2021年12月13日 ---- ボス

悲しいクリスマス

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その年の正月に突然父を失った。我が家の四人が乗るタクシーが大事故を起こした。気付くと父は助手席で首から真っ赤な血を噴いて死んでいた。母は生きてはいたが顔を40針以上も縫う大けがを負い、3か月間入院し、退院後も後遺症に悩まされ続けた。私は生え変わったばかりの前歯を失った。そして我が家は急に貧乏になった。私は小学2年生だった。◆母と姉と私の三人はそれまで育った大分市を離れ、母の出身地である佐伯市に移った。大分市では一軒家に住んでいたが佐伯市では「間借生活」になった。一階にはK君家族が住んでいた。K君は優しく、K君の両親も非常によくしてくれた。K君は私の同級生であった。◆大きな家の一階にはK君一家が住み、その二階の部屋にうちの家族三人が住んだ。K君の家の勝手口が我が家の玄関になった。K君の自宅の廊下を通って奥の階段を上がった二階の和室が我が家だった。風呂、便所はK君の家庭のものを使わせてもらっていた。三日に一度、五右衛門風呂を沸かす当番を私は引き受けた。◆K君の家に遊びに行けば二階にモトミ君もいる。同級生が二人いる家だから、多くの友達がいつも遊びに来ていた。私とK君はいつも1階のK君の自宅で多くの友達と遊んでいた。◆父を亡くして初めてのクリスマス。昨年までは「サンタさん、なにをプレゼントしてくれるのかなあ?」と楽しみにしていたが、その年のクリスマスイブに母から「お父さんが死んだから我が家はおカネないの。クリスマスプレゼントもないよ」と言われた。私は驚いた。小学三年生になり「サンタさんなんていないんだ」とは思い始めていたが、それでもクリスマスプレゼントが届かないということはショックだった。母は厳しい顔をしていた。いや、悲しそうな顔をしていたのかもしれない◆クリスマス、12月25日は朝から大勢の友達がKクンの家、つまり我が家の1階に遊びに来た。下から声がかかる。「モトミ君、一緒に遊ぼう」。下りていくと友達はみな、今朝サンタさんからもらったプレゼントを持ってきていた。自慢げに見せあいこをしていた。「いいなー。オレもそっちが良かったなー」などと人のプレゼントを羨ましがっている子もいた。◆「モトミ君はサンタさんから何もらったの?」誰かが尋ねた。なんて答えたのか覚えていない。とてもとても悲しかったことだけを覚えている。「世の中には僕よりも可哀そうな子供たちがいっぱいいるんだ」・・そう分かってはいるが、なんの慰めにもならない。「父ちゃんが死んで僕だけサンタが来ない」・・寂しく悲しいクリスマス。それでも泣くこともせず、悲しい顔も見せず、明るく友達と遊んでいた。健気だった。◆街にクリスマスソングが流れるこの季節になると毎年必ずあの日のことを思い出す。思い出すと涙が止まらない。「よく頑張ったな」と子供の頃の自分を誉める。50年以上も経ったのに、また今年も何度か涙を流している。

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2024年12月20日 ボスの
スケジュール
  • 午前虎の門病院屋上ヘリポート見学
  • 午後事業計画見直し
  • 夕方麻布十番某所で会食
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