2016年06月22日 ---- ボス

死刑よりも重たい罰が必要では

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「人生を終わりにしたかった。殺人が一番、死刑になるかと思った」・・・バカな男が、自分が死刑になりたい欲求で、通りがかりの女性4人を包丁で切り付け死傷させた。昨日(6月21日)、釧路の出来事である。◆今から15年前、大阪の池田小学校で宅間某なる凶悪犯が児童を8人殺害した。宅間は「オレを早く死刑にしろ!」と要求した。◆「とっとと一人で死ね!」と誰もが思うこのような事件があとを絶たない。改善策はある。「自死を容易にする」ことと「死刑以上の重たい罰を設けること」。◆宗教的な問題からだけでなく、わが国では自殺、自死することを認めていない。自殺、自死は悪いことのように扱われてきた。これを見直す時期に来ていると私は強く思う。病によっては治る可能性は全くなく、「苦しくて苦しくてただ生きているだけ」という状態の患者が大勢いる。私がそうなったらなんとか死にたいと願うだろう。しかし今の法律では医者であろうが家族であろうがそれは許されない。私の希望を叶えるということは殺人者になってしまうことなのだ。なんとも酷な話だ。「死にたい」と思っている者が楽に死ねるようになれば、間違いなく犯罪は減る。多くの命が助かるだけでなく、殺人者を生み出さなくて済むのだ。◆「死刑よりも重たい罰」の制定も重要。「凶悪犯を起こしたら死刑になれる、死刑になりたい」と思って殺人をした者を死刑にするのは「泥棒に追い銭」みたいなもの。ふざけるな!凶悪犯には死刑よりももっともっと苦しい罰、彼が「頼むから殺してくれ!」と懇願するほど苦しい罰を用意すべきじゃないだろうか?凶悪犯に人権など必要ない、と考える私が悪魔なのだろうか?


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2024年12月20日 ボスの
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  • 午後事業計画見直し
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