◎2016年04月01日 ---- ボス ◎
- 四十九日
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昨日(3月31日)故郷の大分県佐伯市で母の四十九日法要が営まれた。位牌に母の魂が移り住んだ。生前の母の希望で遺骨は母の生家の墓へ入ることになった。父の眠る墓へは分骨して入れてもらうことにした。◆母の葬儀や納骨で教を上げてくれたのは私の小中高の同級生、山本隆信住職であった。彼は佐伯鶴城高校を卒業した後、早稲田大学の政治経済学部に学んだ俊英であった。小学校の頃から歌がとても上手だった。歌が上手かった少年が、大学を卒業したのち、実家の寺を継ぎ、お経を上げる。発声が良いからか彼のお経は朗々として(?)穏やか。聴いていて気分がいい。お陰で気持ちよく母をあの世に送り出すことができた。◆隆信和尚のことを、高校大学時代は「リューシン」と呼んでいた。酒好きの「リューシン君」だったが母の法要をお願いする身、さすがに「リューシン」とは呼べない。母が亡くなってからは「住職」と呼ばせてもらっている。その「リューシン住職」が法要の合間に中学時代の思い出を語りだした。私が作った短歌がとても良かったと褒めてくれたのだ。◆中学2年生の時だった。「大分県短歌コンクール」とかいう催しだったのだろう。全校生徒が短歌を作る宿題がでた。そして私の短歌が大分県最優秀賞をいただくことになった。私は全校生徒の前で校長から賞状をもらった。校長も嬉しそうに私の短歌を読み上げてくれた。その短歌は母への感謝の気持ちを歌ったものであった。◆「誕生日の 祝いに母より 下駄もらう 父を亡くして 六年になりぬ」・・・優しかった頃の母を思い出した。優しい気持ちで母を見送った。
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