‘ボス’ の記事一覧

2016年01月13日 ---- ボス

アタマの悪い国会議員とそれを支持する国民たち

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首相は8日の衆院予算委の答弁で、実質賃金が下がっているとの指摘に対し、「景気回復の過程でパートが増える。1人当たりが低く出ることになる」と説明。その後、例え話として「妻は働いていなかったが景気がよくなって働くことになり、私が50万で妻が25万なら75万円。2人で働くと平均は下がる」と述べた。(朝日新聞デジタルニュース)◆経済学のイロハ。失業率が減る過程で平均賃金は下がる。失業率が底打ちしたら平均賃金も徐々に上がり始める。それを分かり易く説明したつもりだった。ところが「妻がパートで働きはじめて25万円」と解されてしまった。そこにアタマの悪い国会議員が噛みついた。12日の予算委で「パートの現状がわかっているのか。25万円のパートがあったら教えて欲しい」と批判した。アタマの悪い国民がアタマの悪い国会議員を支持する。「本当だ!パートで25万円も稼げるヤツなどいない。総理は実態が分かっていない!ふざけるな!」などとネットで騒ぎ出した。◆「景気刺激策」「失業率」「実質賃金」等この国の景気の方向性について議論していたのに問題をすり替え「パートの時給」を例に出して「あなたの言っていることはおかしい!」と騒ぐ。こういうのを「重箱の隅をつつく」あるいは「言葉じりを捕まえての揚げ足取り」という。◆もう少しアタマの良い国会議員が、まともに経済を議論しなければこの国の先行きは暗い◆この欄で何度も書いた。「会社の社長を、誰でも立候補できる選挙で選んだらとんでもないことになる。『給与を上げます』と公約した者が社長になってしまう」と。◆選挙権も被選挙権も、もう少しハードルを高くすべきだと私は真剣に思っている。しかし行き過ぎた民主主義のこの国はそのハードルをさらにさらに低くしようとしている。

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2016年01月12日 ---- ボス

父の五十回忌

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数年前に誰かから「回忌法要は満五十年で行う五十一回忌が最後」と聞いた。死後一年目の一周忌、満二年の三回忌、満六年の七回忌・・・と続いて満五十年の五十一回忌が最後なのだと聞いていた。◆この1月3日、父が亡くなって満五十年であった。去年の春頃からどうしたものかと少し悩んでもいたが、私も多忙であったことも理由に「お寺さんに相談しなくても、きっとお父さんも『わざわざせんでももういいよ』と言ってくれるだろうと甘えさせてもらっていた。親戚も「もう、いいんじゃないの?」と言ってくれた。◆そうとはいえ、少し気になるので今年は父の墓のある大分県佐伯市で年を越した。認知症の進んだ母とはなかなか会話が噛み合わない。父の墓へ誘うのも酷な状況になっている。五十一回忌は線香だけを持って、熊本から来た姉と二人、静かに墓前で手を合わせるだけで許してもらうことにした。◆「仏教では満五十年の五十一回忌が最後の法要なんだって。没後五十年経って墓参りしてもらえるってことなんて珍しいことなんだって」・・・知ったようなことを姉に向かってしゃべっていた。◆それから十日経った今日、一月十二日は母の誕生日。母は今日で八十四歳になる。午後から「お誕生日おめでとう」の電話を入れようと思って少し気になった。母への電話の際に父の法要の話題に触れようか、と思った。そこでyahooで「回忌法要」と調べてみた。・・・・ああ、恥ずかしい!五十一回忌など載っていない。どうも最後の法要は「満四十九年で行う五十回忌法要」が最後のようである。なぜ「満五十年の五十一回忌が最後」などと思っていたのだろう。だれが私にそう教えてくれたのだろう。知らなかった。恥ずかしい。情けない!◆私は昨年の1月3日、父の死後満四十九年の五十回忌法要の日、「来年の今日は五十一回忌、最後の法要だからこんなことはしていられないかもしれないな」などと考えながら楽しくゴルフをしていたことを思い出した。ああ、ごめんなさい。◆そんな親不孝な私ではあるが、父は五十年経った今も優しく私を守ってくれている。とうちゃん、ありがとう。

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2016年01月05日 ---- ボス

本人確認証ってナニ?

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あけましておめでとうございます。今年もよろしくお付き合いをお願いいたします◆私は正月早々に風邪を引いてしまい、仕事始めの昨日も午前中のみオフィスにおり、午後から帰宅、ベッドで横になっていた。テレビではバラバラ殺人事件の続報を伝えていた。◆「去年末に、大阪府のマンションで知人女性の遺体をバラバラに切断したとして女が逮捕された事件で、女は女性の本人確認証を使い、複数の金融機関から借金をしていたことが新たにわかりました」(TBS) アナウンサーが記事を読み上げる。コメンテーターが例によって嘘っぽい心配そうな顔を作ってなにやら言っている。私が引っかかったのは『本人確認証』という聞きなれない言葉。おそらく警察がこの言葉を使って発表したのだろう。テレビ各局はそれをそのまま流す。バカなコメンテーターたちは疑問に思わない。もっとバカな視聴者はまったくなにも思わない。◆『本人確認証』って何なの?・・・・なぜ、誰も聞かないの? 私は不思議でならない。 そばでテレビを観ていた家人に聞いてみた。「本人確認証っていったい何なの?」  「免許証とかパスポートとかじゃないの?」 「じゃあなぜそう言わないの?」 「さあ、なぜでしょうね? どうでもいいんじゃないですか?」 ◆おそらくどうでもいいことなのだろう。だが、「おそらくどうでもいいことだろう」と考え、確認を怠って大きな見落としに気付かないことは良くある。 ◆マスコミ関係者の誰か一人が「その“本人確認証”っていったい何なのですか?」とそこで確認しておけばこんな妙な言葉を使っての報道にはならなかっただろう。◆「おそらくどうでもいいこと」とサラッと流してしまう最近の風潮に改めて気付いたことが新年の収穫であった。私は強く思った。仕事でも家庭でもそうだ。「おそらくどうでもいいこと」を許してはならないと。

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2015年12月28日 ---- ボス

TSUTAYAのレジにて

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当社は本日、仕事納め。午前中、机の回りの整理をして午後からは社内で一杯やることになっている。私は明日の午前の飛行機で福岡に入り、簡単な仕事をいくつかこなした後、年明け3日までの正月休みとなる。◆正月休みに読もうとTSTAYAに『王とサーカス』(米澤穂信)を買いに行った。今年の「このミステリーがすごい」と「週刊文春」双方で、国内ミステリーの部門で1位を取った話題作。ちなみに米澤穂信氏は昨年も『満願』で「このミス」と「文春」双方の国内ミステリー1位を取っている。実は残念ながらこの『満願』は私にはまったく面白くなかった。意地悪な私には「米澤穂信氏はミステリーを書くには詰めが甘い」と感じた。「知識が乏しいし、数学が苦手なのだろう」とも思った。欠点ばかりが目についた。「最近の読者は、こんな欠点にも気付かずにサラッと流して『面白い!』と言っているのか?」私は嘆かわしくなってきた。さて『王とサーカス』はどうだろうか。これもダメなら当分は米澤作品を読むことはない。◆それはさておきTSUTAYAのレジにて。私が本を差し出すと店員が丁寧に「カバーはお掛けしますか?」と尋ねてきた。ヒトに見られて恥ずかしい本でもないし、読み終わったあとブックオフに売りにいくつもりもないので「いえ、結構です」と私は答えた。店員はまた丁寧に「どうもありがとうございます」と言い軽く頭を下げた。レジは二つあって、私の隣のレジで中年の男が本を買っていた。やはり店員が「カバーをお掛けしますか?」と丁寧に尋ねた。男は「はい」と答えた。店員は丁寧にカバーを掛けはじめた。男はカバーのついた本を受け取ると支払いを済ませ出て行った。それが私には気に食わなかった。◆さて、私は何が気に食わなかったのでしょうか?・・・私はその中年男の「はい」が気に食わなかったのである。「『はい』じゃないでしょう!『はい、恐れ入りますが』とか『はい、お手数かけますが』となぜ言えない?」と私は腹を立てていた。でもきっと私以外にとってはこの中年男の「はい」はなんでもないことなんだろう。店員もなんとも思っていないのだろう◆だれもが、ちょっとしたことを「どうでもいいこと」と感じているようだ。だから日本のミステリーにも「どうでもいい」ミスが増える。そこを気にせずサラッと読んで流す、浅い知識の読者が増えている。これでは日本のミステリーは育たない。

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2015年12月22日 ---- ボス

笹子トンネル コンクリート天井版崩落事故

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中央自動車道笹子トンネルで2012年12月、天井板が崩落し9人が死亡した事故で、犠牲者5人の遺族が中日本高速道路などに約9億円の損害賠償を求めた訴訟の判決が22日、横浜地裁であり、裁判長は過失責任を認め、約4億4000万円の支払いを命じた。中日本高速側は、トンネルの安全性に不備があったとして賠償責任を認める一方、「天井板の落下は想定外」と過失責任を否定。原告側は「事故は予見できた」と主張し、点検に関わる過失の有無が争点だった。(以上、時事通信より)◆私は一人の土木技術者として、この判決は至極当然のものと断言する。いや「天井板の落下は想定外」などとふざけた言い逃れをしている中日本高速道路に対して憤りすら感じる。私は九州大学の土木工学科をビリで卒業したが、その私でも「そんな設計ではいつかは落ちる」と断言できる。原告側の、「事故は予見可能で、必要な点検をしていれば防げた」との主張はもっともなのだが、そもそもなぜあんな設計にしたのか、土木技術者としては不思議でならない。点検するのが難しい高速道のトンネルの天井版、まともな設計者なら重量のあるコンクリートは使わない。少し高くなるかもしれないがスチール製のグレーチングかアルミのデッキを使う。◆少々のコスト削減のために安全を犠牲にしたのなら許すことはできない。私が原告なら「当時の設計責任者、出て来い!」と叫んでいる。◆いま、ヘリポート建設でも全く同様の事態が進んでいることも申し添えておく。30年後、40年後、ヘリコプターの着陸時に壊れるヘリポートが出てくるかもしれない。私がいくら注意をしても、耳をふさぐ設計者が多い。「キノシタさん、事故が起こるとしても30年後か40年後でしょ。そんときは私は、とっくにもうこの世にいませんから」・・言いながらニヤッと笑う不誠実な設計士がいる。

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2015年12月21日 ---- ボス

本屋大賞 2016年

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読書量が落ちている。年を取り読書欲が落ちた、雑用が多くなった、通勤電車に乗ることがなくなった、出張の機会が減った、ゴルフをする時間が増えた、などが主な理由。さらに読まなくなった理由をもう一つ。「面白い!」と思う本が少なくなった。◆芥川賞の候補作は大体が私の趣味に合わない。小難しい。直木賞候補作は私の趣味に合うことが多い。中でも今年の直木賞受賞作、『流』(東山彰良)は数年ぶりの傑出した作品であった。面白かった。◆私の気になる文学賞は・・「芥川賞」<「直木賞」<「本屋大賞」・・・  「本屋大賞」が最も面白い。そこで年の終わりに「2016年の本屋大賞」にはどんな本がノミネートされているのか調べてみた。ところがまだノミネート作が発表されていない。◆そこで「それならオレが来年の本屋大賞を予想しよう」と思いついた。◆『君の腎臓を食べたい』(住井よる)に決定! この欄で一度紹介したなんとも悪趣味な題名の本であるが、題名とは真反対、なんとも爽やかな読後感の小説である。「爽やか」という表現は読後すぐの感情とは異なるのだが、読み終わって1か月も経てば「爽やか」な読後感が残る不思議な文体だ。◆私の回りにこの『君の腎臓・・』を食べた、もとい読んだ人が四人いる。その四人がみんな大絶賛。ゴルフ仲間のマッちゃんこと松崎さんも「もう涙ボロボロでしたよ。最高ですね、あの小説。文章も現代的だし・・」と言っていた。◆来年の本屋大賞は『君の腎臓を食べたい』で決まり!・・・と予想した。

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2015年12月17日 ---- ボス

手かせ足かせを嵌められた可哀そうな指導者

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来春の選抜高校野球大会の21世紀枠推薦校になっていた和歌山東高校が、指導者の不祥事を理由に推薦を辞退した。監督が生活指導の際、反抗的な態度を取った部員の頬を平手で2回たたいたことが「指導者の不祥事」なのだという。「はあ?それが不祥事なの?」と声を上げるものがいないのが不思議だ。「生徒が監督に対して反抗的な態度を取ったのだろう」「叩いたのは平手なんだろう」・・それで甲子園出場のチャンスを放棄しなければならないの?◆もちろん限度を超えた体罰は許されるものではない。そういうとすぐに「限度ってどこなの?」などという声が返ってくる。限度に関して誰も上手に説明できない。すると何でもかんでも「弱い者の味方」のわけの分からない弁護士たちが「教師や監督が生徒を叩くなんて、いかなる理由でも許せない」とヒステリックに騒ぎ出す。バカなテレビのコメンテーターが追随する。◆生徒が教師を殴ってもニュースにならないが、監督が反抗的な態度の生徒を平手でたたけば大ニュースになる。なんともおかしな国になってしまった。こんなんでは教師や監督などあほらしくてやってられなくなる。

