2023年01月の記事一覧
◎2023年01月31日 ---- ボス ◎
- 正確なジャッジ
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30歳で大企業を辞めた。それからは年俸制になったのでボーナスをもらったこともない。◆若い頃から多くの経営者と接する機会があった。先輩経営者から教えてもらうことも多かったが、逆にそれらの先輩経営者の能力を測っていることもあった。「この人は偉そうなことを言うけど大した経営者じゃないな」「この人は控えめだけど、きっとこの会社は成長するだろうな」などと、偉そうに査定していた。失礼な話である。だが私の見極めは大方当たっていた。◆経営者個人の能力によるところが大きいのだが、当時私が気が付いたのは「爺さんになったら経営は難しいのだろうな」ということ。理解力、判断力が年齢とともに落ちてくる。爺さんになると正確なジャッジができなくなる。その当時私が思っていたのは「経営者は63歳程度が限界かな?惰性で、もっと長くはできるけどピークはすでに越えてるな」ということ。もちろん個人差はある。◆その63歳を私はすでに超えた。今年の6月には66歳になる。果たしていま、経営において正確なジャッジができているのだろうか?少し不安である。気力・体力がともに衰えていることには気づいている。少し焦り始めている。
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◎2023年01月30日 ---- ボス ◎
- 「フロー」と「ストック」
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誰でも産まれた時点では資産ゼロだ。大学を卒業するころには、奨学金を借りたことで資産がマイナスになる人も多い。社会人になり少しずつ給与(フロー)が増え貯蓄(ストック)も増えてくる。日本人の平均では「フロー」のピークは60歳少し手前、「ストック」のピークは65歳ころだろう。◆「ストック」がない老人は年金という「フロー」のみで生活することになる。これはしようがない。◆問題は「ストック」があるにもかかわらず年金という「フロー」のみで生活する人が多いということ。資産ゼロで産まれてきたのだから死ぬときに資産ゼロになるように生活すればいいものを、なぜか老人は「ストック」が減じることを拒む。恐れる。◆これでは老人の生活は侘しいものになり経済も潤わない◆「おじいちゃんが溜めたおカネでしょ。おじいちゃんとおばあちゃんが楽しむために全部使ってってよ。僕らに残さなくてもいいよ」というムードを作るべきだろう。◆7年前に84歳で亡くなった私の母は実に質素な暮らしぶりだった。収入は年金だけなのに、それでも預金残高が増えていた。私と姉が相続税を払うほどの遺産を残してくれた。(ある程度の遺産がなければ相続税は発生しない)◆母の生前、私は母に「オレにカネを残すより、自分で使ってくださいよ」と言っていた。年老いた母はカネの使い方を知らなかった。「カネを使わなくても幸せだったのだ」と信じたいが、果たしてそうだろうか?申し訳ない。◆私は、遺産(ストック)はせめてピーク時の半分以下にまでになるように使ってしまいたいと思っている。子供や孫に、必要以上の資産を残しても良いことばかりではない。
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◎2023年01月24日 ---- ボス ◎
- Have a good day!
