2018年01月17日の記事一覧
◎2018年01月17日 ---- ボス ◎
- 山野豊さんの逝去を悼む
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どういうわけか年が明けて悲しい知らせばかりが届く。友人の奥様が亡くなっていた、幼い頃お世話になった親戚の叔父さんが亡くなった、友人の父上が亡くなった、など。年が明けてまだ二週間というのに五人もの訃報が届いた。そして今度は私にとって最も衝撃的で最も悲しい知らせが届いた。ヘリコプター業界、ドクターヘリ業界、航空医療学会などの重鎮であり、私にとっては良き理解者であり素晴らしい相談相手であった山野豊さんが列車の踏切事故で亡くなった。事故の詳しい状況は分からない。◆山野さんは大手商社で航空機を扱われたあと、乞われて航空機専門の商社に移られた。現在、わが国のドクターヘリで最も多く飛んでいるドイツ製ヘリコプター「EC135」を日本に導入したのが山野さんだ。英語が堪能だった山野さんは、まだ我が国に1機もドクターヘリが飛んでない頃からドイツやスイスを訪れ、かの国のドクターヘリのシステムを紹介した。現在我が国では51機のドクターヘリが飛んでいるが山野さんの尽力が無ければ到底このような状況は訪れなかっただろう。◆「ドクターヘリの操縦士のための訓練施設を作りたい」という私の考えを深く理解してくれ、私の応援団長のようにも振舞ってくれた。昨年12月14日、一緒に食事をしたのがお会いした最後になった。山野さんはお酒は一滴も飲めない、ということは有名な話だったが、その時、私がワインを勧めると「せっかくだから、味見だけね」と言ってほんの一口舐めて顔をしかめた。顔をしかめておきながら「うん、いい香り、こりゃ美味しいですね」などと言う。大先輩に対して失礼であるが山野さんの所作振舞いはどれをとっても可愛らしかった。チャーミングなおじいちゃんだった。◆「ドイツ、スイスの訓練事業視察に来年はお付き合いくださいね。僕と一緒にスイスに行きましょうね」とお願いすると「ええ、行けたらいいですね」と笑顔で答えてくれた。私の大切な大切な応援団長だった。◆悲しくて、悔しくて、心細くなった。
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◎2018年01月17日 ---- ボス ◎
- 阪神淡路大震災から23年
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6434人が犠牲になった阪神・淡路大震災から今日で丸23年が経った。◆当時、バブル経済崩壊後の厳しい状況の中、私はある会社の取締役航空事業部長として懸命にリストラに取り組んでいた。いや、表向きはリストラのフリをしていたが実際は親会社と銀行から「事業部を売却するか閉鎖するか」を迫られていた。大不況のなか、航空事業部を買おうなどと言う能天気な者はいなかった。「閉鎖してください。本業に影響ないように上手に軟着陸させてください」・・銀行とオーナーに厳しく言われた。そんなときに大地震が起こった。◆阪神淡路大震災では全国から多くのヘリが関西に向かったが傷病者を運んだのは1例しかなかった。神戸ヘリポートでは、格納庫のシャッターが開かずヘリを飛ばすことができない事例があった。液状化現象によってやはり格納庫から外に出せないヘリもあった。それらの報告を聞き、生意気にも私は「このままではいけない」と思い、さらに「オレなら造れる」と思い、さらには「オレしか造れない」と変わっていく。◆地震などの大災害時に活躍できるのがヘリコプターの最大の長所。それなのに大震災で飛べないヘリが複数機あったことを「恥ずかしいこと」と思わずに「しようがない」と思っている連中に頭にきた。◆私はすぐにいくつかの特許を出願し「ヘリポートに特化した建設会社」を創立しようと動き出した。阪神淡路大震災は多くのヘリコプター関係者の意識を変えた。我が社もあの悲惨な大災害が無ければ生まれなかった。我が社だけではない。この大震災を契機にドクターヘリが普及することになった。◆我々は、多くの犠牲者とその家族の悲しみに対する責任を背負っている。ドクターヘリや防災ヘリでもう二度と事故を起こしてはならない。
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