2024年01月の記事一覧

2024年01月31日 ---- ボス

本屋減少

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久しぶりに有楽町の交通会館の「三省堂」へ入った。売り場面積が半分以下になっていた。昨年末に来た時には1階と2階にあった売場だが、いつの間にか1階だけになっていた。◆私の回りから本屋がどんどんと減っていく。本が売れないから本屋が減るのだろうが、本屋が減ると私の本の購入も減り、私の読書量も減る。悪循環。もちろん欲しい本があればamazonで購入できるが本屋に入らなければ本を読みたくならない。残念。

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2024年01月30日 ---- ボス

適材適所

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「あなたの最大の長所・魅力は〇〇なのに、なぜ、それを出さないの?」と不思議に感じる人が多い。◆野球が上手い人は野球をするべきだろうし水泳が上手い人には水泳をさせたい。経営者はいつも「彼が最も得意とするところで彼の力を発揮してもらいたい」と思う。ところが「私は野球は上手いのですが、野球より水泳をやってみたいです」などと言う人が多い。「もったいない」と思うが「ダメ」とは言えない時代になってきている。◆「いいから黙ってオレの言うことを聞け!」とは自分の子供にも言えない時代になって来た。

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2024年01月29日 ---- ボス

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娘が小学校の3年生のときのこと。先生が「あなたの夢はなんですか?大きくなったらどんな大人になりたいですか?」と質問したそうだ。◆娘が私に言った。「〇〇ちゃんの夢は大きくなったら薬剤師になることなんだって」と。続けて娘は私に聞いてきた「ヤクザイシってどんな仕事?」と◆その話を聞いて私は不愉快になった。小学校の3年生が「将来の夢は薬剤師になること」って答えるか?それは、その少女の夢ではなく、その少女の母親の夢なのではないのか?◆薬剤師を夢の無い職業だと言いたいのではない。小学校3年生が「将来の夢」に掲げるにはふさわしくない夢だと思う。あれから25年経ったがその思いは変わらない。

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2024年01月26日 ---- ボス

お相撲さん・猫・ダンプの運転手

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福岡での浪人生活が半年たった頃、さすがに私も追い込みをかけ睡眠時間を削っていた。息抜きで、週に3回、喫茶店に入ってコーヒーを飲んでいた。『電車道』という名のその喫茶店は11月になるとお相撲さんで溢れるようになった。私と同い年のお相撲さんもいた。彼らは「僕らは寝るのと食うのが仕事」と言っていた。羨ましかった。◆留年して大学5年生の冬、卒業論文のための徹夜実験を隙間風の入る大学の研究室に泊まり込んで行っていた。私は野良猫を拾ってきて研究室で飼い始めた。私が実験をする脇でその猫はいつも毛布の上で気持ちよさそうに眠っていた。羨ましかった◆建設会社に就職して3年目の冬、私は足立区の梅島陸橋の近所で第4国道の地下に大型共同溝を造る工事の現場監督をしていた。朝7時から働いて翌日の午前10時まで、ぶっ通しで働く。夜勤は寒い、夜勤は眠たい、そしてたまに怪我をする。今で言うなら超ブラック企業になる。真面目に監督業をこなした。ダンプカーが積載している砂の量を測る。「13,5立米だね」などと言いながら研修票を運転手に渡すのだが、その時ほとんどの運転手は運転席の後方にあるベッドで寝ている。私は助手席で研修票を記入しながらほんの2~3分、目を閉じる。温かいダンプのベッドで寝ている運転手が羨ましかった。

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2024年01月25日 ---- ボス

「賃上げ」に関する報道

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TBSの朝の報道番組で「賃上げ」に関して説明していた。腹が立った。◆「中小企業は人手不足解消のため、大企業はより優秀な人材確保のために賃上げを検討しています」と言ったのだ。失礼じゃないか!

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2024年01月24日 ---- ボス

マスク

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コロナが5類感染症へ移行してからすでに半年以上が経過した。街は賑わいを取り戻してきた。制約の少ない社会は居心地が良い。学校へ行く子供たちに笑顔が戻った。◆私が残念に思うのはマスクをしている人が減らないこと。当社に採用面接にくる人でもマスクを着けっぱなしの人がいる。かつてであれば、それだけで「常識が無い」「失礼だ」で不採用にしていたかもしれない。◆お客様との会議で、当社のスタッフがマスクをする場合は「すみません、昨日から咳がでるもので、今日の会議ではマスクを着用させていただきます」などと挨拶をさせていた◆ところがコロナ禍以降、日本人のかなり多くの人が日常からマスクをするようになった。リモート会議なのにマスクをしている人もいる。「マスク取りましょうよ」と言いたいのだがそれは今は言ってはならない言葉になってしまった。我が国では。おかしい、と思うのだが、私も「マスクを取ってください」とは直接言えない。