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2015年12月17日 ---- ボス

娘の誕生日

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長女が産まれたのを機に葛飾区から練馬区の下石神井へと転居した。3年後に長男が産まれるが、彼は幼い頃病弱で入退院を繰り返した。私は仕事が忙しく、家庭のことは家人に任せっぱなしであった。家人は長男を連れ病院通いのため、娘には寂しい思いをさせた。◆娘が5歳のときのこと。その日、私は久々に日曜日を自宅でのんびりと過ごしていた。息子の具合も良かった。家族4人で散歩しよう、ということになった。目的もなくぶらぶらと近所を歩いた。環八沿いに、それまで気が付かなかったフレンチレストランがオープンしていた。昼間も営業しているようだ。私は久々の家族と過ごす休日が嬉しくて、家人に言った。「あのレストランでお茶しようよ。きっとケーキもおいしいよ」 家人も嬉しそうに「いいわね。でも高くないかしら?」と答えた。「なんとかなるよ」私はレストランの入り口の階段を上った。その入り口脇に何か書いてある。「申し訳ありませんが当店では6歳未満のお子様の入店をお断りしています」◆それを読んで「残念!」とは思ったが全く腹は立たなかった。私は素晴らしいアイデアを思い付いたのだ。「6歳になったら入られるんだね。じゃあ6歳のお誕生日に来ようよ」5歳の娘に言った。◆数か月後、娘は6歳の誕生日を迎えた。私と娘は正装して、手を繋いでそのレストランに向かった。息子はまだ入店できないので家人と自宅でお留守番。事前に娘にはレストランでのマナーを教えていた。「大きな声でしゃべってはいけない。大きな音を立ててはいけない。もちろん店内をうろうろしてはいけない・・・・・」 娘は少し緊張していた。それでもとても嬉しそうだった。私が手伝いながら、ナイフとフォークで食事をした。「これ、とっても美味しい!」笑顔で、小さな声で訴えてくる。 隣の席で食事をしていた老夫婦が帰り際に声をかけてきた。「お嬢ちゃん、とってもおりこうね。いくつなの?」 娘は緊張しながらも、小さな声ではっきりと「今日が6歳のお誕生日なの」と答えた。私はとても嬉しかった。◆あれから21年が経った。昨日、娘は27歳の誕生日を迎えた。幾つになっても娘は可愛い。すっかり元気になった息子も入ってささやかなお祝いをした。

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2015年12月16日 ---- ボス

新国立競技場・・・残念!

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総工費が当初予算を超える2520億円にもなるということで、ザハ・ハディド氏設計の新国立競技場の建設計画が白紙撤回となった。それから3か月経った昨日、新たに整備計画見直し案の2案が公開された。A案は隈研吾さん・B案は伊東豊雄さんがデザインを担当したと言われている。いずれも日本を代表する建築家である。A案B案どちらの計画でもハディド案よりは900億円以上削減されるらしい。多くの国民はこれを歓迎するムードのようである。さてA案になるのか、B案に決まるのか。興味はそちらに移っている。◆「えー、ハディドのデザインの方が断然いいよ!」・・私はつい口に出してしまった。なんとかならなかったのだろうか。返す返すも悔しい。◆北京オリンピックが開かれた中国国家体育場、通称「鳥の巣」はスイスの二人の建築家ヘルツォーク&ド・ムーロンがデザインを担当した。斬新なデザインを覚えている人は多いだろう。アテネ五輪もロンドン五輪もメーンスタジアムのデザインは素晴らしいものだった。◆隈研吾さんのA案も伊東豊雄さんのB案もそれなりに美しいが「鳥の巣」に比べると見劣りは否めない。ましてハディドデザインの当初案とは比べ物にならない、と私は感じた。まだまだ日本人の建築デザインの力は欧米の建築家に遠く及ばないのか、私は嘆いた。せっかく日本人のデザイン力を世界に訴えることのできるチャンスだったのに、今回のA案B案は私の予想をはるかに下回る、ごく常識的な、面白味のないデザインであった。残念。◆「どれにする?新国立競技場のデザイン候補が斬新!」と題するこのサイト http://matome.naver.jp/odai/2135160040734774201 を覗いてみて欲しい。3年前にはこんな素晴らしいデザインが競っていたのに・・。

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2015年12月11日 ---- ボス

越智クンの兄ちゃんが死んだ!

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九州大学土木工学科の同級生、越智繁雄クンとは卒業後もずっと親しく付き合いを続けている。彼は、私が最も尊敬する友人である。九大卒業後、建設省(現国土交通省)に入省、エリート街道を歩み、昨年は関東地方整備局長になっていた。(昨年7月7日の当欄で紹介) そして今度は国土地理院長に栄転した。その越智クンに「キノシタ君、たまにはつくばで飲まん?」と誘われた。先週、国土地理院の見学を兼ね、つくば市の本院(本部ではなく本院という)に越智院長を訪ねた。◆「内閣府」に居た時も「関東地方整備局長」時代もずっとずっと越智クンは忙しかった。「国土地理院長」になったら少しはヒマもできたかと思いきややっぱり越智クンは忙しかった。予定より少し早く着いた私に「キノシタ君、悪いけど・・」と言いながら会議や資料整理をこなしていた。その間、私は国土地理院内の見学をさせてもらった。面白かった。◆越智クンの仕事がやっと終わり、二人でつくば市の居酒屋へ入った。そこで悲しい話を聞かされた。私も親しい、越智クンの兄ちゃんが今年の春、心筋梗塞で亡くなったとの報せだった。◆数年前、やはり越智クンと二人で居酒屋で飲んでいた時に彼が言った。「キノシタ君、最近テレビで貧乏自慢するようなヤツが多いやろ?あれ、オレ嫌いなんよ。・・・オレだって十分苦労しとるよ。アイツらの苦労話なんて興味ないって」そんなことを言った。 そう言えば、学生時代から越智クンは自分が苦労した話を人にすることはなかった。私も当時、自分の(子供時代の)苦労を人に話すことはなかった。それでも回りは気付いていた。「キノシタ君と越智クンはきっとこれまで経済的な苦労をしてきたんだろうな」と気付いていた。でも、それを直接口にするような友人はいなかった。友人たちはみんないいヤツだった。◆越智クンの兄ちゃんは、奥さんと二人で、福岡市の天神で「喜美幸」という小料理屋をやっていた。客が10人も入れば満員になるような小さい店だった。おいしい料理と兄ちゃん夫婦の優しい人柄でいつも店は混んでいた。私は年に一度か二度、福岡出張の折に顔を出していた。兄ちゃん夫婦にとって、弟の活躍がとても嬉しい出来事のようであった。と言って偉くなった弟を自慢するわけでなく「繁雄が偉くなったのもみんな友達やら先生方に良くしていただいたからなんよ」と丁寧に頭を下げていた。兄ちゃんも越智クンとおなじ山口県の進学校、豊浦高校の出身だった。とても優秀な高校生だったことは話せばわかった。その兄ちゃんは大学に進学せず料理屋になる道を選んだ。・・・◆ここからは私が推測した話。過去の苦労話を口にしない越智クンや兄ちゃんから聞いたわけではない。でも、きっと私の推測は当たっている。・・・・豊浦高校に通う兄ちゃんは成績も優秀だった。だが経済的に裕福でない越智クンの家庭で、兄ちゃんと越智クンの二人とも大学へ行かせる余裕はない。きっと兄ちゃんは思ったのだろう。「オレよりも繁雄の方がもっと優秀だ。オレが進学を諦めて繁雄を大学に行かせよう。その方がきっと世の中のためになる。オレは繁雄をバックアップしよう」  越智クンにとっては兄ちゃんの優しい気持ちが嬉しかった。「兄ちゃん、ありがとう。オレ、一所懸命勉強して兄ちゃん孝行するよ」そんな言葉を直接越智クンが兄ちゃんに言ったかどうかは知らないが越智君はいつも頑張って兄ちゃん孝行をしていた。◆兄ちゃんはとにかく曲がったことが嫌いだった。正義感が強かった。カネのため、出世のために人の道を外すバカを見て、いつも貶(けな)していた。越智クンもそんな兄ちゃんと同じで、常に、自分を犠牲にしてでも人のために頑張っていた。学生時代、私は何度も越智クンに助けられた。◆3年前、「九州大学創立百周年記念講演会」が福岡市の西鉄グランドホテルで開催され、越智クンが「防災と社会 土木の役割」と題する講演をした。全国から多くの九大関係者、土木関係者が集まった。その講演会、最前列に兄ちゃん夫妻が座って弟の講演を聞いていた。越智クンの講演のあと、兄ちゃん夫妻の晴れやかな笑顔が忘れられない。兄ちゃん夫妻にとって、越智クンは自慢の弟であった。自慢の弟であるが兄ちゃんは決して店の客などに弟を自慢することはなかった。我々、越智クンをよく知る人間が「喜美幸」に来るのが兄ちゃんにとって最も嬉しい時間であったのだろうと思う。◆わけ合って昨年の暮れ、「喜美幸」は天神の店を閉じた。山口に帰ることになったと聞いていた。私の福岡出張の楽しみが一つ消えていた。それでも兄ちゃんは元気に頑張っているのだと思っていた。・・・・・・あの優しい兄ちゃんが亡くなっていた。兄ちゃんの笑顔が見られなくなった。越智クンのいないところで、兄ちゃんと、越智クンの話題で酒を飲むことができなくなった。寂しい。

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2015年12月07日 ---- ボス

寂しいクリスマス

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「サンタさんって本当におるんやろうか?あれは父ちゃんなんやなかろうか」 少し疑い始めたのは小学校2年生の時だった。「眠ったフリをして、サンタさんが来たらそっと目を開けてみてみよう」そんなことを思いながら布団に入った。隣には5年生の姉が寝ていた。眠ったフリをしていたが、すぐに深い眠りに落ちてしまう。気が付いたら朝だ。枕元にサンタさんからのプレゼントは・・・? ない! サンタさんからのプレゼントがない! 私は寂しくなった。隣室に眠る父母の部屋に行って、悲しそうに言った。「サンタさん、来てくれなかった。プレゼントない。」 私の悲しそうな顔を見て、父母は心配そうに、優しく言った。「えっ?プレゼント置いてなかった?おかしいなあ。でもサンタさんが来ないことはないと思うけどなあ。あっ、サンタさん忙しいからエントツから入って来て、そこに置いて出て行ったんかもしれんよ」 当時、まだ薪で風呂を沸かしていた。私と姉は風呂の焚口に急いだ。あった、焚口のすぐ脇に、姉と私へのプレゼントが置いてあった。◆それが、サンタさんからの最後のプレゼントであった。そのクリスマスから十日も経たない翌年1月3日、悲惨な交通事故に遭い、父は死に、母は入院3か月のあと後遺症に苦しむ生活になる。その事故で、私は生え変わったばかりの前歯を折った◆父が居なくなった我が家は、母の出身地である佐伯市へと転居していた。大きな家の、二階に間借りしていた。一階の主はとても優しく、不幸にあった私たち母子にとてもよくしてくれた。男の子が三人おり、長男は私の同級生であった。私と彼はすぐに仲良しになった。彼は大きな玄関から出、私は彼の家の廊下を通り小さな勝手口から出入りしていた。同級生であるから共通の友人も多かった。二階の我が家へ同級生を上げることはできなかったが、一階の友人宅で同級生たちと遊ぶことは多かった。小学校2年生の3学期に転校してきた私は、3年生になり同級生のリーダーになっていた。成績はトップ、体育も図工も音楽さえ良くできた。正義感も強かった。多くの友人が慕ってくれた。そんな中で「父親のいない、初めてのクリスマス」を迎えた。◆「父ちゃんが居なくなったから、ウチにはサンタさんは来ないよ」母が言った。「サンタなんかいないんよ。あれは父ちゃんやったんよ」姉が言った。私は、そのことを既に十分に理解していた。「父ちゃんが死んだから、うちは貧乏になった。友達の家の二階に間借りしちょる。父ちゃんが死んだから、もうサンタさんは来ない。父ちゃんが死んだから、クリスマスプレゼントはなくなった」すべて、すべて理解していた。誰にも文句を言えなかった。とても利口な小学校3年生であった。誰も悪くない。◆小学校3年生のクリスマス。冬休みに入っていた。サンタにもらったプレゼントを持って多くの友人たちが遊びに来た。一階に住む同級生のところに来て、二階の私を呼ぶ。みんなは当時流行していたGIジョー(ジー・アイ・ジョー)人形を持っていた。「もとみちゃんはサンタさんになにをもらったの?」・・・なんの悪意もない同級生の言葉に私はとても悲しくなった。◆運動が苦手な子供が運動会が近づくと憂鬱になるように、裕福な友人宅の二階に間借りしている貧しい小学生の私にとってそれ以来、毎年クリスマスは一年で最も寂しい日であった。今でもこの季節になると、あの頃を思い出し、涙があふれてくる。小学生の自分に向かって「よく頑張ったね」と褒めてあげる。

