‘ボス’ の記事一覧
◎2018年01月30日 ---- ボス ◎
- リスク管理
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昨日、夕方、外資系の経営コンサルタント会社に勤めている社会人3年生の息子からLineが届いた。「すみません。インフルエンザB型に罹患しました。隔離してください」との内容だった。2週間前には家人がインフルエンザA型で寝込んでいた。今年のインフルの猛威がすごいのは確かだが・・・。◆私は息子に返信した。「(前略)社会人の先輩として注意しておきます。社会人になったからには仕事を休むと誰かに迷惑をかけることになります。社会人としては人様に迷惑をかけることが最も恥ずかしいことです。そうならないために常日頃からのリスク管理が必要です。インフルエンザという目に見えるリスクがあるのだからそうならないための注意が必要です。予防接種を受け、手洗いとうがいの励行、それをやっていて罹患するなら回りも許してくれるでしょうが、予防接種も受けておらず『すみません、インフルになったのでお休みします』は社会では通用しません。・・(後略)」◆社会には様々なリスクがある。もちろん経営においてもリスクヘッジは重要。「リスクを恐れず」なんていうのは典型的なバカ。責任ある者はリスクを回避する道を常に探っている。
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◎2018年01月26日 ---- ボス ◎
- 睡眠障害
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もう20年ほど睡眠障害に苦しんでいる。鼻や喉を何度か手術したが治らない。「ストレスが原因でしょうかね?」などと医師は言う。◆夜の睡眠が浅く、何度も目が覚める。その分、昼間が眠たい。◆昨夜は酔っぱらって帰宅したのは10時を少し過ぎたころだった。風呂に入り、11時過ぎにベッドに入った。すぐに眠った。目が覚めたのは12時半。仕事のことなどをいろいろと考えてしまう。眠ろうとするのだが眠れない。しようがなく起き出してリビングへ移動。テレビをつけた。CS放送で黒木瞳さんの『失楽園』をやっていた。キレイ・艶っぽい。役所広司が羨ましい。「オレもこんなことしてみたかったなぁ」などと考えながら観入ってしまった。「これではいけない。眠くなるどころか目が冴えてしまった」と思った。残念だったが最後までは観ず、午前2時にテレビを消し、睡眠薬を飲んで再びベッドへ入った。浅い夢が朝まで続いた。今日も一日、眠たいのだろう。◆泥のように深く眠り、シャキッと目覚める。そんな経験したことない。
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◎2018年01月25日 ---- ボス ◎
- パーティーでのマナー
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昨夜、某元政治家を囲む小さなパーティーに参加した。小さなパーティーと言っても50名は超えている。そのうちの10名は現役の高級官僚で、官僚OBも10人以上。和やかな、専門職の強いパーティーであった。◆結婚式や学会のパーティーでいつも不愉快に感じるのがマナーをわきまえないおしゃべり。昨日のパーティーでも、各人が1分で近況を報告するのだが、その最中私のテーブルの男二人が小声でずっとしゃべっている。学校なら先生が「そこの二人、静かに!」と注意しそうなところ。いい大人が小声で、人の話を聞かずにしゃべり続けるのはみっともないし迷惑。◆そんな奴に限って自分が近況報告をする番になると「一人1分」と決められているのに、面白くもないことを長々としゃべる。うだつの上がらないヤツに多い。◆さすがに高級官僚の方々はパーティーでのマナーも立派。人の話は静かにちゃんと聞き、自分の話は簡潔で要領いい。
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◎2018年01月23日 ---- ボス ◎
- 温かい励ましの言葉
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一昨年、母が命を引き取った佐伯市の南海医療センターは、医師も看護師も事務の方々も皆さん心配りの行き届いた素晴らしい病院だった。「こんなに献身的で優しくしてくれる。できれば私もこの病院で息を引き取りたいもんだ」とさえ思った。この病院の建て替え工事に関しては、私が屋上に素晴らしいヘリポートを作りたい、わが故郷だ、もちろん採算は度外視してでも良いものを作りたい、と強く願っていた。ヘリポート建設が決まれば私に相談が来ると思っていた。大分県のドクターヘリの拠点である大分大学病院ヘリポートをはじめ大分県、宮崎県、熊本県の大型病院のヘリポートはほとんどすべて関わってきたのだから。それらの病院の皆から「素敵なヘリポートを作ってくれた」と感謝されているのだから。佐伯からは当然相談が来ると思っていた。◆だから佐伯南海医療センターのヘリポート工事に関してなんの相談も無かったことが悔しいし寂しい。厚かましく、もっと(営業的に)足を運ぶべきだったのか・・・。残念でならない。◆そのことを昨年暮れ(12月26日)この欄に書いた。年が明けて、高校の後輩から暖かい励ましの言葉がメールで届いた。許可はいただいていないがここに転載させてもらう。◆・・・(前略)佐伯の人たちは、だんだん寂れていく街をみて、自信をなくしています。・・・そんなときに、「このヘリポートは、佐伯の出身者の木下さんが設計しました。高度急性期病院へのアクセスは万全です。」と落成式で話せば、佐伯の人たちは、どんなに力づけられることだったでしょう。・・(中略)救急ヘリの大切さを感じます。・・・(中略)今は、「衣食住」から「医食住」となっています。心筋梗塞、脳梗塞など、住んでいる地域で、時間との戦いに敗れ、命を落とすことがないようにする、エアロファシリティーの仕事は非常に大事な仕事だと思います。・・・(後略)◆嬉しいメール。ありがたい応援。我が国で「ドクターヘリの安全な運航」を継続するために、私も南海医療センターの看護師の方々のように、献身的に頑張ろう。
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◎2018年01月22日 ---- ボス ◎
- 郷中(ごじゅう)教育
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学生時代からの親しい友人であり、今もいろいろと仕事のアドバイスをもらっているN君の父上が亡くなった。週末、鹿児島で開かれた葬儀に参列してきた。◆学生時代のN君はまさに「薩摩隼人」を絵にしたような男だった。曲がったことは大嫌い。豪快に酒を飲み、派手に喧嘩もする。やくざ者と絡み包帯を巻いて授業に出ていたことも何度かあった。パチンコが上手く、休みの日は開店から閉店時刻まで中洲のパチンコ屋で過ごすことも珍しくなかった。連想ゲームで「酒・喧嘩・博打」と言えば誰でも「N君」と答えていた。◆優しいところもあった。私の留年が決まった日曜の夕方、N君はパチンコの景品(多分、タバコだったと思う)を抱え私の部屋を訪ねてくれた。「いつもなら閉店まで頑張るんやけど、今日はキノシタとの飲み代を稼げばそれでいいと思っとった」と言いながら私を筥崎宮の参道にある屋台「花山」に連れて行ってくれた。二人で飲んだ「薩摩白波」は旨かった。それ以外にも随分と世話になった。今もまだ彼には世話になっている。◆葬儀に参列して驚いた。97歳で亡くなったお父様、まだ元気なお母様ともに上品で優しそう。ご両親だけではない。N君には3人の優しそうで上品なお姉さまがいたのだ。N君は豪快で荒々しかったので私は勝手に「男3人兄弟の長男だろう」と思っていた。違った。驚いた。◆上品な両親、姉3人の末っ子。みんなに可愛がられて育ったことだろう。普通なら女々しいワガママ息子になりそうなもんだ。N君は全く違う。◆葬儀で年老いた母親を優しく支えるN君を見て私は「ああ、これも郷中(ごじゅう)教育の結果なのだろうな」と思った。◆「郷中教育」とは鹿児島の武家に続く教育方針で「負けるな・嘘をつくな・弱い者をいじめるな」などを中心とする教育である。◆回りを見回せば「負けても悔しがらないヤツ」ばかり。「なぜ悔しくない?なぜ怒らない?」私は不思議でならないが敢えて聞かない。申し訳ない顔をしながら「嘘をつく」者もいる。私は騙されたフリをしている。追及して逃げ道を亡くしても詮無い。自分の方が立場が上となると急に威張るヤツも多い。私は「負けるヤツ」「嘘をつくヤツ」は諦めたが、せめて「弱い者をいじめるヤツ」だけは回りから排除したいと思っている。
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◎2018年01月17日 ---- ボス ◎
- 山野豊さんの逝去を悼む
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どういうわけか年が明けて悲しい知らせばかりが届く。友人の奥様が亡くなっていた、幼い頃お世話になった親戚の叔父さんが亡くなった、友人の父上が亡くなった、など。年が明けてまだ二週間というのに五人もの訃報が届いた。そして今度は私にとって最も衝撃的で最も悲しい知らせが届いた。ヘリコプター業界、ドクターヘリ業界、航空医療学会などの重鎮であり、私にとっては良き理解者であり素晴らしい相談相手であった山野豊さんが列車の踏切事故で亡くなった。事故の詳しい状況は分からない。◆山野さんは大手商社で航空機を扱われたあと、乞われて航空機専門の商社に移られた。現在、わが国のドクターヘリで最も多く飛んでいるドイツ製ヘリコプター「EC135」を日本に導入したのが山野さんだ。英語が堪能だった山野さんは、まだ我が国に1機もドクターヘリが飛んでない頃からドイツやスイスを訪れ、かの国のドクターヘリのシステムを紹介した。現在我が国では51機のドクターヘリが飛んでいるが山野さんの尽力が無ければ到底このような状況は訪れなかっただろう。◆「ドクターヘリの操縦士のための訓練施設を作りたい」という私の考えを深く理解してくれ、私の応援団長のようにも振舞ってくれた。昨年12月14日、一緒に食事をしたのがお会いした最後になった。山野さんはお酒は一滴も飲めない、ということは有名な話だったが、その時、私がワインを勧めると「せっかくだから、味見だけね」と言ってほんの一口舐めて顔をしかめた。顔をしかめておきながら「うん、いい香り、こりゃ美味しいですね」などと言う。大先輩に対して失礼であるが山野さんの所作振舞いはどれをとっても可愛らしかった。チャーミングなおじいちゃんだった。◆「ドイツ、スイスの訓練事業視察に来年はお付き合いくださいね。僕と一緒にスイスに行きましょうね」とお願いすると「ええ、行けたらいいですね」と笑顔で答えてくれた。私の大切な大切な応援団長だった。◆悲しくて、悔しくて、心細くなった。
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◎2018年01月17日 ---- ボス ◎
- 阪神淡路大震災から23年
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6434人が犠牲になった阪神・淡路大震災から今日で丸23年が経った。◆当時、バブル経済崩壊後の厳しい状況の中、私はある会社の取締役航空事業部長として懸命にリストラに取り組んでいた。いや、表向きはリストラのフリをしていたが実際は親会社と銀行から「事業部を売却するか閉鎖するか」を迫られていた。大不況のなか、航空事業部を買おうなどと言う能天気な者はいなかった。「閉鎖してください。本業に影響ないように上手に軟着陸させてください」・・銀行とオーナーに厳しく言われた。そんなときに大地震が起こった。◆阪神淡路大震災では全国から多くのヘリが関西に向かったが傷病者を運んだのは1例しかなかった。神戸ヘリポートでは、格納庫のシャッターが開かずヘリを飛ばすことができない事例があった。液状化現象によってやはり格納庫から外に出せないヘリもあった。それらの報告を聞き、生意気にも私は「このままではいけない」と思い、さらに「オレなら造れる」と思い、さらには「オレしか造れない」と変わっていく。◆地震などの大災害時に活躍できるのがヘリコプターの最大の長所。それなのに大震災で飛べないヘリが複数機あったことを「恥ずかしいこと」と思わずに「しようがない」と思っている連中に頭にきた。◆私はすぐにいくつかの特許を出願し「ヘリポートに特化した建設会社」を創立しようと動き出した。阪神淡路大震災は多くのヘリコプター関係者の意識を変えた。我が社もあの悲惨な大災害が無ければ生まれなかった。我が社だけではない。この大震災を契機にドクターヘリが普及することになった。◆我々は、多くの犠牲者とその家族の悲しみに対する責任を背負っている。ドクターヘリや防災ヘリでもう二度と事故を起こしてはならない。
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◎2018年01月10日 ---- ボス ◎
- 悲しい知らせ
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昨夜、帰宅すると大学時代の同級生で親しい友人であるO君から寒中見舞いが届いていた。悲しい知らせが書かれていた。昨年の十月に奥様が亡くなったという。◆私たちが共に遊び共に学んだ九州大学土木工学科は1911年(明治44年)に創設された。九州大学の工学部の中で、土木工学科は創設時にできた最も歴史のある学科である。私たちは1977年の入学だから創設から66年経っていたのだがその66年間、我が土木工学科に在籍した女性は一人もいなかった。もちろん女性にも門戸は開かれていたのだが当時の「土木工学」とは女性が学ぶべき学問ではないと思われていたようだ。◆土木工学科は1学年が40名の定員だった。エリート大学のエリート学科の中にも「底辺」と呼ばれる落ちこぼれ集団ができる。我々「底辺」は7~8人。みな浪人経験者であった。現役での合格組とはやや距離間があった。当初、現役合格組はエリート臭があり気取った感じがした。◆「どんなブスでもいい。クラスに一人でもオンナがおればオレはもう少しまじめに授業に臨むんやけどなあ・・」・・底辺を支える我々はいつもそんな話をしていた。O君も底辺の一人だった。O君はそんな底辺の中でも最も底に近いところにいたようだったが要領が良く留年することもなく大手建設会社に就職した。◆東京のホテルで開かれたO君の結婚式とその二次会で私は初めて奥様を紹介された。美しく可憐、気配りのきく素敵な女性だった。正直O君にはもったいない、と思った。彼女と会ったのはその時が最初で最後になった。子供ができなかったO君は一人ぼっちになってしまった。悲しい。◆九大土木、同期の底辺たちは60歳になった。皆、元気で頑張っているが奥様を亡くしたのはO君で二人目。O君にどのような慰めの言葉をかければ良いのか分からない。もう少し静かに見守っていよう。
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◎2018年01月09日 ---- ボス ◎
- 緊急着陸(続き)
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相次ぐ米軍機のトラブルについて、防衛省関係者は日本を取り巻く厳しい安全保障環境などにより訓練が激化している点や機体の老朽化などを挙げるが、原因は分かっていない。そんな中、来月の名護市長選など選挙イヤーを迎えた沖縄で事故が頻発している。政府・自民党関係者は「伊計の次は読谷か。あまりにも米軍の事故が多すぎる」と広がる波紋に危機感を募らせた。・・・(以上「琉球新報」より)◆政府・自民党関係者というのがどういう立場の人か知らないが「あまりにも米軍の事故が多すぎる」などと言ってはならない。「不時着」は「事故を回避するための措置」であって「事故」ではない。「不時着したこと」を「けしからん」と言うのなら今後「不時着」が無くなるかもしれない。不時着が無くなることは大事故の可能性が高まること、ということを何故誰も大きな声で言わない?
