◎2016年01月27日 ---- ボス ◎
- 論語と私
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なにかこの一年で急に年を取ったような感じである。老けた。落ち着いた。◆孔子は論語で「三十にして立つ、四十にして惑わず」と言った。三十歳の私は立つことはできず人に頼ってばかりだった。四十の私は惑ってばかりいた。「五十にして天命を知る、六十にして耳順がう」と論語は教える。ええ、五十歳を過ぎたころ半ば諦めのように天命を悟った気になった。六十を目前に人の言葉に素直に従うようになってきた。やっと論語に追いついた。◆「 七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず」と論語は教える。自分のやりたいことを気ままにやってもそれは人様の迷惑になるようなことではなくなる、というような意味。若い頃、もし自分のやりたいと思ったことをそのまま行動していたら警察のお世話になっただろう。ところが今は自分がしたいことを勝手にやっていても誰にも迷惑をかけることがなくなった。そう、私は六十歳を前に、孔子の七十歳の心境をすでに迎えた。孔子を超えてしまった。◆「たまたま今、元気がないだけだよ」「うんにゃ、悟ったのではなく枯れたんですよ」・・・貶されているのか励まされているのか、友人はそんな声をかけてくれる。◆毒のない、欲のない人間になりかかっている。いいのだろうか?
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