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2015年12月04日 ---- ボス

日本美人マップ

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47都道府県、すべてに最低二泊はしたことがある。◆平成四年だったろう、1年間で沖縄を除く九州全県(福岡・佐賀・長崎・熊本・大分・宮崎・鹿児島)を八周したことがある。その頃の九州出張はレンタカーで七県回るのを二泊三日でこなしていた。バブルがはじけた後の九州出張は、早朝羽田から大分空港に入り、レンタカーで大分県警航空隊⇒福岡県警航空隊⇒佐賀県警航空隊⇒長崎県警航空隊と回り、夕方、長崎大村空港の近所の居酒屋で一杯飲んで最終便で羽田に帰ってくる、というような強行軍に変わった。関東の神奈川⇒東京⇒埼玉⇒千葉の4警察航空隊を一日で回るなど到底不可能だが、早朝羽田を出て大分⇒福岡⇒佐賀⇒長崎を回り羽田へ戻るのは十分にこなせる出張であった。今から20年以上も前の話。若かった、そして楽しかった。◆三十歳代はとにかく出張ばかりであった。出張先で仕事だけでは面白くない。全国、美味いマップを作ろうと思った。正月になると「今年は蕎麦」とか「今年は寿司」などと決め、出張先では北海道であろうが鹿児島であろうがとにかくそればかりを食べる。12月にはランキングが完成する。蕎麦はやはり長野が断トツであった。二位は岐阜で北海道が三位。寿司は東京が一位、二位は青森、三位が新潟。「今年はラーメン」と決めた年もある。食べた、食べた。個性的なのは「富山ブラック」「尾道ラーメン」「和歌山の井出商店」「徳島ラーメン」「秋田の比内鶏ラーメン」など。ラーメンに関しては個性が強過ぎるので一位、二位が付けられなかった。◆「美味いマップ」と並行して「全国美人マップ」の制作にも取り掛かっていた。無作為に抽出した若い女性30人に占める美人の数でランキング、などと言っていたが、もちろんいい加減なものであった。結果は第一位・長崎県、二位・福岡県・三位兵庫県であった。ついでに言うと駅別の美人マップも作っていた。これは断トツで「恵比寿駅」、続いて「博多駅」、三位が「目黒駅」であった。美人が少ない(ブスが多い)駅マップも作ったがこれはここで発表するのは控えよう。

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2015年12月03日 ---- ボス

チカンを捕まえる(2回目)

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先日(11月18日)のこの欄で、15年ほど前に痴漢を捕まえたことを書いた。その後、私は再度、痴漢を捕まえることになった。◆あの女性として魅力のない、失礼で下品な女に痴漢行為をはたらいた情けない中年男を捕まえてから半年も経っていない頃の話だ。その日も私はいつものように海浜幕張駅から超満員電車に乗り、新木場駅で掃き出されるように電車から降りた。改札に向かう階段を下りはじめたとき「チカンです、チカンです、この人チカンなんです!誰か捕まえて!」と女性のわめき声が聞こえた。声は聞こえるが、どこに居るのかは見えない。新木場駅で電車を乗り換える大勢の人波の中、私は声のする方を気にしながら階段を下りた。当時、階段を下り切ったところにトイレがあった。そのトイレの前で四十過ぎの長いスカートをはいた女性(オバサン)が男のショルダーバッグのヒモを引っ張りながら助けを求めている。「誰か、捕まえてぇー!」 だが出勤を急ぐ人たちは誰も彼女を助けようとはしない。冷たいものだ。私は躊躇した。前回の痴漢を捕まえたときのことを思い出した。あのときは「ありがとう」の一言も言ってもらえなかった。躊躇していたらそのオバサンと目があってしまった。「この人チカンです。捕まえて!」彼女は私にターゲットを定め、頼んできた◆前回の痴漢被害の女性と同様、私から見たら、女性としての魅力の全くないオバサンだった。だが結局、私はそのオバサンの加勢をし痴漢男を捕まえた。男は学生風、キレイな顔立ちをしていた。細身だが、身長も私よりも高く、決してモテないタイプではなかった。当時まだ「イケメン」という言葉はなかったが、私の気持ちは「なんでキミのようなイケメン君が、こんなオバサンに痴漢行為をしちゃうの?オレには到底理解できないんだけど・・・?」というようなものだった。◆私が手伝って観念したのか男は逃げようとするのを止めた。男がおとなしくなると、オバサンがその男に向かってわめき出した。その言葉に私はびっくりした。「あんた、トイレに逃げようとしたでしょ!トイレで手を洗って証拠を消そうとしたんでしょ!」・・間違いなくオバサンはそう言った。最初はなんのことか分からなかった。「手を洗って証拠を消す」・・・どういうこと? 男は手に何も持っていない。そこに洗ったら消える証拠があるという。◆えっ、それってすごいことを言ってるんじゃない?・・私は気付いた。えっ、そんなことをこんな大勢の前で言っていいの?私の疑問は続く。オバサンは足首くらいまでの長いスカートを穿いていた。「えっ?この長いスカートをめくりあげて手に証拠が残るようなことしてたの?」私の疑問はさらに膨らんだ。◆学生風のイケメン痴漢は、とっくりセーターを着ていた。私はその首のあたりを持ち、ヤツを駅員室まで連れて行った。私に捕まれ、諦めたようにおとなしく歩き始めたが、途中でヤツが立ち止まって私の方を向いた。そして強い口調でこう言った。「ここを持たないでください。セーターが伸びるじゃないですか!」私はヤツをぶん殴りたくなったが我慢した。セーターから手を離しヤツのベルトを握って駅員室に向かった。◆駅員室に二人を入れて「痴漢です」と言って私は立ち去った。今回も、結局、オバサンは私に一度も礼を言わなかった。その痴漢ともオバサンともその日以降会うことはなかった。◆そして、それから3か月後、私はまたしても痴漢確保に遭遇することになったのだった。そのことに関してはまた次回。

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2015年12月02日 ---- ボス

マイナンバー制度(その2)

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マイナンバー制度は、個人情報漏えいの危険性が高く、憲法が保障するプライバシー権を侵害するとして、弁護士のグループが、国を相手にマイナンバーの利用停止などを求める訴訟を、全国5地裁で一斉に起こしたという。◆私には彼らの行動が不思議でならない。わざわざ国を相手に訴訟を起こすほど、彼らには守らなければならないどんなプライバシーがあるのだろうか?いや、私は「プライバシーは保護されなくてもいい」と言っているわけではない。プライバシーは極力侵害されてはならない。そのための万全な準備はしてもらわなければならぬ。だが、悪いヤツはどこにでもいる。完璧にプライバシーが保護されるのは難しいのかもしれない。そうならないために今後、罰則の強化などが早急に議論されて欲しい。◆私が分からないのは、国を相手に訴訟を起こすのには相当なパワーがいる。そうまでして守りたいプライバシーとは何なのだろうか、ということ。マイナンバーには裸の写真は載らないし高校時代に付き合っていた異性の名前も載らない。整形前と後の比較顔写真も載らない。性器の大きさもこれまでに寝た異性の数も載らない。あなたが現在、不倫をしているとしてもそれが出ることもない。せいぜい「どの程度の資産家なのか」のデータくらいが人に知られたくない情報だろう。◆会社の帰りにソープランドでアルバイトをしていたとしたら収入源がばれる可能性はある。それが嫌なら年内にソープランドでのバイトを辞めることだ。国を相手に訴訟を起こすよりもよほど健全だと思う。◆30年くらい前だったろうか、新宿の歌舞伎町に防犯カメラが設置されることが決まった。そのとたんにやはり「プライバシーが侵害される」とモーレツに反対しデモを起こした集団がいた。「あなたが奥さんに知られたくないプライバシー」と「犯罪の検挙率を高め、犯罪が起きなくなるメリット」を量りにかけてみましょうよ、と私は言いたかった。◆なにをやるにも「反対、反対」と言って目立ちたがる人たちがいる。

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2015年12月01日 ---- ボス

春画展

boss-b

知人にチケットをもらったので、銀座の永井画廊で催されている「春画展」に行ってきた。月曜日の昼飯どき、「こんな時間に春画を見に来るのはオレだけかもな」と思いながらうつむき加減で入った。ところが館内は意外とにぎわっていた。安心した。◆若い女性が春画に顔を近づけ細部を見、熱心に解説文を読んでいた。彼女と目があった。恥ずかしくなった。夫婦と思われる中年カップルが「すごいわね」などと小さな声でお互いの感想を言い合っていた。来場者は若い男性よりも若い女性の方がはるかに多かった。なぜだ?◆多分、この程度の絵ではエロビデオを見慣れた若い男性には刺激が足らないのだろう。想像力に乏しい脳みそには、もっとダイレクトに情報が届くエロサイトの方が刺激になる。一方、中年夫婦や若い女性にはきっとそれなりの刺激があるのだろう。だがそこは「エッチに興味があって・・」などと本音を言う必要はない。「美術の勉強をしていて・・・」とか「北斎に興味があって・・」とか「日本の芸術が・・・」とかいくらでも理由付けができる。若い女性や中年の夫婦は堂々と入って、堂々と堪能できる。(これはあくまで私の個人的な推測であり、実際には皆さんはスケベな気持ちはないのかもしれない)◆私だってこの欄を「知人にチケットをもらったので・・・」と書き始めた。たまたまチケットをもらったので行ったのであって、スケベ心から行ったのではないのですよ、とウソをつく準備から書き始めてしまった。いや、チケットをもらったのは本当のことなのだが、見に行ったのは「チケットをもらったから」ではなく「昔の人々のスケベに興味があったから」。つまりは俗っぽい動機である。それでいいんじゃないの?◆春画展をじっくり堪能し、解説文を読み、思った。江戸の昔から、男も女も、みんなみんな根はスケベなのだ、と。オレだけがスケベじゃないんだ、と安心した。「人間っていいな」とつくづく思った。私は「人間」が大好き。◆今でいうエロ小説の挿絵として描かれた春画が多い。展示物には、江戸時代のエロ小説の現代語訳も記されていた。それらを読んでみて驚いたことがある。どうやら江戸時代はセックスのことを「ぼぼ」と言ったようだ。なに?「ぼぼ」って言うのは九州地方特有の言葉ではなかったのか。まーたまた一つオリコウになっちゃった。◆今日は、いつもの堅い気取ったスカイアゴラではなく、ほんの少しホンネを書いた。

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2015年11月30日 ---- ボス

マイナンバー制度

boss-2

自分は年金生活者だ、という爺さんからのメールをラジオで紹介していた。自宅にマイナンバーを知らせる郵便物が届いたが受け取りを拒否した、という。その爺さんが受け取りを拒否したのは「国民一人ひとりに背番号を付けられるみたいで気に食わないから
」という。ラジオのコメンテーターはその行為を注意しないどころか「そういう抗議の仕方もあるんですね」とばかりに煽っていた。マスコミがこうだからこの国には算数のできないその場感情のみで行動するバカ者が増え続けている。◆マイナンバー制度が導入されると、税の取りっぱぐれがなくなり社会保障や税の給付と負担の公正化がはかられる。導入されて最も困るのはこれまでに脱税や節税をやってきたズルい(或いは賢い)金持ちたち。年金生活者は経済的な恩恵はありこそすれ損することはない。だがマスコミはそのことを伝えない。◆国民1億2千万人の我が国に、銀行及び郵貯の口座が10億以上ある。一人で10も20も口座を持っている者がいるのだ。架空名義での口座も多い。マイナンバーによってこれらの名寄せが行われれば脱税額は大きく減ることになる。税収は上がる。その分、貧しい方々の生活は改善される。「背番号を付けられるみたいで気に食わない」などと下らぬことを言っている場合じゃないのだ◆マスコミ関係者の中にもマイナンバーの導入によって不都合が生じる者は多い。複数の企業から収入を得ている者。アルバイトをしている者。収入のあるカミサンを扶養家族にしているもの。資産を隠している者。いろいろある。もちろん彼らは「私に不都合が生じるからマイナンバーには反対だ!」とは言えない。そうは言えないから、誰かに、できれば多くの国民に「マイナンバーには反対だ!」と言ってもらいたい◆そのために「背番号を付けられるみたいで気に食わない」と言って通知郵便を受け取り拒否するような爺さんまで応援する。あるいは「プライバシーが・・・」などと不安を煽る。別問題だ!◆もう一度言う。マイナンバーを導入されて一番困るのは「ズルをしている金持」ちなのだ。あなたが今ほんの少しズルをしていたとして、マイナンバーの導入によって「あなたがズルができなくなるデメリット」よりも「大きなズルをしてきた悪い奴らがズルできなくなることによって生じるあなたのメリット」の方がきっと多いだろう。

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2015年11月27日 ---- ボス

老ける

boss-3

この一年間で急に老け込んだ。◆昨日、床屋で「キノシタさん、鬢(びん)に急に白いものが目立ち始めましたね」と言われた。確かに・・・。頭頂部が薄くなり始めたのは随分と早かったが育毛剤のお蔭か、なんとか頑張ってきた。白髪は少なかったのだが、こちらはもう限界か。そろそろ白髪染めを始めようか。・・・・男でも、外見が老け込むのは寂しい◆読書が進まない。「面白そうだ」と思って購入した本が50ページまで読んでもなかなか面白くならない。これまでなら面白くなくても頑張って読み切っていたが最近は50ページで止まってしまう。50ページまでしか読んでない本が机の回りに5冊ほどある◆記憶力が落ちた。「あの話は誰としたんだっけ?」・・・話の内容は覚えていても話した相手が思い出せない、そんなことが多くなった◆諦めが早くなった。ほんの少し前までは「欲しい」と思ったら「どうやったら手に入るのか」を真剣に考えていた。少々無理をしても取りあえず手に入れていた。だが最近は「欲しい」と思っても「本当に欲しいの?必要ないんじゃないの?我慢できるよね?」と言う自分がいる。或いは「頑張っても、きっと手に入らないと思うよ。諦めなよ」という自分がいる。◆ずるくなった。みずから先頭に立って歩こうとしなくなった。これまでなら「じゃあオレがやるわ」と言っていたところを「頼まれるなら断れないな」という風に変わった。◆この一年間で変わったのは自分の外見や思考だけではない。回りにあった多くのモノが徐々に消えて行っている。なんだか「整理」に向かって行っているようで怖い。記憶も、思い出も、記録も・・・どんどん減って行っている。大切にしていたものがどんどんと無くなっている。◆これが「老い」への準備なのだろうか?