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◎2018年01月09日 ---- ボス ◎
- 緊急着陸
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去年12月、新幹線「のぞみ」の台車に亀裂が見つかり、破断寸前の状態で運行が続けられた問題で、JR西日本は事態を検証するため有識者会議を開いた。走行中の「のぞみ」の台車から破断寸前の亀裂が見つかった問題は、新幹線で初めて「重大インシデント」に認定されている。会議に参加した有識者の一人は「何かあったら列車を止めろとなっているが、実際には現場でできていなかった。何かまだ問題が残っているのだろう」と言っていた。◆一方、沖縄では・・。米軍ヘリが6日(土曜)に伊計島に、続いて8日(月曜)には読谷村に不時着した。伊計島では海岸の砂浜に、読谷村では廃棄物処分場の広い草地に不時着した。例によって沖縄の翁長知事をはじめマスコミの多くは米軍を非難する。私が驚いたのは小野寺防衛大臣までが「不時着などが多すぎる」と不快感を示したことだ。◆新幹線インシデントでは「何かあったらすぐに止めろ」と反省し、沖縄のヘリが異常信号で不時着したら「不時着が多すぎる」と非難する。おかしくないか?◆ヘリコプターのような複雑な機械は少しでも異常がでると早めに警告灯が点灯する。操縦士は警告灯が点くと直近の、安全に着陸できる場所にヘリを降ろすことになっている。車の警告灯が灯れば速やかに路肩に停めることと同じ。◆防衛大臣が米軍に対し「不時着が多すぎる」などと苦情を言えば今後米軍の操縦士は無理をして基地まで飛んで帰ろうとするかもしれない。いや、米軍だけではない。自衛隊だって日本の民間ヘリだって「不時着は悪い事」と感じてしまうかもしれない。◆北朝鮮問題で長期間に渡って緊張状態が続き、沖縄米軍には様々なミッションが強いられていると聞く。不時着すら許さないムードは絶対に作ってはならない。
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◎2018年01月05日 ---- ボス ◎
- 節操のないマスコミ。「そうだ、そうだ」としか思わないアホ視聴者
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マスコミはついこの間まで「貴乃花の相撲協会に対する態度は理解できない!」と皆で大声で叫んでいた。テレビでは鏡山親方が何度も貴乃花部屋を訪ねているのに門前払いされるところを繰り返し映し「あまりにも礼を欠いているんじゃないの?」と口々に言っていた。ところがどうだろう。貴乃花親方の2階級降格処分が決まると今度は「貴乃花は被害者だ。被害者と加害者が同じ処分はおかしいんじゃないの?」と繰り返し始めた。◆私はこの節操のないマスコミ報道のほうが「おかしいんじゃないの?」と言いたいのだが多くの視聴者はその都度マスコミに同調し「そうだ、そうだ」と言っている。もう少し自分のアタマで考え、判断すべきだろうに。◆自分のアタマで考えていないのなら少なくとも「そうだ、そうだ」とは言っちゃダメ。「そうなのかな? なるほど、そういう考えもありますね」くらいまでに留めるのが大人でしょう。◆視聴率稼ぎに、なんでもかでも「おかしい!」と言うマスコミに踊らされて「そうだ、そうだ」というアホが増えていることだけは確かなようだ。
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◎2018年01月05日 ---- ボス ◎
- マナー
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息子が高校を卒業するまで千葉市の海浜幕張に住んでいた。娘も息子も中学になると都内の私立校に通った。娘は品川、息子は池尻まで。どちらも片道1時間以上かけて通学した。彼らが「東京の私立の中学校に行きたい」と言い出した時に私はそれぞれに条件を出した。電車の中のマナーに関してだ。娘には「電車の中でモノを食べてはいけませんよ。どんなにお腹が空いていても立ってモノを食べてはいけません。我慢しなさい。席が空いて掛けることができたらポッキーくらいまでなら食べてもいいけどね。おにぎりやサンドイッチは絶対にダメだよ。お弁当なんてとんでもない」と。息子には「電車に乗って、もし誰か一人でも立っていたらたとえ空席があってもキミは座っちゃダメだよ。もちろんガラガラに空いているなら掛けてもいいけどね」と。子供たちは私との約束を守ってくれたと信じている。◆今朝、広尾から電車に乗ると、混んだ電車の中でサラリーマン風の若い男が立ったままサンドイッチを食べていた。卵と野菜がこぼれ落ちそうになり顔を斜めにして横から頬張っている。マナーを知らない男、情けない。誰かが「キミ、電車の中で食事するなんて迷惑だよ。周りの人がみな嫌がっているよ」と注意すれば彼は今後やめるかもしれない。だが私を含め誰も彼に注意をしない。関わりあいたくないのだ。子供の頃、親からきちんと躾けられなかったのだろうが二十歳を過ぎれば自分で気付かねばならない。◆「マナーが悪い」は「気配りができない」と同じ。こんなヤツは社会人として、或いは人間として人の上に立つことはないだろう。あってはならない。
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◎2018年01月04日 ---- ボス ◎
- 新年
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あけましておめでとうございます。◆「なんとなく 今年はよい事 あるごとし 元日の朝晴れて風無し」・・・ここ数年、穏やかな気持ちで元旦を迎えることができ私は毎年元旦にこの啄木の詩を口ずさんでいた。ところが今年は違った。◆仕事に対する緊張感からその余裕を無くしていたのか或いは大みそかから読み始めた質の悪いミステリー(すごく高い評価だったので期待していたが裏切られた)のせいだったのか・・。とにかくゆったりとした気持ちで元旦を過ごせなかった。◆「なんとなく 今年はよい事あるごとし」ではないのだろう。「よい事がない」と言いたいのではない。「なんとなく・・あるごとし」は偶然に期待している感じだ。今年はもっと強く、積極的に「よい事」を求め、「よい年」としたい。そんなことを思いながら、少し緊張感を持って三が日を過ごした。
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◎2017年12月31日 ---- ボス ◎
- 終夢
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初夢っていうのはいつ見る夢のことなのか定かでない。除夜の夢のことだという人もいるし元日の夜の夢だという人もいる。いやいや書初めや初売りと同じで二日の夜に見るのが初夢だという人もいる。よく分からない。◆初夢の反対はなんと言うのだろう。初夢が定かでないのでこちらはなおさら定かではない。まあいい、終夢としよう。12月30日の夜に見る夢を終夢としよう。◆昨夜、素晴らしい終夢を見た。12月30日の夜、というよりは大みそかの朝に見た。私の人生に最も大きな影響を与えた一人で私の初恋の女性、松本悦子さんが久しぶりに夢に出て来てくれたのだ。◆松本悦子さんを初めて見たのは中学2年生になったばかりの頃。佐伯市立鶴谷中学校の一学年下に入ってきた彼女に一目惚れした。こんなにも女性のことを好きになるものなのか、と驚き苦しんだ。大人の恋の歌が理解できるようになった。◆彼女は、外見が美しすぎて近寄りがたい感じだった。飛びぬけて美しいのに飛びぬけてモテるわけではなかった。おそらく同級生にとっては高嶺の花であり恋の対象にはならなかったのだろう。怖いもの知らずであり同級生よりは大人であった私は高嶺の花に惚れてしまった。惚れると同時に劣等感に襲われた。「もっとかっこよく生まれてたら」「もっとお金持ちに生まれてたら」そんなことばかり思っていた。彼女の前では無理をしていた。背伸びしていた。恋は実らなかった。◆実りはしない恋だったがそれ以来ずっと、私はマツモトエツコさんを意識しながら生きてきた。今、どこかで偶然に出会ったときに自信を持った生き方をしているといえるだろうか。そんなことをいつも考えていた。彼女は定期的に、一年に一度くらいの割で私の夢に登場してくれた。彼女の夢を見るとそれだけでその日は幸せだった。◆およそ女性には分からないだろう、純情な、ロマンチックな男の感情だ。◆今はニューヨークに暮らしているようだ、と噂に聞いた。幸せなのだろう。◆素敵な、ステキな終夢で今年も平和のうちに暮れていきます。
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◎2017年12月28日 ---- ボス ◎
- 時がたつのは
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私の高校生時代は大分県佐伯市の実家で母と二人で生活していた。母は特別養護老人ホームの保母をしていたため夜勤が多く、そのため私は一人で過ごす夜も多く、ある意味自由を謳歌していた。自由を謳歌すると成績はズルズルと下がっていった。高校2年生の最初の実力考査では学年1位であったのが3年生になったときには20番くらいにまで落ちていた。成績は下がっても、お金は無くても、高校生活は楽しかった。◆母が自宅にいる夜はおとなしくしていた。もちろん勉強もしていた。母は読書をして夜を過ごすことが多かったがテレビで「懐かしのメロディー」があるときはそれを楽しんでいた。私は母の隣に寝転んで一緒に見ていた。高校生の私にとって20年前の流行歌は、生まれる前のモノクロ景色の世界を歌うものだった。紀元前のものと同じ感覚だった。◆昨夜テレビ朝日で「昭和歌謡の名曲集」をやっていた。懐かしかった。自由を謳歌していた高校時代の歌謡曲が多かった。小柳ルミ子、五木ひろし、ヒデとロザンナ、平尾昌晃・・・どの歌も歌詞を諳んじていた。40年以上も昔の曲だがモノクロ景色ではない。総天然色だ。◆時がたつのは速い。あっという間に今年も暮れようとしている。
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◎2017年12月27日 ---- ボス ◎
- 年賀状
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字が汚い。下手。だから字を書くことが嫌い。ワープロ・パソコンが普及してくれて最も恩恵を受けたのは私だ、と思っている。◆「こんな習慣なくなってくれればいいのに」・・子供の頃から、この時期になると必ず思っていた。年賀状。虚礼と思いつつも、やめることができない。向こうから届かなければこちらも出さなくていいのだが、向こうから届いているのにこちらは出さないというのは失礼かな、などと考えてしまう。◆宛名書きと図柄はパソコンがやってくれるので随分と楽になった。それでも「何か一言書き添えないと失礼になるんじゃなかろうか」と気が小さい私は思ってしまう。書き添える言葉が見つからない人も多い。顔すら思い出せない人も何人もいる。「お元気ですか?東京にお越しの際は是非連絡ください」・・本当に連絡が来たら困るような人に対しても、賀状では下手な字で愛想を振りまく。いい加減なものだ。◆それでも年に一度、この時期だけ思い出す懐かしい顔、お世話になった方々も多い。心から「お会いしたいなあ」「元気でいてくれたらいいなあ」と願う相手も多い。子供の頃にお世話になった伯父さん、学生時代にお世話になった論理学の森俊洋先生、学生時代にした家庭教師の教え子、喫茶店「電車道」のマスター、学生時代に良いことと悪いこといろいろ教えてくれた武田信治先輩などなど。多くの虚礼の状の中に、数人の本当にお会いしたい人たちを見つけては懐かしく嬉しくなった。
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◎2017年12月27日 ---- ボス ◎
- 算数
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本日は簡単な算数のおさらい。◆実際の地球には山や谷が多いが、ここでは地球をデコボコの一切ないツルンとした正球として話を進める。◆赤道から北極点までの距離を一千万で割った長さを1mと定めた。だから赤道から北極点までを巻き尺で測るとピッタリ10,000Kmになる。赤道から北極点までが10,000Kmなら赤道から南極点までも10,000Km、地球一周は40,000Kmである。ちなみに光の速さは秒速30万Km。だから光は1秒間に地球を7周半することになる。300,000÷40,000=7.5 ということ。◆さて赤道上の地球一周を巻き尺で測れば40,000Kmつまり40,000,000m(4千万メートル)であるが、では地上1mのところで一周を巻き尺で測ったらいくらになるでしょう?当然赤道一周よりは長くなりますよね。◆小学生でも分かる簡単な問題なのだが、多分これを読んでいる人で分かる方は半分もいないのだろう。理系の大学を卒業していても分からないヤツがいる。情けない。◆答えは敢えて書かない。自分で考えて分からなかったら誰かに尋ねてみてください。分からないままで放っておくのが一番ダメですよ。
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◎2017年12月26日 ---- ボス ◎
- ショック! 失注!
