2015年04月17日 ---- ボス

ありがとうございました。内田一郎先生。

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内田一郎先生に最後にお会いしたのは、博多で開かれた先生の米寿(88歳)のお祝いの会でだった。矍鑠(かくしゃく)とした先生に対し、お祝いの花束を渡す元教え子の方がはるかに老けていた。教え子と言っても恐らく80歳は超えている方だったろうからやむを得ない。明るく笑顔でお礼の言葉を述べていた先生の表情が一瞬曇った。少し間を置いて先生が話し始めた。「実は今日のこの会に、家内も招かれていました。残念ながら少し体調を壊し出席できません。家内からも皆様へお礼を述べたかったようです」と寂しそうだった。その米寿の会の二日後、奥様は逝去された。◆私は内田先生の最後の教え子。当時、九州大学の卒業証書は3月27日付けであったが私のものだけは3月30日付け。私は1年留年し、さらに3日遅れての卒業になった。私の卒業が決まった日「キノシタ君、よく頑張ったね。一緒に食事に行きましょう」と誘ってくださった。大学からバスで30分、天神で天麩羅を御馳走になった。その日は先生が九州大学へ出勤する最後の日でもあった。私は内田先生から直接指導を受けたことはなかった。落ちこぼれだった私は、先生が私のことを知っていてくれたことに驚いた。「一年や二年遅れたって長い人生、どうってことありませんよ。これからコツコツ頑張りましょう」そう言いながら日本酒を私の御猪口についでくださった。そういう先生は東京大学を2学年も飛び級しており、同級生は2歳以上年長の者ばかりだった。◆退官されてからも先生を慕う方たちから招かれ、忙しくされていたようだ。米寿の会は数百人の大パーティーであり、末席の私は先生と一言もお話しできなかった。「おめでとうございます」とお声掛けしただけ。十分なお礼の言葉を伝えることもできないまま、さらに歳月が経った。◆昨日、「内田一郎先生ご逝去」との報せがメールで届いた。◆ありがとうございました。内田一郎先生。

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2024年04月24日 ボスの
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