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2015年11月25日 ---- ボス

速すぎるバラマキ

boss-5

「政府は2015年度補正予算案で、低所得の年金受給者向けに1人あたり3万円の給付金を配る方針を固めた。対象は約1000万人にのぼるとみられ、財源は3000億円程度となる見込みだ。・・・年金受給者は、景気回復に伴う賃上げの恩恵を受けていないととらえ、給付金で個人消費を活性化させてGDPを伸ばす。」(読売新聞ニュースより)◆一人当たり3万円とはかなり大きな額であるな、と私は感じた。これを次回の消費税増税予定の2017年4月まで取っておけばいいのに、とも思った。◆17年4月に消費税率が現行の8%から10%へと、2%上がる予定だ。「たかだか2%」と思う国会議員は多いようだが年金生活者にとっては大きな2%になる。そのために「せめて食料だけは非課税に!」などとややこしいことを言い出し、その声が大きくなり、押し切られてしまった。「3万円」は150万円の2%。年間、一人で150万円も食料品を消費する年金受給者は少ない。その時にとっておけば良かったのに、と私は思ったのだ。◆「消費税を8%から10%に引き上げるのに際し、年金受給者には一人当たり3万円を毎年支給します。これは食料品150万円分の増税額です。食料品を150万円購入しない人にとってはこちらの方が得ですよ」と訴えれば賢い年金受給者なら「それならいいよ」と言ってくれただろう。賢い年金受給者たちは、あまり賢くない年金受給者たちに説得してくれただろう。◆消費税増税に関し、政府はアイデアを出さない。(アイデアを出すときはとんでもないややこしいものになっている) 一方、マスコミは賢くない消費者の不安や不満を煽る。庶民請けの良い善人ヅラした政治家と、同じように腹黒いが庶民の味方の顔したテレビコメンテーターたちが、賢くない低所得者を不安に陥れ、結果、この国の政治と景気は右往左往している。◆ばら撒くにはばら撒くべきタイミングがあるのに、この国の政治家たちは、「日本株式会社」の賢い経営者には到底なれそうにない。

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2015年11月25日 ---- ボス

宝くじ

boss-5

今年もまた「年末ジャンボ宝くじ」の売り出しが始まった。1等前後賞を併せると10億円だという。テレビでは「当たりくじが多く出る」と言われている売り場に昨夜からできた行列が映っていた。賢そうではない男女がインタビューに答えていた。◆人よりも少しでも早く楽しみたいからゲームソフトやアイパッドの販売で前日から行列ができるのは理解できる。人よりも少しでも良い席で応援したいからサッカーや野球観戦で行列ができるのも分かる。もちろん、おいしい料理店の前の行列も理解できる。だが何故、宝くじ売り場で前日から並ぶ人がいるのか不思議でならない。正直に言うと私は彼らを蔑(さげす)んでいる。早く並ぶメリットはなにもない。当たる率が高くなるわけでもないし、他人よりも早く当選番号が分かるわけでもない。そもそも「当たりくじが多く出る」という売り場は「多く売れる」からそれに比例して「当たりくじが多く出る」だけ。その売り場で買うメリットなどなにもない。算数が苦手な、確率が分からない、働くことがあまり好きではない連中が宝くじ売り場に行列を作っている◆もっと言うと、「10億円もの非課税の不労所得」を「ラッキーな27人」にも出すことがこの国にとってなんのプラスになるのか分からない。それよりも「真面目に働かなくちゃお金持ちになれませんよ」と教える方がずっとプラスだと思うのだが。

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2015年11月18日 ---- ボス

チカンを捕まえる

boss-b

「女風呂とか更衣室を覗きたいと思うのはオトコなら普通の欲求。しちゃあダメだけど、まあ、理解できる。でもな、絶対にしちゃあダメなのは痴漢。もしオマエが痴漢行為をしたら父さんは絶対に許さないからな!」と自宅で酒を飲みながら息子に注意をしたことが何度かある。「するわけないでしょ!」と息子は反発する。家人は家人で「お風呂や更衣室は覗いてもいいような言い方はやめて!」と言う。まともな注意をしたつもりなのだが、こちらが非難されてしまう。おかしい◆痴漢を捕まえて駅員室まで連れて行ったことが二回ある。どちらとも15年くらい前のことだ。◆当時私は海浜幕張からJR京葉線で新木場へ通っていた。私の乗る快速電車は毎日、超満員だった。決して美人ではない、全く女性としての魅力のない、三十歳くらいのその人といつも同じ電車になった。◆その朝私はいつものようにドア付近に立ち本を読んでいた。決して美人ではない、女性としての魅力の全くないその人も私のすぐ近所に髪の毛をボサボサにしたまま立っていた。私は、すぐ近所で痴漢行為がなされているなど全く気付いていなかった。新木場駅に到着する寸前、あの美人ではない女性が大声を発した。「チカン、チカン! こいつチカンです!」 ドアが開いた。乗客はホームに押し出される。女性は男の腕をつかんでいる。一番近所にいたのが私だった。正義感の強い私は瞬間的に、その男が逃げないように彼の服をつかんだ。◆女性は美人ではないし、女性としての魅力もないし、髪の毛はボサボサだ。男はこれまた貧相な五十歳代後半。情けない風体だった。私に服をつかまれで観念したのか、その男が謝りはじめた。「ごめんなさい、ごめんなさい。もう絶対にしませんから・・」 すると女が大声で男をののしる。その言葉がすごかった。その美人ではない女性は自分のことをオレと言った◆「テメエ、オレのケツをずっと触りやがって!このヤロー。黙って我慢してたら調子に乗りやがって!オレのケツずっと触ってたろうが!この手で!」 確かに彼女は「オレのケツ・・」と何度も言った。「オレのケツ」と言った決してオカマではない。単に育ちの悪い、知性も魅力もない女性だった。私は貧相な男の服をつかんだままだったが情けなくなった。「おじさん、よりによって、なんでこんなオンナのケツなんか触ったの?」と聞きたかった。いや、心のどこかで「オレ、強く握ってないよ。振り払って逃げたら逃げられるかもよ」とさえ思っていた。しかしその貧相なオトコはおとなしかった。「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返し「なんとか見逃してくれませんか?」と私とその魅力のない女性に懇願してきた。◆「はい、どうぞお逃げなさい」と言うことはできない。女は「ふざけるなよ、この変態ヤローが!」となお毒づいている。私にうながされ男は素直に駅員室に入って行った。「チカンです」私は男を駅員に手渡した。駅員は「ありがとうございました」と言った。名前は聞かれなかった。男を引き渡すと私はそのまま会社へ向かった。◆その翌朝、またあの魅力のない女性と同じ電車になった。女は「昨日はありがとうございました」などとは一言も言わず、会釈もせず、昨日と同じドアの脇に立っていた。私のことは無視した。◆私は少し後悔していた。そしてこの育ちの悪い女に対し大変腹を立てていた。・・・・・それでも私はその数か月後、またしても新木場駅で痴漢を捕まえてしまった。2回目の痴漢を捕まえた話はまた後日・・・・・。

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2015年11月11日 ---- ボス

大満足 のちに ちょっぴり激怒

boss-3

昨夜は当社の創立記念パーティーを華々しく、大手町の『コットンクラブ』で開催した。当社社員やお客様、私の友人や家族まで含めて総勢170名の大パーティーとなった。冒頭、私が挨拶をした。「義理・道徳」を忘れず心掛け、人様に後ろ指を指されることだけはないように私自身は生きてきたしエアロファシリティーもそういう会社である、とお話をした。「義理・道徳」に続いては「美・粋・遊び心・道草精神」を常に意識して仕事をしていることを報告した。パーティーの司会はあの及川奈央さんが引き受けてくださった。ゲストはあのウェイウェイウーさんの率いるカルテットの演奏。とてもとても素晴らしいものになった。すべてのお客様が大満足の様子で帰って行かれた。◆私も大満足であった。お客様が帰られたあとの当社社員たちも満足そうであった。準備に励んでくれた皆様に心からお礼を言いたかった。「ありがとうございました。お疲れ様」◆「美・粋・遊び心」を十分伝えられたパーティーではあったが実は私はさらに「美・粋・遊び心」を仕掛けていたつもりであった。私と準備会社の意思の疎通が十分ではなかったのかチェックが甘かったためにそれが実現できていなかった。残念。悔しい。激怒。◆パーティーには女性客が当社社員を含め40名程度いた。この女性客には、女性客ならではのお土産を入れるようにと指示をしていた。「中に入れるモノはコレ」と写真で確認していた。◆フィレンツェのサンタマリアノッベラ薬局の紙香水。これなら女性客は自宅に帰り、あるいは帰りの電車の中でお土産を開けてみて「うわっ、素敵!さすが木下社長! 粋だわ!遊び心あるわ! きっと銀座で仕入れた情報ね!オシャレね!」となると思っていた。◆自宅に帰ると、(我が家からは3名の女性がパーティーに参加したのだが)だれも「お土産までステキだったね」と言わない。彼女らのお土産を見せてもらった。「なんじゃ、こりゃ?」こんなものをもらって喜ぶ女性はいない! 私は激怒した。◆なぜ事前に、お土産の実物を確認しなかったか? 「お土産はコレ」と写真付きで決めたのは2か月前。実物を確認するチャンスは十分あったのに・・・。前日の夜、オフィスでもない場所で「担当者から言付かってます。お土産はこれです」と袋を渡された。信用しきっていた私は袋だけを確認して中身のチェックをしなかった。あそこで「これじゃない!写真と違うじゃない!」と気付いても遅かっただろう。◆一旦、100点満点を付けたイベントであったが「終わり悪けりゃすべてダメ」とは言わないが、完璧を目指す私はくやしくて眠れなかった。◆パーティーに参加してくださった女性のみなさん、ごめんなさい。私のチェックミスです。

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2015年11月10日 ---- ボス

創立20周年記念パーティー

boss-a

とうとう今日になった。我が社の創立20周年記念パーティー。朝、7時30分にデスクに付きパソコンを開くと私の大恩人、川嶋信義さんの奥様からメールが届いていた。昨日、ご自宅のある三鷹から川嶋さんの眠る千葉のお墓に行って「明日はあなたの代わりに私が木下さんの20周年記念パーティーに出席してきますからね」と伝えてくださったとのこと。嬉しくて、寂しくて、朝から涙が止まらない。◆パーティーの準備は万全だが、実は最初に行うことになっている私の挨拶の言葉をまだ全く考えていなかった。一言でいいな、と思っていたのだが、なんやら話したいことが増えてきた。さて、私の挨拶の言葉、ここで練習してみよう◆「私は今から34年前、昭和57年に九州大学の土木工学科を卒業して前田建設工業の東京支店に勤務します。大学では留年をしてしまい5年間かかっての卒業でした。前田建設では工事現場のいわゆる現場監督をやったのですが、まあ良く働きました。とにかく一所懸命に働き、勉強もしました。わけあって昭和63年に前田建設を退職し、大陽工業という会社へ移ります。今から20年前、平成7年には大陽工業の取締役航空事業部長という肩書を持っていました。ヘリコプターの整備・販売・運航を行う仕事をしていました。部下は50名。私の母親よりも年長の部下もできました。ところがバブルの崩壊で事業部を閉鎖することを銀行と大陽工業の本社から要請されたのがその前の年です。別会社を作り、運行部門だけは切り離します。これが現在、新木場の東京ヘリポートにありますフライトセーフティー株式会社です。フライトセーフティーを独立させたあとヘリコプターの整備・販売部門は閉鎖することになっていました。可愛い部下に辞めてもらうときは本当に苦しかった。毎日、毎日、憂鬱な日々でした。◆その頃、業界内で親しくさせていただいていたのが当時、第百商事株式会社の大阪支店にいらした木村さんです。木村さんは東京出張のついでに良く私のところを訪れてくれ、いろんな話をしていました。私と木村さんは同い年。木村さんは私の出身地である大分の大学を卒業されていたという妙な縁も感じていました。◆今から20年前、平成7年の1月にあの阪神淡路大震災が発生します。残念ながらヘリコプターは殆ど活躍できませんでした。我々は、その状態を反省しながら『災害の時に活躍できるのがヘリ、ヘリコプターの最も有効な活用方法活用目的は国民の安全を守るためのものだ』ということを確信します。また、神戸ヘリポートの状況を木村さんにお聞きしました。するとシャッターが開かない格納庫やエプロンの地盤沈下で出動できないヘリコプターがあった、とのことでした。私はもともとが土木屋です。建築もそこそこ詳しい。ヘリコプターが分かり、ヘリポートが分かり、土木建築が分かる者は日本にはそう多くありません。大陽工業の航空事業部を閉鎖するのではなく、事業の方向を思い切って変えて、ヘリポートや格納庫を作る専門会社にしようと思い至ったのです。◆「安全のためのヘリコプター・・・警察ヘリ、防災ヘリ、消防ヘリ、自衛隊ヘリそれから当時はまだなかったドクターヘリに焦点を絞ったヘリポート、格納庫の会社なら十分に利益が出せる」と確信しました。すぐに事業計画書を作り前田建設工業の元上司である川嶋さんのところを訪問しました。勝手に前田建設を辞めたのですが、私が辞めた後も川嶋さんは私に優しく接してくれていました。川嶋さんが随分と骨を折ってくださり、前田建設工業が当社への出資を決めてくれました。「出資はするけどいっさい口を出さない。オマエの思うようにやってみろ」そんなことを言われました。ところが苦しいことの連続です。苦しい時は川嶋さんに相談する、するとなんとかなる、そんな繰り返しでした。◆当社もやっとなんとか事業が安定してきたかな、と思えるようになったとき、その川嶋さんが病に倒れ、あっと言う間に天国へ行かれました。今日は奥様が川嶋さんの写真を持ってきてくださっていますが、一番ここに居て欲しかったのが川嶋さんなのです。残念です。◆私は幼い時に父を亡くしたので随分と苦労しました。社会人となっても随分と苦労を重ねました。そんな中で会社経営に於いて最も大切なことは「義理と道徳」というところに行きつきました。残念ながらまだまだ義理を欠くことは多いのですが、そうならないように注意しています。さらには「美・粋・遊び心・道草精神」を大切にしています。エアロファシリティーの仕事は「義理・道徳」に反せずかつ「美・粋・遊び心・道草精神」が無ければなりません。◆長くなりました。これからもまだまだここにおられる皆様方のご指導応援が必要です。社員一同、さらに頑張って参りますのでどうぞよろしくお願いいたします。今日は、日ごろの感謝の気持ちを表したい、と切に願っています。ウェイウェイウーさんの音楽、最高です。楽しんでください。お酒や歓談も楽しんでください。

