2012年02月13日 ---- ボス

恩師の死を悼む

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もうすぐ55歳になる私の人生。まさに「山あり谷あり」のここまでを振り返ってみたとき、大学時代のみがキラキラと輝いている。本当に素晴らしい5年間であった。

単位不足で留年した翌年、最後に受けたのが「コンクリート工学」の再々々試験。今ではコンクリートのプロだとペテン師みたいなことを言っているが当時は落ちこぼれ。この再々々試験に合格しなければもう一年留年という危機。再々々試験は教官室で受けることになった。「教科書持ち込み可」という条件ではあったがとにかく勉強不足。教官が配った問題を見た瞬間に「これは無理!とても合格点は取れない。再留年決定だ!」と落ち込んだのを覚えている。1問だけなんとか解答できたが残りの5問が解けない。しばらく悩んでいたところに、鬼の教官と呼ばれていた先生から声が・・。「木下、悪いが来客があるのでオマエこの部屋ではなく研究室で解いてきてくれ。」・・・鬼の教官から天使の声。私は問題用紙を持って応援部隊の待つ研究室へ。大学院の友人や後輩、あるいは助手の先生に手分けして問題を解いてもらった。1時間後に満点の解答用紙を持って教官室を訪れると鬼の教官はうれしそうな顔をして「よく頑張ったな。卒業できそうだな。」と言ってくれた。すべて鬼の教官は見通していた。・・・30年前、いい時代だった。

その鬼の教官、松下先生が肺癌に倒れ、母校九州大学病院に入院し治療されているということで昨年秋、見舞いに伺った。見舞いになにを持っていっていいのか分からず手ぶらで行った。「先生、バタバタしてて手ぶらできてしまいました。」という私の詫びに対し「ウソやろ!まさか木下がオレの見舞いに手ぶらで来るなんてことないやろ!」と笑顔で大声で言った。意外と元気そうで嬉しかった。しかし結局、それが先生との最後の思い出になった。寂しい。・・・松下博通先生、本当にありがとうございました。安らかにお眠りください。合掌。

 

 

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