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我が家は7階建てマンションの5階。今朝、家を出たらエレベーターが7階から下りてきた。中にはときどきお会いする私と同年齢くらいの紳士が乗っていた。「おはようございます」と挨拶しながら乗り込んだ。「寒いですねえ」とその紳士。「10年に一度の寒波らしいですね」などと私が言っているうちに1階に着いた。彼が先にエレベーターから降りた。そこで右と左に別れるのだが、彼が「良い一日を!」と言った。私は予期せぬ言葉に対し返事ができず、ニコッと会釈しただけだった。彼は、海外生活が長かったのだろうか?◆米国出張時はよく「Have a good day!」と声を掛けられる。その時は「You too」と返すのが一般的。だが日本語で「よい一日を!」などと言われて「あなたもね」と返すべきなのか分からない。
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◎2023年01月20日 ---- ボス ◎
- 友池君ちでいただいた初めてのマックの話
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45年くらい前の学生時代の話。五月のゴールデンウィークだった。大学の近くに下宿住まいをしていた私と友人の後藤功君と二人で、福岡の高級住宅街から通っている友池哲雄君の実家に遊びに行った。友池くんちは豪邸であった。何をして遊んだのか覚えていない。もう一人、誰かを誘って麻雀でもしていたのかもしれない◆遅くなり、友池君が「泊って行ったら?」と優しい言葉をかけてくれた。私と後藤君は「ありがとう。そうします」と即返答。友池家の二階、彼の部屋に布団が3組敷かれた。酒を飲み疲れ、電気を消す段になって友池君が言う。「オレ、明日、朝倉のじいちゃんの家の田植えを手伝いに行かんといけんのよ。朝、早く出るけん、あんたちはゆっくりしてっていいけん。オフクロには言うとるけん」確かにそういうことを言った。灯りを消して寝た◆翌朝、目覚めると友池君がいない。客人である私と後藤君はどうしていいのか戸惑っている。「そういえば、田植えに行くって言いよったよね、昨夜」と後藤君。◆しばらくすると友池君のお母さんが覗きにきた。「あら、起きられましたか? 下に簡単な朝食を用意していますよ」と声をかけてくれた。友池君のお母さんは女優さんのようにキレイだった。そして優しかった◆私と後藤君は身支度を整え階下のキッチンへ下りて行った。お母さんが用意してくれていたのが簡単なサラダと牛乳と「マクドナルドのハンバーガー」だった。名前は知っていたが私も後藤君もそれまで「マクドナルドのハンバーガー」を食べたことがなかった。友池くんちで食べたこの「マクドナルドのハンバーガー」はビックリするほど美味かった。感動した。◆あれから45年が経った。今、過去の日記を整理している。一昨年から後藤君は大病で伏せているがたまにメールで近況を知らせてくれる。陽気な彼のことだ、まだまだ病気に負けずにきっと克服するのだろうと思う。◆昨日、後藤君に「友池んちでご馳走になったマクドナルドのハンバーガー、覚えとる?」と聞いてみた。「泊ったことは覚えとるけど、ハンバーガーのことは覚えとらんなあ」との返信があった。そして「今週末は寒そうだけど、もうすぐ梅も咲きますよ」と書いてあった。
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◎2023年01月16日 ---- ボス ◎
- 中国 コロナ死者 1か月で6万人!
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中国ではこのひと月でコロナの死者が六万人にも達した、と日本の新聞が嬉しそうに書いている。「やっぱりゼロコロナ政策は失敗だった」と言いたいようだ。◆そうだろうか?我が国でも最近、毎日500人近くがコロナで死んでいる。1日に500人ということは1か月では1万5000人ということだ。「中国はゼロコロナ政策を辞め爆発的にコロナが広がり1か月で6万人が死んだ。」「我が国では、ウィズコロナ政策を取り続け、何度もワクチンを打って、それでも今なお1か月で1万5000人が死んでいる」◆冷静に数字を比べてみるべきだろう。「中国」「1か月」「6万人死亡」≒「ゼロコロナ政策失敗」と言いたいのは一部のマスコミだ。あるいは一部の(いや、実は大半の)中国嫌いの人たちだ。中国には日本の10倍の国民が居る。日本で1万5000人が死んだのなら中国では15万人が死んでやっと現在の日本と同じペース。◆「ゼロコロナ政策失敗」と数字で言うとしたら「中国で1か月に50万人が死んだ」くらいの数字がでたときだろう。1か月で6万人の死亡で済んでいるのなら「ゼロコロナ政策は大成功」と言うべき数字である。なぜ、マスコミはそう言わないのかが不思議だ。
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◎2023年01月12日 ---- ボス ◎
- 安楽死法を急ぎたい
