◎2015年07月28日 ---- ボス ◎
- ケチな男は出世しない
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小学校2年生で父親をなくして以来、ずっと貧乏だった。「貧乏は恥ずかしいことではないが、貧乏くさいのは恥ずかしいことだ」と母親から教わった。かっこいい洋服は買ってもらえなかったが母が編んでくれたセーターを着て、常に清潔にしていた。小学校で販売する教育雑誌「学習」と「科学」はクラスで一人だけ買ってもらえなかったが成績は常にトップだった。人様から「彼の家は貧乏だから・・」と言われることがないように、いつも気を付けていた。回りもみんな優しかった。いろんなものをわけてくれた。その都度、母はその何分の一かのお礼を返した。「もらいっぱなしはダメ」と教えられた。◆大学生になり毎日、家庭教師のアルバイトをした。博多の安い屋台で焼酎を飲む程度の余裕はできた。同級生だけでなく、高校や大学の後輩と一緒に飲む機会も増えた。後輩と飲むときは割り勘ということはまず無かった。相手が一人の時は奢ってあげ、二人以上のときは彼らより多めに出した。逆に先輩と飲むときには「割り勘にしましょう」とこちらから切り出した。「おっ、そうだね」と言って割り勘にする先輩もいた。「馬鹿を言うな!オレはオマエの先輩ぞ!」と言っていつも奢ってくれる先輩もいた。その先輩も決して裕福だったわけではない。◆社会人になった。麻雀の負けを払わずに逃げた同期の者がいる。50歳を過ぎてもなお「キノシタ、奢ってよ」などと恥ずかしげもなく言う同級生もいる。人の酒ばかりを飲んで平気なヤツもいる。飲み会では1円単位で割り勘にしようとする情けない者もいる。◆社会人になったばかりの頃「ケチな男は絶対に出世しないぞ」と叔父に教えられた。お世話になった先輩も同じことを言っていた。「カネは天下の回りもの。コセコセと貯めこんではいけないよ」「男の人生は常に『武士は食わねど高楊枝』だよ」・・・偉い人たちは皆、同じようなことを私に言った。私はそれを愚直に実践した。「宵越しのカネは持たない」とうそぶき貯金など全くしなかった。そのことになぜかあまり不安はなかった。◆58歳になった。「ケチな男は出世しない」・・・この言葉の通りになっている。
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