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母は昨年2月、大分県佐伯市の南海医療センターで息を引き取った。脳出血だった。救急車で運び込まれた後、医師の的確な処置と看護師たちの手厚い看護を受けた。十日後に安らかに、眠るように旅立った。南海医療センターの医師や看護師は素晴らしかった。治療、看護、見舞客への対応、そのすべてに気配りが行き届き慈愛深さを感じた。その時が来たら私も、この病院でこんな風に息を引き取りたいものだ、とさえ思った。◆南海医療センターに建て替え計画があるようだ、との噂は聞いていた。だが、母が亡くなってすぐに「お世話になりました。ところで私は・・・」とは言えなかった。名刺を出すのは失礼だと思った。ヘリポートの計画があればきっと私のところに連絡が来るだろう、と高をくくっていた。◆神戸で看護師をしている高校の後輩からメールが届いた。「南海医療センターのヘリポート、木下さんの会社の設計なら安心です。嬉しいな」と。私は慌てて南海医療センターに電話を入れた。数年前にヘリポートの資料は渡してあった。その時に担当者から名刺をもらっていたが彼はすでに退職していた。◆私が甘かった。運悪く、私の資料は申し送りもされないまま、院長以下多くの病院スタッフが入れ替わっていた。どうも専門家の意見を聞かないままヘリポートは設計されたようだ。来年着工とか。◆それでも安全なヘリポートができあがればいい。私は恩返しができずに残念だが、そして私の設計のヘリポートが郷里にできずに残念だが、それでもそのヘリポートが多くの命を救ってくれることを切に願う。◆「佐伯出身のヘリポートの専門家のキノシタさんちゅう人がおるんに、なんしそんしに(なぜその人に)相談せんでこんなんつくったんか!」とならないことを願う。事故などなければいい。◆それにしても私個人の営業力の無さ、情けない。もう佐伯には帰らない。帰れない。
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◎2017年12月26日 ---- ボス ◎
- やばい!
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子供が15歳になるまでに親と教師はルール(規則・法律)の基礎を教えるべきだ、と思っている。15歳までに基礎を教えられ、日本人は20歳までにそれらルールをしっかりと身に付けるべきだ。そうやって責任ある大人になる。◆20歳を過ぎたら今度は自分でマナーとエチケットを学ばねばならない。「ルールは人から教えられるもの」「マナー・エチケットは自分で学ぶもの」だと私は思っている。40歳になるとそれらが「人格」となっていろんなところに現れてくる。「きちんとした教育を受けて育ったか」「向学心はあったか」「身の回りのことに気を配ることができるか」「清潔感があるか」など、相手が40歳を過ぎた人なら私は5分も話せばその方がどんな人なのか、おおよその見当がつく。◆男は外見に、女性は言葉使いに現れる。(女性は上手に装うことができるので外見では分からないことが多い)◆朝からパチンコ屋に並ぶ男はみな同じような目をしている。銀行マンはみな同じ顔立ちと服装だ。男は外見で見分けがつく。◆先日、あるゴルフコンペで40歳を超えた女性二人と一緒にラウンドした。ゴルフをするくらいだから経済的には余裕があるのだろう。外見もそこそこ綺麗だった。残念ながら彼女らの言葉使いにがっかりした。二人ともミスショットをするたびに「やばい!」と言うのだ。「やばい」ってなんだ?◆美味しいものを食べて「うまい!」という女性がいる。ミスをして「やばい!」という女性がいる。情けない。◆人の失敗を見て「だせっ!」、注意をされて「うぜっ!」、気持ち悪いものを見て「きもっ」・・こんな言葉を使っても許されるのは高校生までだ。いや、きちんとした教育を受けているか向学心のある女性は高校生でも決してこんな言葉は使わない。◆外見と言葉使い。見る人は見てますよ。聞く人は聞いてますよ。注意しましょう。
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◎2017年12月25日 ---- ボス ◎
- 建設業界の談合体質
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リニアモーターカー新幹線の建設工事をめぐる談合疑惑が毎日大きく報じられている。私は九州大学の土木工学科の出身。建設業界の友人は多い。彼らは今回の事件に対し何も語らない。「とんでもない、腹が立つ!」と怒るヤツもいなければ「いまだに談合やっていたなんて、情けない」と嘆く者もいない。逆に「談合は必要悪だ」「談合はなくならないでしょ」と肯定する者もいない。業界の中に身を置いている連中はこの件に関しては親しい友人にさえも「黙して語らず」の姿勢を貫く。◆建設業界以外で働く人の方が多く語る。マスコミと主婦と学生は「とんでもない!」と言う。私の回りでは、タクシーの運転手と会社経営者と銀座のクラブのママは「しょうがないでしょ」と言った。◆私は友人たちと同じく基本的には「黙して語らず」で行きたい。だが、ただ一つ言いたいことがある。◆「悪い談合」によって「巨額の利益をあげているゼネコン」の社員たちは、それを報道するテレビ会社の人たちよりもはるかに安い給料で、はるかに劣悪な環境で働いている。多くのゼネコン職員は東南アジアへ長期単身赴任経験がある。テレビ会社の方々は欧米の大都市への出張は多いが、低開発国への単身赴任など極めて少ない。スーパーと呼ばれる大手のゼネコンでも、給与レベルはテレビ局や、銀行などの金融機関よりははるかに少ない。◆「だから談合もしかたないでしょ」、と言いたいのではない。「とんでもない悪いことをして『巨額の利益』を上げている」と非難するのなら、その『巨額の利益』がどこに行ったのかも報じるべきだろう。私にはテレビ会社や銀行や損保会社や証券会社ビール会社の方が「巨額の利益」を上げているように見える。
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◎2017年12月22日 ---- ボス ◎
- マナー
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政治家のパーティー、学会でのパーティー、関係ある会社のパーティーなど、一年間に10回以上は立食パーティーに出席する。私はこの立食パーティーが苦手だ。大抵のパーティーは参加者のほとんどが知らない人だ。知らない人に話しかける気にならない。知っている人、というだけで親しくもない人と話し込むのも間が持たない。饒舌な方に話しかけてもらえるならそれが一番気楽だがそういうことはめったにない。知人のいないパーティーで一人で料理を食べるのも落ち着かない。かくて私は大抵の立食パーティーでは何も食べずただ飲んでいるだけである。◆では知人が多く参加しているパーティーなら楽しめるかというとこちらもそうではない。パーティーの主催者や主賓の方々が挨拶しているさ中「ああキノシタさん、先日は・・・」などと話しかけてくるマナーの悪い人がいる。だいたいが私より年長の、うだつの上がらないオジサンだ。年長者であるからこちらも「しー!」と指を立てるわけにもいかない。オジサンに軽く目で挨拶をして壇上に顔を向ける。「今は主賓の挨拶を聞くべき時間でしょ」と態度で示すのだがうだつの上がらないオジサンはそんなことには気づかず、壇上の挨拶を無視してニコニコ顔で話しかけてくる。疲れる。
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◎2017年12月21日 ---- ボス ◎
- 幸せって・・
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「幸せを知らない人」の方が「幸せを失った人」よりも、まだ幸せそうに見える。◆「バブル景気時も実直に働いたサラリーマン」と「バブル景気で身を持ち崩した元経営者」。「彼氏ができず、一生独身を覚悟している女性」と「彼氏にフラれて落ち込んでいる女性」。「生まれつき身体にハンデキャップを持っている人」と「人生の途中で身体にハンデキャップを負った人」。「子供が欲しいのだができない仲良し夫婦」と「(事故や病気で)子供を失った夫婦」。「ずっと年収400万円の男」と「昨年までは年収800万円だったが今年から400万円になった男」。「海外旅行に興味がない女性」と「海外旅行が大好きだが(何らかの理由で)行けなくなった女性」。スポーツや芸術でも「マチュアのトップ」の方が「プロになったが全く稼げなかった人」よりも幸せな人生に見える。◆実はそうでもないようだ。「バブル景気で身を持ち崩した元経営者」は「バブル景気の頃は楽しかった」と思うことはあっても「あのバブルさえなかったらオレの人生はもっと充実してたのに・・」などと後悔はしていない。「彼氏にフラれた女性」でも「彼氏なんかできなければ良かったのに」とは思わない。◆私の友人に、大学生の子供を交通事故で亡くした夫婦がいる。彼らの落ち込みはひどく、立ち直るまでに10年近くかかった。だがもちろん彼らは「可愛い息子と過ごした20年」が無かったら良かったのに・・、などとは思ってない。◆「幸せを知らない人」の方が「幸せを失った人」よりも幸せそうに見える。それは間違いで「幸せを知らない人」よりはまだ「幸せを失った人」の方が幸せなのかもしれない。・・分からない。難しい。◆今読んでいる浅田次郎の小説に次のような下りがあった。主人公が「そうですかね。親を知らない子供よりも、親を忘れた子供のほうがかわいそうでしょう」と言うと、老人が「忘れる方がマシだろう。・・・」と返した。
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◎2017年12月20日 ---- ボス ◎
- クリスマス
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私が歳を取り、にぎやかなところに行く機会が減ったためなのかもしれないが、クリスマスの活気を感じることが以前よりも少なくなった。個人的に、クリスマスには悲しい寂しい思い出も多いのだが決してクリスマスは嫌いなイベントではない。訳のわからないハロウィンなどに比べたらはるかに心ときめくイベントである。宗教の垣根を超え、もっともっと多くの方がいろんな趣向でクリスマスを楽しんで欲しい、と思う。◆だが一方でクリスマスを心から楽しむことができない子供たちがいることも忘れないで! 私は小学校2年生の正月に父母姉と一家4人で乗っていたタクシーの事故で目の前で父を亡くした。それまでの裕福な生活が一変した。事故で大けがをした母が退院するのを待って転居した。転居先は同級生の家の二階に間借りするというものだった。◆小学校3年生のクリスマス、階下に住む同級生の家に友達が集まった。「モトミくーん、一緒に遊ぼうよ」下から声がかかった。私は友人たちが待つ下の階へ下りた。そこでは友人たちが各々、自分がサンタさんにもらったプレゼントを持ち寄って自慢しあっていた。私はなにもプレゼントがなかった。◆「サンタクロースなんていないんだよ」友人たちに向かってそう叫びたかったが、私は黙っていた。そう叫ぶ代わりに「いいなあ」と彼らを羨ましく思う声を発していた。みんな自分がもらったプレゼントの自慢に夢中で、誰も私の寂しさ、悲しさには気づかなかった。気付かないでくれて良かった。◆小学校の間、私はクリスマスが苦手だった。今、思い出しても涙が出てくる。あの頃の自分に「よく頑張ったね」と時々声をかけている。
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◎2017年12月19日 ---- ボス ◎
- 写メって?