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2015年11月09日 ---- ボス

慌てる

boss-b

毎週、週末はゴルフを楽しんでいる。一昨日の土曜日も私のホームコース、千葉県君津市のロイヤルスターゴルフクラブでのラウンドを楽しんだ。◆早朝5時半に広尾の自宅を出て、木更津東インターを降りたのは6時15分だった。インター近くのセブンイレブンに寄る。ロイヤルスターでのゴルフに向かうときのルーティン。私はいつも必ずこのセブンイレブンで「明治ヨーグルトR-1」と「はちみつ黒酢ダイエット」と「おにぎり一つ」と「セブンイレブンのホットコーヒー」を購入する。カップに「ホットコーヒー」を入れながら急いで「R-1」を飲む。続いて「ホットコーヒー」に蓋をしながら「はちみつ黒酢」を飲む。そしてゆっくりと車に戻って「おにぎり」を食べ、コーヒーを飲みながらコースへ向かう。これが私のルーティン。ルーティンを守っているとちょうどコースへ着いた頃、トイレに行きたくなってくる。◆一昨日もそうだった。着替えを終えると私はトイレの個室を目指した。個室は一つだけ空いていた。入るときにトイレットペーパーを確認する。個室にはペーパーが2つ並んでいる。どちらともかなり細くなっているが白い紙を確認した。これもルーティン。「ペーパー、よし!」心の中で声を出した。ゆっくりとトイレを済ませ、ウォシュレットできれいにし、ペーパーに手を伸ばすと・・・・なんとペーパーはなく、白い芯棒だけだった。2つとも芯棒だけだった。さっき「ペーパー、よし!」と確認したのは「紙」を見たのではなく白い芯を見たのであった。迂闊だった。どうしよう・・・。子供の頃なら「かみー!」と叫んでいたかもしれない。あたりを見回すが予備のペーパーは置いていない。「ウォシュレットで洗ったのだ、汚くはない。乾くのを待とうか」・・そんなことを考えて時計をみたらスタート時刻が迫っていた。「このままパンツを上げると気持ち悪いだろうなあ・・」などと考えながらあたりを見回した。◆いいものが見つかった。「便座シート」。私は「便座シート」など使ったことがない。昔、「人のカラダで最もキレイなところ、黴菌の少ないところはオシリだ!」と誰かに聞いたことがあった。それ以来、その言葉を信用して便座シートは使ったことがなかった。◆便座シートは2枚残っていた。1枚を取り出して尻を拭く。「これはいい!」私は心の中で叫んだ。2枚目の便座シートを使って完璧に仕上げた。何事もなかった風に私は個室を出てアウトコースへ急いだ。ふと、「私の後からあの個室に飛び込んだヤツは大丈夫だろうか?」と考えた。「ヤツには便座シートすら残ってないな・・・」そんなことを思いながらのティーショットはびっくりするくらいのナイスショットであった。

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2015年11月05日 ---- ボス

拉致被害

boss-a

佐伯鶴城高校の普通科の同級生は7クラス280名。子供の頃から交友関係の広かった私は、卒業するころには同級生の全員を知っていた。280名のうち半数は小学校か中学校での同級生であったから、高校の同級生のほとんどすべての者が友達の友達であった。◆卒業するころには「全員を知っている」と思っていたが、アルバムを見てどうしても思い出せない同級生が一人だけいた。今津淳子さんという名のその方だけ、思い出せない。一緒のクラスにはなっていない。高校時代には知っていたのだろうか?話したことはあるのだろうか?◆その、たった一人の、私の記憶にない同級生、今津淳子さんが北朝鮮による「拉致の疑いが濃厚」78人のリストに載っている。◆「昭和60年4月30日、休暇を取って大宮の運転試験場へバイクの免許を取りに行った。同日7時頃、寮の同僚に『これからバスで帰る。何か買い物はないか』と電話連絡したまま消息不明。警察は公開捜査を行ったが目撃証言もなく安否につながる情報もない。同日21時頃最寄りのバス停と寮の間の民家の人が犬が激しく鳴くのを聞く。翌朝その家の人が畑の中に今津さんの両方の靴を発見。『北朝鮮にいる』という情報がある。」・・・と特定失踪者問題調査会の報告書に書かれている。◆私の記憶にない同級生ではあっても、彼女は多くのルートで私の「友達の友達」であることは間違いない。早く、無事に、帰ってきて欲しい。◆記憶に残っていないし、親しくもなかったが、彼女が帰って来たら空港まで駆けつけたい。苦労を重ねた、高校の同級生。なにか言葉をかけてあげたい。◆早く、無事に、帰ってくることを切に切に願っている。


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2015年11月04日 ---- ボス

懐かしい良い時代

boss-b

私の在校時、佐伯鶴城高校には普通科と体育科があった。体育科には野球、水泳、陸上、体操のスペシャリストが全国から集まっていた。普通科の生徒と体育科の生徒は比較的仲が良かったが、やはり深い交流は少なかった。普通科の生徒は全部で280人体育科は40名。大した不良もおらず、イジメもない、居心地の良い典型的な地方の進学校であった。教師と生徒の距離も近く、私も何人かの先生の自宅へ伺ったことがある。生徒と教師の間で繰り広げられるドタバタはそのままテレビドラマになりそうなモノも多かった◆高橋君は佐伯市近郊の漁港である米水津(よのうづ)町の中学を卒業して鶴城へ入学した。当時はまだ交通の便がわるく、自宅からの通学は無理なので、高校の近所に下宿していた。そして同じ下宿に教師なりたての岩田先生もいた。岩田先生は広島出身の英語の教師。高校1年生の私たちは16歳、岩田先生は23歳であった。先生というよりは優しいアニキという感じだった。◆2学期の期末試験が終わったその日、仲のよい4名(私・K君・S君・Y君)が高橋君の下宿に泊まりにいった。高橋君の下宿は、友人が泊まる場合には下宿のおばさんに挨拶しなければならなかった。「期末試験の反省会をします。今夜は泊めてもらいます」・・高橋君を含む我々5人は感じ良くおばさんに挨拶した。この辺は心得ていた。我々は外面を繕うのがとても上手だった。地元では「鶴城の学生さん」というだけで信頼感があった。そんな時代であった。◆夜の8時、「試験の反省会」のフリをしている部屋をおばさんが覗きにきた。「そろそろ玄関を閉めますよ」と言った。我々は期末試験の問題用紙から顔を上げ「はい、大丈夫です。おやすみなさい」と笑顔で挨拶した。おばさんは玄関にカギをかけ、自分の部屋へ戻っていった。◆おばさんが自室へ入るのを確認すると、「待ってました」とばかりに、酒盛りが始まった。酔いが回ってきた夜の11時頃、体育科の山脇君が下宿の塀を乗り越えて高橋君の部屋の窓から入ってきた。映画を観た帰りだ、と言っていた。多分、日活ロマンポルノであったのだろう。そして山脇君は手にウィスキーのボトルを持っていた。宴会は6人になった。山脇君は酒も強かった。山脇君につられて、我々はさらに飲んだ。そのうちY君が気分が悪いと言い出した。「便所に行って吐いてくる」と言って出ていった。◆ちょうどそのタイミングで岩田先生が高橋君の部屋へやってきた。自室で飲んでいたのか、外で飲んでいたのか、岩田先生も既に酒に酔った赤い顔をしていた。トイレで吐いているY君を除いた我々5名は「先生も一緒に飲みましょうよ」と岩田先生を誘った。岩田先生は一瞬困ったような顔をしたもののニヤニヤしていた。驚きも怒りもしなかった。◆そのとき部屋の外で声がした。トイレで吐いているY君に、下宿のおばさんが「どうしたの?大丈夫?」と優しく声をかけていた。「まずいことになった」・・岩田先生、山脇君、高橋君、私、K君、S君は黙ったまま交互に顔を見あっていた。すると酒の匂いに気付いたのか、それまで部屋が騒がしかったことを不審に思っていたのか、おばさんが我々のいる高橋君の部屋へやってきた。部屋は十分に酒臭い。「高橋さん!これはいったい、どういうことですか?」おばさんが怒り出した。◆まず山脇君を見て「あれっ? あなたは、どなた? どこから入ってきたの?」 きつく問い詰める。山脇君が答えあぐねているとおばさんは岩田先生に気付いた。「えっ?岩田先生!先生までもが1年生の生徒さんたちと一緒に飲んでるんですか?えっ?大問題ですよ!」 先生は相変わらずニヤニヤしながらおばさんに答える。「違うんだわ、ワシは今この部屋を覗いたところなんや・・・」広島弁でのらりくらり答えていた。先生は自分のことをワシと言っていた。◆その後、どうなったのか詳細は覚えていない。高橋君の下宿はその事件以来、訪問できなくなった。岩田先生が上手に言い含めてくれたのか、親からも教師からも、この件に関して注意された者はいない。良い時代だった。◆そしてその後、山脇君はマジメに体操の練習に打ち込みオリンピック選手になった。吊り輪に「ヤマワキ」と言う名の技を残した。◆内村航平選手の活躍をテレビで見て、山脇君や当時の仲間たちのことが懐かしくなった。

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2015年11月02日 ---- ボス

太ももの痛み

boss-b

本格的な秋の深まりを感じるこの季節になると必ず、昔痛めた左足太もも裏側ハムストリングがしくしくと痛み出す。◆平成3年か4年だったろう。当時、私の仕事場は新木場の東京ヘリポート内であった。有楽町線の終点、新木場駅で電車を降り、そこからはバスで東京ヘリポートに通う毎日であった。まだパスモやスイカのない時代、電車で通う者は定期券を駅員に見せて改札を抜けていた。切符の者は自動改札機を通していた。◆その日、コートを着ていたから季節は冬だったのだろう。新木場駅で私の前を歩く男は切符を自動改札機に通さずに何かを駅員にチラっと見せて改札を抜けようとした。駅員に止められた。「お客さん、定期券を見せて!」と駅員が詰める。するとその男は「定期券じゃねえよ、今、切符を通したよ」と言い出した。駅員が「いや切符は通してないでしょ!」とさらに詰め寄る。男は「通したよ」と繰り返している。その男の真後ろで彼の行動を見ていた私は「切符入れてないよな、定期券見せるフリしてたけどな」と言って駅員を応援した。駅員は私に「すみません、ちょっといいですか?証人になってもらいたいのですが・・・?」と頼んできた。正義感の強い私はなんの躊躇もなく「いいですよ」と答えていた。◆駅員二人が彼を挟むように歩き、新木場駅隣の交番へ向かった。私は彼らの後ろをついて言った。一人の駅員が彼のコートのベルトをつかんでいた。彼は立ち止まってその駅員に向かってすごんだ。「ベルト持つなよ。逃げねえよ」。交番まで20mくらいのところだった。駅員はベルトから手を放した。その瞬間、ヤツが走り出した。不意を突かれて駅員のダッシュは遅れた。「待て!」と叫ぶが足は動かない。彼を追いかけたのは私だった。右手に大切な書類が入ったカバンを持っていた。放り出すわけにいかない。彼も右手に小さなカバンを持っていた。条件はほぼ同じ。150mくらい追ったが距離は縮まらない。離れもしない。彼と私のスピードは同じだった。さらに追いかける。突然、左足太ももがブチンと切れた。私は歩道に倒れた。私が倒れて10秒くらい経ったころ、駅員が私の横をトロトロと走っていった。駅員もまだヤツを追いかけていたのだ。◆私はタクシーを捕まえて仕事場へ向かった。すごい痛みに耐えて午前中は会議をこなしたが午後から整形外科に行き、夕方は松葉杖をついていた。ハムストリングの肉離れであった。ヤツはおそらく逃げ切ったのだろう。駅員からは感謝の言葉も、お見舞いもなかった。「大丈夫ですか?」とすら言ってもらえなかった。私がタクシーに乗って消えたのだからしようがないか。もちろんタクシー代も病院費用ももらえなかった。◆寒くなると左足太ももが痛む。あの日のことを思い出す。もし、肉離れにならず、ヤツに追いついていたらどうなっていたのだろう。「刺されていたかもしれないな」、そんなことを考えて怖くなる。若い頃は恐ろしいものがなかった。

