◎2016年11月09日 ---- ボス ◎
- 残業(1)
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九州大学の土木工学科40人の同級生の殆どは卒業までに公務員試験を受けた。私も端(はな)から受かるわけもない国家公務員試験とひょっとしたら受かるかもしれない大分県の地方公務員試験を受けた。どちらも落ちた。同級生の1/4、10人が公務員になった。私は上京し、前田建設工業の東京支店で都市土木現場勤務をすることになった。早朝から夜中まで働いた。ひと月に一日しか休みが取れないこともあった。中でもきつかったのは「通し夜勤」と呼ばれる勤務。月曜の早朝から働きそのまま夜勤をこなし翌日火曜日のお昼前に引き継ぎをする。時には引継ぎが夕方になることもあった。引継ぎが終わると帰宅、睡眠、そして水曜にはまた「通し夜勤」が待っていた。月曜、水曜、金曜の早朝から翌日の昼近くまで働くわけだ。真冬は疲労と寒さと睡魔と闘いながらの仕事となった。まともに残業時間を計算すると月に200時間は優に超えていただろう。それでも残業代は20時間分しかもらえなかった。古き悪しき時代。◆その当時、たまに電話で宮崎県庁や大分県庁に行った同級生と話すことがあった。彼らは公務員生活を謳歌していた。毎日、五時になると帰宅し自宅の近所でテニスやソフトボールを楽しんでいる、と聞いて私は悲しくなった。「なぜもっと真面目に勉強して公務員試験を受けなかったのか!」強く後悔した。◆あれから35年経った。「苦しい思い出」は徐々に「私を成長させてくれた素晴らしい経験」に変わっていった。いま公務員をしている同級生を「羨ましい」と思うことは全くない。
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