2022年05月の記事一覧
◎2022年05月31日 ---- ボス ◎
- なりたかった職業
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作家になりたいな、と思っていたことがあった。三島由紀夫を読んで諦めた。こんな文章、僕には書けない。まったくかなわない。◆作曲家になりたいな、と思ったこともあった。「青春の光と影」(ジュディ・コリンズ)を初めて聴いたとき諦めた。こんな旋律は絶対僕には思い浮かばない。◆プロ野球選手になりたいなどと思ったことは一度もない。長嶋茂雄は僕が子供のころからスターだった。ヒーローだった。あんなプレーが僕にできるわけがない◆画家やデザイナーに憧れたこともあった。大学生時代、パウル・クレエと出逢って諦めた。僕にはこんな独創的な発想はない。こんなバランス感覚は持ってない。◆それ以前に、プロレスラーになたら結構強いかな、と思っていたころもあった。中学で同級生の岡部勝博クンと出逢って諦めた。この人にはかなわない。◆結局、流されるままに生きてきた。それでも、悪くない人生だった。
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◎2022年05月28日 ---- ボス ◎
- 飛行船
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誰もいない土曜日、一人出社して雑作業をしていた。一息ついて窓から東京タワーを眺めると飛行船が飛んでいた。東京上空に浮かぶ飛行船を見るのは久しぶり。◆高所恐怖症の私だが飛行船には一度乗ってみたい気もする。怖いかな。同じ高さを飛ぶのなら移動速度が速いほうが怖くない。飛行機よりヘリの方が怖い。へりがゆっくりと飛ぶと怖い。空中停止(ホバリング)などされると私はおしっこをもらしそうになる。とにかく怖い。飛行船もゆっくりと移動するから怖そうだ。それでもあの優雅な船には乗ってみたいな。◆森ビルの森稔前社長はお孫さんなどとよく飛行船に乗っていた。稔社長は東京上空をヘリや飛行船で移動する時代が来ることを確信し、それを少しでも早く実現しようと努力されていた。当時の石原東京都知事も同じ志を持ち熱心に東京の空の開放に向けて尽力くださった。今の東京は、森稔さんと石原慎太郎さんを失い元気がなくなった。◆10年以上前、六本木ヒルズの屋上で当時の森稔社長が私に聞いてきた。「このビルの屋上に飛行船を停めることはできないのか?」私が「無理ですね」と答えたら森社長はむっとした顔をして「なぜできないんだ?柱を一本建てて、それに繋げばいいじゃないか」と言い出した。私は技術的な問題ではなく法律の問題なのだと説明をしたが森稔社長は最後まで納得してくれなかった。私はそんな熱い思いを持った森稔社長を尊敬していた。◆石原都知事と森稔社長。お付きの部下は大変だっただろうが、信念を持った強いリーダーと共に働けた時代は良かった。飛行船を見て二人を思い出した。
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◎2022年05月27日 ---- ボス ◎
- 始めは「円」だった「栓抜きビル」
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「上海環球金融中心」というビルを知っているでしょう。「上海ワールド・フィナンシャル・センター」とも呼ばれ、オープン当初は「上海ヒルズ」とも呼ばれていた。完成時には世界一の高さのビルになる予定だったが、実は途中、工事が一時的に中断したために残念ながら世界一ののっぽビルになることはなかった。(それでも未だに世界5位くらいでしょう。)◆日本の景気がまだ良かったころ、森ビルが中心に開発を進めた。このビル、通称「栓抜きビル」とも呼ばれている。