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2015年10月30日 ---- ボス

だって・・・

boss-b

自宅でソファに寝転んでテレビを観ていた。CMになり、美しい魅力的な、女性の背中が映し出された。セクシー。その美しい魅力的な背中の女性は桃井かおりさんであった。「えっ?桃井かおり?彼女は63~64歳くらいじゃない?えっ、美し過ぎる!」と思った。思ったけど、そのような言い方を私はしなかった。「へえー、桃井かおりだよ。キレイな背中してるね」・・隣に座っていた家人に、上品に言った。私のその言葉に対し家人はこう言ったのだ。「だって、女優さんだもの」◆数か月前、テレビCMで剛力彩芽さんのダンスを見て驚いた。穏やかな和風美人である剛力彩芽さんがとてもキレのあるダンスを披露していたのだ。「えっ、剛力彩芽?おとなしそうな娘さんなのに。えっ、ダンス上手過ぎない?」と思った。思ったけど、そのような言い方を私はしなかった。「へえー、剛力彩芽ってダンスが上手なんだね」・・その辺にいた家人に、上品に言った。私のその言葉に対し家人はこう言ったのだ。「だって、彼女、小さい頃からずっとダンスをやってたんだもの」◆家人の「だって」の使い方はあきらかに間違っている。言葉の使い方がおかしいだけでなく、なにか意地悪さのようなものが感じられた。彼女が使う「だって」というのは、「私だって、女優だったら・・」「私だって、小さい頃からダンスのレッスンしてたら・・・」ということなのだろうか?素直に「本当にキレイな背中ね」とか「ダンス、とても上手ね」となぜ言えないのだろう?私は家人に注意しようかと思ったが、どちらのときも注意しなかった。◆だって、めんどくさくなりたくなかったもん。

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2015年10月29日 ---- ボス

挨拶

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お客様などとのお付き合いでもない限り、昼食は取らないようにしている。オカネがないからではない。健康のため、ダイエットである。お昼にはラーメンや牛丼を食べるのではなく、ニュー新橋ビル1階のジューススタンドで生野菜ジュースを飲んでいる。人参・セロリ・ケール・あしたば・パセリ・玉ねぎ・小松菜など13種類の野菜を目の前でジューサーにかけて作ってくれる。これが実にまずい。「青汁」のまずさどころではない。「良薬口に苦し」と言う言葉を信じ、薬と思って毎日飲み続けている。もう2年以上になる。◆お昼がこの野菜ジュースだけだと、たまに持たない日がある。昨日がそうだった。午前中から銀座や五反田へ徒歩と電車で移動した。午後4時に新橋駅に戻ったときにはカラダは疲れ、空腹感は限界を迎えていた。ラーメンかスパゲティーでも食べたいところだったが我慢した。「蕎麦ならいいだろう」と自分に許可した。立ち食いの蕎麦屋に入った。食券販売機で580円の「鴨汁せいろ」を購入し、食券をカウンターの向こうのオニーサンに渡した。オニーサンは片言の日本語で「カモジル イッチョウ ハイリマース」と叫んだ。隣のオネーサンが「ハーイ カモジルネ」とこれまた片言の日本語で返す。見るとカウンターの向こうで蕎麦を茹で、皿に盛っている4人はすべて若い外国人(アジア人)だった。4人とも違う国から来たようである。韓国、ベトナム、ネパール、カンボジア、そんなところか。あるいは中国人かもしれない。◆恐らく日本人よりはずっと安い時給で働いているのだろう。頑張っている。私は銀座のデパートの中でマナー悪く大声でしゃべっている中国人は大嫌いだが、ニュー新橋ビルのマッサージ店で懸命に客の背中や足裏を揉んでいる中国人は大好きだ。応援している。ニュー新橋ビルの外国人はみんなマナー良く頑張っている。◆さて、その立ち食い蕎麦屋。私の隣の席で大学生風の青年二人が蕎麦を食べていた。私が食べている間に二人は席を立った。席を離れる前に、自分の食べたテーブルを雑巾でキレイに拭いていた。そして盆を返却棚に返す時に二人とも「ごちそう様でした」と大きな声で、しかも会釈をしながら、カウンターの向こうのアジア人の店員に伝えた。「アッリトーオッザマシター」アジア人で店員も笑顔で返す。その光景を見て私は嬉しくなった。◆ややもすると、恵まれた日本のバカ学生は勘違いをし、アジアの留学生を蔑んで見ることがある。そういうバカ学生が多くなった。そしてそんな日本のバカ学生は「ごちそうさま」すら言えない。◆だが二人の青年は大きな声で「ごちそうさまでした」と伝えた。◆たまに昼飯を食べると幸せな気分も一緒に味わうことができることもあるもんだなあ。私もゆっくり鴨汁せいろを食し、雑巾でテーブルを拭き、大きな声で「ごちそうさま」と伝えてその店を出た。恵まれないアジアの留学生、頑張れ!謙虚な日本の若者たちも頑張れ!

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2015年10月28日 ---- ボス

罪は消えない

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いつ頃までだったかはっきりしないが、昔は容疑者を伝える報道では彼の前科を併せて報道していた。ところがいつのまにか容疑者報道で彼の前科に触れることがなくなった。「懲役刑に服せばそれだけで十分に罪を償った」というバカな、異常に犯罪者に優しい思想を持った人間が報道機関の大半を占めるようになったのだろう。「罪を償った人の前科を報道するのは人権侵害」になるという。バカな話。そんなに簡単に罪が消えてはたまらない。◆無罪報道も同じ。大阪市東住吉区で1995年、保険金目的で自宅に放火して小学6年の娘を殺害したとして、殺人罪などで無期懲役が確定した母親と内縁の夫、両受刑者の無罪が決定しそうだ。無罪が決定すれば、彼らは娘の死亡保険金を受け取り、さらに国を訴えるのであろう。無実の罪で懲役に服した期間20年間の保証を求めるであろう。法律とは、裁判とはそんなものだ。◆彼らが逮捕されたときに報道されたことが、無罪報道になると一転、事実さえ報道されなくなるのはなぜだろう。「死んだ娘は母親の実の娘ではあったが、その内縁の夫とは血縁関係はない」「死んだ娘の膣内からはこの内縁の夫の精液が出てきた(常習的に内縁の夫は娘を犯していた)」「二人には200万円の借金があり返済に困っていた」「カネがないのに11歳の娘に1500万円もの死亡保険金が掛けられていた」・・・無罪報道に於いてはこれらの事実は一切報道されない。◆無罪になるとマスコミは検察の失態ばかりを追求する。無罪になった瞬間、きわめて疑わしい者でも、「悲劇のヒーロー、悲劇の「ヒロイン」に変えてしまう。これでは警察も検察も溜まったものではない。◆ズルい者が喜ぶ社会をマスコミが作ってはいけない。

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2015年10月27日 ---- ボス

『君の膵臓をたべたい』

boss-b

この欄で幾度か述べたが私は青春小説が好きだ。読んでいる時間は私も高校生、大学生だったあの頃に戻れるから。高校生時代、大学生時代の想い出は多い。私の人生に於いて、「楽しかった思い出」の8割はこの時期のものだ。◆オフィスから徒歩1分の場所に「TSUTAYA書店」がある。私は週に2回は訪問する。月刊誌を手に取り、ビジネス書をチェックし、文芸書の背表紙を眺めるだけで楽しい。私のストレス発散の場所になっている。その「TSUTAYA書店」の文芸書コーナーに7月からグロテスクな題名の本が平積みされていた。『「君の膵臓をたべたい』  ◆趣味の悪い題名(と感じていた)この本を私は手に取ることはなかった。誰がこんな本を読むのだろう、と不思議に思っていた。だが8月になっても9月になってもこの本は文芸書のコーナーに平積みされていた。「TSUTAYA推薦」という意味なのだろうか。10月になって、とうとう私はこの本を手に取り、書き出しを読んでみた。驚いた。一気に引き込まれた。読み始めると同時に私の気持ちは高校生時代に戻っていた。3ページまで立ち読みし、私はその本をレジへ持って行った。ゆっくり読んでみたい、と思った。果たして『君の膵臓をたべたい』という奇妙な題名のこの本は素晴らしい青春小説であった。◆“住野よる”というこの本の作家の名前は初めて知った。文体は村上春樹にとても似ている。村上春樹ほどにムダをそぎ落とした文章ではないが、大学生時代に読んだ村上春樹の初期の作品と似た匂いが私には心地よかった。とても都会的な主人公を描くこの二人の作家、村上春樹と住野よるがともに関西出身と言うのも面白い。敢えてもう一人、“住野よる”の文章に似た作家と言われれば志賀直哉か。本人もそれを意識しているようだ。◆来年か再来年にはきっと映像化され『世界の中心で愛を叫ぶ』のような反響になるであろうこの作品、私は女性主人公に“長澤まさみ”さんをイメージしながら読みふけった。久しぶりに涙を流しながら本を読んだ。映像化される前に是非読んでみて欲しい。お勧め。

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2015年10月26日 ---- ボス

新聞のズル

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25日(日曜)産経新聞の一面トップの見出しは「軽減税率 生鮮食品を軸」であった。私はこの欄で何度も言ってきたが「軽減税率」などはまさに「愚の骨頂」であり、目先の感情的な人気取りであるだけだ。確かに、浅薄な知識しかない者たちは軽減税率は「ありがたい」と感じることだろう。だがまったく誰のためにもならない。中学校で習う程度の算数を理解できていれば「軽減税率=愚の骨頂」との等式が理解できるのだろうが残念ながらこの国のほとんどの人は中学数学で満点は取れない。算数を理解しない彼らにとっては「軽減税率=貧者の味方」となってしまうようだ。◆まあ、それはさておく。各政党が思慮もなく人気取りに一所懸命だ。今に始まったことではない。「間違い」あるいは「インチキ」と分かっていながら“ 票”が欲しいために「軽減税率賛成」という政治家がいてもしようがない。◆だが、だが産経新聞には腹が立つ。産経新聞の記事を書く知的エリートたちは知らないわけがない。「軽減税率=愚の骨頂」ということを。知っているくせに、産経新聞はドサクサに紛れて、先程の見出し「軽減税率 生鮮食品を軸」との下にもう一つ見出しを打っていた。この見出しに腹が立つ。なんと恥知らずの産経新聞はこんな見出しを続けていたのだ。「自民税調“新聞・出版”も検討」・・・・ふざけるな! 新聞を利用して「新聞の軽減税率」を主張するなどみっともない。◆産経に限らない。(「赤旗」は読んでないからどう言っているかしらないが)私の知るすべての新聞は「新聞にも軽減税率を」と言っている。◆本来なら「思慮のない政治家ども」を中立の立場で批判すべき立場にある大新聞各紙なのに、彼らもやはり目先の利益に動く。情けない!◆矜持もな ければ信念もないのが我が国の大新聞。みんな目先のカネが欲しいようだ。さびしい、嘆かわしい。

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2015年10月26日 ---- ボス

“おもてなし” のためにはもっと勉強を!