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2024年01月23日 ---- ボス

世襲

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細川隆三という政治評論家を最近テレビでよく見かけるようになった。まっとうな評論家のようだ。Wikipediaで調べると父親は政治評論家の細川隆一郎、大叔父も政治評論家の細川隆元、妹は政治ジャーナリストの細川珠生とのこと。隆元さんや隆一郎さんの、歯に衣着せない辛口評論を私も楽しく聞いていた一人。だが、不思議。◆ほとんどのテレビ局や視聴者の大半は「政治家の世襲に反対」の立場なのに、自分たちで採否を決められる政治評論家に関しては世襲OKなのだな。◆いや、私は反対しているわけではない。不思議に思っているだけ。

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2024年01月19日 ---- ボス

毎日新聞の難くせ

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毎日新聞が、自衛隊の陸上幕僚副長が靖国神社を陸自幹部らと集団で参拝したことを問題視してことさら大きく連日報道している。なぜこんなどうでもいいことを大変な悪事のように報じる必要があるのか不思議でならない。◆左翼思想の人間以外にとっては「どうでもいいこと」あるいは「当然のこと」じゃないですか?自衛隊の幹部が靖国参拝することは。「能登で大地震が起こっているのに自衛隊の幹部がのこのこと靖国を参拝か!?」などと難くせを付けるこの新聞の姿勢が私には理解できない。

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2024年01月17日 ---- ボス

寅さん

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毎年、冬になると週末のゴルフを控え、代わりに1泊で温泉に行くことが増える。高級旅館ではなくいわゆる「秘湯」と呼ばれているところ。温泉の話をする前に一人、紹介したい人がいる。◆私の友人に「世界の『数独』の父」と呼ばれている鍛冶真紀さんがいた。残念ながら2年前69歳で亡くなった。彼が45歳の時に書いた本「本屋さんに行くと言ってウルグアイの競馬場に行った」は最高のノンフィクション小説。生きる勇気をもらった。◆鍛冶さんの生活は行き当たりばったり。私には鍛冶さんと「フーテンの寅さん」が重なって見えていた。「本屋さんに行く」と言ってウルグアイの競馬場に行くような人だから気合が入った「行き当たりばったりの人」だった。鍛冶さんは実在する寅さんのようだった。◆私と会うのに「暑かったからつい小田原の駅前でビールを飲んでしまって・・。しょうがないから駅前の駐車場に車を置いて新幹線で来たよ」なんてこともあった。小田原はまだ近い方で「軽井沢駅前に車を置いてきたよ」ということもあった。「大丈夫だよ。明日、新幹線で取りに行くから」なのだ。◆で、温泉の話に戻る。私も鍛冶さんや寅さんみたいに自由になろう、世間から離れる時間を作ってみよう、と温泉巡りを始めたのだった。「秘湯」を巡るのだ。基本、一人だ。最初の頃は鍛冶さんや寅さんとは距離があった。と言うのも、私は新幹線のグリーン車とタクシーを乗り継いで東北の秘湯に行っていた。昨年「これじゃいかん」と気付いた。新幹線は自由席、タクシーは使わず路線バスと宿の送迎車を利用するということにした。少し、鍛冶さんや寅さんに近づいて来た。

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2024年01月15日 ---- ボス

殺しも・・

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今年から年賀状を出すことを止めた。おかげで年末の「書かなければ・・・」の憂鬱から解放された。こちらからは出さない代わりに「届いた年賀状にはメールで年始の挨拶を」、と考えていた。◆元日に能登半島大地震が起き、二日に羽田空港で大事故が起きた。航空関係者として、建設業関係者として、のんきに「おめでとうございます」と言いにくい状態になった◆半月が過ぎ、少し落ち着いてきた。やっとメールで「あけましておめでとうございます」と書き、近況をしたためている。最後に「今年もよろしくね」などと書き加える◆目が悪くなった。パソコンで「今年もよろしくね」と打ったつもりが「T」と隣の「R」を間違えて打っていた。「殺しもよろしくね」となっていた。恐ろしい。

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2024年01月15日 ---- ボス

辰年生まれ

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ラジオで辰年生まれの方を紹介していた。今年48歳になる方、60歳になる方、72歳になる方などを紹介していた。すでに鬼籍に入られた有名人についても伝えていた。「『フーテンの寅さん』こと渥美清さんも辰年生まれでした。寅さんは寅年生まれじゃなかったのですね」などと言った。寅さん大好きな私はそのラジオを聴きながら「へえ、寅さん生きていたらもう84歳なんだ。早いな」などと思っていた。◆ラジオのパーソナリティが「渥美さんは生きてらしたら今年96歳なんですね」と言った。ビックリした。あの寅さんが今年はもう96歳なんだ!

