2012年09月16日 ---- ボス

野田真吾さん 逝く

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我が社の顧問、野田真吾さんがとうとう亡くなった。まだ65歳。もっともっと一緒に仕事をしたかった。映画や旅行、ヘリコプターに関してももっとお話ししたかった。残念でならない。◆半年ほど前、4月9日(月曜)、朝の8時前、私が一人で仕事をしているところに電話が入った。「おはようございます」との野田さんの声に「おはようございます。どうしました?」と軽く返した。「申し訳ないというか良くないお知らせがありまして・・」という野田さんらしい控えめな話し方で始まった。「私、先週、精密検査を受けていまして・・・末期のすい臓癌ということが分かりました。すみません。」 驚く声を発した私に、野田さんは続けた。「私、ショートタイマーになってしまいました。残り少ないんです。怖いですねえ。・・・」電話の声は嗚咽からやがて号泣に変わっていった。そしてその日午後、野田さんは出社し私のところへやってきた。「朝は取り乱してすみませんでした。できる限り頑張りますので、なんとかこれまでと変わらない生活を淡々と続けたいので・・・頑張りますから・・」と話された。◆8月中旬まで、抗がん剤を試し、通院しながら、出社もしてくれた。私は野田さんのために専用のブログを用意した。「なにを書いてくれても結構です。自宅でも病院でもこれを書いている間は当社の仕事を続けていると自信を持ってください。」と伝えた。野田さんはとても喜んでくれた。「自分の人生の整理にもなるしまた励みにもなる。」と言ってくれた。病魔に侵されるまでは常に笑顔を絶やすことのなかった野田さんらしいと思ったのは「病気、病状に関することを書くと読む方々が暗くなると申し訳ないのでなるべく明るいこと書きます。ベルヘリコプターのこと、映画のことなど・・」と言われたこと。◆3月まではすこぶる元気に見えた野田さんが「末期のすい臓がん」と宣告されて以来、日に日に痩せていかれた。それでも8月の初めまでは「この状態なら数年は頑張れるのかな?」とこちらが思うくらい安定していた。残念ながら病魔は確実に野田さんのカラダを蝕んでいた。8月13日、入院をすると野田さんはさらに急激に痩せていった。◆病室でも涙をみせ「申し訳ない」を繰り返された。そして元気な私にむかって「頑張ってください」と言ってくれた。握手を求めてきたのは野田さんの方からだった。◆野田真吾氏 享年65歳   ありがとうございました。 暖かい笑顔を忘れません。

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2024年04月24日 ボスの
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