2015年11月04日 ---- ボス

懐かしい良い時代

boss-b

私の在校時、佐伯鶴城高校には普通科と体育科があった。体育科には野球、水泳、陸上、体操のスペシャリストが全国から集まっていた。普通科の生徒と体育科の生徒は比較的仲が良かったが、やはり深い交流は少なかった。普通科の生徒は全部で280人体育科は40名。大した不良もおらず、イジメもない、居心地の良い典型的な地方の進学校であった。教師と生徒の距離も近く、私も何人かの先生の自宅へ伺ったことがある。生徒と教師の間で繰り広げられるドタバタはそのままテレビドラマになりそうなモノも多かった◆高橋君は佐伯市近郊の漁港である米水津(よのうづ)町の中学を卒業して鶴城へ入学した。当時はまだ交通の便がわるく、自宅からの通学は無理なので、高校の近所に下宿していた。そして同じ下宿に教師なりたての岩田先生もいた。岩田先生は広島出身の英語の教師。高校1年生の私たちは16歳、岩田先生は23歳であった。先生というよりは優しいアニキという感じだった。◆2学期の期末試験が終わったその日、仲のよい4名(私・K君・S君・Y君)が高橋君の下宿に泊まりにいった。高橋君の下宿は、友人が泊まる場合には下宿のおばさんに挨拶しなければならなかった。「期末試験の反省会をします。今夜は泊めてもらいます」・・高橋君を含む我々5人は感じ良くおばさんに挨拶した。この辺は心得ていた。我々は外面を繕うのがとても上手だった。地元では「鶴城の学生さん」というだけで信頼感があった。そんな時代であった。◆夜の8時、「試験の反省会」のフリをしている部屋をおばさんが覗きにきた。「そろそろ玄関を閉めますよ」と言った。我々は期末試験の問題用紙から顔を上げ「はい、大丈夫です。おやすみなさい」と笑顔で挨拶した。おばさんは玄関にカギをかけ、自分の部屋へ戻っていった。◆おばさんが自室へ入るのを確認すると、「待ってました」とばかりに、酒盛りが始まった。酔いが回ってきた夜の11時頃、体育科の山脇君が下宿の塀を乗り越えて高橋君の部屋の窓から入ってきた。映画を観た帰りだ、と言っていた。多分、日活ロマンポルノであったのだろう。そして山脇君は手にウィスキーのボトルを持っていた。宴会は6人になった。山脇君は酒も強かった。山脇君につられて、我々はさらに飲んだ。そのうちY君が気分が悪いと言い出した。「便所に行って吐いてくる」と言って出ていった。◆ちょうどそのタイミングで岩田先生が高橋君の部屋へやってきた。自室で飲んでいたのか、外で飲んでいたのか、岩田先生も既に酒に酔った赤い顔をしていた。トイレで吐いているY君を除いた我々5名は「先生も一緒に飲みましょうよ」と岩田先生を誘った。岩田先生は一瞬困ったような顔をしたもののニヤニヤしていた。驚きも怒りもしなかった。◆そのとき部屋の外で声がした。トイレで吐いているY君に、下宿のおばさんが「どうしたの?大丈夫?」と優しく声をかけていた。「まずいことになった」・・岩田先生、山脇君、高橋君、私、K君、S君は黙ったまま交互に顔を見あっていた。すると酒の匂いに気付いたのか、それまで部屋が騒がしかったことを不審に思っていたのか、おばさんが我々のいる高橋君の部屋へやってきた。部屋は十分に酒臭い。「高橋さん!これはいったい、どういうことですか?」おばさんが怒り出した。◆まず山脇君を見て「あれっ? あなたは、どなた? どこから入ってきたの?」 きつく問い詰める。山脇君が答えあぐねているとおばさんは岩田先生に気付いた。「えっ?岩田先生!先生までもが1年生の生徒さんたちと一緒に飲んでるんですか?えっ?大問題ですよ!」 先生は相変わらずニヤニヤしながらおばさんに答える。「違うんだわ、ワシは今この部屋を覗いたところなんや・・・」広島弁でのらりくらり答えていた。先生は自分のことをワシと言っていた。◆その後、どうなったのか詳細は覚えていない。高橋君の下宿はその事件以来、訪問できなくなった。岩田先生が上手に言い含めてくれたのか、親からも教師からも、この件に関して注意された者はいない。良い時代だった。◆そしてその後、山脇君はマジメに体操の練習に打ち込みオリンピック選手になった。吊り輪に「ヤマワキ」と言う名の技を残した。◆内村航平選手の活躍をテレビで見て、山脇君や当時の仲間たちのことが懐かしくなった。

コメント (0)

2024年04月19日 ボスの
スケジュール
  • 午前人事考査
  • 午後クリニックで健康チェック
  • 夕方飯田橋「牡蠣殻亭」で集まり
2024年4月
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930  
« 3月    

カテゴリーリスト