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街並みやファッション或いは自動車などの機械と同じように「日本語」もどんどんと変化する。街並みやファッションや自動車は「進化」しているが日本語は「進化」ではなく単なる「変化」のようだ。私が小中学生の頃、国語の授業で「副詞の呼応」を習った。「もし → たら」「まったく → ない」「なぜ → か?」「おそらく → だろう」など、特定の副詞は決まった言葉と関係するという決りごとだ。「まったく美味しくない」は正しい使い方で「まったく美味しい」は間違った言葉使いだと教えられた。あれから50年経った。日本語は変わった。「まったく美味しい」「全然キレイ」などは許される用法になったようだ。もちろん私はそのような使い方はしないが。◆さて「写メ」という言葉ができたのはいつだったろうか。10年前か15年前か。スマホの普及に併せて広まった。今やおばあさんまで使う一般用語になった。だがそもそもこの「写メ」は「写真を撮ってそれをメールで送る」ことだったのじゃないか?つまり「写メして」が正しい使用法。ところがたったこの10年で、いつのまにか「スマホで写真を撮ること」に変化している。「写メ撮って送って」などと言っている。◆どうでもいいことだが、美しい日本語を愛する私はこの「写メ」という言葉を聞くといつも何かが引っかかる。
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◎2017年12月15日 ---- ボス ◎
- 目先のカネにこだわる愚
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経営者と話す機会が多い。仕事上での付き合いもあれば、全く仕事と関係のない友人にも経営者は多い。異業種交流会や政治家のパーティーでの繋がりもある。それらの経営者が口を揃えるのが「目先のカネにこだわるヤツはダメ。まず大成はしない」ということ。社長に直談判しに来る部下で「〇〇君の給料をもう少し上げてやってくれないでしょうか」というのは「〇」か「△」、「私の給料をもう少し上げてくれないでしょうか」は「✕」。◆経営者が部下から直談判されたいのは「こういうビジネスにチャレンジしたいのですが・・」であり「こうやればもう少し利益がでると思うのですが」ということである。そういうことを言ってくる者はやがて確実に給料が上がる。◆夢を持たず、未来を語らず、事業を考えないで目先の給与を語る人が悲しい。◆能力が低いのに「自分は賢い」と思っているヤツは最もダメだが、能力はあるのに「私にできるでしょうか?」と悲観してチャレンジしないヤツも情けない。◆私は60歳になったが夢を抱きチャレンジを続ける。そこには当然リスクがあるが仲間たちが支えてくれると信じている。◆夢のない、自らチャレンジしない若い人が多くなったように感じている。寂しい。
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◎2017年12月14日 ---- ボス ◎
- 悩みが増えると読書が減る
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一か月ほど前「吉原御免状」(隆慶一郎)を読了したのを最後に、いわゆる小説を手にしていない。これだけ長い時間小説を読まないのは珍しい。6.7年ぶりくらいだろうか。いや「読まない」のではなく「読めない」のだ。目が悪くなったわけではない。◆仕事で気になることが増えると読書をしていてもつい仕事のことを考えてしまう。気づくと字面(じづら)のみを追っていて全くストーリーを理解せずページをめくっている。数ページ前に戻って読み返す。それを何度か繰り返して結局途中で放棄する◆小説を読まず「数独」をし、雑誌を読み、カタログを眺める。「数独」はまた腕を上げた。「最上級者向け」をスラスラと解いている。仕事で悩むと「数独」の腕が上がる。皮肉。◆社長業を長くやっているとこの「小説が読めない時期」というのが数年おきに繰り返しやってくる。若いころは「映画」を観てストレスを発散させた。アクション映画とセクシー映画が良かった。仕事を忘れ映画に没頭できるのだ。◆仕事の悩みが増えると「数独」の腕が上がり「映画」に詳しくなる。◆正月くらいは仕事を忘れ、温泉にでも浸かって、ゆっくり読書を楽しみたいと願っているが今年はいまだに温泉宿の確保ができていない。
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◎2017年12月13日 ---- ボス ◎
- 先進国と自殺
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初めて「核家族」という言葉を知ったのは50年前、小学生の頃だった。道徳か社会の授業での副読本にスウェーデンの老人ホームの写真が載っていた。美しい施設の中でオシャレな老人が語らう様子があった。子供心に「スウェーデンのばあちゃんたちは幸せそうだな」と思った。ところが教師は私の思いを否定することを話し始めた。「『核家族』の進んだスウェーデンでは多くの老人が老人ホームで暮らします。この写真を見て、このおばあさんたちが幸せそうに見えますか?」と我々に聞いた後「先生には幸せそうに見えません。おばあちゃんになったら孫たちと一緒に暮らす方がよっぽど幸せだと思いますよ」と続けた。そしてさらに「この核家族化の進んだスェーデンでは多くの老人が自殺をするのです。寂しいんでしょうね。」と話した。社会保障の進んだスウェーデンを例にとって、「核家族化」⇒「孤独」⇒「自殺」と教えたかったのだろう。◆50年経った。今はどうなっているのだろう。我が国でも核家族化が急速に進んだ。自殺も増えた。だが我が国の自殺の多くは核家族化からくる孤独が原因の自殺ではないことを皆知っている。◆50年前の教師の教えとは逆にスェーデンのような恵まれた老人ホームでの余生を送りたいと願う老人が圧倒的に多い。私もそんな一人だ。
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◎2017年12月11日 ---- ボス ◎
- 病は気から
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早朝5時。ゴルフ場に向かって走っているとフロントパネルの警告灯が点灯し「タイヤの点検を」とコメントが出た。「まずい! パンクか? 次のインターまで持つかな?」などと思いながら走っているとその注意ランプが消えた。ほっとしたが念のためにゆっくりと100Km/s以下で走っていた。ゴルフ場近くの高速出口で降りると再度注意ランプが点灯した。「やっぱりパンクか?・・こんな早朝、開いているガソリンスタンドはこの辺りにはないな。困った」・・キャンセルできないゴルフ。「行けるところまで行こう」・・タイヤがボロボロになるのを覚悟して私はノロノロ運転でゴルフ場を目指した。「右の後ろのタイヤだな」すぐに分かった。ゴルフ場まであと5キロというところで「限界」を感じた。右後方部の違和感がひどい。「JAFを呼ぶしかないか」そう思いながら路肩にクルマを停めた。車から降りてタイヤを見た。「おやっ、これならもうしばらく持ちそうだな。あと5キロだ。ゴルフ場まで到着すればなんとかなる」・・・私はまたノロノロ運転でゴルフ場を目指した。やはり右後ろのタイヤが空気圧低下の感じがする。アストンマーチンで田舎町をノロノロ運転。後続車が繋がっている。私は不安と屈辱で涙が出そうになる。◆なんとかゴルフ場までたどり着いた。ハーフが終わってディーラーに電話を入れた。「この時期は温度低下で少し空気圧が低下しますからね。心配いりませんよ。赤ランプじゃなくて黄色いランプでしょ?こちらに帰りに寄ってください。ええ、心配いりません。コーションが少し敏感に反応するように設定していますから」と彼は明るく答えてくれた。◆ゴルフが終わった帰り道。きわめて快調。「おかしいな、朝は確かに後ろのタイヤが減っていると感じたのにな」・・・・病は気から、か。
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◎2017年12月08日 ---- ボス ◎
- ビール業界を見習え!
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業界最大手のアサヒビールが値上げを発表すると少し遅れてサントリーがとキリンも値上げを発表する。さてサッポロはどうするか、と眺めているとひと月遅れでやはりサッポロも値上げをする。かくしてわが国では4大ビールメーカーのものは同一価格になる。競うのは味と営業力であり、決して値下げして価格競争には持ち込まない。◆私は若い頃はこのビール業界の、少し時期をずらした一斉値上げに腹を立てていた。「談合かカルテルじゃないか!なぜ公取は調査しないんだ?」などと怒っていた。大人になり、経営者になった今は違う。◆いろんな業界がある。いろんな会社がある。お客様が満足するサービスを提供し続けることができなければ淘汰される。各社の経営者はもちろん従業員も「自分の会社の利益」を考えるだけではなく「業界全体の発展」を俯瞰する必要がある。◆例えばサッポロが他の3社が値上げを発表したのち「当社は値上げしません」と発表したら一時的にサッポロの売り上げは伸びるだろう。だがその行為は結果的にビール業界の収縮に繋がることになる。成熟したビール業界の賢い方々は危機感を持ちながらお客様の満足度を高めることに熱心である。◆我がヘリコプター業界には残念ながらそのような知恵が働くことがない。私は「談合」は許さないが「業界の発展を目指す大人の思考」を各社に対して訴えている。失礼ながら・・・・・いやこれ以上書くことは控えよう。
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◎2017年12月07日 ---- ボス ◎
- 誰がカネを払うのか
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男女同権とは言うがプライベートな食事や飲み会では男が多く負担すべきだと思っている。理由はない。単にそうすべきだと思っているし私はそうしてきた。◆新橋の食堂。ランチタイムに5人でやってきて食事を終えて勘定をする若者。一人一人がレジへ向かい自分が食べたものを告げている。「オレはレバニラと半チャーハン」・・レジのおばさんはそれを聞き注文票をチェックしながら「870円です」。客は1000円札を出して釣りをもらう。次の若者がまた食べたものを告げる。レジのおばさんは注文票をチェックする。これの繰り返し。ああ、めんどくさい!「5人でメシ食ったなら誰かが5人分をまとめて払え!」と言いたくなる。こんなことやっている若者は絶対に仕事できない。絶対に金持ちにはならない。断言する。◆同じく新橋のリーズナブルなワインバー。まだ付き合い始めたばかりなのか少しよそよそしい若いカップル。勘定書きを見ながら男が言った。「5640円だから一人2820円ね」・・女性は一瞬驚いた顔をしたが「2820円ね」と言いながら男に千円札を3枚渡した。男は180円のお釣りをその女性に渡した。この女性は二度と彼と二人では食事に行かないだろう。◆私でも女性と二人で食事をすることくらいはたまにある。もちろん全額私が払う。男と女が二人で食事をすれば、夫婦でない限り男が払うのが当たり前だと思っている。◆私は若い男性に教える。「無理してでもキミが払うんだよ。相手が美人でもブスでも。彼女にしたい人であろうが単に部下であろうが、二人でメシを食ったのなら男が払うんだよ」と。◆若い女性にはこうアドバイスする。「3回に一度はあなたが払いなさい。男が払うのが当然、と思ってはいけませんよ。でも彼がどうしても受け取ってくれないなら、なにか相応のものをプレゼントしなさい」・・私の忠告を素直に聞き入れた人たちは幸せになる。◆女性で一番い嫌なのが払う気もないのに、払えるわけもないのに勘定の時にさも「払う気ありますよ」とばかりに財布を手にするヤツ。「いいよ」と言ったらビックリしたような演技をして「えっ?ごちそうさまです」と頭を下げる。こういう女はタチが悪いと思って間違いない。
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◎2017年12月06日 ---- ボス ◎
- 人と繋がっていることの楽しさ
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師走。私のスケジュール帳には連日「忘年会」と記入されている。中学校、高校、大学、それぞれの仲間との忘年会。仕事関係の忘年会が最も多いが、ゴルフ仲間とのもの、ご近所づきあいのもの、辞めた会社の忘年会などもある。毎年40~50の忘年会に誘われる。もちろんすべてに参加できるわけではない。昨日も、25年前に仕事で知り合った仲間たちとの会を楽しく過ごした。◆一度仲良くなった関係、できることならいつまでも仲良く繋がっていたい。未練たらしい男と言われているかもしれない。◆私と逆に、過去の繋がりを自分から絶つ者も多い。高校の同窓会に誘った幹事に対して「同窓会?キミらいつまでそんなおセンチなことやってんの?」と返した同級生がいる。悲しいしむなしい。可哀そうでもある。◆これは多分、統計的に間違いないことだと思うが、多くの人と仲良く繋がっている人はそうでない人と比べて「幸福度」が高いだろうし「生涯収入」も多いだろう。「より幸せになりたい」「収入を増やしたい」と考えている方たちに私は「それならば多くの人と繋がっていることをお勧めしますよ」と答える。「忘年会に誘われたらなるべく参加した方がいいよ」とアドバイスする。「ええっ?キノシタさん、そうはおっしゃるけど忘年会の参加費用もバカになりませんよ」と答える若い人も多い。◆「奥さんとハワイに旅行に行くんです。節約しないといけないんで忘年会などは参加しません」という若者がいた。20年後、彼は出世もできなく、収入も低く、自分のことを幸せだと思える人になっていないだろう。どこで失敗したのかも気付かないのだろう。・・・そんなことを思っている。私の予想が当たるのかどうか・・・。きっと当たる。
