2014年08月27日 ---- ボス

人使いの荒い会社

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私は大学を卒業すると「土木技術者」として前田建設工業(株)に就職した。東京の都市土木の現場に配属された。仕事はとてもきつかった。苦しかった。忙しかった。「土木技術者」など肩書のみで実際には「作業員」のようであった。鉄筋を結束したり、一輪車でコンクリートを運んだり、スコップで穴を掘ったりした。糞尿まみれになって下水の中を歩いたこともある。夜間作業のある現場を、昼間も夜間も所長として、一人で2か月間も現場監督したこともあった。休みは極端に少なかった。まだそんなことが許される時代であった。◆若いころ自分がとてもきつい思いをしたので今の若い方々にはあのような辛い思いをさせたくはない。そう思う一方で「なにやかや言うが結局今の自分があるのはあの苦しい思いを経験したからだ。若い方々こそ仕事できつい思いをした方が良い」と考える自分もある。◆時代が違う。「ブラック企業」などと呼ばれたくない。社員には心から「この会社で働けてオレは幸せだ」と思ってもらいたい。これは本心。◆昨日、長崎医療センターのヘリポート竣工式に臨席した。当社から5名が招かれたが式典の始まる30分前になっても山本課長の姿がない。心配し始めた頃、汗を拭きながらニコニコして彼が現れた。私は彼に尋ねた「お疲れ様。今日はどこから来たの?」。彼はまだ汗を拭きながら「ええ、昨夜、鳥取の打ち合わせが長引いたので鳥取に泊まりました。で、東京で打ち合わせがあったので今朝、羽田に戻ったのでギリギリになってしまいました」と。なんと鳥取→東京→長崎と移動していたのだ。◆長崎医療センターの竣工式典が無事終わり、皆がパーティー会場へ席を移そうとしていると山本課長が笑顔で声をかけてきた。「社長、私、これから大阪で打ち合わせがありますので、申し訳ないのですがパーティーには出席せず大阪へ移動します」と。彼は一日で、鳥取→東京→長崎→大阪 と移動することになる。◆「人使いの荒い会社」「ブラック企業」などと言われたくない。救いは山本課長がニコニコしていたことだ。前田建設工業時代の私はあんなにニコニコできなかった。「超ハードと言っても移動がハードなだけだ。糞尿の中を歩いてたオレの時代に比べればまだましだろう」などと言い訳をしている自分がいた。◆頑張ってくれている当社職員の皆様に感謝。

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2024年12月20日 ボスの
スケジュール
  • 午前虎の門病院屋上ヘリポート見学
  • 午後事業計画見直し
  • 夕方麻布十番某所で会食
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