2016年12月22日の記事一覧
◎2016年12月22日 ---- ボス ◎
- シングルプレーヤーへの挑戦
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「キノシタさんも一緒に月例コンペ回りましょうよ」 強くゴルフ仲間に誘われた。「競技ゴルフは柄じゃないないから遠慮しますよ」と最初のうちは断っていたが、半年かかりで説得され、押し切られた。月例コンペに出るにはオフィシャルハンデキャップの取得が必要。私はラウンド後、毎回スコアカードを提出した。最初に届いた「ハンデキャップ証明書」には「ハンディ 17.8」と書かれてあった。昨年の1月のことだ。ハンデを取得し、月例コンペに出るようになると「上手になりたい」と強く思うようになった。年甲斐もなく熱心に練習を始めた。昨年11月には「ハンディ 11.1」にまでなっていた。だがそこからが難しい。いくら練習しても良いスコアが出ない。「この辺がオレの限界かな」と諦めかけた。◆諦めかけてはいたが、今年になり「なんとか年内にシングルハンディになる」を目標にした。せっかくここまで来たんだ、もうひと頑張りで「シングル」になれる。◆妙齢のゴルフをやるキレイな女性に「キノシタさん、シングルなんですって?」と聞かれ「ええ、でもシングルと言ってもギリギリのシングル、ハンディ9なんです」・・「ええっ!すごいじゃないですか!本当にシングルだったんだ!今度、是非、教えてくださいよ!」・・・・なんてところを夢想したりしながら頑張った。今年は2月に母を亡くした。看病や葬儀やその後の法事などでゴルフをするヒマがなかった。5月にはヘルニアの症状が酷くなりしばらくクラブを握れなかった。それでも風呂の中でゴルフの解説書を読んだり、腰痛に響かないようにパターだけ練習したりしていた。秋になり、ゴルフをやる余裕がでてきた。腰の痛みも少し和らいできた。少しずつ努力の成果が出てきた。11月に私のハンデは「10.3」までになっていた。そして昨日(12月21日)新ハンデが届いた。私の新ハンデはなんと「10.0」◆シングルハンディとは「ハンディキャップ9.9以下」のこと。私はギリギリのところでシングルプレーヤーになれなかった。まだ、妙齢のゴルフをやるキレイな女性に「キノシタさん、シングルなんですって?」と聞かれても「ええ・・」とは答えられない。でもここまで来たらなお一層「シングルになりたい」との気持ちが強くなった。来年の目標に再度「年内にシングルになる」を掲げることにした。
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◎2016年12月22日 ---- ボス ◎
- 養育方針
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家人が子供たちに対し「勉強しなさい」と言うところを見たことがなかった。受験を控えているのに子供たちはいつもリビングルームで家人と一緒にテレビを観ていた。その当時、私はいつも不機嫌だった。仕事は忙しく、それでいて売り上げも利益も上がらず不安だった。私は毎夜、帰宅すると子供たちに向かって「オマエたちは勉強しなくていいのか?」と厳しい顔して問うていた。そのうち、私が帰宅するとそれまでテレビを観ていた子供たちが「怖いオオカミが来た!」というように急いで自分の部屋に逃げるようになった。私の帰宅時刻までが彼らの楽しい憩いの時間、私の帰宅後は彼らにとって自室で過ごさねばならない孤独な時間となった。◆ある日、家人が私に向かって話し出した。「今日ね、トモ子ちゃんのところに行ってたの・・・」と。 トモ子ちゃんというのは娘の同級生だ。家人の声が少し大きくなった。「トモ子ちゃんのママがね、トモ子ちゃんに『勉強しなさい!』って言うと、トモ子ちゃんのパパから『そんなこと言うな』って注意されるんだって」だと。 「トモ子ちゃんのパパはね、トモ子ちゃんのママに向かって『トモ子が楽しそうに勉強しているか?子供がイヤイヤするようなことを親が強制しちゃダメだよ』って言うんですって」と言う。まるで「あなたもトモ子ちゃんのパパを見習いなさいよ」と言わんばかりだ。そこには「あー、トモ子ちゃんのママが羨ましいな」という響きが確かにあった。それを聞いて私は激怒した。「トモ子ちゃんのところにはトモ子ちゃんのところの教育方針があるだろう。なぜそれをオレがマネしなけりゃならない。オレは、今子供たちが勉強する方が彼らの将来のためになると思って注意している。オレに言わせりゃ子供に向かって『勉強しなさい』って言わないキミやトモ子ちゃんのパパの方がよほど子供のことを思っていないんだよ。『今が楽しけりゃそれでいい』っていう無責任な親だよ」 家人は黙った。その翌日から家人が子供たちに向かって「勉強しなさい」と言うようになったか、というとそうではない。家人はトモ子ちゃんの両親と教育方針が一緒のようだった。◆私が帰宅すると、テレビの音が消え、子供たちが自分の部屋にさっと逃げ込む日々が続いた。その甲斐があったのか娘も息子もなんとか希望の大学に進学できた。彼らが二十歳を超えてからは私は彼らを大人として扱うようにした。もはや人生の先輩としての助言はするが「勉強しなさい」と注意することはない。◆私は今でもあの当時の私の考えは間違っていなかったと思っている。「あの頃の父さん、怖かった」と娘も息子も笑顔で思い出話をしてくれる。
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