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◎2017年12月05日 ---- ボス ◎
- 体調不良
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先週末、大学時代の同級生たちと沖縄でゴルフを楽しんだ。10月の終わり頃から忙しい日が続いていたから久しぶりの休養のつもりだった。違った。◆休養なら東京の自宅近所で散歩でもしてれば良かった。「久しぶりの休養」などと言いながらわざわざ沖縄まで行ってゴルフをすることはない。疲れは残っていた。いや、疲れはさらに増した。ハーフが過ぎた頃、胸に異様な不快感が生じた。胸やけに似た感覚だ。10番ホール、ティーショットを打ったあと自分で脈を取ってみた。「トン トン トン トン ウン トン トン トン トン トン ウン トン トン」(「ウン」のところは休息)・・定期的に打つはずの脈がときどき飛んでいる。気持ち悪い。痛くはない。元気もなくなった。心臓疾患、心配。◆「キノシター、大丈夫ね? 急におとなしくなってぇ。無理せんでいいよ、ここで上がろうか?」・・友人たちは優しい。「うん、ごめん。大丈夫、大したことないよ」私は明るく答え、ラウンドを続けた。◆南国沖縄とはいえ、この週末は冷たい雨と激しい風で修行のようなゴルフだった。「やっぱりここでやめてマージャンせん?」・・言いかけたが口に出さずに楽しくゴルフを続けた。実際、とても楽しかった。カラダはガタが来始めたが心は確実に休養になった。◆昨日、夕方、新橋の主治医を訪ねた。「先生、脈がときどき飛ぶんです」明るく言った。聴診器を当てながら先生は「今は大丈夫だね。順調に脈打ってるよ。心配ならホルター心電図取りましょうか?」と笑顔で聞いてきた。◆私は今、胸に測定器を張り付けたまま仕事をしている。大したことなければいいが・・・。
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◎2017年11月28日 ---- ボス ◎
- リーダー不在・・・合議制の欠点
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「トヨタ」には大株主創業家の「豊田家」があり「ホンダ」にも「本田家」がある。「ニッサン」には「日産家」がなかった。「骨」「核」あるいは「御目付」となるしっかりしたものがなかった「ニッサン」は合議制で物事を進めるほかなく、やがて「トヨタ」や「ホンダ」に対抗できなくなり屈辱的に技術力でははるかに劣る「ルノー」に身売りするハメになった。経営に関しては一枚上の「ルノー」はゴーンという「骨」「核」を「ニッサン」に送り込んだ。あっという間に「ニッサン」の業績は回復した。◆私は「合議制で物事を進める組織」よりも「強い賢いリーダーに引っ張られる組織」の方が強いと確信している。現代社会は素早い対応が迫られる。合議制では対応できない。◆ロシアはプーチンが引っ張り、中国は習近平が指導する。強い賢いリーダーを持った国は成長する。◆リーダーがいなければ組織はつぶれる。リーダーが多いと「船は山に登る」◆私が口を出さなくなると我が社では会議が増えた。中学校の生徒会のような会議が増えた。これではいけない。
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◎2017年11月27日 ---- ボス ◎
- 諦め
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この週末、恥を忍んで、友人や知人など10人以上に聞いてみた。皆が口を揃えた。「えっ? 勤務時間中に? その分残業になれば残業代もらえるの?」「信じられない! キノシタさん、ちょっと真面目に対処しないと大変なことになるんじゃないの?」「キノシタさん、甘すぎたんじゃない?」「えー、そんな会社あるんだ。私、入りたいなあ」「キノシタさんも大変だね。で、キノシタさん以外は誰もそのこと注意しないの?」 などなど・・・◆先週、金曜日、誰かが会議室を利用していた。「何の会議してるの?」 室外にいた職員に聞いた。「あっ、多分、今年の忘年会の打ち合わせです」 「忘年会の会議?」私は疑問を感じた。その会議はなんと1時間半も続いた。会議が終わったあと私はその責任者に聞いた。一回につき1時間から1時間半の「忘年会準備会」、今日で4回目か5回目だという。「怒り」と「落胆」が交互に私を襲った。◆中学校の生徒会のノリで生徒会長の指示するまま担当の生徒会委員たちはマジメに宿題をやっていたのだろう。6人の中の誰一人も「私たち、社会人だよね、勤務時間中にこんなことやってていいの?」と発言をしなかった。◆そうとう厳しい。我が社は、寒く長い冬になりそうだ。
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◎2017年11月24日 ---- ボス ◎
- 礼儀・マナー
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タクシーに乗っていて目的地が近づくと私はメーターを確認し支払うカネを準備する。そして運転手さんに「後ろの車の迷惑にならないよう、停めやすいところで停めてください」と伝える。荷物を持ち、すぐに降りられるように準備する。釣銭と領収書をもらったらそれを手に握ったままさっさと降りる。車の中で領収書を財布にしまったりはしない。運転手さんを早く解放してあげれば彼はそれだけ売り上げを上げることができる。交通渋滞も起こらない。◆行列ができる食堂に入ることがある。行列ができているのだから食事が済めばさっさと出るべきだろう。「オレは客なんだ。カネを払っているんだ。ゆっくり茶を飲む権利はあるよな」って感じのアタマと意地の悪そうなヤツを見ると腹が立つ。◆JR「みどりの窓口」はいつも行列ができている。カネを払ってチケットを受け取ったら私はすぐに横にずれ、窓口を次の客のために開ける。そうしておいてお釣りとチケットを財布にしまう。バカな客は窓口に立ったままゆっくりと財布にしまっている。◆最近は乗用カートで移動するゴルフが増えた。前の組と間を開けないように、最後にティーショットを打った人はクラブを持ったままカートに乗り込むのが常識。それが気配り。マナー。ところが3人がカートに乗って待っているのにゆっくりとクラブをバッグにしまうヤツが多い。なぜ、次のホールに着いてからバッグにしまおうと思わないのか私は不思議でならない。◆ほんのちょっとした気遣いでみんなが楽しくなる。ほんのちょっとした気配りができないと不必要な誤解が生まれやがてそれが諍い(いさかい)につながる。◆礼儀・マナー・気配り・・・みんなでもっと勉強したい。
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◎2017年11月22日 ---- ボス ◎
- 変態も可哀そう
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某参議院議員の息子が強制わいせつの疑いで逮捕された。路上で小学校低学年の女児の体を触ったという。「とんでもない話だ!」「厳罰に処せ!」というのは簡単だし私もそう思ってもいる。だが、このような事件の報道に接するたび私は自分にそのような欲求や性癖がないことに安堵する。◆コンビニで「これ欲しいな。誰も見てないな。万引きしちゃおうかな」となる気持ちは理解できる。その気持ちは理性で押さえなければならない。女子の更衣室を「覗いてみたいな。今なら誰にもバレずに覗けそうだ。覗いちゃおうかな」という気持ちもわかる。それも理性で押さえなければならない。満員電車で魅力的な女性と体が密着する。「触ってみたいな」という気持ちも分かる。もちろんそれも理性で押さえなければならない。だが小学校低学年の女児の体を触りたいという欲求を持つ男の気持ちは全く理解できない。「理性で押さえるべきだ」というのは理論としては正しい。だが自分にはそのような欲求がない人が欲求を持つ人に対し「理性で我慢すべきだ!」として裁き罰を与えるシステムはやむを得ないとは思いながらどこか引っかかるものがある。◆性同一性障害の方々の気持ちも私には理解できない。彼らには人に言えない特殊な欲求があったのだろう。今は世間が性同一性障害に理解を示すようになったが、30年前、50年前、100年前にも同じ障害に悩む者も多かったろう。「変態」と蔑まれていたのかもしれない。◆幼児に対してに性的な興味を抱く者をただの「変態」と決めつけて「理性で押さえろ! できなければ厳罰だ」で済ませておいてはいけない気がする。人に言えない妙な欲求を持って生まれた人たちに対し「変態!」の一言で片づけていたのでは不幸な犯罪とその犠牲者は減ることはないだろう。◆どうしても理性で押さえることができずに女児の体を触ってしまった変態者が少し可哀そうにも思える。(被害にあわれた女児やその親御様にとっては私のこのような発言は不愉快極まりないことであろう。申し訳なく思う。)
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◎2017年11月21日 ---- ボス ◎
- 台湾の「ねじれビル」
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4か月ぶりに台湾へ行ってきた。台湾の方はみな親切で行儀が良い。特に我々日本人には優しく接してくれるように感じる。電車でもチケット売り場でもきちんと列を作り順番を待つ。この国の人々はタイと同じくらい素敵な微笑みを絶やさない。列を作って電車を待っていると傍若無人な一団がやってきて、列など関係ないという風に電車に乗り込んだ。中国人観光客だった。これではいくら中国が「一つの国だ!」と叫んでも台湾の方々は「一緒になるなんてまっぴらよ!」と言うのだろうな、などと考えていた。◆町を走る車、道を歩く人々の服装、高級なものはほとんどない。粗末な服装で、質素なものを食べ、それでも元気で明るく微笑みを絶やさず、台湾の方々は平均的には我々日本人より生活を楽しんでいるように感じる。幸せ度ではきっと台湾のほうが上なのだろう。◆車や人々の服装や食べ物は質素でも、101階建ての「タイペイ101ビル」をはじめとする魅力的な建築物では日本を圧倒する。私は常々、大小のマッチ箱を並べただけのような最近の日本のビルを嘆いているが、台湾でも中国でも韓国でもベトナムでもタイでも、素敵なデザインのビルがどんどんできている。
◆「タイペイ101」の展望台から見下ろすと、ぐにゅっと捻じったようなビルが見えた。素晴らしい。「無難」なことが一番と考える覇気のない今のわが国の建築屋さんたちにはアイデアさえ思いつかないだろう。このビルを見ても感嘆の声を上げることもせず否定ばかりを考える。「無駄だ」「危険じゃないか」「いびつだ」「生活しにくいぞ」・・日本の建築屋はマッチ箱しかつくることができない。◆あー、情けない。
◆(画像をクリックしてみてください)... 続きを読む
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◎2017年11月20日 ---- ボス ◎
- 「歴史は繰り返す」のウソ
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新卒で入った建設会社に6年間勤務したあと辞めた。昭和から平成へと変わっていく頃だ。世の中にはまだ「バブル景気」という言葉は無かった。バブルがはじけて初めて「バブル景気」という言葉が登場する。◆株と土地の価格が徐々に下がり始めた頃、私の回りにはいわゆる「バブル紳士」が多かった。「バブル成金」とも言う。株や土地がジワジワと下がり続けても彼らは笑顔で私に講釈を垂れていた。「キノシタ君ねえ、歴史は繰り返すんだよ。昔から10年に一度くらい株も土地も暴落したんだよ。それでもそこを過ぎたら必ずまた値を戻すんだよ」と。彼らの示す株価や不動産価格のグラフは確かに何度か急降下しその後上昇していた。とは言っても戦後の統計資料で、3回か4回か繰り返しただけのことだった。「4回繰り返したのだから5回目も同じ」とは言えないでしょう、と私は彼らに反論したが彼らは皆、私のことを憐み(あわれみ)の目で見ていた。◆あれから30年が経った。私に「歴史は繰り返す」と語っていた人の中の数人がその後、自殺した。バブルに踊った紳士、バブルで財をなした成金の方々の中で今も幸せに暮らしている人は何割いるのだろうか?◆私は学者が「歴史は繰り返す」という言葉を使うたびにその学者には「×」を付けるようにしている。