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2024年01月13日 ---- ボス

へりくだるにも程がある。

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昨日、ある方からLINEが届いた。私はそれに返信した。短い文章の往復があった。最後に彼から来たのが次の文だった。「それでは17時ころお伺いさせていただきます」◆彼は日本を代表する巨大企業の役員である。社内では大変偉い。私との付き合いでは全く偉ぶらない。良い友人関係だ。その彼が「17時ころお伺いさせていただきます」だと。情けない。「17時ころ伺います」が美しい日本語だ。◆「伺う」は「行く」の謙譲語。小学校、中学校の国語の時間に繰り返し習ったはずなのに、なぜ「お伺いさせていただきます」なんて書くのだろうか?注意しましょう。

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2024年01月12日 ---- ボス

「ちゃんと色入れてから来いやっ!」

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学生時代、福岡市に6年住んだ。初めの2年は西区姪浜(めいのはま)、後の4年は東区箱崎。どちらも目が鋭く気が短そうな短髪のオニーサンが多く住む街だった。その6年間私は銭湯に通った。◆姪浜で見かける目が鋭く気が短そうな短髪のオニーサンは皆、背中にキレイな総天然色の絵が描いてあった。青の単色のいわゆる「筋彫り」は当時の博多では恥ずかしくて銭湯に来ることはできなかった。「ちゃんと色入れてから来いや!」と兄貴分に叱られるのだった◆私が19歳のとき、姪浜の銭湯で紅い蜘蛛の絵を背負ったオニーサンと一緒になった。私が洗髪しているときにオニーサンに叱られた。「こらっ!注意しろ!」と。私が洗髪している泡か湯が隣のオニーサンにかかったようだった。「すみません」と私は慌てて謝った。それがそのオニーサンとの出会いだった。◆風呂から上がって脱衣所でまたオニーサンと一緒になった。私は先ほど叱られたことを再度謝った。するとオニーサンは「ニイチャン、いいチン〇しとんのお。これからいっぱいオンナを泣かすんやろうのう」と話しかけてきた。どう答えていいのか分からない私は「キレイな絵ですね」と背中を見ながら言った。オニーサンは番台で牛乳を二本買って、一本を私にくれた。「牛乳飲みぃや。ニイチャン、大学生か?」「はい、大学1年です」「どこん大学や?」「九大です」「へええ、九大か!賢いんやのう」そんな会話を交わした◆そのオニーサンとは4.5回会った。会うたびにオニーサンは牛乳を買ってくれた。私が湯から上がって帰ろうとしているときにオニーサンが入ってきた。「ニイチャン、ちょっと待てや」と言って牛乳を買ってくれた。自分はまだこれから服を脱ぐというところなのにわざわざ私に牛乳を買ってくれた。怖いけど優しいオニーサンだった。背中の紅蜘蛛が綺麗だった◆その後、私は東区箱崎へ引っ越した。箱崎には美しい背中がさらに多かった。箱崎にも筋彫りは一人も居なかった。姪浜の紅蜘蛛のオニーサンとはそれ以来一度も会っていない◆5年後、私は東京の石神井公園の銭湯に通っていた。石神井公園で見かける気の短そうな短髪のオニーサンは皆なぜか筋彫りだった。「博多では『恥ずかしゅうて銭湯には行けん』と言っていた筋彫りのニーサンがこっちでは偉そうにしとるなあ」というのが私の印象だった。もちろん石神井では誰も牛乳を奢ってくれたりしなかった。

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2024年01月11日 ---- ボス

一年で最も日の出が遅い日

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一年間で「日の出」が最も遅い日が冬至(12月22日頃)だと思っている人が多い。違う。この冬で最も日の出が遅いのは1月7日だ。冬至は、日の出から日没までの時間が最も短い日のことを言う。日の出から日没までを「昼間」と言う。で、冬至は「昼間の時間が最も短い日」のこと。◆「日の出」が最も遅いのは当時から約2週間後、逆に「日の入り」が最も早いのは冬至よりも約2週間前になる。1月7日を過ぎた今、毎日「日の出」は早くなり「日の入り」は遅くなっている。