boss-5

物覚えが悪くなった。物覚えは悪くなったがそれに反比例するように知的好奇心はますます増してくる。◆パソコンとスマホのお蔭で知らないこともすぐに調べることができる。高校生や大学生のころは辞書や百科事典で調べるしかなかったものが今はすぐにウィキペディアで知ることができる。便利になった。だが・・・・。◆昨日、久しぶりに埼玉にゴルフに行った。いや、ゴルフは決して久しぶりではない。埼玉でのゴルフが久しぶりだったのだ。毎週のように回っている君津市にある私のホームコースと違い、久しぶりに来たこの埼玉のコースは接待用コースと言われるだけあってレストランや更衣室、風呂場までが贅沢な作りである。芝生の手入れも良いし紅葉が 始まった樹木も美しい。◆知的好奇心が増してきている私はキャディさんにいろいろと聞く。「これはなんて言う樹なの?」「富士山はどっちに見えるの」「この足跡はなんの足跡なの?ウサギ?タヌキ?}残念ながら若いキャディさんはなにも知らなかった。「さあ?」「ごめんなさい、知りません」「なんなんでしょうかねえ?」◆彼女が悪いわけではない。だが、とても残念だった。◆キャディの仕事はバッグを乗せたカートを運転し、クラブを渡し、グリーンではボールを拭きラインを読むことと思っているようだ。それができれば一人前。それ以上はいらない、そう考えているキャディが多いようだ。若い客はそこまでしか望まないのだろう。◆「違う!」と大きな声で言いたい。言いたいけど言わなかった。言ったら 、あまりにも彼女が可愛そうだから。でも、でも言いたいのだ。「違うんですよ。キャディさん。我々は自然の中でやるゴルフというスポーツを楽しみに来ているんだよ。良いスコアで回りたい、というだけではないんだよ。・・・お客さんに楽しんでもらおうという“おもてなし”があなたの仕事なのですからあなたはこのコースに植わっている樹木の名前を勉強し、どんな花が咲きどんな実を付けるのかを知らなければならないのですよ。富士山がどっちにあるか、太陽はどちらに沈むか、このコースにはどんな動物が出現するのかなどこのゴルフ場のことは全部知らなければならないのですよ。もちろん、レストランのお勧めメニューもね。」と言いたかった。◆キャディだけではない。多くの「若い社会人たち」は上司から「これを覚えなければなりませんよ」と与えられたものだけはなんとか覚えようとする。逆に上司から「これを覚えなさい」と言われたこと以外は一切やらない。覚えようとしない。「覚えなさいと言われたものは覚えました。それを覚えてしまったので私の記憶力は飽和状態なのですよ 」と言わんばかりである。◆この美しい国、我が日本から“おもてなし”の精神がどんどん薄れているような感じがする。


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2015年10月23日 ---- ボス

文化的教養

boss-b

私は大分県の佐伯鶴城高校という、田舎の、ごく普通の県立高校の普通科を卒業し、九州大学へと進学した。佐伯鶴城高校から九州大学へ進んだ同級生は10人程度だった。九州大学へ10名が進学するのだから「そこそこの進学校」と言うこともでき、10人しか進学できないのだから「あまりデキの良くない進学校」と言われたこともある。ちなみに同級生で東大に進んだ者はいない。京都大学へは一人行った。◆この程度の進学校ではあったのだが、私はこの佐伯鶴城高校の友人たちが極めて「文化的教養」の高い連中であったことを後に知る。同級生の多くは音楽を愛し、絵画を眺め、映画を楽しんでいた。魚釣りをし、城山に登り、恋をしていた。塾に通う者など殆どいなかった。私ですら教会へ通い、賛美歌を歌った。夏には花火大会と盆踊りを楽しみにしていた。多くの友人が私の家に泊まりに来、私も多くの友人の家に泊まりに行った。「大学入試」だけでは判定できない「教養」や「知的好奇心」或いは「いろんな経験」を持った者が多かった。◆九州大学へ進学した私は、佐伯鶴城高校の友人たちなら常識である文化的な言葉が通じないことを寂しく思った。その寂しさは社会人となり、さらに30年経ったいまでも続いている。佐伯鶴城の仲間なら皆知っているのに・・・!と◆先日、紀尾井ホールで『イ・ムジチ』のコンサートを楽しんだ。残念ながら私の大好きな「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の演奏はなかったが、アンコールで「四季」の「秋」をやってくれ大満足であった。◆佐伯鶴城から九州大学へ進んだものは恐らく全員『イ・ムジチ』をよく知っている。「昨日、イムジチのコンサートに行ったよ」と言えば佐伯鶴城の卒業生の半分は「えっ、いいなあ!どうだった?」と聞き返してくる。ところが・・・・・・・・・・ダメだ!◆鶴城の卒業生であれば通じる音楽や絵画に関する常識語がこちらの世界では特殊な専門言語になっているようだ。文化的教養ある人が極めて少ない。◆私が進んだ九州大学の土木工学科の連中は誰も音楽や絵画へ興味を持っているようではなかった。算数や物理や化学はできるけど音楽や美術や体育はからきしダメ、という者が多かった。誰一人として『イ・ムジチ』を知らなかったろう。社会人になっても同じ。紀尾井ホールでイムジチの演奏を堪能した後、私は回りの部下や友人に「イ・ムジチ知ってる?」と聞いたが、残念ながら「イ・ムジチ」を知っている者は一人もいなかった。◆佐伯鶴城高校の教養レベルの高さに改めて感心した。私も佐伯鶴城高校に学ばなかったら、これほど音楽や絵画に興味を持っていなかったのかもしれない。音楽や絵画に興味を持たず、恋もせず、友人の家を泊まり歩かなければ、私は東京大学に進学し、まじめにお勉強をしていたことだろう。◆そうならなくて良かった。佐伯鶴城高校に感謝。運命に感謝。

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2015年10月23日 ---- ボス ,サイトからのお知らせ

日和見英国、民主国家の恥

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これまで4回イギリスに行った。好きになれない。ずるがしこいヤツが多く、アジア人を見下している。マナーも悪い。歩行喫煙率も高い。文化の香りだけ漂わせようと試みてはいるが、(200年前までは知らないが)今のイギリスには文化や教養はない。子供の頃「紳士の国。マナーの国」と教えられたが行ってみて、彼らと接してみて、それらが真っ赤なウソであることを知った。とにかく私はイギリス人とイギリスという国が大嫌い。◆この国はかつて中国(清)にアヘンを持ち込み、ボロボロにしようとした。アヘン戦争だ。アジア人を下にみる英国人にとって恐らく本音で言えば、彼らが最も蔑み最も嫌っているのが中国人であろう。ところがその中国の経済力が大きくなった。プライドよりも目先のカネになびくイギリス人は簡単に中国に媚びるようになった。日本もアメリカもソッポを向いているアジアインフラ投資銀行(AIIB)にG7の中で真っ先に参加を表明した。みっともない国。魂を売る国だ。◆習近平中国国家主席がイギリスを訪問した。目先の利益が欲しい中国はアヘン戦争のことは忘れ日中戦争のことばかりを語る。「日本はとんでもない国だ。野蛮な国だ。イギリスは紳士の国だ。賢い国だ」と。同じく目先の利益が欲しいイギリスは上下両院に習氏を招き演説をぶたせた。バッキンガム宮殿に招き、晩さん会の後、宿泊までもさせた。◆みっともない国とみっともない国。「民主主義国家の代表」「英国紳士」「マナーの良い国」などとイギリスのことを良く知らない連中は言うが全くのデタラメ。イギリスはプライドを捨てたただの日和見国である。主義やモラルは関係ない。目先のカネが一番だ、とこの二つの国は大きな声で言っている。◆こんな国とは付き合いたくない。

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2015年10月22日 ---- ボス

「スポーツ選手のモラル」と「マスコミのモラル」

boss-2

読売巨人軍の選手が野球賭博に関与していたと大きな問題になっている。「少年たちに夢を与えるべきプロ野球の選手が・・・」などとテレビのコメンテーターは嘆くような悲しむような驚いたような顔を作って彼らを非難する。コメンテーターは、悪いことを非難するのも商売だ。◆プロ野球選手だろうが映画俳優だろうが警察官だろうが政治家だろうが、悪いヤツは必ずいる。コメンテーターはそれを知っているくせに驚いた表情を作る。驚いてもいないのに、悲しんでもいないのに、そんな表情を作る。それが彼らの仕事だから。◆プロ野球の選手などは幼い頃から野球ばかりやってきて、勉強も道徳も教えられず、同級生などにはチヤホヤされてきたものが多い。甲子園に出場した高校野球選手たちの多くが「人生のピーク」をそこに置き、その後挫折した或いは屈折した人生を歩んでいることを多くの高校教師たちは知っている。◆野球エリートをチヤホヤし、勉強も道徳も教えなかった親、教師、同級生、それからプロ野球の組織全体が非難されるべきだろう。◆今回の野球賭博事件。私の興味を引いたのはそれに関わった選手ではない。先ほどから言っているようにプロ野球の選手なんてその程度の者が多いことを私はよく知っているから。私の興味を引いたのは「知的エリート」と言われる者ばかりで作っている大手新聞各社の報道姿勢。やはり私の予想通り、朝日・毎日は一面トップで大きく取り上げて、鬼の首でも取ったような勢いだ。一方、読売新聞は一面では一切触れていない。一面トップの見出しは「訪日客1448万人 昨年超え」だって。こういうのを「能天気」と言う。◆野球賭博などは朝日・毎日が一面トップで扱うべき大事件ではない。三面の端っこで十分だ。逆に、自分のグループ会社の一員が起こした不祥事こそ読売新聞は一面で報じ、詫びるべきだろう。◆日本の大手新聞社の連中には報道に関する「道徳観」が大きく欠如している。こんなマスコミに我々の常識の概念が大きく揺さぶられていることを、我々は知らなければならない。

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2015年10月20日 ---- ボス

巨人 原辰徳 監督退任

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常勝を義務付けられた巨人軍の原辰徳監督が退任した。「12年間お疲れ様でした」とねぎらいたい。テレビの報道番組でその引退会見を見た。原さんの顔は「やりつくした」との満足感からか穏やかで爽やかだった。会見の最後の方でこんなことを言っていた。「本当に久しぶりにグッスリ眠れた。重荷を背負っていたんだな、と改めて気付きました」◆「分かる、分かる」・・・私はテレビの原さんに向かって話しかけていた。お疲れ様でした。しばらくはグッスリ眠ってください。

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2015年10月15日 ---- ボス

薫子さんの「ヘリ雲」

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少し恥ずかしいことを吐露する。私は実はミーハーである。(早くも話は逸れるが「ミーハー」とは死語になりつつある言葉。「みいちゃん、はあちゃん」から来た、芸能人にうつつを抜かすオツムの弱い女性を指す蔑称・・・男にも使われるようになった)◆今から6年~7年も前のことだったろう。自宅でボーっとテレビを眺めていた。なぜか「QVC」テレビショッピングを見ていた。そこにキレイな女性が映っていた。普通のキレイではない。ど真ん中のキレイ。「ミーハー」な私はその日以来、用もないのに「QVC」テレビショッピングを見るようになる。家人や娘はあきれたように「またQVC見てるの?」と溜め息と共に私を見下したように言っていた。キレイなオネーサンがキレイなお洋服を着てテレビショッピングに出ていて、それを父親は一所懸命に見ているが、決してそのお洋服を買ってもらえるわけではないのだ。家人や娘の嘆きも理解できる。だが私は彼女らの軽蔑のまなざしに堪えながらQVCを見続けた。そして私の大好きなそのキレイなオネーサンの名前が「カオルコ」と言うことを知り、やがて彼女はモデルの「薫子」さんであることを突き止めた。幕張に住んでいた頃の話である。◆4年前、幕張から広尾に転居し、QVCをテレビで見ることができなくなった。テレビでは薫子さんに会えなくなったが、薫子さんが毎日ブログをアップしていることは知っていた。毎日、薫子さんのブログを読むことが日課となった。薫子さんは時々私のオフィスや私の自宅の近所で食事をしている。いつか会えるかもしれない。そう思いながら5年近く経った。◆「広い東京、いくら近所に出没(失礼!)していても、偶然会えることなどないよな」と諦めてはいる。諦めてはいるが「もし万一、その辺で薫子さんに偶然会ったらなんと話しかけようか、話しかけたりしたら失礼か」などといつも思っている。「彼氏はいるのだろうか?いや、既に結婚されているのかもしれないな。旦那さんはどんな人なんだろう。うらやましいな」・・・そんなことまで考えていた。◆先日、薫子さんのブログに素晴らしい写真が載った。それが私がイメージしデザインした当社の紙バッグにそっくりなのだ。「やはり神は居るのだ。私と薫子さんを出会わせようとしてるんだ」そう感じた。ブログを通して薫子さんにお願いした。「ヘリ雲の写真が欲しい」と。◆スーパー美女で天才「雲」写真家である薫子さんが撮った「ヘリ雲」の写真がこれ。
そして我が社の、和紙で作ったバッグの写真。・・・似ていると思いませんか? 私と薫子さんの感性はとてもとても近いのか・・・。気分いい。

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2015年10月07日 ---- ボス

健康第一

boss-4

ノドの調子がおかしい。なかなか治らない。徐々に違和感が増してきた。声までかすれてきた。咽頭ガンじゃないだろうか?◆ツンクさんは声を捨て命を取った。10年ほど前、私の親しい友人の平井君は声を失うことを嫌い、医師を避け民間療法を選択し命を落とした。◆「咽頭ガンです」と言われたらどうしよう。「声帯を切除したら命は助かります」と言われたらどうしよう。声を出せない生活を想像した。怖い。◆昨日、再度耳鼻科を訪問し、入念に調べてもらった。「先生、ガンではないですか?」と聞いた。医師は明るく応えてくれた。「ええ、その心配はありませんよ」◆とたんに明るくなった。命に別条なく、声帯も問題ないのであれば多少の痛みや違和感は我慢する。良かった。安心した。◆「健康第一」と改めて強く感じた。うれしくて昨夜ははしゃぎ、飲み過ぎた。こんなことをしていては健康を害してしまう。反省。・・・・でも良かった。

