◎2017年08月08日 ---- ボス ◎
- 貧しかった頃
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小学校2年生の時にタクシーの起こした事故で父を亡くした。我が家は急に貧しくなった。それまでは大分市の金池小学校に通っていたが一時母の実家へ転居し、私は佐伯市の佐伯小学校へと転校することになる。昭和41年のことだ。我が国はまだまだ貧しかったが後期高度成長期に突入したこの年から、我が家を除く周りの者たちは、徐々に生活にゆとりが出るようになってきた。取り残されたように我が家だけ貧しい生活が続いた。私たちは友人の自宅の二階に間借りして暮らしていた。◆クラスで私だけ、学年で私だけ、買ってもらえないものがいくつかあった。「これを買ってもらえないのはクラスの中で自分だけ」ということが恥ずかしかった。だが欲しいものを「欲しい」と口に出さずに我慢した。◆小学校5年生の頃だったろうか、友人たちはそれまでの子供用の自転車から大人用のものへと買い替えてもらっていた。当時はドロップハンドルと呼ばれるスポーツタイプの自転車が流行っていた。誰かが買い替えると皆で眺めて批評していた。「いいなあ、オレもこんなん欲しいなあ。でもこれ高いけんなぁ、無理やろうなぁ」などと羨ましがっていた者が翌週、もっとかっこいい自転車に乗って現れ、他の者たちから羨ましがられる。そんなことが続いた。徐々に私は自転車の会話をする輪から離れていくようになった。しばらくすると周りの友人たちはみんなドロップハンドルの自転車になった。クラスで一番カラダが大きい私だけが子供用の自転車に乗っていた。そのうち私は自転車に乗らなくなった。一人小さな自転車に乗るくらいなら走ったほうが(精神的に)楽だった。◆ある夜、マンガ本の裏表紙にドロップハンドルのかっこいい自転車の宣伝を見つけた。布団に入ってマンガを読み終えたのち私はその自転車の写真をずっと眺めていた。「こんなんが欲しいなぁ」私はその自転車に乗って仲間たちと遊びに行く自分の姿を想像していた。欲しくて欲しくてたまらないが母には「ドロップハンドルの自転車が欲しい」とは言えなかった。あの悲しい夜のことは忘れない。私は涙を流して眠っていたようだ。◆翌日だったろう、母が「あんたの自転車、もう小さかろう。大人用を買ってやるわあ」と言い出した。「えっ、本当?」私は嬉しくて聞き返した。ところが・・・◆母が買ってくれた自転車は今で言うママチャリの原型のような不格好なものだった。「これなら私も借りられるからなあ」と母は言う。私は落胆した。友人たちが前傾姿勢でドロップハンドルを握って走る中、私一人、背筋を地面と垂直にまっすぐに伸ばしオジサンみたいに走っていた。「僕が欲しかったのはこんなんじゃないよ」・・言いたかったが言えなかった。◆50年が経った。社内人になり多くの人たちと接した。子供の頃、私よりも貧しい生活をしていた方も意外と多い。あの貧しさが自分をたくましく育ててくれたのかもしれない。「若いころの苦労は買ってでもしろ」という言葉は確かだ、と思う。だが・・だが、本当に貧乏が苦しかった。マンガの裏表紙のドロップハンドルを涙して眺めていた夜のことを時々思い出す。◆そう、50年が経った。愛車BMW640iを買い替えることにし、手続きを始めた朝、電車の中であの買ってもらえなかったドロップハンドル自転車のことを思い出していた。涙が出てきた。気付くと一駅乗り過ごしていた。
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