ビルの上部に大きな四角の空洞があるため、ビル全体が巨大な栓抜きに見えるからである。この「栓抜きビル」の四角の空洞は元々は四角ではなく円形での設計だった。◆15年くらい前だった。六本木の森ビル本社には「上海ヒルズ」の完成模型が展示してあった。その模型では空洞は円形だった。すごくかっこよかったのを覚えている。「すごいですね。日本はもう中国にかなわないですね」などと森ビルの担当者と話していた。◆それからしばらくして再度、森ビルを訪問した時に「円形の空洞」が「四角い空洞」に変わっていた。私は「えっ?なんで四角にしたの?丸い方がかっこよかったじゃない!」と質問した。すると担当者が「あまり大きな声では言えないのですが・・・。実は私は中国の公安に逮捕されました。一週間も拘留されました」と言う。なんでも「世界一ののっぽビルをこの上海に建てて、そのビルの最上部に『日帝』をイメージする日の丸の円を掲げるとはとんでもない!わが上海を日帝のマークが見下ろすのか!ふざけるな!」とののしられたそうである。かくして設計変更を余儀なくされ、あのビルは丸い空洞ではなく四角い空洞になり「栓抜きビル」と呼ばれるようになった。◆このことはなぜか広く知られることなく、いまだに多く語られることがない。中国に忖度しているようだ。
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◎2022年05月24日 ---- ボス ◎
- カラーコーディネート
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自宅に居るときはテレビドラマかYouTubeばかりを観ていた娘だが、気付くと最近彼女が勉強をしている姿を目にすることが多くなった。コロナ禍で自宅に居る時間が増えたせいなのかもしれない。「秘書検定」を受けたり「企業会計」の勉強をしていたりするのを目にするのは(経営者である私は)親として嬉しい。最近では「株式」の勉強もしているようだ。そんな娘が先日「カラーコーディネート」の勉強をしていた。かなり熱心に毎日、時間をかけ勉強している。邪魔をしてはいけないと思いつつもつい「カラーコーディネートってどんな勉強なの?」と聞いてみた◆「あのね、誰にでも似合う色と似合わない色があるの。その人がどんなに好きなキレイな色でも、その色の服を着たら肌がくすんで見えてしまうっていうことがあるのよ。逆にその人に合う色だったらきりっと引き締まって見えたり若く見えたりもするのよ」と言う。「なるほど!うん、確かにあるね。父さんは芥子(からし)色が好きだけど、芥子色のポロシャツを買って大失敗したことあるよ」と私が言うと「そうね、父さんは夏色系だね。ブルー系がしっくりくるでしょ」とか言う。◆確かに似合う色、似合わない色が人によって違う。カラーコーディネートなる資格もあるようだ。勉強する娘からまた新しいことを教えてもらった。
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◎2022年05月23日 ---- ボス ◎
- 「お釣り」って何?
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最近、新聞で知った。「お釣り」の概念が理解できない子供が増えているらしい。どういうことかと言うと・・・。買い物の支払いをプリペイドカードやPayPayでしかやったことのない子供が増えている、つまり千円札や五百円硬貨を使ったことのない子供が増えているということのようだ。確かにお札や硬貨を使用しないと「お釣り」は要らない。「『お釣り』って何?」と質問する子供も増えてくる。なるほど。◆もう一つ、我々世代からすると「えっ?」という状況。最近の子供は「人は右、クルマは左」とは教えられていないそうだ。そう聞くと確かにそんな気がする。「人は右、クルマは左」は昭和時代の道路のマナーだったのか?
