幼いころ祖母から教えられた「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という言葉がそのスタートになっている。◆最近、我が社の会議に出ていてあまりにも保留事項や先延ばし事項が多いことに心配になった。それと同時に「それってどういうことですか?」と誰も聞かないことがさらに心配になっている。私が発言しなければあまりにも淡々と会議が進行してしまう。終わった後にペンディングの山ができる。◆ふと「社会人1年目の頃の私は元気良かったな」と思い出していた。

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2018年03月22日 ---- ボス

自分のアタマで考えろ!

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毎日この欄を書いているのにはもちろん私なりの思い、私なりの考えがある。ただの暇つぶしや自己満足のために書いているのではない。「私なりの思い、考え」をすべてオープンにするわけにはいかないが、その中には「部下たちへの刺激」も当然入っている。「当然」と私は思っているのだが実はこれが意に反してしまった。当社の社員のほとんどの者はこの欄を読んでいない。小さな会社、社長は何を考えているのか気になりそうなものだが全くそうではない者も多い。それは仕方ないこと。私も「読んでください」などと言う気はさらさらない。◆読んでいるだけで何もしようと思わない者よりは、こんな欄を読まなくても私の意向に沿って頑張ってくれている者の方がよほど良い。◆この欄で私が繰り返しているのは「多くの情報を共有し」「(言われたことをそのままやるのではなく)自分のアタマで考えろ!」ということ。◆とにかく世間には「自分のアタマで考えることが苦手な者」ばかり。せめて当社の職員には「自分のアタマで考える」習慣をつけてもらいたいが、これがなかなか難しい。◆「なぜそれをやるのか」を考えず、「お客様はそれを求めているのか」も考えず、本来最も大切なことを何も考えないで、それでも一所懸命働いている職員がわが社にも多数いる。考えることなく一所懸命に働いている職員は悲しい。彼(彼女)は良い人ではあるが無能な人とのレッテルを貼られてしまうかもしれない。そろそろ焦ってもらいたい。

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2018年03月19日 ---- ボス

間違った努力

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2か月ほど前、会社の近所にひっそりと小さなラーメン屋がオープンした。看板に「本格博多ラーメン」と書いてある。博多ラーメン大好きな私はその看板が気になった。どこだろう?その店は1階なのだが入り口が分かりにくかった。小さなドアを開けて入ってみた。10人程度で一杯になるような店に客は私だけだった。主人と店員の女性スタッフはにこやかに感じよく応対してくれた。私は「博多ラーメン、カタ麺」を頼んだ。出てきたラーメンはとても美味かった。この店はじきに「行列ができるラーメン店」になるのだろうな、と思った。◆2週間経って、またそのラーメン屋に入ってみた。客は私の他には一人。「黒豚ラーメン、バリカタ」を頼んだ。これまた大変美味い。私は部下や友人に「美味い博多ラーメン屋ができたよ」と紹介した。その後も2週間に一度の割でそのラーメン屋に行っているがいつも客は一人か二人。・・・このままでは潰れてしまう。せっかく会社近所にこんな美味いラーメン屋ができたのに閉店されたら残念だ。◆昨日、1週間ぶりに行ってみた。相変わらず客はいない。メニューを見て驚いた。それまでなかった「辛豚ラーメン」というのがあった。そこには「本日より!」と書いてあった。頼んでみた。私の好きな味ではなかった。私は少し暗くなった。寂しくなった。「マーケティングを誰かが教えてあげなくちゃ!」・・ そして思った。「うちの会社の連中とこのラーメン屋の若い店主は同じ間違った努力をしている!」◆「客が来ない」「売り上げが上がらない」理由は決して「不味いから」でも「メニューが少ないから」でもない。「ここに美味しいラーメン屋がありますよ」ということをみんなが知らないからなのである。◆あの感じの良い店主のお兄さんに教えてあげたい。いまあなたが取り組むべきことは新メニューを作ることじゃないよ、「ここにとても美味しい博多ラーメン屋ができましたよ。一度食べてみてください」と伝えること。新橋のサラリーマンに一度食べてもらうことですよ。◆まじめな連中が、焦りから間違った方向の努力をする。そして「オレはこんなに頑張っているのに、運が悪い!」と嘆く。◆客観的に俯瞰的に物事を観ることができなくなると何事も失敗する。