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◎2017年11月13日 ---- ボス ◎
- 婉曲な言い回し
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娘と一緒に時々外食をする。先々週の土曜日の朝もそうだった。◆私は休日も普段と同じ時刻に起床する。家人たちは普段よりは2時間近くゆっくり起きてくる。家族が起きだしてくるまでの2時間はとても長く感じる。三連休の中日(なかび)の土曜日、私はゴルフの予定もなく暇だった。そこでその前日の金曜日の夜、翌日の朝食を一緒にしようと娘・息子を誘っていた。断られるかと思ったが意外と二人とも「いいね! 父さんのおごりだよね?」と乗ってきた。◆土曜日の朝、娘・息子は約束通り7時前には外出の準備を終えていた。広尾の坂を三人で下りながら最近の彼らの仕事の話を聞く。なかなか頑張っているようだ。◆7時から開いている「サワムラ」に入る。数種類あるここのモーニングセットはどれも美味しいと評判だ。娘は「フレンチトーストセット」息子は「チーズオムレツセット」を頼んだ。私は「ホットドッグセット」。楽しい会話が弾んだ。娘が、息子の食べるオムレツを見て「それ、美味しい?」と聞いた。息子は「旨いよ。食べる?」と言いながら自分の皿を姉の方にずらした。娘は嬉しそうに弟のプレートにフォークを向けた。◆「姉ちゃんは巧いよね。『ちょっと頂戴』と言わずに『それ、美味しい?』って聞いてくるものね。自分から『食べさせて』と言わずに相手に『どうぞ』って言わせるもんね」と感心している。・・確かにそうだ。娘は巧い。その娘の巧みな会話術に気付く息子も成長した。◆息子・娘との有意義な楽しい時間を過ごしながら、彼らの成長を確認した。なかでも娘の「婉曲な言い回し」をとても可愛く思った。彼女のコミュニケーション能力に〇を付けた。
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◎2017年11月09日 ---- ボス ◎
- 難しい判断
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「あなたが鉄道のポイントの切り替えマンだったとしよう。あなたがポイント脇に立っているとブレーキの壊れた暴走列車が走ってきた。このままだと線路の補修作業をしている5人の作業員が間違いなく跳ねれられてしまう。あなたは彼らを救うためポイントを切り替えようとレバーを握った。ところが切り替えた場合、そちらにも作業をしている老人が1人いた。あなたはどうする?」という問題がある。◆何もしなければ5人が死ぬ。あなたがレバーを引けばその5人は助かるが別の1人の老人が死んでしまう。・・・私なら「どうするだろうか」考えてみた。「どうすべきか」を考えてみた。◆「どうすべきか」・・・レバーを引いて5人を助けるべきだろう。老人は死んでしまうが。「どうするか」・・・きっと私は(老人を殺してしまう)レバーを引く勇気がなく、5人を見殺しにしてしまうだろう。◆なぜ私はレバーを引けないのか? 今の日本では「レバーを引くべき」との教育が全くなされていないから。もしレバーを引いたとして「5人を救った英雄」になるよりも「老人を殺した犯罪者」扱いされる可能性が高いから。◆マスコミを中心にして「行動しないこと」は許され、「行動すること」をバッシングする風潮が高まっている気がする。これではいけない。
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◎2017年10月31日 ---- ボス ◎
- 生意気だった頃
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若かった。無知だった。そして生意気だった。◆私が学生だった頃の九州大学は、2年生の前期までを六本松の教養学部で学び、後期から箱崎の本学で学ぶというシステムだった。最初の1年半で教養課程の単位を取得できなければ留年だ。◆高校2年生の頃から品行方正ではなくなっていた私は大学生となり、さらに怠惰な生活をおくっていた。それでも教養学部はなんとか留年することなく本学へ進むことができた。◆本学では「水理学」「構造力学」「計画数学」など難しい必須科目が多かった。大学の試験は60点未満は不合格である。試験前は一夜漬けで勉強したが、それで合格するほど甘くない。◆配られた問題用紙を見た瞬間、「あっ、これは無理」と思うことが多かった。どう頑張っても20点くらいしか取れない。カンペが回ってきてもせいぜい30点か。そう思ったら私は躊躇なく白紙で解答用紙を提出していた。いつも一番先に教室を出ていた。そうすることがカッコいいと思っていた。「どうせ不合格なんだ。悪あがきはしない」・・いきがっていた。生意気だったのだ。不合格者救済のために行われる再試でも同じ態度だった。◆「水理学」、さすがに再再試前は必死に勉強した。再再試となると受験者は4.5人になっていた。難しい科目だがほとんどの同級生は再試までで合格していた。再再試の問題を見たときに「厳しいな」と思った。それでも頑張って時間いっぱい使って答案用紙に書き込んだ。60点取れたかもしれない。取れていなければ留年だ。再再試の結果は一人ひとり、教官室に伺いに行く。◆結果、私、一人だけ不合格だった。厳しい表情の先生がノートを見ながら不愉快そうに言う。「キミは本試験はゼロ。再試も零点だね。再再試は44点。つまり合計で44点だよ。60点ある者しか合格は出せないよ」と・・。後で分かったが再再試のみでは私よりも点数が低かった者が本試、再試の点数をプラスされて合格していた。◆えーっ!「本試」と「再試」と「再再試」の合計得点で合否が決まるの?そんなの聞いてないよー! と言いたかった。知っていれば本試でも10点は取れ、再試では15点は取れた。私はいきがって白紙で提出していた。留年した。◆あれから約40年が経った。社会人となり、大人になった。あの時の教授の気持ちも理解できる。いきがっていた生意気な自分が恥ずかしい。と同時にいきがってた生意気なあの頃の自分が可愛くもある。
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◎2017年10月30日 ---- ボス ◎
- アインシュタインのメモ
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アインシュタインが帝国ホテルのベルボーイにチップ代わりに渡したメモが、100年近くたった今、オークションで2億円もの高値で落札された。そのメモには「穏やかでつつましい生活は、成功を追求するせいで常に浮き足立っているよりも、より多くの幸福をもたらす」と書かれていた。◆わかる! そう! 「穏やかでつつましい生活」・・・そろそろ私もそんな生活に入って幸福を感じたい。いや、もちろん今「不幸だ」ということではないのだが・・・。
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◎2017年10月27日 ---- ボス ◎
- 不手際
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昨日から猛烈な下痢と発熱で苦しんでいる。昨夜は医者にもらった薬を飲んで早く寝た。夜中に五枚寝汗で濡れたTシャツを着替えた。 熱は少し下がったが下痢はまだ心配。だが今日は仙台へ出張の予定。キャンセルするわけには行かない。万一に備えお尻にティッシュを数枚挟んでパンツを履いた。◆ティッシュを挟みながらテレ朝の情報番組を観ていた。ニュースを伝える間に女性アナウンサーのリラックスした態度が映ってしまった。彼女は慌てて「失礼しました」と原稿を読もうとするがチグハグになってしまった。VTRとコメントがずれてしまった。まあテレビでは珍しくもない失態。私は一所懸命に取り繕うとするその美人アナウンサーに好感を持った。そのままコマーシャルになった。だがここからが問題。◆コマーシャルが開けるとそのアナウンサーはこう言ったのだ。おそらくカンペを読み間違えたのだろう。「さきほど、ふてさいが続きました。お詫びします」と。私は「ふてさいってなんだろう?」と一瞬考えた。
◆仙台に向かう新幹線の中で調べてみた。彼女は「ふてさい」ではなく「ふていさい」と言ったのかもしれない。聞きなれない言葉だが「ふていさい(不体裁)」ならば使い方はおかしくない。・・・・失礼しました。... 続きを読む
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◎2017年10月27日 ---- ボス ◎
- ビジネスのONとOFF
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バリ島旅行の中で「ぼーっとする」ことの大切さに気付いた。◆これまでは「ぼーっとする」ことはもったいない、と考えていた。とにかく何かをしていなければならない。何もしていないようでも私はいつも何かを考えていた。サラリーマンを辞めた30歳過ぎからこれまでずっと、常に仕事モード。「24時間 ON」が正しいと思ってきた。OFFにすると仕事で失敗しそうで怖かった。できなかった。OFFであっても、いつでもONになれる態勢をとっていた。・・・疲れた。◆還暦過ぎて友人の娘さんの結婚式に乗じたバリ島旅行。日本では選挙も終わり慌ただしい日々がスタートしているであろう月曜日も火曜日も私はバリでぼーっとしていた。今はOFFなんだ。仕事場には敢えて連絡しなかった。「これからはON・OFFの切り換えをうまくやっていこう」・・そう思いながら水曜日午前、帰国した。◆午後から出社した。いくつかの問題が私を待っていたが、その多くは担当者が上手に対応してくれていた。一つだけ気になっていることがあった。私の故郷、大分県佐伯市に関係することだ。私は佐伯のその病院に電話を入れてみた。意外な返事!◆ヘリコプター業界の数人に連絡してみた。状況が分かった。腹が立った。◆どこが悪かった? 何を間違えた? 誰が悪い? オレも悪い。・・・・いろいろと考えた。バリ島旅行の疲れで早く寝たが眠る直前まで考えていた。◆「あなた昨夜、なにか、うなされてるようでしたよ。」今朝、家人に言われた。そういえば夜中に何度も目が覚めた。覚める都度、あのことを考えていた。◆本当はオフィスではON、自宅ではOFF、にしたいのだが長年しみついた「24時間ON」は簡単に抜けそうにない。
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◎2017年10月26日 ---- ボス ◎
- バリ島旅行往復
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バリ島旅行出発の10日ほど前だった。家人が「いま、バリ島旅行って大丈夫なの?」と聞いてきた。選挙と重なることの心配だろうと思い、「なんとかなるさ。オレは期日前投票していくよ」と答えると「そうじゃないわよ。火山のことよ。アナタ知らないの?」と言う。バリ島のアグン山が噴火したため旅行客の多くがキャンセルしているという。・・・・◆平成4年からしばらく、年に2.3回アメリカへの出張があった。成田からサンノゼ空港かダラス空港へ向かうジャンボジェット(ボーイング747)をよく利用した。当時のビジネスクラスはまだフルフラットではなく今の新幹線のグリーン車程度のリクライニングシートだった。それでもエコノミーシートに比べると格段に快適だった。ビジネスクラスを利用できることをとてもありがたく思った。ところが・・・・。後方のエコノミー席を覗いてみると空席だらけ。ガラガラなことが多かった。バブル景気崩壊の頃、アメリカへ向かう飛行機はすいていた。ジャンボ機は左右の通路に挟まれた4席があるのだがその4席にごろっと寝ている人が多い。まさにフルフラットシートだ。高いカネを払ってビジネスクラスに乗ってもリクライニングなのにエコノミークラスでフルフラットで眠られる。うらやましかった。ちなみにこの当時はまだ飛行機の中でたばこが吸えた。◆さてバリ島旅行。私は火山の噴火を気にすることなくアリサちゃんの結婚を祝福しにいくことにした。仕事でのフライトではないので往復ともエコノミークラス。エコノミークラスで7時間のフライトはかなりの苦痛を伴うことと覚悟していた。ところが火山噴火の影響がありキャンセルあいついだ飛行機はガラガラ。ボーイング777には4席続く席はないが窓側から3席が続く。少し窮屈ではあるが立派なフルフラットシートが出来上がった。
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◎2017年10月22日 ---- ボス ◎
- バリ島にて
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お世話になっている親しい友人の娘さんがバリ島で結婚式を挙げることになった。私たちは彼女の結婚をお祝いしついでにバリ島でゴルフを楽しもうと計画した。計画した時にはまさか選挙と重なるとは思ってもみなかった。選挙は期日前投票で済ませバリに向かった。バリ島のデンパサール空港にはなんと結婚式を翌日に控えた娘さんが迎えに来てくれていた。親父はすでに親戚連中と酔っ払っている、ということだった。◆確かに親戚連中は結婚式の前後は忙しい。一人、ヒマな私はクタのビーチを散歩だ。