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◎2022年05月19日 ---- ボス ◎
- VAN
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新橋~有楽町の間の山手線の下、いわゆるガード下がとてもオシャレな街に生まれ変わった。新橋側は「ウラコリ」、有楽町側(日比谷側)は「オクロジ」という。その「オクロジ」に若者男性向けのカジュアルブランド「VAN」がある。◆{VAN」と言えば日本に初めてアメリカントラディショナルスタイルを紹介した店。我々年代の多くが若いころ憧れたブランド。私が高校生のころ大分県佐伯市にも「VAN」がオープンした◆今でこそ「人は外見も大切ですよ」「もっと身だしなみに注意して」などと部下に注意し、オシャレに気を遣う人には「オシャレ手当」を支給しているが、高校生の頃の私はオシャレとは縁遠いものであった。学生服以外で街をうろつくのはジーパンとティーシャツ、それに下駄を履いていることが多かった。着るものが無かった。◆そんな私を見かねてかある日、母が「あんた、なんか、もっとちゃんとした服ないの。好きなのを買ってきよ」といいながら小遣いをくれた。「服を買うための小遣いやからね。喫茶店行ったりラーメン食べたり映画行ったりに使ったらダメで」と念を押された◆嬉しかった。もらった小遣いをジーパンの尻のポッケに入れ私はまっすぐ「VAN」に向かった。田舎の佐伯市だが「VAN」にはハイカラな店員さんがいた。私は初めて入った「VAN」に興奮し、店内を眺めていた。床、棚、天井、マネキンなどを眺めているとそのハイカラな店員が近づいてきた。そして私に訪ねてきた。「今日はどんなものをお探しですか?」と。「ボタンダウンのシャツ」とか「白いポロシャツ」とかを答えるべき質問に対し、私は「えっ?」と一瞬とまどい、そして小さい声で「ふく」と答えていた。17歳、キノシタ少年の懐かしく恥ずかしい「VAN」デビューの一コマでした。
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◎2022年05月18日 ---- ボス ◎
- CDを売っている店がなくなった
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昭和57年、九州から上京してきた私は「書泉グランデ」「八重洲ブックセンター」など地階から地上8階まで全階が本売場のビルがあることに驚いた。◆本屋以外にも秋葉原には地階から地上4階までレコード売り場の店があった。そのレコード売り場はやがてCD売場へと変わる。銀座4丁目の山野楽器も地階から地上4階までがCD売場だった。私は40年間で数百枚のCDを山野楽器で購入した。ジャズのCDはいわゆる「ジャケ買い」したものも多い。不思議とジャケ買いでの失敗は少ない。◆15年くらい前からだったろうか、山野楽器ではほとんどのCDが試聴できるようになった。CDに付いているバーコードを赤いライトに当てるとヘッドホンから曲が流れてくる。山野楽器には試聴できるその機械が多くセットされていたので他の客が少ない時には私は30分間くらい試聴を楽しんでいた。◆昨日、久しぶりに山野楽器に行った。驚いた。かつて地階から4階までの5フロアあったCD売場が今は4階の1フロアの半分くらいになっていた。ジャズコーナーはかつての1/10もないだろう。悲しくなった。私は歌謡曲売場へ行って「西城秀樹」を探した。そこには3枚のCDがあった。その中の1枚「ゴールデンベスト・西城秀樹・シングルコレクション」という1枚を購入した◆本屋もCD屋も少なくなった。小さくなった。本屋やCD屋で過ごす、あの小さな高揚感を味わえなくなった。本屋とCD屋で時間をつぶすことができたあの頃は幸せだった。
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◎2022年05月17日 ---- ボス ◎
- 飛び込み電話
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「あっ、キノシタ社長様ですか?突然のお電話で申し訳ありません。私、〇〇株式会社の△△と申します。当社は東証一部に上場している◇◇の会社でして、このたびキノシタ社長に是非ご紹介したいものがありまして・・・・」こちらが黙っているとずっとしゃべっている。だいたいがアタマの悪そうな若い声。◆私は、機嫌が良い時にそのような電話を受けると「そうですか。ごめんなさい、今はそういう興味はありませんから」と言って断る。機嫌がよくないときは「アナタはいったい何を言いたいのか分かりませんね」とか「どうやってウチの会社を見つけて私に電話してくるの?」などと意地悪く尋ねることがある。いずれにしても「飛び込み電話」にまともに対応する気にはならない。経営者仲間からも「飛び込み電話」がきっかけで良い関係ができた、などの話は一度も聞いたことがない◆スタッフに「飛び込みの電話」をかけさせている会社はろくな会社ではない、と私は決めつけている。「飛び込み電話」をかけてくるアタマの悪そうなお兄さんやお姉さんには「キミ、キミ、若いのだから、こんな失礼なことをやらせる会社ではなく、ほかのまともな会社に転職した方がいいと思うよ」とアドバイスしたくなる。
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◎2022年05月13日 ---- ボス ◎
- 明るい10年、暗い10年
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私は昭和32年(1957年)生まれ。もうすぐ65歳になる。◆幼いころのニュース。「東京タワー完成(58年)」「長嶋茂雄、巨人に入団(58年)」「東海道新幹線開業(64年)」「東京オリンピック(64年)」「巨人V9スタート(65年)」「大鵬45連勝(69年)」「大阪万博(70年)」と明るい話題ばかり◆一方、最近のニュースは「東日本大震災(2011年)」「福島原発事故(11年)」「コロナパンデミック(20年)」「ウクライナ戦争(22年)」と暗いニュースばかりが目立つ。滝川クリステルさんが「オ・モ・テ・ナ・シ」と微笑み、オリンピック開催地が「トキョー」と決定した2013年の一瞬、明るくなったが結果的には残念ながら歴史に残る明るいイベントにはならなかった。唯一、大谷翔平選手の活躍だけがこの時期の明るい話題である。◆私は日本が元気元気で明るかった頃(私個人的には不遇な状況もあったが)幼少期を過ごし、全く元気がなくなったころリタイアする準備を始めている。◆せめて「コロナの収束が見え」「ウクライナが終戦」になると世の中は随分と希望も湧いてくるのだろうし早くそうなって欲しいと願う。このままじゃ、今の子供たちが可哀そう。
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◎2022年05月12日 ---- ボス ◎
- 100万円しかもらっていない!