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2018年03月15日 ---- ボス

現実から逃げたかった

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大学受験に失敗した私は大分県佐伯市を離れ福岡市で浪人生活を送っていた。浪人のくせにパチンコばかりしていた。予備校の同級生のように必死で勉強をするということはなかった。テストの日以外はほとんど予備校に行かなかった。それでも6月、7月と予備校の試験で東京大学A判定をもらった。調子に乗って遊んでいるとみるみる成績が下がってきた。◆一度下がり始めた成績はなかなか再上昇することなく、焦り初めていた。予備校には行かなかったがまじめに勉強していた。夜中の3時まで勉強したこともあった。◆下宿の近所に「電車道」というとても感じの良い喫茶店があった。毎日「電車道」でコーヒーを飲んでいた。私の憩い(いこい)の「電車道」だったのだが11月になると相撲取りに占拠された。大相撲九州場所、佐渡ヶ嶽部屋の巡業部屋が「電車道」の近くにあったのだ。聞くと相撲取りは早朝に2時間程度の稽古をするとあとは食うことと寝ることが仕事だと言う。私はものすごく羨ましいと思った。「相撲取り、羨ましい」・・私が切に「羨ましい」と思った最初の対象は相撲取りだった。◆東京大学を諦め九州大学に通うことになった私は大学生活も怠けて留年してしまうことになる。同級生よりも1年遅れて卒論に着手する。当時の土木工学の実験室はとても古く、どこもすきま風だらけ。割れている窓が何枚もあった。九州と言っても1月、2月の福岡はとても寒い。卒論のための実験は1時間おきにデータを取り続ける必要があり、私はすき間風吹く極寒の研究室で一人実験を続けていた。どこかから野良猫を拾ってきて実験室で飼っていた。「寒い」「眠たい」と一人苦しみながら実験を続ける私の横で電気毛布にくるまれて猫がすやすやと眠っていた。「猫、羨ましい」・・私が切に「羨ましい」と思った2番目の対象は猫だった。◆なんとか大学を卒業した私は上京し前田建設工業株式会社に就職した。東京支店の現場勤務に配属された。昼も夜も関係なく働いた。働かされた。当時はブラック企業という言葉はなかったが間違いなく超ブラックだった。なんの用事だったか大分県庁や福岡県庁や宮崎県庁に就職した同級生たちと電話で話した。みなとても楽しそうだった。「キノシター、元気かぁ?」とのんびりした声。聞くと彼らはみな夕方6時前には自宅に帰り、着替えてテニスやソフトボールを楽しんでいた。「地方公務員、羨ましい」・・私が切に「羨ましい」と思った3回目の対象は九州の県庁職員だった。◆あれから35年~40年経った。今は「相撲取り」も「猫」も「県庁職員」も、それほど「羨ましい」とは思わない。苦しいことばかりの人生だったようでもあるが、まんざら悪くない人生だったなと思えるようになってきたかな。

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2018年03月15日 ---- ボス

ユトリロ

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大正生まれ(生きていればそろそろ白寿)の私の父は絵を描くことが趣味であった。「東京芸大を受けて落ちた」という話と「東京芸大を受験することを親に許してもらえなかった」という話を聞いたことがある。真相は分からない。なぜか父は山梨大学の土木工学科に進んだ。父は美しい絵を描いたが字は上手と言えるものではなかった。◆昭和7年生まれの母は美しい字を書いたが絵はからきしダメだった。◆私は両親双方のの悪い方を遺伝でもらい絵も字も下手。才能はないのに両親は私に書道と絵画を学ばせようとした。書道教室、絵画教室、どちらも幼い私には苦痛だった。◆字も絵も上手くならなかったが美しいものに対する興味は持った。ルノワール、ドガ、セザンヌ、ピカソ、ゴッホ、モディリアーニなどの絵に対する興味は小学生の頃にすでに芽生えていた。中でもその頃の私が最も好きだったのがユトリロ。ユトリロの画集を見ながら母が教えてくれた。「ユトリロはね、子供の頃から体が弱くてな家から出ることができんかったんよ。それで家の窓から見える景色をずっと描いてたんよ。寂しそうやろ、この絵」◆ませた子供であった私は小学生の頃にすでにユトリロの絵画に「郷愁」のようなものを感じていた。それは母の教えの影響があったのかもしれない。◆銀座の「ためなが画廊」でユトリロ展が開かれているので覗いてみた。素晴らしい、郷愁溢れる雪の坂道の絵があった。

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2018年03月12日 ---- ボス

3.11から7年

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東日本大震災から7年が経った。各メディアが様々なことを報じているので、感慨や反省は他のメディアに譲る。ここではやや不謹慎に思われるかもしれないが敢えて別の切り口で。◆私は思うのだが、あの東日本大震災を「ラッキーだった」と思う悪人が相当数いるのだろう。あの大震災がなく警察がまともに機能していれば逮捕されていた犯罪者は多い。殺人者がいるかもしれない。詐欺師や傷害事件犯などは相当数いるだろう。◆日本中を不幸にしたあの大災害でもきっと「ラッキー」と思ったヤツがいることの理不尽を不思議に感じる。腹立たしく思う。◆どんなことでも、あの大災害でも、みんなが同じ感想を持つものではない。事象には様々な切り口、様々な模様があることを知らなければならない。

