2020年11月27日 ---- ボス

コロナと経済 (「死者数比較」より重要な「失った時間数比較」)

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年に何回か社員の査定をする。みんな頑張っているのにそれぞれの者を点数化する作業は決して楽しいものではない。ペーパーテストでもやって点数を付ける方が気は楽だがそうはいかない。できれば点数化などやりたくないが、逆に点数化しないと不公平になることの方が多い。◆さきほど冬季賞与のための査定(点数化)が終わった。終わったとたん気が楽になった。で、今回は点数化の話。◆国内の、10月の自殺者は昨年の同月より600人以上増えた。コロナが直接原因とは言わないが、コロナ禍さえなかったらこの600人は自死することは無かったと推測できる。一方、その同じ10月にコロナで約200人が命を落とした。◆コロナで200人が無くなる間に、自死を選んで(いや、選ばざるを得なくて)600人が亡くなった。「200人:600人だ!」と点数化するのではない。私は(経営者として?)もっと厳しく、冷徹に、数値化する考えがおこる。クセと言ってもいいかもしれない。◆まず私は常々「人の命は平等」という偽善的な言葉に対し「嘘つけ!」と思っている。なにを言いたいのかと言えば80歳でコロナで死ぬ人の命と40歳で自死を選ばざるを得なかった方の命は、同じ単位「人」で数えるよりもっと冷徹な「時間」という数値化ができるんじゃないのか、ということ。◆仮に日本人の平均寿命を90歳として、コロナで亡くなった200人の平均が80歳だとすると、10月にコロナで失われた総時間数は「2000人・時」。この間に自殺した人の平均年齢が40歳だとしたら、自殺で失われた総時間数は「30000人・時」になるのだ◆「人の命は平等」というきれいごとをなかなか否定する勇気を持てない。いや、多くの者は気付いているがそれを発言する勇気を持てない。◆だが、そろそろ冷徹に、数値化して現実を見るということも行うべき事態になっていると私は思うのだがどうだろう? ◆10月の「コロナ死数:自死数 =200:600」 同じ期間の「コロナで失われた時間:自死で失われた時間 =2,000:30,000」 あなたはどう思いますか?

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