◆クタビーチにいる観光客のほとんどが白人だ。オーストラリアから来る客が8割。彼らと比べられたくない貧相なカラダを真夏の太陽に晒しながら私は一人ビーチに寝転んでいた。ぼーっとしながらいろいろと考えた。 まず「ああ、こんなにぼーっとしたのは、いつ以来だろうか」と思い嬉しくなった。続いて思ったことが面白い。まるで死に行く老人のように「楽しかったなあ、オレの人生はなかなかなものだったなあ。ま、合格点はつけられるよなぁ」そんなことを考えていたのだ。◆ビーチを歩きながら口ずさんでいた歌はサザンでもチューブでもなく小椋佳。面白い。◆数年後、本当に人生の終わりを迎える時に今日のような気持ちになれるように、もうしばらく頑張ろう。◆アリサちゃん、あなたの結婚式を機にオジサンもいろいろと考え、ぼーっとし、楽しむことができました。ありがとう。いつまでもお幸せに!... 続きを読む
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◎2017年10月20日 ---- ボス ◎
- 人も企業も重要なのは「道徳」
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「義理・道徳」の大書を、私のデスク後ろの壁に掛けてある。人も企業も義理と道徳を欠いてはダメ、という強い信念がある。◆三十余年の取締役、二十余年の社長業の中で、どうしても許せない裏切りや非道徳に会った。◆バブル崩壊時の第一勧業銀行の担当者の言動。リーマンショック時の三井住友銀行支店長の態度。同じころの商工中金担当者の態度。金融機関の「手のひら返し」には何度も泣かされた。頭にきた。◆後に20億円もの負債を抱え倒産することになる地方の航空会社のいかがわしいアタマの悪い女性経営者の非道徳な行為にも怒りで眠れない日が続いた。◆当社が多額の開発費をかけて米国で開発した製品を「分社しました。この製品は私が担当です」と言って、当社を辞めた元課長が売り歩いていた。私は自殺すら考えた。◆人間として取ってはならない行動をした彼らだが、おそらく誰もが言い訳はするが反省することなく今ものうのうと同じように仕事を続けている。ずるい奴らは、人さまから後ろ指を指されようが気にしない。「自分さえ儲かればいい」「人がどんなに苦しむかなんて知らない」・・そんな奴が大手を振って生きていることが寂しい。生きられることが悔しい。◆私が煮え湯を飲まされた会社がもう一つ。その会社は「神戸製鋼」。もう十五年くらい前のことだ。詳細は避けるがあまりにも誠意に欠ける人を馬鹿にした態度に頭にきた。たまたま事情を知った著名な経営コンサルタントの先生が当社の応援をしてくれた。◆神戸製鋼の不正が連日報道されている。数十年前から続く不正とのこと。「やっぱりそんな会社だったんだ。誠実でない、非道徳的な会社なんだ。ずるい奴しか出世できない会社なんだ」・・テレビのニュースを見ながら、今となっては懐かしい、当時の腹立ちを思い出していた。
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◎2017年10月19日 ---- ボス ◎
- 育ちの違い
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西麻布のバーで、大手商社に勤めるYクンに久しぶりに会った。Yクンは30歳を少し回った好青年。前回会ったのは今年の始め、寒い頃だった。その時は「なんとか年内に結婚しようと思います」などと、彼女の自慢話を聞かされた。◆「どう?順調?婚約はしたの?」私は軽くYクンに声をかけた。「あれっ、キノシタさんに話してませんでしたっけ?別れたんですよ、カノジョとは」と少し驚いた表情のYクン。だが落ち込んでいる風ではない。おそらく別れてしばらく経ったのだろう。「そっか、まあいろいろあるもんな」とだけ私は返した。◆しばらくくだらぬ話をしているとYクンが、「キノシタさんはホント優しいですね。『どうして別れたの?』とか聞いてこないですもんね」と言った。少し意外だった。「なんだ、これは、聞いて欲しいんだろうな」と私は思いYクンに尋ねることにした。「優しかぁないよ、これから聞こうと思ってたんだよ。で、なにが理由で別れたの?」◆Yクンは「待ってました」とばかりにしゃべり始めた。「いろいろと小さいことが溜まりましてね。考え方の違いですね。でも最後はラブホテルでの彼女の態度でした」・・・私は「ラブホテルでの彼女の態度」と言う言葉で、会ったこともない彼女の痴態を一瞬想像した。そうではなかった。◆「部屋を出る前にベッドの布団のめくれを直したり、タオルをきれいに重ねたりと僕はするんです。彼女はしないんです。その日も僕がベッドを片付けていたら彼女が 『すぐに掃除のおばちゃんが来て布団を取り換えるんだからそんなことしなくていいよ』とか言うんです。カチンと来ました。そういえば彼女は婦人服売り場でも畳んでいるセーターなんかをパッと広げてみてそのままそこに置いていくんです。あれ、オレ、嫌なんですよ」・・それを聞いて私は妙に納得した。私は残念ながら?ラブホテルには行ったことはないが出張で利用する普通のホテルを出るときでもベッドはキレイにする。私とYクンは同じタイプの人間のようだ。◆「Yな、そういうのは『考え方の違い』というよりもおそらく『育ちの違い』なんだと思うよ。別れて正解だと思うよ。」・・・思わずそんな言葉で慰めた。酔いのまわったアタマで私も人生を振り返ってみた。「育ち」「教育」って大切だなあ、とあらためて思った。
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◎2017年10月12日 ---- ボス ◎
◎2017年10月11日 ---- ボス ◎
- みっともない「えーと・・」という口癖
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会議や面接など少し緊張感を伴う状況での発言時「えーと」を連発する者が多い。実にみっともないが誰も注意しない。私は時々本人に注意する。「えーと」と言うことを控えるように努力した方がいいよ、と。
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◎2017年10月06日 ---- ボス ◎
- 村上春樹氏、ノーベル賞受賞ならず
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「今回こそは村上春樹さんがノーベル文学賞」・・・確信に近いものがあった。しかし私は最近、スケジュールに追われ、その予想を人に伝えることがなかった。◆発表があってから「実はオレ、今年は村上春樹が受賞するって思ってたよ」と言っても後出しジャンケンみたい。それで、昨夕、発表前に急いで私の予想をこの欄に書いた。見事に外れた。今年の文学賞はカズオ・イシグロさんという私の知らない作家だった。両親とも日本人、それも九州の人だという。村上春樹さんがまたしても受賞を逃したことと、私のみっともない予想の外し方に関しては置いておきましょう。素直に日本人の血が流れる作家がノーベル文学賞を受賞したことに拍手。
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◎2017年10月05日 ---- ボス ◎
- 予想 村上春樹氏 ノーベル文学賞受賞
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今夜遅くか明日にはノーベル文学賞受賞者が発表される。それで慌てて書いている。今年はやっと村上春樹氏が受賞するのだろう、と予想するから。◆理由はいくつか。①ここ数年、毎年候補に上がっている。そろそろ順番が来てもいいころ。②昨年のボブディランには懲りた。誰もが納得する者に授けたい。③ノーベル医学、物理学、化学などの分野で今年は日本人ノーベル賞受賞者が出ていない。・・・などなど ◆ 明日、朝、出勤してから「今年は村上春樹さんが取りそうな予想をしてたんだ」と言うと「後出しジャンケンなら誰でも勝てるよ」と言われそうなので、取り急ぎ私の予想を書いて公表する。念のために言っておくが私は昨年までは「今年は村上春樹」などと予想したことは一度もない。機は熟した、と思い慌てて書いている。
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◎2017年10月05日 ---- ボス ◎
- 国際民間航空機関(ICAO)
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航空関係者でなくても「国際民間航空機関(ICAO)」という言葉をニュースなどで耳にした人は多いはずだ。ICAO・・通常は「イカオ」と呼ぶが、通ぶった方は「アイカオ」と表現する。国際的な航空ルールを取り決める機関である。我が国でも「航空法」に特に記載のないことは基本的に「ICAO」の定めたルールに従うことになっている。航空業界にいるものにとっては日常的に使われているこの「国際民間航空機関」という言葉。「ちょっと待ってよ! 『民間航空機関』ってことは『警察航空隊機』や『政府専用機』や『消防航空隊機』は該当しないの?」 と誰も聞かないことが不思議だ。・・知らないくせに。知らなくても疑問を感じない、好奇心のない者ばかり。◆私はみんなが疑問に感じるかもしれない、誤解するかもしれない、と思ってこの言葉を使うときには必ず《注》を付けるようにしている。◆「ここで言う『民間』というのは『軍ではない』ということです。我が国で言うと『自衛隊機を除く』と言うことです」と。◆「国際民間航空機関」よ訳さずに「国際非軍航空機関」とか「国際除軍航空機関」と訳せば良いのに、と思う。
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◎2017年10月02日 ---- ボス ◎
- 社会不適合者
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母は70歳代後半にになり記憶力の低下が顕著になった。同じことを何度も話すようになった。回りの者は皆「おかしい」と気付いていたが母に直接注意できる者はいない。同じ話を繰り返す母に対し「さっきも言ったじゃあ」と言うと「そうやったかねえ、トシやけんねえ」と、自分の記憶力の低下を年齢のせいだと決めつけていた。もちろん年齢のせいだけではなかった。◆正月に帰省しているとき母が「あんた、東京には誰か高校時代の友達はおるんね?」と聞いてきた。「うん、おるよ。吉田のチカシくんとか、増井さんとか錦邊さんとか・・」と答えると「チカシくんちゅうのは海崎出身の子やったなあ」と返してくる。「そうよ、海崎出身よ・・・。よく覚えとるねえ・・」などと話して一旦その話題が終わる。三分後また母が「あんた、東京には誰か高校時代の友達はおるん?」と聞いてくる。「さっき言ったじゃない!」と言うと可愛そうなので、私はまた先ほどと同じように答える。「うん、おるよ。吉田のチカシくんとか、増井さんとか錦邊さんとか・・」するとすぐに「チカシくんちゅうのは海崎出身の子やったなあ」と全く同じフレーズが続く。同じ話を3回繰り返し、4回目「あんた、東京には誰か高校時代の友達はおるん?」と聞いてきた。私は「おらん。東京には高校の同級生は誰もおらんのよ」と答えた。「えっ?誰もおらんの?」でその会話は終わった。私はほっとした。◆春になった。「病気かもしれんから一度病院で診てもらおうよ」 姉と二人で母を説得した。母は猛烈に怒り出した。「あんたたちは私んことをボケとるっちゅうの?! わたしゃあボケとらんよ。誰でも歳をとれば記憶力は落ちるやろ!」・・・嫌がる母を何時間もかけて説得し、やっと病院に連れて行った。「初期の認知症」と診断されたが私たちは「初期ではない」と思っていた。薬を処方してもらったが母はその薬を飲むことを忘れることが多かった。認知症はどんどんと進行した。本人も辛かっただろう。◆社会生活をしていると、本人は自覚していないが明らかに社会生活不適合な人と出会う。周りの者は誰も、最初は彼が病気だとは気付かない。注意すれば治ると思って接触する。しばらくすると「これはおかしい」と気付いて病院に行くことを勧める。本人が「おかしい」と自覚している者は素直に病院に行く。翌日、「うつ病」などの診断書と処方薬をもらってくる。やっかいなのは私の母のように「おかしい」と自分で認識していない人。身内でもない者が「病院に行っておいで」とは言えない。「うつ病」も「アスペルガー」も病気。彼らを責めるのはかわいそう。「病院に行ったほうが・・・」・・自覚していない人にもしそんなことを言ったら私の母の怒りどころではないだろう。◆「わたしゃあボケとらんよ!」と大声で反発した母の姿を時々思い出す。
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◎2017年09月27日 ---- ボス ◎
- 幸せの秘訣は「無欲」
