2017年08月25日 ---- ボス

墓も個人情報の管理下に

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大陽工業株式会社の創業者であり社主であった酒井邦恭さんから私は経営者としての心構えを学んだ。酒井さんはいろんなことに興味を持ち、いろんなことにチャレンジされた。一人の人間としてはとても優しい方だったが経営者としては冷徹な面もあった。「みんなで頑張るんだ。頑張らないヤツ、ずるいヤツを見つけて、それを追い出すのもお前さんの仕事だよ、なあキノシタ」などと笑顔で教えてくれた。美しいものが好きで、オシャレで、芸術を愛し、なによりも人が好きだった。8年前に亡くなられた。酒井さんが亡くなられた頃、私は超多忙な毎日であった。誰も酒井さんの死を教えてくれなかった。私が酒井さんの逝去を知ったのは葬式から数日たってからだった。◆「偲ぶ会」には参列したがお墓に参ったことはこれまでなかった。今日が酒井さんの命日であった。午前中、少し時間が空いたので私は泉岳寺に眠る酒井さんに会いに行くことにした。行っても墓が見つけられなくては困る。事前に泉岳寺に電話した。「今日、そちらに眠ってられる酒井邦恭さんの命日なのですが、そちらに行けばお墓の場所は分かるのでしょうか?」と尋ねた。期待した返事ではなかった。「まことに申し訳ないのですが、個人情報なのでこちらではお教えすることはできないのです。10年位前まででしたらご案内できたのですが最近は厳しく管理されています」・・丁重に、申し訳なさそうに答えてくれた。◆私は酒井さんの墓を参ったことのあるかつての同僚に電話をしてそのことを話した。彼は「行ってみたらなんとかなるよ」と言い、酒井さんの墓地の場所の概略を教えてくれた。「左の方へ坂を上っていった先の、大きな桜の樹の下だよ。探したら見つかると思うよ」と言った。私はコンビニで線香とローソクとマッチの入った「墓参りセット」を買って泉岳寺に向かった。泉岳寺には赤穂浪士の「四十七士」も眠っている。案内図を見ると赤穂浪士の墓と、檀家の墓は分かれている。私は檀家の墓のエリアへと向かった。ところが檀家の墓の敷地には開閉式の門がありその門は施錠されている。前もって墓参を通知した親族しか立ち入りが許されていないようだ。私はあきらめて、「墓参りセット」を持ったまま会社に戻った。◆墓すら勝手に参ることができなくなった。せちがらい。泉岳寺から出て歩きながら、小さな声で歌っていた。「♫ わたしのーお墓のまーえで 泣かないでください。そこに わたしは いません。ねむってなんか いません・・・・」 そうだ、ここには酒井さんはいないんだ、そう思うことにした。 ◆オフィスの机につき、私は 酒井さんの教えをいろいろと思い出した。

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