◎2014年02月07日 ---- ボス ◎
-
正直に言うと私にもそういうところがある。◆その「モノ」を判断する能力がなく、回りの人の意見や感想に左右される。「下手な絵」と思って見ていても「ピカソの描いた原画」と言われるととたんに魅力的に見えてくる。「このワイン不味いな」と思いながら飲んでいても「実は一本20万円するロマネコンティ」と聞くととたんに旨く感じてしまう。◆本来、芸術に関しては価格や周りの人の評価など関係なく「良い・悪い」或いは「好き・嫌い」で自分で価値を決めれば良いのだろうがなかなかそういかない。作曲した人が盲目だろうが全聾であろうが或いは子供であろうがモーツァルトであろうがその「作品」は変わらない、のではないか。モーツァルト作曲と思っていたから感動したが実は高校生の作品だったと知って同じ作品に感動しなくなる人は芸術を解さない人、だと思うのだがどうだろう?◆佐村河内 守作曲 交響曲第一番「HIROSHIMA」を聴いて感動し涙を流した人は多い。さて彼らはこの作品が佐村河内氏の作曲ではなかったと知って評価をどう変えるのだろうか?「誰が作曲したものであろうがあの作品は素晴らしい」と言える人のほうが芸術を理解している人と思うのだがどうだろう?◆自信のないことなので今日のこの欄には「?」が多くなった。
- コメント (0)