◎2018年01月17日 ---- ボス ◎
- 阪神淡路大震災から23年
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6434人が犠牲になった阪神・淡路大震災から今日で丸23年が経った。◆当時、バブル経済崩壊後の厳しい状況の中、私はある会社の取締役航空事業部長として懸命にリストラに取り組んでいた。いや、表向きはリストラのフリをしていたが実際は親会社と銀行から「事業部を売却するか閉鎖するか」を迫られていた。大不況のなか、航空事業部を買おうなどと言う能天気な者はいなかった。「閉鎖してください。本業に影響ないように上手に軟着陸させてください」・・銀行とオーナーに厳しく言われた。そんなときに大地震が起こった。◆阪神淡路大震災では全国から多くのヘリが関西に向かったが傷病者を運んだのは1例しかなかった。神戸ヘリポートでは、格納庫のシャッターが開かずヘリを飛ばすことができない事例があった。液状化現象によってやはり格納庫から外に出せないヘリもあった。それらの報告を聞き、生意気にも私は「このままではいけない」と思い、さらに「オレなら造れる」と思い、さらには「オレしか造れない」と変わっていく。◆地震などの大災害時に活躍できるのがヘリコプターの最大の長所。それなのに大震災で飛べないヘリが複数機あったことを「恥ずかしいこと」と思わずに「しようがない」と思っている連中に頭にきた。◆私はすぐにいくつかの特許を出願し「ヘリポートに特化した建設会社」を創立しようと動き出した。阪神淡路大震災は多くのヘリコプター関係者の意識を変えた。我が社もあの悲惨な大災害が無ければ生まれなかった。我が社だけではない。この大震災を契機にドクターヘリが普及することになった。◆我々は、多くの犠牲者とその家族の悲しみに対する責任を背負っている。ドクターヘリや防災ヘリでもう二度と事故を起こしてはならない。
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