2020年12月10日 ---- ボス

悲しいクリスマス

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この話題は当欄で何度か書いた。◆今朝の出勤時、どこからともなく流れてくるクリスマスソングにまた思い出した。また涙が出て来た。とうに60歳を過ぎたオジサンがハンカチで目を拭いながら歩いて出勤した◆小学校2年生の私はサンタクロースの存在を信じていた。風呂の煙突から我が家に入り、夜中にそっと私の枕元にプレゼントを置いて行ってくれる。信じていたが疑い始めてもいた。クリスマスイブの夜、私は眠ったふりをして布団の中でサンタが来るのを待った。ところがいつのまにか眠ってしまい、目が覚めるとプレゼントが届いていた。それが私が信じた、最後のサンタだった。◆それから10日後、年が明けた1月3日、家族でタクシーに乗っていて事故に遭った。激しい衝撃のあと、気付くと助手席の父の首にクルマのドアがめり込み血が噴き出していた。父の首は反り返り、薄目を開けて天井を見ていた。私は生え変わったばかりの前歯を折り、唇から血がポタポタと落ちていた。自分の痛みよりも父が心配だった。「とうちゃん、とうちゃん」と泣きじゃくった。車から降りると小雪が舞っていた。ポケットの中にあった、もらったばかりのお年玉袋で唇から溢れてくる血を拭いていた◆それから1年経った小学校3年生のクリスマス。父を失った我が家の生活は大変貧しくなっていた。「お父さんがいなくなったから、今年はクリスマスないからね」、母は優しく悲しく言ったのだろうが私には冷たく聞こえた。「えっ?」と声に出したかもしれないが、私は素直に、そしてとても寂しくうなずいた。◆きつかったのはその翌日。冬休み中のお友達がサンタさんにもらったプレゼントを持ち寄って遊んでいる。「もとみちゃんは何をもらったの?」まったく悪気はないのだが、笑顔で聴いてくる同級生の言葉は怖かった。何も答えられなかった。「ぼくんちにはサンタさん来なかったよ」などと答えられなかった。何も答えず、それでも私は笑顔を保っていた。彼らがもらったプレゼントで一緒に遊んだ。楽しくなかったが笑顔で遊んでいた◆あれから54年も経った。今、思い出しても涙が溢れる。母は頑張って私を大学まで出してくれた。感謝に耐えない。私は毎年クリスマスが近づくとあの小学校3年生のクリスマスを思い出し涙する。そして思う。「きっとあの時の僕と同じような思いをしている子供たちが今も大勢いるのだろう」と。◆今年はコロナ禍で多くの家庭が急激に貧しくなったことだろう。「悲しいクリスマス」を迎える子供たちも増えることだろう。私はなにもできない。心の中で、そんな子供たちを想像し「頑張れ!」と応援するだけだ。

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2024年12月20日 ボスの
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  • 午前虎の門病院屋上ヘリポート見学
  • 午後事業計画見直し
  • 夕方麻布十番某所で会食
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