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2024年01月10日 ---- ボス

温泉とジャズ喫茶

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ここ数年はゴルフを年間80ラウンド以上楽しんでいる。ほぼ毎週末ゴルフ場にいいる感じ。それだけやっても全然上手にならない。上手くなくてもゴルフは楽しい◆そんなゴルフ好きの私だが「寒さの中のゴルフ」は苦手。毎年、12月、1月、2月はほとんどラウンドしない。寒い季節はゴルフをやめて温泉巡りを楽しんでいる。ゴルフ仲間と行くことが多い。◆先週末は岩手の名湯「鉛温泉」と「大沢温泉」をハシゴしてきた。どちらも素晴らしかった。特に雪景色の露天風呂は「あー、日本人に生まれて幸せー!」と思えるものだった。◆温泉を楽しんだ後、レンタカーで一関に向った。日本一のジャズ喫茶「ベイシー」が復活したと聞いたからである。一度でも「ベイシー」を訪れたことのあるジャズ好きは誰もが「日本一のジャズ喫茶は『ベイシー』だ」と言う。その「ベイシー」コロナ禍で久しく店を閉めていた。それが約3年ぶりに復活した。まだ本格的に営業再開ということではないようだがラッキーにも私は入ることができた。◆例えば「ゲルニカ」を画集で眺めて受ける感動とソフィア王妃芸術センターで見る本物からの感動は全く違うものだろう。ジャズも自宅のステレオやヘッドホンで聞く音と「ベイシー」で聴く音では異なってくる。同じレコードでも「ベイシー」で聴くとそれまで聞こえなかった音がいろいろと聴こえてくる。不思議だ◆皆さんも是非一度、一関の「ベイシー」を訪ねてみてください。ジャズに興味ない人でもきっと大満足して笑顔になることでしょう。

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2024年01月09日 ---- ボス

入江と岬。津波の大きさ。

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水理学に詳しくなくても、V地型に湾入した海岸奥で津波が一層大きくなることは想像できるだろう。テレビで津波のことを解説する学者の多くはこのV地型に湾入した地域が危険だと図を示しながら説明する。岬の先端が津波が大きくなるとの解説をテレビで聴いたことがなかった◆私はデキの悪い大学生であった。土木工学を専攻していたが特に「水理学」が苦手であった。そのデキの悪い水理学が苦手な学生であっても「岬の先端は津波の心配が大きい」ということは知っていた。当時、水理学の権威であった九大の椿先生が教えてくれた。◆「海の波はですね、海岸に対して垂直に入って来ようとするのです。皆さん経験で知っているでしょ?岸にいると波は沖の方からやってくるでしょ?北に突き出した岬の先端は北から、岬の東側は東から、西側は西から波が押し寄せてくるのです。だから岬の先端は大きな津波が押し寄せることになるのです。」と教えてくれた◆石川県の珠洲市。まさに能登半島の先端である。石川県珠洲市を地震による津波が襲った。そこで暮らしていた人たちは「津波が心配だ」と理解していたのだろうか?

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2024年01月09日 ---- ボス

下りては残念! 出世の石段。

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毎年元日に「成田山新勝寺」に初詣に行く。もう30年近く続いている。そして三日か四日に「愛宕神社」へお参り。こちらも15年は続いている。さらに1月下旬に「伊勢神宮」へ参拝。お伊勢参りは20年目。私はいつも「苦しい」ので「神頼み」は欠かせないのだ。◆愛宕神社の正面参道は86段の石の階段。結構な急こう配だ。「出世の石段」と呼ばれている。私は毎年30回くらいはこの出世の石段を上って「神頼み」をする。愛宕様は私のお願いをよく聞いて(効いて)くれる。誰に教わったか、正面の86段の出世の石段を「男坂」、境内の池のほとりに繋がる少し緩い石段を「女坂」と呼んでいる。「男坂」「女坂」以外にも、下から愛宕神社境内に繋がるルートは7つほどある。エレベータで上ることもできる。◆私は基本、「男坂」を上り「女坂」を下るのだが残念なのは「男坂」を下りている人がいること。「これは『出世の石段』ですよ。『出世の石段』を下っちゃあ・・・」と教えてあげたくなるけど、口にしたことはない。