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知人の、高齢の両親が病気で苦しんでいる。両親ともに90歳を越える。父親は7年前から意識がなく病院のベッドで眠り続けているという。母親は認知症が進み施設と病院の往復が続く。「オヤジは眠り続けているだけなのでときどき病院に様子を見にいくだけでいい。オフクロの世話の方がよほど大変だ」と彼は言う。「死を待つだけのオヤジですが・・・」と彼が言いにくそう。「やはり自分の親。意識がなくても生きてくれているだけでいい。少しでも長生きして欲しいものですか?」と私が尋ねると彼はやんわり否定した。「長生きして欲しい、っていうのはあります。でもそれは親だからということではなく、父が死ぬと年金がもらえなくなるからです」と言う。◆眠ったままの父親は手がかからない。病院の費用よりは年金の方がはるかに多い。浮いた年金で母親の施設費用や介護費用を賄っているという。「年金を受け取るために父に長生きしてほしい」と思うのは仕方がない。それが現実。◆彼の辛さ、彼の苦労は理解できる。だが、釈然としない。国を挙げて「生かす」ためだけに莫大な費用と疲労と苦労が使われている。安楽死法を急ぐべきだと私は思う。
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◎2023年01月11日 ---- ボス ◎
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「サウンド オブ ミュージック」「ローマの休日」「ライフ イズ ビューティフル」「ニュー シネマ パラダイス」「ショーシャンクの空に」「大脱走」「ET」「スターウォーズ」「ダイハード」「愛と青春の旅立ち」「アバター」「フィールド オブ ドリームス」「トップガン」「燃えよドラゴン」「ポセイドン アドベンチャー」「ホテル ムンバイ」「雨に唄えば」「ロッキー」・・・私が大好きな、感動した映画の数々◆だが「一番好きな映画を1本あげて」といわれたら私は迷わず「シェルブールの雨傘」を選ぶ。ミッシェルルグラン作曲の美しく甘く切ないメロディーの乗せて、美しく切なく悲しいストーリーを、美しく可憐な若きカトリーヌ・ドヌーヴが見事に舞う。◆初めて観たのは小学生のころだったろう。早熟な私はテレビの「ロードショー」でこの映画を観て、カトリーヌ・ドヌーヴに魅了された。テレビで放映されるたびに観た。家庭用ビデオ(VHS)で観た。DVDでも観た。ブルーレイでも観た。10年くらい前だったろうか渋谷の映画館で上映された。そのとき初めて劇場で観た。涙が出た◆2018年の7月、ミッシュエル・ルグランが青山の「ブルーノート東京」に出演した。85歳のルグランのピアノは柔らかく美しかった。幸運にも私はルグランと握手することができた。とても柔らかな掌だった。その一年後、彼は永眠された。◆先日、WOWOWで「シェルブールの雨傘」が放映された。久しぶりに観た。何度観ても感動する。切なさが心地よい。観終わったのは夜中の二時を回っていた。そして私は久しぶりにぐっすり眠った。
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◎2023年01月10日 ---- ボス ◎
- カレンダー、ゴミ化改善
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昨年の12月20日、この欄で「矛盾」と題して、カレンダーを配る悪習を非難した。その翌日だった。M銀行の支店長が年末の挨拶にやはり1枚の大判カレンダーを持ってやってきた。年末にいただくカレンダーに辟易としている私は条件反射のように「失礼な言い方になって申し訳ないけど、M銀行さんが配るカレンダーのうちどれだけが実際に使用されるのでしょうね」と切り出した。◆支店長がニコニコしながら答える。「実は昨年末、私がカレンダーを持って来ましたらキノシタ社長からそのことを注意されました。私は恥ずかしかった。そして悔しかったのです。社長のおっしゃることはもっともです。私は支店に戻って、社長からのご指摘をそのまま本社に訴えました」と言う。支店長はニコニコしている。カレンダーを広げながら「でも、このカレンダーのファンがいることも事実です。待ってくれている方もいます」と立ち上がった。◆「社長から指摘され、私が訴えたからそうなったのかは分かりませんが、我が行が配るこのカレンダーは昨年の30%になりました。70%をカットしたのです。ご指摘ありがとうございました」と言い頭を下げられた。私も嬉しかった。
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◎2023年01月10日 ---- ボス ◎
- 紅白歌合戦
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昨年末の紅白歌合戦のことを書くのを忘れていた。◆年末、テレビでは格闘技をやっていなかったので数年ぶりに「紅白歌合戦」を観た。いや、午後10時近くまではテレビ東京の、徳光さんが司会をする歌番組を観ていた。10時ころチャンネルをNHKに変えた◆紅白もなかなか楽しい。特に良かったのが玉置浩二(安全地帯)と桑田佳祐とその同級生(時代遅れのRock ‘n’ Roll Band)の2組。いずれも私と同世代。◆まあ、すごい。みんな魅力的。◆自分のことを「枯れ始めた。加速度を持って枯れて行っている」と思っていた私は昨年末、彼らから「まだまだ老け込むには早いぞ!一緒に頑張ろうぜ!」って励まされた気分になった。嬉しかった。ありがとう。◆まだまだ頑張る。
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◎2023年01月10日 ---- ボス ◎
- 王将戦、当事者はマスク不要では?