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細田参院議長が「議長になっても毎月100万円しかもらっていない」と発言した。このように国会議員は大した給料じゃないのだからもう少し人数を増やしてもいいじゃないか、と続くのだがこの後半の主張はダメ。議員定数を増やすことには私は反対だが「議長になっても毎月100万円しかもらっていない」との発言には同情を覚える。野党をはじめマスコミは大バッシングだが、我が国の参議院議長が月給100万円はあまりにも安すぎる。10倍出してもいい。国会議員の給与を10倍にして、その代わり、議員数を減らした方がよほど良い。そして各議員はきちんと政治活動と文書通信交通費の内訳を公表すべきだろう。◆「100万円しかもらっていない」という発言に対して「そんなにもらっているのか!」などとの馬鹿な反論をしている者たちはあまりにも幼稚だ。
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◎2022年05月11日 ---- ボス ◎
- よく頑張った。
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30年前の出来事である。当時私は練馬区の石神井に住んでいた。最寄りの駅は西武池袋線の井荻。井荻駅から徒歩12分のマンションだった。平野ノラさんがお笑いネタにするあの弁当箱のような携帯電話を持たされそれを肩に担いで通勤していた。その携帯電話に連絡してくるのはただ一人、私の上司、Sさんだけだった。◆長男が1歳になったばかりの頃だ。その日、私は久しぶりに早く帰宅できそうだった。早いと言っても自宅前に着いたのは午後8時半ころ。この時間ならまだ息子は起きているだろう、と楽しみに帰路を急いでいた。あと30mで自宅マンション、というところで弁当箱が鳴った。「キノシタさん、いま、どこですか?」とSさんの声。ここで「もう自宅前です」と正直に答えればいいものを、私は「今、高田馬場駅の近所です」と答えてしまった。Sさんは嬉しそうに「そうですか、じゃあ銀座に来て一緒に飲みましょうよ。『ヴィラ・バローネ』に先に入ってますね」と高級クラブに誘われた。◆私は自宅前で回れ右、井荻駅に向かって歩き出した。1時間後『ヴィラ・バローネ』に着いた。ホステスに囲まれたSさんは「遅かったですね、お疲れ様です」と笑顔で迎えてくれた。ホステスたちは「キノちゃん、遅ーい!駆けつけ3杯よ」などと言いながらウィスキーの水割りを作ってくれた。私は上手に、心から楽しんでいるフリをした。◆かわいい息子と遊ぶことができなかった。残念。「なんで『いま高田馬場です』なんて答えたのだろう?なんで『もう自宅です』と答えなかったのだろう?」私はホステスさんに囲まれて笑顔でお酒を飲みながらSさんと仕事の話をし、そして自分の言動を後悔していた。◆30年前の、あの失敗を今でも鮮明に覚えている。そして思う。あのとき、あのように振る舞うことができたから、今こうしてなんとか経営者として頑張っていられるのだろう、と。30年前の自分を誉めたい。「素晴らしい気配りでした、キノシタくん」と。
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◎2022年05月10日 ---- ボス ◎
- お疲れ様でした。田原総一郎様。
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「朝まで生テレビ!」を久しぶりに観た。35周年特別企画であった。私がサラリーマンを辞めたころ始まったこの番組は私の知的好奇心を激しくくすぐってくれた。それまでの建設会社への通勤時、朝は「サンケイスポーツ」帰りは「夕刊フジ」を読んでいた私は退職と同時にその2誌をやめ、「文芸春秋」「朝日ジャーナル」を読むようになっていた。さすがに「週刊プレイボーイ」「平凡パンチ」は買わなくなっていた。◆会社を辞めた。もうすぐ子供が産まれる。