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私が勝手に「恵まれてないな」「ついてない人生だな」「かわいそうだな」と思っていた同級生のほとんどすべての人が、実は自分のことを「幸せだ」と感じているということに気づいた。彼のことを「ついてない人生だな」とか彼女のことを「かわいそうだな」などと私が思うのは優しさでも同情でもないただの思い上がりだったようだ。彼らは同情されるのが嫌で「オレ、本当に幸せな人生だと思うよ」と言っているのではなく、まさに本心から「幸せだ」と思っているのだ。直接話したらそのことはよく分かる。◆どこに私の勘違いが生じたのだろう。なぜ私は彼女のことを勝手に「かわいそうだな」などと上から目線で思ったのだろうか。◆おそらく私にはまだ「欲」があり、私は同級生の彼らにも私と同等の「欲」があるものだと思い込んでいた。そしてその「欲」が満たされない人生を送っているように見える方々を勝手に「かわいそう」と決めつけていたようだ。違った。◆六十年も生きてくると、大抵のものは「欲」が無くなる。「欲」さえなくなれば現状に満足する。現状を「幸せ」と感じるようになる。同級生たちからまた多くのことを学んだ。◆経営者である私は、まだ「欲」を捨てることはできない。経営者を終え、「欲」を捨てたとき私の人生は「本当に幸せな人生」になるのだろう。◆・・・朝から哲学的なことを考えていた。
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◎2017年09月26日 ---- ボス ◎
- みんな幸せ
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昭和32年生まれの私は今年六月に60歳になった。同級生もみな今年度還暦を迎える。退職や転職する者が多い。そのためか今年は例年以上に同級生での集まりが多い。盆休みには中学校の同窓会、高校の同窓会と続いた。先週も木曜、金曜、土曜と大学時代の同級生に会っていた。◆かつて一緒に遊び学んでいた連中も、還暦にもなると、それぞれが様々な人生を送っている。「末は博士か大臣か」と期待されていたが目立たぬ役人で終わった者がいる。逆に30歳頃まで定職に着かず周りに心配をかけていた者が役人のトップになっていたりもする。いわゆる天下りによって悠々自適な生活に移った者もいる。50歳前に東京での仕事を止め故郷に帰って漁師をしている者もいる。病気で苦しんでいる者も何人か。旦那に浮気ばかりされて諦めている女性の同級生もいれば、入院中の主人に献身的に尽くす女性同級生も。この年になって離婚を考えている者も何人かいるのには驚いた。お盆に話した中学時代の同級生は「モトミくん、私な、まだ九州を出たことないんよ。飛行機にも乗ったことない」と楽しそうに話してくれた。◆みんないろいろ。もちろん本人の努力や才能によって人生は大きく変わるが、それ以上に「運」によることが多い。「上司が悪かったから」「若い時に病気したから」「旦那が飲兵衛だったから」「子供が事故を起こしたから」・・様々な偶然でその人の人生は大きく変わる。幸せにも不幸にもなる。◆私個人は運や人に恵まれて、極めてラッキーな人生を送って来られたと思っている。同級生に会うたびに何人かの者に対しは「運が悪かったのだろうな」などと感じてしまう。もちろん決して口や態度には出さない。だが違った。私が「きっと彼は運が悪かったのだろうな、可哀そうだな。今はどう見ても幸せそうじゃないな」と感じる同級生、彼らはみな口々に「オレ、とっても幸せよ」とか「私、とても良い人生送ってるよ」などと言う。それを聞くとこちらも嬉しくなる。◆人の人生、人の幸せ、は分からない。こっちが勝手に「ヤツはツイてないな」などと思うのは彼に対して失礼なことだと気づいた。60歳まで生きれば、みんなほどほどに幸せを感じている。60歳まで生きて「オレは不幸だ。オレの人生はツキに恵まれなかった」などと考えている人はとても少ないようだ。
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◎2017年09月22日 ---- ボス ◎
- 古き良き時代
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大学3年生の時に留年した。1年遅れで4年生になったがそれでも卒業に必要な単位はまだまだたくさん残っていた。中でも「測量Ⅱ」という必修科目は難しかった。私は試験で不合格となり、続く再試験、再々試でも合格できなかった。「再留年が決定か」と落ち込んでいたところ「最後のチャンス」が巡ってきた。私は「工学部土木工学科」であったがなんと「農学部農業土木学科」で「測量Ⅱ」の再試験があるという。それを受けて良い、と許可が出た。これで落ちれば本当に再留年が決定する。私は徹夜で猛勉強した。◆試験当日、私は心細かった。広い教室には10人程度の学生しかいない。工学部の学生は私一人。周りは知らないヤツばかり。カンペが回ってくる可能性はない。だが私には猛勉強からくる自信も少々あった。そこに試験担当教官が問題を持って入ってきた。「あっ、マキズミさんだ!」・・教官は私が兄貴のように慕っていた、当時工学部の助手であった牧角さんだったのだ。とはいえ農学部の教室での試験、私の卒業がかかった試験、馴れ馴れしくすることはできない。◆試験が始まった。問題は六問あった。すぐに「四問は解けそうだ」と思った。四問正解なら合格できる。私は解き始めた。三問は完璧だった。もう一問も「多分これで大丈夫だろう」と思いながらも少し引っかかるところがあった。◆牧角さんは学生の回答を一人ずつその横に立って黙って眺めていた。私の横に来た。随分と熱心に私の回答を眺めていた。そして私の回答の一部を指さしながら小さな声で「分母分子が逆」と教えてくれた。それはちょうど私が自信持てないところであった。牧角先生のアドバイスで私は消しゴムでゴシゴシやり、急いで書き換えた。「うん、これで四問は解けた」と安心していた。終了時刻が迫っていた。教室前のほうで農学部の学生の答案を見ていた牧角さんが慌てた様子で私の方に速足でやってきた。「キノシタ、悪い! さっきんで良かった。おうちょった。分母分子はあれで良かった」・・・私はまた大慌てで書き換えた。私が書き換え終わるのを待って牧角先生は「はいっ、時間です」と言って各人の鉛筆を置かせた。もちろん私は合格した。◆古き良き時代のエピソード。あれから36年経った。今日、福岡で「牧角龍憲先生退官記念講演会と記念パーティー」が開かれる。もちろん私も参加する。牧角先生、お疲れさまでした。ありがとうございました。◆良い友、良い先輩、良い先生に恵まれた私の人生を確認する機会でもある。
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◎2017年09月19日 ---- ボス ◎
- 番匠川、溢れる
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母は台風が近づくと必ずこの話をして父を懐かしがっていた。私の父は大分県庁に勤める土木技術者であった。◆母の新婚当初のことだから今から70年近く前の出来事だ。巨大台風が近づいた。そのとき二人は佐伯市の母の実家に帰っていた。大雨はなかなか止まなかった。番匠川(ばんじょうがわ)は水嵩が増した。番匠川のそばに住む母の一家は不安になる。そこに市役所の職員が避難勧告に訪れた。夜間だったが、近所の方々はみな指示に従い非難をはじめた。ただその時、父は一所懸命に何かを計算していた。そして「この雨で番匠川が溢れることはない」と断言したそうだ。母も、母の両親も、父のその言葉を信用した。「あんたが『大丈夫』っちゅうんなら、わたしゃあんたを信じるよ」っていう感じ。市役所職員の説得を聞かずに非難しなかった。父の予想通り、番匠川は溢れることがなかった。◆市の職員の避難勧告に、県の土木職員が従わないというのが良いことなのかどうか分からない。だがこのエピソードを嬉しそうに語る母はいつも誇らしげであった。「番匠川は枯れることも溢れることもない、とても優秀な河川やってよ」と母は父の言葉を伝えてくれていた。◆毎年、この時期になると台風が九州を襲う。台風が近づく九州の状況、などとテレビに「大分県佐伯市」が映る。私はその都度、父母が避難勧告に従わなかったエピソードと「番匠川は枯れることも溢れることもない、とても優秀な河川やってよ」との言葉を思い出していた。「心配ないよ。大丈夫だ」と思っていた・・・◆ところが先週末、その番匠川が一部で溢れた。びっくりした。死者が出なかったのは不幸中の幸いだが、わが強度に甚大な被害をもたらした。◆昨年、天国の父のもとへ旅立った母。きっと天国で父と二人、心配そうに番匠川の氾濫を眺めたことだろう。◆私は東京から、わが故郷の、早い立ち直りを祈っている。
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◎2017年09月15日 ---- ボス ◎
- 挑戦
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「経済評論家」と言う方々は「競馬の予想屋」と同じだと思っている。皆それぞれの根拠を持って持論を展開し今後を予想する。予想が外れてもなんの責任も取らない。◆私が「エアロファシリティー株式会社」を興したころ、ある経済評論家がこんなことを言っていた。「カタカナ名の会社はすぐに潰れることが多い」「横書き名刺の会社も寿命が短い」・・平成に入ってもコンサバな爺さん評論家は堂々と持論を展開していた。さらに「社長が外車に乗り出したらその会社は危ない」とも言っていた。◆私はこんなバカな評論家に耳を傾けずに、自分と側近の方々との読みと感覚でここまで進んできた。「航空施設株式会社」ではなく「エアロファシリティー株式会社」にして良かったと思っている。設立当初からスタイリッシュな横書き名刺にして良かったと思っている。◆いま私は少々疲れているが、もう少しこの会社の先頭を切って走り続けなければならない。老け込み休むわけにはいなかい。そんな気持ちもあって5年間乗ったクルマiを買い替えた。バカな経済評論家は「社長はクラウンかプリウスに乗るべき」などと言っているが私はまだコンサバジジイになるわけにはいかない。これからまた新しいプロジェクトが始まるのだ。◆ここまでの5年間は愛車BMW640iと走ってきた。最初は扱いにくくてこずった。そして最後まで「完璧」に乗りこなすことはできなかった。それでも魅力は落ちることなかった。私一人のための「書斎」にもなれば「音楽喫茶」にもなった。美しいフォルムは私の応援団でもあった。◆昨日、その愛車BMW640iが引き取られ、新しいクルマが来た。2~3年か、あるいは5年間か、私はこのクルマと過ごすことを決めた。私の人生最後の「頑張るためのクルマ」だ。 おそら、この車の「次に私が乗るクルマ」は落ち着いた「クラウン」か「レクサス」になるのだろう。◆子供の頃、ジェームスボンドが乗っていて「かっこいい!」と憧れていたクルマ、アストンマーチンが昨日から私の愛車になった。◆「カタカナ会社」「横書き名刺」「社長は外車」・・経済評論家からダメ出しをされても関係ない。時にコンサバは停滞を招く。私たちは「今を守る」だけでは5年も生きてはいけないのだ。「挑戦」には「刺激」が必要。
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◎2017年09月13日 ---- ボス ◎
- リタイア
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24歳でWBA・WBC統一ヘビー級チャンピオンになったジョージ・フォアマンは28歳でボクサーを引退し、宣教師に転身する。それから10年後、彼は現役復帰を発表する。多くの者は彼の復帰を「無理でしょ」と嘲笑したがフォアマンは実に復帰後24連勝してヘビー級タイトル戦線に再浮上する。だが再度1年以上ブランクを開ける。再々復帰後、45歳で20年ぶりにヘビー級チャンピオンに返り咲く。元チャンピオンが28歳で引退し、10年後に復帰、1年間再度ブランクの後、世界チャンピオンに復活したのだ。そして彼は48歳まで現役ボクサーとして戦い続ける。◆1995年、女子テニス世界ランキング4位まで上り詰めた伊達公子は翌年、世界ランク8位の時に引退した。まだ25歳だった。それから12年後、彼女はプロテニスプレーヤー復帰を表明する。そして復帰後3年、40歳で世界ランキング46位まで上る。その後も活躍を続け、日本の女子テニス界をリーダーとしてけん引してきた。昨日(9月12日)彼女の最終試合が有明コロシアムで行われた。負けはしたが、多くの拍手と称賛と笑顔と涙に見送られて彼女はコートを去った。47歳目前での引退であった。◆フォアマンが48歳まで、伊達が47歳直前まで現役で活躍できたのは、選手途中で一旦長期リタイアがあったからだと思う。リタイアしないまま選手を続けていたら二人とも引退が10年は早まっていただろう、と思う。熱中していること、命を懸けていることでも、一度距離を置くことは永い目でみるとプラスに働くことが多いのかもしれない。◆私は「取締役」の名刺を持ってすでに三十年、「代表取締役社長」となってから既に二十余年が経った。その間、一度も「取締役」を外れたことがない。実は少々疲れている。◆ソフトバンクの孫正義社長は私と同い年。今年60歳になる。彼は24歳で起業し、以来ずっと、休みなくトップを走り続けている。私の何千倍もの負荷を彼は一人で背負い続けている。尊敬し敬服する。フォアマンも伊達公子もすごいが孫正義はもっともっとすごい。◆凡人である私は、少し休みたいと思っている。
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