◎2018年03月15日 ---- ボス ◎
- 現実から逃げたかった
-
大学受験に失敗した私は大分県佐伯市を離れ福岡市で浪人生活を送っていた。浪人のくせにパチンコばかりしていた。予備校の同級生のように必死で勉強をするということはなかった。テストの日以外はほとんど予備校に行かなかった。それでも6月、7月と予備校の試験で東京大学A判定をもらった。調子に乗って遊んでいるとみるみる成績が下がってきた。◆一度下がり始めた成績はなかなか再上昇することなく、焦り初めていた。予備校には行かなかったがまじめに勉強していた。夜中の3時まで勉強したこともあった。◆下宿の近所に「電車道」というとても感じの良い喫茶店があった。毎日「電車道」でコーヒーを飲んでいた。私の憩い(いこい)の「電車道」だったのだが11月になると相撲取りに占拠された。大相撲九州場所、佐渡ヶ嶽部屋の巡業部屋が「電車道」の近くにあったのだ。聞くと相撲取りは早朝に2時間程度の稽古をするとあとは食うことと寝ることが仕事だと言う。私はものすごく羨ましいと思った。「相撲取り、羨ましい」・・私が切に「羨ましい」と思った最初の対象は相撲取りだった。◆東京大学を諦め九州大学に通うことになった私は大学生活も怠けて留年してしまうことになる。同級生よりも1年遅れて卒論に着手する。当時の土木工学の実験室はとても古く、どこもすきま風だらけ。割れている窓が何枚もあった。九州と言っても1月、2月の福岡はとても寒い。卒論のための実験は1時間おきにデータを取り続ける必要があり、私はすき間風吹く極寒の研究室で一人実験を続けていた。どこかから野良猫を拾ってきて実験室で飼っていた。「寒い」「眠たい」と一人苦しみながら実験を続ける私の横で電気毛布にくるまれて猫がすやすやと眠っていた。「猫、羨ましい」・・私が切に「羨ましい」と思った2番目の対象は猫だった。◆なんとか大学を卒業した私は上京し前田建設工業株式会社に就職した。東京支店の現場勤務に配属された。昼も夜も関係なく働いた。働かされた。当時はブラック企業という言葉はなかったが間違いなく超ブラックだった。なんの用事だったか大分県庁や福岡県庁や宮崎県庁に就職した同級生たちと電話で話した。みなとても楽しそうだった。「キノシター、元気かぁ?」とのんびりした声。聞くと彼らはみな夕方6時前には自宅に帰り、着替えてテニスやソフトボールを楽しんでいた。「地方公務員、羨ましい」・・私が切に「羨ましい」と思った3回目の対象は九州の県庁職員だった。◆あれから35年~40年経った。今は「相撲取り」も「猫」も「県庁職員」も、それほど「羨ましい」とは思わない。苦しいことばかりの人生だったようでもあるが、まんざら悪くない人生だったなと思えるようになってきたかな。
- コメント (0)