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2018年03月07日 ---- ボス

過労死

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新橋駅前、おなじみのSL広場で誰かがアジっていた。「・・そして今、過労死が非常に増えている。みなさんご承知のとおり。・・」アジテーターの前を通りながら私は疑問に思った。過労死って本当に増えているのだろうか? 彼は「みなさんご承知のとおり」と言った。おそらくみんなそう思っているのだろう。だが本当に増えているのだろうか?私は信じられない。過労死が増えているのではなく「過労死と認定される事例」が増えているのではないだろうか。◆私は若い頃、一部上場のゼネコンに勤めていたが今の基準で考えると超々ブラック企業だった。死ぬほど働いた。働かされた。月に1日も休みが無い、なんてこともあった。今でも当時の同僚と会うと「あの頃の方がよっぽど酷かったな」という話になる。私が在籍した会社だけではない。多くの企業が今よりよほど劣悪な環境であった。35年で随分と日本の労働者の環境は改善されたと思う。◆あの頃の方が良かった、などとは全く思っていない。職場の環境が改善されて良かったと思っている。◆だから「過労死が増えている」という話は信じられない。「職場が悪い! これは過労死だ!」と訴えることができる環境になってきたのだろう。「過労死が増えた」のではなく「過労死だ!と訴える」ことが増え「過労死だと認定される事例」が増えたのだろう。◆アジテーターに「皆さんご承知のとおり・・」と言われて「うん、知ってるよ」と思う人ばかり。何事も「そうなの?」「そうだっけ?」と自分のアタマで考えてもらいたい。

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2018年03月06日 ---- ボス

社会の縮図

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暴力団の組長、バーのホステス、銀行員、焼き鳥屋、酪農農家、警察官、医師、香具師、製材所経営者、米作農家、薬局経営、教師、居酒屋の女将、果物屋、本屋、銭湯、漁師、豆腐屋、石材店、洋品店、文房具店・・・すべて私の小学校時代の同級生の親の職業。1学年150人弱の佐伯小学校の同級生の親は種々雑多な職業、まさに社会の縮図だった。子供たちも個性豊かだった。暴力団組長の娘も焼き鳥屋の息子も豆腐屋の息子も、みんな仲良しだった。社会には多くの職業があり、それぞれの利害があり、それぞれの考え方があることを自然と学ぶことができた。◆私の息子も娘も、恵まれた環境の小学校に入り、中学・高校・大学と私立校で学んだ。彼らの同級生の親の職業は会社員、公務員、医師、弁護士、薬剤師など。社会の縮図からは程遠い、偏った社会の一部の集団の中で育った。恵まれている、という見方もある。私もそう思う。だが、どこか引っかかる。果たしてこれで良かったのか。◆同級生の親に、暴力団の組長やバーのホステスや焼き鳥屋や酪農農家や香具師や米作農家や居酒屋の女将や果物屋や本屋や銭湯や豆腐屋や石材店が居るというのは面白い。60歳になって、小学生時代の同級生の顔とその親の職業を一人一人思い出せるなんて素晴らしい。思い出だけでなく、社会で最も大切なことを私はあのころ学んだ。

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2018年03月05日 ---- ボス

海外出張

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今から20年前、ロスアンゼルス郊外で開かれたヘリコプターショーに参加していた私は、3日間続くそのショーの見学を1日で繰り上げ、現地に住む知人にお願いして一人でロス近隣のヘリポートを何か所か見学させてもらった。立ち入り制限の厳しい日本と違って当時のアメリカは、お願いすると快くヘリポートを案内してくれた。ある小さな救急病院のヘリポートに驚いた。アルミでできていたのだ。当時、日本にはアルミデッキのヘリポートなどなかった。すべてコンクリート製だった。◆アルミデッキ製のヘリポートを私に案内しながら病院の担当者(病院長だったと記憶している)は「アルミ製のヘリポートはとても良いですよ。このヘリポートは作ってもう20年経っていますが全くメンテナンスの必要がないんです。コンクリートじゃ、こうはいきませんね」というようなことを笑顔で自慢げに話してくれた。全面ブルーの塗装こそ少し色褪せてはいたが床面はきれい。とても建造後20年経っているとは思えなかった。◆大学時代にコンクリート工学を勉強していた私はコンクリートの限界を知っていた。「日本のヘリポートこそアルミデッキで作るべき!」・・そのとき私は確信した。その後、懸命にアルミデッキヘリポートを研究し、わが国での普及にむけて頑張った。いま、日本には約80か所のアルミデッキヘリポートがある。すべて当社がなんらかの形で絡んでいる。◆5年前、ドイツの自動車連盟が運営するドクターヘリ運航会社の基地を見学に行った。そこには医師やパイロットを訓練する素晴らしいシステムがあった。「いずれ日本にもこのような施設が必要になるんだろうな」そう思った。そして今、私は日本にヘリコプター操縦士の訓練施設を作ろうと必死に頑張っている。◆私は「アルミデッキヘリポート」と「操縦士訓練施設」などを海外出張で学んで帰り、それをわが国でも実現させようとした。◆先週、ラスベガスでヘリコプターショーが開かれた。我が社からは5人が参加した。さて彼らはなにか大きな土産を持って帰ってきてくれただろうか。



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2018年11月15日 ボスの
スケジュール
  • 午前操縦士訓練事業計画
  • 午後机回り整理
  • 夕方銀座の焼き鳥屋で会食
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