2013年05月08日 ---- ボス

残念な姿

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古くは遠藤周作や井上ひさし、最近では石田衣良などはよくテレビに出る作家。テレビで見かけるときの作家のキャラクターと彼らの作品のかい離に違和感を覚えたことはなかった。私にとっては「作家は作家、作品は作品、作品と作家は別」であった。◆先日、村上春樹が京都大学で講演を行った。講演会にはテレビカメラはもちろん録音も禁止されたとのこと。彼は、作家のキャラクターとその作品を関連付けられることを嫌ったのかもしれない。テレビに出ないというポリシー、姿勢は尊ばなければならないと思う。◆村上春樹の初期の小説、例えば「風の歌を聴け」や「中国行きのスロウボート」などはとても都会的で、九州の片田舎出身の私は当時、心地よいカルチャーショックを感じたことを覚えている。テレビによく出る村上龍に対し全くメディアに姿を現さない村上春樹は私の中で神秘性を高めた。その後、村上春樹も時々政治的発言などを通してニュース番組などで徐々にその姿を見る機会は多くなったが神秘性は続いていた。◆それだけに、個人的には残念であった。今回の会場へ入る村上の恰好。野球帽を後ろ向きにかぶってサングラス、半そでのシャツはだらしなくボタンを留めてなかったようだ。まるで高城剛のよう。残念。テレビもこんなところを撮ることないだろうし放送する必要もなかったろうに・・。◆彼はなにも悪いことをしていないのに、勝手にこっちが想像していただけなのに、こちらの想像と違っただけで残念がられる。村上春樹は可哀そう。そう思った時にふと「これと同じ感情を随分前に感じたことがあったな。」と思った。誰だったかな?「そうだ、それまでレコードの声しか聴いたことがなかった小椋佳を初めてテレビで見たときだ。」と思い出した。作家や歌手はなにも悪いことをしていなくても読者や聴き手は自分勝手にイメージし、裏切られると残念に感じる。申し訳ない。「村上さん、小椋さん、頑張ってください。」と反省しながら考えている。

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