人生のターニングポイントを私は不安と楽観の入り混じる思いで過ごしていた。世の中がバブル景気で沸いていたころだったので少し楽観的でもいられたのだろう◆バブル崩壊のムードがただよい始めたころ私は二人目の子供(長男)を授かった。私の心からは楽観が減り不安が増えた。◆話が逸れてしまった。まあ私がそのような不安定な時代に毎回欠かさず観ていたのがこの「朝まで生テレビ」。若いころの舛添要一は賢くかっこよかった。進行役の田原総一朗は上手に場を盛り上げ、自分の考えを他人の口を借りて発言させようとしているように見えた。左寄りの知識人たちの薄っぺらい発言に辟易したことも多かった。すべて田原さんの掌の上で踊らされていたのかもしれない。面白かった◆10年経ち、15年経った。田原さんが偉そうに振る舞うようになった。「だからアナタはダメなんだ!」などと平気で出演している政治家をこき下ろすこともあった。まあそれも面白かった。◆私はこの「朝まで生テレビ」が無かったら我が国は未だに中選挙区制が続いていたのだろうと思っている。別の機会があれば書くが、私は我が国には小選挙区制よりも中選挙区制のほうが似合っていると思っている。もっと言うと選挙制度として「赤白どちらかをきっちり決める小選挙区制」よりも「結果的にピンク」になる中選挙区制の方が優れているとさえ思っている◆またまた話が逸れてしまった。先週観た「朝まで生テレビ」の35周年記念番組の中で、田原さんは日本外国特派員協会から『報道の自由・生涯功労賞』を受賞したことを報告した。実に嬉しそうだった。もうすぐ米寿(八十八歳)だという。それを見ながら私は皮肉を込めて「賞をもらえて良かったですね。もう思い残すことは無いでしょう。晩節を汚す前に引退された方がいいかもしれませんね」とテレビの田原さんに向かって話しかけた◆番組は、嬉しそうに受賞の報告をした後、再びウクライナの話になった。パネリストを指さし「誰が一番悪いんだ?」と問いかけ「バイデンがダメなんだ」と決めつけた。さらに、さらに「来週、僕は岸田に会うんだけれど、岸田に『バイデンにしっかりしろと伝えろ』って言ってやるよ」などと大声を出す。世界一の権力者バイデン米国大統領も我が国のリーダー岸田総理も、マスコミ界の重鎮となった田原さんにとっては尊敬すべき相手ではなくなったのだろう。「バイデン」「岸田」と呼び捨てだ。◆「30年前の田原さんはそんなんじゃなかったですよ。あなたは政治家でもジャーナリストでもなく、演出家なんじゃないですか?分相応のふるまいをしていたほうが魅力的でしたよ」と伝えたい。もちろん私の発言など歯牙にもかけてくれまいが。◆本日のYahooニュースが「『朝まで生テレビ!』打ち切りへ秒読み段階」と報じている。はいはい、それがいいですね。ご苦労様でした。面白かったですよ。ありがとうございました。
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◎2022年05月10日 ---- ボス ◎
- 「優しさ」「無関心」が命取りに
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30名近い死者行方不明者を出すこととなった知床の観光船沈没事故は人災である。船長の罪も大きいがこの運航会社の社長の責任も大きいことは明らか。ネットでは「なぜ逮捕しないんだ?」などとの声も聞かれる◆船長と社長が悪いだけではない。近隣の同業者は「あの会社はダメだ」「安全管理ができていなくて危険だ」との意識を持っていた。「あの会社は危険だな」との意識を持っていた者が多くいたのになぜこの大事故を防げなかった?◆へんな「優しさ」なのか「無関心」なのか「想像力の欠如」なのか?これだけの大災害を引き起こしておきながらインタビューを受ける近隣同業者は「オレは注意したんだよ」などと言っている。当日船長に「今日は出ちゃダメだよ」と言った者もいた。◆みんな他人事。結果的に多くの観光客の命を奪うことになったのに。「オレがもっと強く注意していれば良かったなあ」とか「役所にチクるべきだった」などとの反省の言葉は近隣同業者から聞こえてこない。