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2024年01月05日 ---- ボス

不穏な年明け

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「なんとなく 今年は良いことあるごとし 元日の朝 晴れて風なし」◆ここ数年、毎年元旦にこの石川啄木の歌を口にしていた。爽やかに元日を迎えていた。今年は違った。心の中に何か、ざわざわと感じるものがあった。それでも元旦に成田山新勝寺を参り「今年も良い年になりますように」とお願いをすると少し落ち着いた◆ところがそれもつかの間、能登半島を大地震が襲った。連日、被害状況が伝えられる。そのたびに犠牲者の数が増える。心が痛む。◆避難所生活も大変だ。「地震で窓が割れていて寒い」「トイレの水が出なくて大変」「救援物資が届かない」など多くの問題が報じられている。途中の道路が寸断されているのだからなかなか救援物資も届かないのだ。昨日は自衛隊の大型ホバークラフト(LCAC)が支援物資を届けようとして失敗した◆私は思う。「水道の出ない避難所にいる彼らの元に支援物資を届ける」ことよりも「恵まれた避難所へ彼らをヘリで移動させる」ことの方がはるかに有効だと考える。なぜそうしないのか不思議だ。

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2024年01月04日 ---- ボス

ビル倒壊の不思議

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元日に発生した能登半島地震。被災の状況が映像で伝わってくると悲しみと驚きが一層増してくる。なぜかテレビやラジオのニュースでは深くを取り上げないが私が一番興味を持ったのは輪島の7階建てのビルの崩壊に関して。「興味を持った」とはいささか不謹慎な表現だが許していただきたい◆報道では、この倒壊した7階建てのビルは隣に建っていた店舗兼住居の木造家屋を押し潰したようだ。複数の人が生き埋めになっており、その救出活動を地元の消防団の方が懸命に続けていた。◆では7階建てのビルには誰も居なかったのか?少しずつ傾き始めたのでビル内にいた人はすべて逃げることができたのだろうか?それなら隣の家屋の住人だって逃げられそうだ。逃げる余裕がなかったのならまだビルの中にも複数の住民がいるんじゃないか?そんなことを不思議に思っている。◆もっと不思議なのがあのビルの倒れ方。チラッと映ったテレビの映像からは一階の床部が見えていた。マッチ箱がそのまま倒れたような映像だった。「えっ?こんな倒れ方するの?」が私の第一印象。「基礎杭はどこにあるの?基礎杭と柱や壁は繋がってないの?」◆昭和57年以降に施工されたビルは、震度7クラスにも耐える設計強度を持っている。あのビルは昭和56年以前に建てられたものなのであろう。それでも、それにしても、あの倒れ方はないんじゃないの?と思うのだが、まだテレビでそれを疑問視する発言をしている人はいないようだ。

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2024年01月04日 ---- ボス

地震の悪魔神の祟りなのか?

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2011年3月、東日本大震災による津波が仙台空港に押し寄せ、格納庫内の機体やエプロンに居た機体はすべて水没し流されてしまった。おそらく飛行機とヘリコプター100機近くが被災し、飛べないただの粗大ごみになってしまった。。そんな中、1機だけ生き残った機体があった。仙台ジャムコ(株)の格納庫のなかにあった。ボンバルディアDHC8-300という機種で海上保安庁の機体であった。脚部は水に浸かったが流されることもなく損傷も小さかった。仙台ジャムコ(株)では必死にこの機体を修理し、海上保安庁に引き渡すことができた。当時は「唯一、津波に負けなかった機体」として復興のシンボル機のようにあがめられたそうだ。◆13年後の元日、能登地方を大震災が襲った。救援物資を現地へ届けようと羽田空港で離陸準備中のその機体がJAL機と接触し大破。海上保安庁職員5名が亡くなった。「東日本大震災」を生き延びた機体が「能登半島大震災」に救援物資を運ぼうとしての大事故だった。◆「地震の悪魔神の祟り」のようなものを感じる。航空事故は連鎖することが多い。気を引き締めていきましょう。

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2024年01月02日 ---- ボス

新年早々大地震

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あけましておめでとうございます。◆恒例になっている成田山新勝寺への初詣のあと私は会社に来て、年末に片付け切らなかった仕事をしていたところだった。「能登で大地震」との連絡が入った。金沢と富山にはお世話になっている方々が多くいる。心配だ◆私が今の会社エアロファシリティー株式会社を作ろうと思い立ったのは「阪神淡路大震災」がきっかけだった。地震のときに被災者のために活躍できるのがヘリコプターなのに阪神淡路大震災ではほとんどヘリは救助活動に参画できなかった。私は歯痒かった。◆その辺のいきさつを今マンガにしている。『塞翁が空』と検索していただければ読めるでしょう。あるいは私に「マンガ送って」と連絡くださればお送りしますよ。『塞翁が空』我ながら上手い題をつけたものだと感心している。◆大地震の被害が少しでも小さいことを願っている。なるべく早く復旧されることを願っている。

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2024年04月26日 ボスの
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  • 午前机まわり整理
  • 午後防衛案件会議
  • 夕方新橋「有薫酒蔵」で飲み会
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