2015年04月06日の記事一覧
◎2015年04月06日 ---- ボス ◎
- つんく♂さん、ありがとう。
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喉頭がんで療養中だったつんく♂さんが、声を失ったことを明かした。母校、近畿大学の入学式に出席し「一番大事にしてきた声を捨て、生きる道を選びました」と活字で伝えた。 「なぜ、今、私は声にして祝辞を読みあげることが出来ないのか……。それは、私が声帯を摘出したからです」・・・つんく♂さんの登場に沸いていた会場が静まり返った。うっすらと涙を浮かべたつんく♂さんの表情は穏やかだった。微笑みさえ浮かべていた。テレビのニュースでこの光景を見ていて私まで泣いた。◆歌手として、音楽プロデューサーとして超一流であるつんく♂さんは「人として」も「指導者として」も超一流であった。プロデューサーという「創造し、人々を喜ばせる仕事」に関してはまさに「プロ中のプロ」。こんな人を他に知らない。母校、近畿大学の入学式のプロデュースを立派に行った。◆「私も声を失って歩き始めたばかりの1回生。皆さんと一緒です。こんな私だから出来る事。こんな私にしか出来ない事。そんな事を考えながら生きていこうと思います」と記し「皆さんもあなただから出来る事。あなたにしか出来ない事。それを追究すれば、学歴でもない、成績でもない、あなたの代わりは無理なんだという人生が待っていると思います」と新入生を励ました。◆つんく♂さんの励まし、つんく♂さんの生き様は、これからどれだけの人を励まし、救い続けるのだろう。私は8年前に失った友人、平井正敏君を思い出し寂しく、悲しくなった。◆10年ほど前、平井君もつんく♂さんと同じ喉頭がんの宣告を受けた。医師から「声は出なくなるけど、手術をすればカラダは必ず元気になる」と言われたが平井君はその手術を拒んだ。私を含め、回りの者は誰も平井君を説得できなかった。当時40歳を少し超えたばかりの平井君にとって「声を出せない人生」は「生きる意味のない人生」とイコールに思えたのかもしれない。彼の気持ちも理解できた。平井君は、茨城県ひたちなか市で「親不孝もん」という居酒屋を経営していた。手術を拒んだ彼は、怪しい民間療法にすがっていた。私は「そんな民間療法など止めて、もう一度病院に行って、手術を受けることを考えろ」と注意できなかった。ガンの宣告から1年経った頃、私はひたちなか市に平井君を訪ねた。二人で温泉に行った。彼は意外と元気そうだった。「民間療法でもなんでもいい、元気になってくれ」という気持ちと同時に「彼と楽しく語らうのは恐らく今夜が最後になるのだろうな」との思いもあった。◆それから約半年後、彼は亡くなった。本当の「親不孝もん」になってしまった。◆つんく♂さんの今回の行動は、生きる意欲を失いかけている多くの人々に生きる希望と勇気を与えるものであろう。◆いま、平井君は空の上で後悔しているかもしれない。声が出ないけど、笑顔で焼酎と焼き魚を出してくれる「親不孝もん」のマスター、平井君と一緒に飲みたかった。寂しい。・・・・つんく♂さん、ありがとう。
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