◎2011年06月10日 ---- ボス ◎
- 出張先にて
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殆ど読む方のいないこの文章だが本日は少し長くなりそう。
ただ今、九州へ出張中。そしてこの出張中に54回目の誕生日を迎える。「人生50年」と言われていたのはいつのことか・・。今や平均年齢は80歳。「生き急いでいる」と注意され、反省するどころかもっと生き急ごうとしている自分がいる。なぜだか分からないがそれで良いと思っている。
「生意気だ!」「勘違いするな!」とお叱りを受けることを覚悟で敢えて書くと、おそらく私は平均的な80歳の男性が一生で経験する殆どすべてのことをすでに経験してきたと思っている。平均的な80歳の男性がその人生で流した涙の全量よりも多くの涙を流しただろう。平均的な80歳の男性が読んだ本の全量はすでにオーバーしているだろう。喜んだ回数、笑った回数、おいしいものを食べた回数、海外へ行った回数、恋をした回数、ゴルフのラウンド、友人と酒を飲んだ回数、人に裏切られた経験、思いつくまま上げてもきりがない。大抵のことはすでに平均寿命分は経験した。生き急いで得をした、と思っている。もちろん「人の一生分の経験をしたのだからいつ死んでもいい」などとは思っていない。まだまだ貪欲に多くの経験をしていjきたいと願っている。ただ、「枯れ」と感じ始めたことも事実。上手に枯れていきたいと思うようにもなった。 「枯れ」を考え始めたとき、80歳どころか平均的な同級生にも全く及ばない幾つかの行為の不足に気付いた。これらをせめて普通の人並みに高めるのがこれからの宿題か。
枯れ始めた男が行き着いた人生の核として掲げる言葉が6つ。私の生き方・考え方を表す言葉にしたい。『義理』『道徳』『美』『粋』『道草』『遊び心』。いつのころからかこの6つの言葉が私の思考の中心になっていた。54歳の誕生日を前に、なぜだかそんなことを思っていた。
後日記)平均的な80歳の方はあの戦争を経験されていました。涙の量ではかなわないかもしれません。文中の80歳は「私と同世代の方が80歳になった時」と理解してください。 - コメント (1)