新橋4丁目の交差点にあの赤穂浪士事件の元になった浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が切腹を命ぜられ自刃(じじん)した場所がある。元禄14年(西暦1701年)この場所にあった田村邸屋敷内のこと。現在その場所には「浅野内匠頭終焉之地」と書かれた立派な石碑が建っている。その石碑付近を昼休みに散歩する。◆石碑の脇に桜の樹が一本。毎年この桜はソメイヨシノより早く開花する。なんという種の桜なのかは知らない。昨日、すでに五分咲きであった。「風さそふ花よりもなほ我はまた春の名残を如何にとやせん」浅野内匠頭の辞世の句である。