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将棋の王将戦は新旧の天才の対決となり、普段将棋に感心のない主婦層や学生までが注目している。藤井聡太王将(20)=竜王・王位・叡王・棋聖=に羽生善治九段(52)が挑む。かつて天才の名を欲しいままにし当時のタイトル7冠全制覇を成し遂げた羽生九段には、この王将戦はタイトル100期の偉業もかかっている。全国が注目するその王将戦第1局は若き天才・藤井王将の勝ちとなった。◆熱戦の模様をニュースで見ていて思った。「せめて対局者二人だけでもマスクを外すことはできなかったのか?」と。できぬわけは無かろう。もちろん記録員など同室に入るものは全員マスク着用義務は当然だ。だが部屋の真ん中に座る主役二人にマスクを義務付ける意味があるのか?二人には事前のPCR検査でもしてもらえばそれでいいではないか。◆対局中、棋士の脳はフル回転を続ける。十分な酸素が必要だ。彼ら二人がマスクをすることによって、どのようなリスクを回避できるというのか?彼ら二人がマスクをしないとどんなリスクがあるのだ?◆「なぜマスクをしなくていいのか?」というバッシングが来ないように主役二人にもマスクをお願いしているのだろう。馬鹿みたい。◆主役二人の最高のパフォーマンスよりも、一部のヒステリックなクレーマー対応を優先したみたいで何とも感じ悪い。第二戦では、マスクなしでの最高の勝負を見せてもらいたいものだ。
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◎2023年01月04日 ---- ボス ◎
- 「私が誉めてやらんとなあ」
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大分市立金池小学校に入学し、2年生の2学期までを過ごした。担任は若くキレイな今井茂子先生。◆2年生の正月3日、一家四人で乗っていたタクシーが事故を起こし父親が即死、母も大怪我を負った。私と姉は祖父母の住む佐伯市の小学校へと転校することになった。そんな状況の中、転校後も今井先生は私のことを心配し続けてくれた。「どうしてますか?頑張っていますか?」と手紙をくれ、ときには「元気で頑張っちょる?」と佐伯市まで訪ねてきてくれることもあった。母も、私の進路のことなどを今井先生に電話で相談することもあったようだ◆あの事故から丸57年が経った。昨日、今井先生から電話があった。先生はいまだに私のことを当時と同じく「モトミちゃん」と呼んでくれる。「モトミちゃん、元気にしてるん?」から始まり「よく頑張ったなあ。あなたの頑張りは私はよく知っちょるけんね。あのとき・・・・」と先生は幼いころの私を思い出してくれながら誉めてくれる。「よく頑張ったなあ。もうお母さんがおらんくなったから、あなたの苦労と頑張りを知っちょる人もいないやろ。だから、あなたの苦労と頑張りをよく知ってる私が誉めてあげるね。そう思って電話したんよ」先生の言葉は女神さまの言葉のようだった。電話のこちらで私はボロボロと涙を流した◆思い出話のあとに聞いた。「先生、おいくつになられましたか?」「私はな、もう95歳なんよ。もう背中も丸まって小さくなったし、記憶力も弱くなった。それでもまだなんとか歩くことはできるんよ」◆いつまでもいつまでも元気でいて欲しい。私を見守り続けて欲しい。
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