私はこの近隣同業者に対して「あなた方がもっと厳しくこの船長と社長に接していればこの悲惨な事故は起こらなかったんじゃないですか?」と聞きたい。彼らの妙な「優しさ」と「無関心」が船長と社長を許し、その結果多くの命が失われた。船長と社長を犯罪者にしてしまった。◆さらにその結果、このゴールデンウィークに遊覧船に乗る観光客は激減した。「あなたたちの無関心が、結局自分にもかえってきたのですね」と言いたい◆わがヘリコプター業界にも似たムードがある。明らかな違法運航や「白タク」まがいの運航がなされていてもそれを注意したり役所にチクったりする人はいない。役所も役所で、事故が起こるまではみずから動こうとはしない。◆「自分に厳しい」のは良いことだが「人様に厳しい」ことを善としないこの国の島国根性が遠因かもしれないが、お客様と観光事業の発展のためにも「人様にも厳しい」目を光らせ、そう接することが重要だと私はあちこちで叫んでいるが、残念ながらヘリコプター業界ではそんな私が変人にみられているようだ。
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◎2022年05月09日 ---- ボス ◎
- 若いころの失敗
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「夜中に書いた手紙はすぐに投函しちゃダメ。翌朝まで待って一度読み返せ。そうすると恥ずかしいことをいろいろと書いていることに気づく。きっと『ああ、昨夜投函せずに良かった』と安堵することになる」と教えられていた。「その通り」と理解してもいた。◆ところが若いころの私はその忠告を敢えて聞かなかった。明日の朝、読み返したら恥ずかしくて投函できないだろう。それじゃオレの正直な思いは伝わらない。酔っぱらっている今のうちに投函すべきだ、などと思い、深夜、ポストまで歩いて投函したことが多い。翌朝は、投函したことは覚えているが何と書いたかは忘れている。◆随分と失敗した。Iさんに書いた手紙をNさんに送ってしまったこともあった。19歳の時にMさんに送った手紙は未だに後悔している。◆世の中から手紙がなくなりメールやlineに置き換わった。それらには「送信取消」というものがある。便利な世の中になったな、と思う。ただ「若気の至り」の失敗の少ない人生は面白くないかもしれないな。
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◎2022年05月07日 ---- ボス ◎
- テレビ中継はつらい
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漁港からの中継。ラッシャー板前がマスクを着けてしゃべっている。聞き取りにくい。「獲れたてのカツオです!いただきまーす」と言った。言った後、マスクを外してカツオを一切れ口に入れる。すぐにマスクをしてそれから「うーん、すごく美味いです!」と。こっちは「そんな漁港で回りに人もいないのに、マスクを着けたり外したりせんといかんの?」と突っ込みたくなる。◆地震速報もそうだ。青空の下、女性記者が白いヘルメットをかぶって「この辺ではコンビニの棚から商品の多くが落ちるなど・・」と説明している。その記者の向こうに見える住人は誰もヘルメットなど着用していないのに。◆コロナ対策のマスクにしろ地震被害に備えるヘルメットにしろ、あまりにも不自然な「予防行動での中継」が目立つ。きっと彼らは中継が終わった瞬間にマスクを外しヘルメットを取るのだろう。◆おそらくこんなバカげた中継をするのは日本だけだろう。日本には妙な「正義の人ぶる」クレーマーが多いからなのだろうか? それにしても情けない。中継記者はラッシャー板前が可哀そうに思える。いや、それとも彼らもまた「これは大丈夫でしょ」と言うだけの勇気がないのか?
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