2016年02月18日 ---- ボス

正装

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前日に続きその日も私は母の病室に泊まっていた。母の容体は安定しているようであったので夜が明けたら一度東京に戻るつもりであった。病院から直接大分空港へ向かえるように準備していた。◆夜中も看護師は1時間に一度くらい病室を訪れてくれる。床ずれを防ぐために身体の向きを変え、ノドに溜まった痰を取り、点滴をチェックし、冷却枕を取り換えてくれる。意識のない母に向かって優しく声を掛けながら行ってくれる。痰を取るときは口から吸引用の細い管を入れるのだが「痛いなあ、ごめんなあ、もうちょっとなあ、我慢してなぁ。ごめんなあぁ」と申し訳なさそうに、佐伯弁で詫びながら処置をしてくれる。家族としてはとてもありがたい。◆午前2時頃から血圧が下がり始めた。前日は130あったのに、午前4時には60を切った。呼吸は穏やかに続いているが血中酸素濃度も80を下回るようになってきた。「長くないな」私は思った。いつもなら5分間程度で処置を終え出て行く看護師がなかなか部屋から出て行かない。バイタル表示を眺めている。「あとどれくらい持ちますかね?」その看護師に尋ねた。彼女はいろいろと言い訳をしながら、つまり「私は医者じゃないので・・」などと言いながら明言を避けた。ただ彼女の話し方で「あと2~3時間だろうな」と私は確信した。午前4時半頃のことだ。◆「夜が明けるまで待ってよ、母さん」 呼吸が弱弱しくなった母にそんなことを話しかけていた。近しい親戚にも午前4時半では電話がしづらい。「6時になったら電話するよ。それまで頑張ってね」再度母にお願いした。◆6時までどうしよう。じっと母を眺めていようか。幸い母はまったく苦しそうではなかった。細いが穏やかな呼吸を繰り返していた。◆私は病室の隅にある洗面台で一所懸命に歯磨きをしていた。「あれっ?オレこんなときになんでこんなに一所懸命に歯を磨いているの?」・・・不思議な行動を取ってしまった。歯磨きを終えると私は荷物の中からスーツを出し、看病着のジャージからスーツに着替えた。正装で母を見送ろう、と考えたのだ。ネクタイを結んでいるところに医師がやってきた。◆「先生、あとどれくらいでしょうか?」と尋ねると医師は申し訳なさそうに「そうですね、あと1時間くらいでしょうか」と答えた。「でもキノシタさん、最後まで十分にできることをされましたよね。お会いするべき方は皆さんお見舞いくださったでしょ?」と優しく話してくれた。5時を少し回っていた。私はその病室から近しい親戚に電話を入れた。「あと1時間程度だって」◆集まるべき者は皆母のベッドの回りに揃った。皆が揃ったのを確認するように母は静かに息を引き取った。そのとき私は母の左の掌を握っていた。母の手はとても柔らかく暖かだった。私が子供の頃の「優しいお母さん」の手のままだった。

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