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2015年10月06日 ---- ボス

社会の縮図

boss-5

幼稚園から大学まですべて公立(市立・県立・国立)の学校を卒業した。小中学校の同級生の親の職業は様々。思い出すままに挙げてみよう。米作農家・酪農家・漁師・教師・銀行員・医師・ホステス・香具師・警察官・坊主など。果物店・魚屋・洋品店・製材所・薬局・銭湯・焼き鳥屋の子供もいた。珍しいところでは暴力団の組長の娘。小学校6年生で一緒のクラスになった美しい顔をした彼女の父親は、秋が終わるころ逮捕された。前科22犯と報道された。そのことで彼女をいじめる者は一人もいなかった。報復が怖いから虐めなかったのではない。みんな優しかったのだ。彼女は何事もなかったように楽しそうに過ごしていたのを覚えている。腕白なガキ大将も居たし喧嘩もあった。だが陰湿な虐めはなかった。今なお小中学校の同級生たちとは仲良くしている。私にとって小学校時代から「社会の縮図」のような環境の中で育ったことは大きな財産だと思っている。◆一方、私の息子と娘は中学から東京の名門(?)私立校に通った。小学校は公立(市立)ではあったが高級住宅地の中にある恵まれた学校であった。彼ら(息子・娘)の同級生の親の職業は会社員か公務員か医師ばかりだった。彼らの同級生には農家の子、漁師の子、ホステスの子、果物店の子、魚屋の子、洋品店の子、製材所の子、銭湯の子、焼き鳥屋の子はいない。もちろん香具師の子も暴力団組長の子もいない。私の息子・娘の通った学校は決して社会の縮図ではない。彼らは温室の中で育ったようなもの。そしてその温室の中では陰湿な虐めがあったと聞いている。さて温室で育った子供たちが果たしてこれから社会の中で逞しく成長していくことができるのだろうか。不安に、不思議に感じる。◆国会議員も官僚もマスコミ各社の社員の多くもみな温室育ちになってしまった現在、息子・娘のことと同様に、この国の行く末までも配になってきた。

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2015年10月05日 ---- ボス

死の恐怖

boss-3

気が小さい。臆病。心配性。「それが会社経営には大切なのですよ」と褒めてもらえることもあった。経営者になって20年以上、いつも怯えていた。「もし・・・なったらどうしよう?」と心配して眠れない夜がどれだけあったことか。毎日、毎晩心配している。◆さて今度は仕事の話だけではない。私の体調の話。私は気が小さいから健康にもこだわっている。ニュー新橋ビル1階のジューススタンドで毎日700円も出して「野菜ジュース」を飲んでいる。10種類以上の野菜を絞ってジュースにしてくれる。これが不味い!「良薬口に苦し」まさにクスリと思いながら毎日飲んできた。◆万歩計をポッケに入れ、毎日最低1万歩は歩くようにしている。地下鉄を利用するときはエスカレータを使わず階段を歩く。週に1回はゴルフをする。◆入念な人間ドックも受診する。毎年一回、PETと胃カメラによる検査も欠かさない。「心配要りませんよ」と言われるとホッとする。「あと一年は大丈夫ですよ」と言われた感じ。今年は7月にPET検査を、9月2日に胃カメラ検査を受診し「心配要りませんよ」と言われ、ホッとしていた。だが・・・・。◆胃カメラ検査の2週間後、15日頃からノドの調子がおかしい。最初は魚の小骨が刺さったような感じだった。近所の内科で診てもらって「どこも悪くないですよ」と言われ安心していた。そのことはこの欄でも紹介した。しかし、一旦治りかけたように思えたノドの違和感がその後日に日に増してきた。痛みが激しくなった。先週、耳鼻科を受診した。鼻から内視鏡を入れてノドを診てもらった。医者は「ノドの色が変化していますね。恐らく悪性のものではないでしょう。」と言ってクスリを処方してくれた。それから1週間が経った。痛みは一向に引かない。それどころか声がかすれてきた。気が小さい私は「ああ、これは咽頭ガンか?」と不安で眠れない。◆この10年間で二人、私の親しい人が咽頭ガンでなくなった。どちらとも声がかすれてきていた。ツンクさんは声を捨て命を取った。さて私は・・・?◆今日は出社後すぐに神棚に手を合わせた。「どうか私が健康でありますように!咽頭ガンではありませんように!神様お守りください}と真面目な顔でお願いした。◆明日は再度、耳鼻科を受診する。怖い!「恐らく悪性のものではないでしょう。」・・・「恐らく」なんて言わないでくれたら嬉しいのに・・・。

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2015年10月05日 ---- ボス

かわいい自分には旅をさせよ

boss-1

国内47都道府県、行ったことがないところはない。しかもそのすべてで二泊以上した。国外でも20を超える国を巡った。平均的な58歳と比べればかなり多い方だろう。だがそれらの多くは仕事を絡めてのもの。純粋に「旅行」と言えるものは数えるほどしかない。出張のついでに半日間程度の観光を楽しむ余裕は作ってきた。国内出張では美術館巡りを楽しんだし海外出張では必ずジャズバーを覗いてみた。名所旧跡も回った。海外でのゴルフもおそらく30ラウンドはしただろう。楽しい想い出も多い。だが今年からは出張を減らしている。私が出張に行っていては後進が育たない。若い連中に積極的に客先を回ってもらいたい、そんな気持ちから出張を控えるようになった。そのため今年になって私のプライベートでのゴルフのラウンド数は増えたが飛行機や新幹線に乗る機会は減った。◆出張以外では殆ど旅行をしていない。忙しい、カネがない、疲れが溜まっている、予定が立てられない、などと自分に言い訳してきた。いや、それよりも「仕事で出張しているから・・・」という言い訳が多かった。◆郷土の友人、菅淳(すがあつし)君から一冊の本を勧められた。『かわいい自分には旅をさせよ』(浅田次郎)  読んでいて、旅に出たくなった。出張ではない純粋な旅行を楽しみたくなった。◆浅田氏は言う。「金だの時間だの手間だのと、旅に出かけぬ理由を思いつくのは簡単だが、よく考えてみれば金は貯めるものではなく使うものであり、時間はあるなしではなく作るものであり、手間を惜しむは怠惰の異名にすぎない。つまり旅に出てはならぬ合理的な理由は、実はなにもないのである。」・・・・・まさにそのとおり。

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2015年10月02日 ---- ボス

爽やかな朝

boss-1

爆弾低気圧とやらの影響で東京では早朝まで暴風雨が荒れ狂っていた。午前8時を回り、少し落ち着いてきた。私の部屋の窓からは優雅な東京タワーに雲の切れ目から光が射しているのが見える。とてもキレイ。◆火曜日から始まった税務調査は昨日夕方やっと終わった。幾つかの指摘はいただいたものの大きな間違いや注意を受けることはなかった。「概ね、良くまとまってますね」とのお褒めの言葉をいただいた。◆調査初日の火曜日の朝、私は調査官のNさんと名刺を交換したあと会社の概要や近況を説明した。Nさんは穏やかな表情で、私にいろいろなことを質問された。ヘリポートのこと、ヘリコプターのこと、私の生い立ち、独立の経緯など。国税調査官というと「眼光鋭い」という印象があったのだがNさんは全くそういうタイプではなかった。柔和な印象。高圧的ではなく丁寧にこちらの話を聞いてくれる。私はつい饒舌になった。お昼が近づき「それでは午後から詳細な書類関係を見せていただきます。社長さんの同席はここまでで結構です。どうもありがとうございました」とNさんから言われ、私は会議室を出た。◆調査への立ち合いをお願いしている公認会計士のF先生と昼食に出た。F先生いわく「キノシタさん、私はこれまで税務調査に数百回は立ち合っていますが、今回のN調査官は抜群です。少なくとも私が接した調査官の中では間違いなく一番のキレ者です」◆私は驚いた。F先生に言われるまで私はには「N調査官がキレ者」などという感覚はなかったのだ。「そこが彼のすごいところです。丁寧で、おだやかで・・・。それでいて、なにげない風な質問で要所要所を的確に確認してくる。あの人はすごいですよ。恐らく特捜あがりでしょう」◆F先生はN調査官の優秀さを説明してくれた。私とN調査官のやりとりを隣で黙って聴いていただけで「N調査官はキレ者だ!」と読み取るF先生もすごい。F先生は私とピザを食べながら楽しそうに言った。「キノシタさん、なにか悪いことをしていれば、あのN調査官に見つけられる。ごまかすことは難しい、とビクビクするところです。でも当社は木下さんの厳命でズルは一切していません。なにもビクビクすることはないのですよ」と◆入念な検査が3日間続いたあと、昨日夕方、総評が行われた。「概ね、良くまとまってますね」人の良さそうな笑顔でN調査官が言ってくれた。その後、10分間くらいだったろうか、雑談をする時間があった。Nさんの能力の高さは当社の女性スタッフも感じていた。同時に彼の魅力も感じていた。◆「こういう出会いでなかったら、オレとも仲の良い友人になれたのだろうな」そんなことを思っていた。F先生も同じことを考えていた。◆帰り際にNさんが私に言った。「社長、ブログに税務調査のことなんか書かないでくださいよ」・・・何とも言えないチャーミングな笑顔であった。◆東京タワーの向こうに青空が見えてきた。今朝は爽やか。

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2015年09月30日 ---- ボス

不義理

boss-a

昭和57年に九州大学を卒業した私は前田建設工業(株)の東京支店に勤務することになった。夜行列車で単身上京した。最初の勤務地は練馬区石神井公園の橋梁工事の現場であった。当初は江戸川区にある社員寮から通っていたが、現場が忙しくなるとほとんど毎日仕事場に泊まり込むことになった。当時の作業所にはいわゆる「飯場(はんば)」と呼ばれる宿泊施設があった。六畳間に五人が寝ることも珍しくなかった。◆入社1年目の正月休みの間、私はその作業所に当直勤務を命ぜられていた。大した戦力にならない1年生を現場が休みの間当直させ、正月休みが開けたら代休を取らせるという所長(私の恩人・川嶋氏)の配慮があったのだと思う。その当直期間中に私は扁桃腺炎で高熱を出し寝込んでいた。◆39度3分の高熱に苦しみ、食べるモノもなく一人煎餅布団に寝ていた。元日だったか二日だったか、3年先輩の秋場毅(あきばたけし)さんが車で様子を見に来てくれた。手におせち料理を持っていた。吉祥寺の自宅から通っていた秋場さんは私が正月に一人で当直しているのを可愛そうに思い、母親の作ったおせちをわざわざ持ってきてくれたのだった。もちろん私が寝込んでいることなど知らなかった。布団の中の私を見て「キノシタ!どうした?大丈夫か?」と心配してくれた。私はなんとか布団から這い出て、久しぶりの食事をいただいた。おかげで翌日は熱が38度3分まで下がったことを覚えている。39度3分の熱が38度3分に下がると随分と元気になった気がした。翌日も翌々日も、秋場さんは母親の手料理を持って私を見舞いに来てくれた。若い私は三日後には元気になった。◆私が前田建設工業を辞めてからも秋場さんとの交流は続いた。飲み会があるといえば電話をくれ「オマエも来いよ。みんな会いたがってるよ」と誘ってくれた。私は秋場さんを通じて、お世話になった前田建設工業との繋がりをずっとずっと維持できた。その秋場さんが病に倒れ前田建設工業を辞めたのは10年くらい前だったろうか。週4回の透析を続ける秋場さんは会うたびに痩せ、老けていった。こちらが誘っても「お酒も飲めないし、食事も一緒にできないから」などと言ってやんわりと断られた。歩くこともきついようだった。◆昨日、ある方から秋場さんの死を知らされた。「今年の2月に亡くなられたそうだ」と彼は言った。生涯独身であった秋場さんは一人住まいのアパートでひっそりと亡くなっていた。昨日まで、アパートの大家以外は誰も秋場さんの死を知らなかった。秋場さんには親類縁者もいなかった。◆あのときお母さんの手作りのおせちを私に届けてくれた秋場さんに、前田建設工業との縁を繋ぎ続けてくれた秋場さんに、私はなんの恩返しもできなかった。◆偉そうに「義理・道徳」が最も大切だ、などと言いながら、私はまた大きな不義理を犯してしまったことに気づき、苦しんでいる。◆秋場毅先輩、ありがとうございました。ごめんなさい。安らかに眠ってください。ごめんなさい。

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2015年09月29日 ---- ボス

「朝日憎し!」 は みっともない

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「9月27日、広島市にある住宅の浴室内から女性の遺体が見つかった。同日夜、広島県警は、この住宅に住む自称新聞配達員・北野吉和容疑者(52)を死体遺棄容疑で逮捕した。」・・・・そのようにテレビを中心とした各メディアが28日報せた。毎日のように殺人事件が起こる昨今、この程度の事件ではみな驚かなくなった。翌日には別の殺人事件に興味が移る。県立高校に通う孫が祖父・祖母を殺したとして逮捕された。各紙この事件を大きく報じている。そんな中、産経新聞は広島の殺人事件に関し大きなみだしを打った。社会面の最上段である。「浴室に知人女性遺棄 容疑の朝日配達員逮捕」とのみだしである。◆テレビや他の新聞は「自称新聞配達員」として処理しているものを産経はわざわざ「朝日配達員」と書く。大人げない。「朝日記者」なら分かる。問題があるかもしれない。だが容疑者は「販売員」だ。たまたま「朝日」を配っていただけだろう。◆「産経」の「朝日」嫌いは分かる。その主張のある程度は共感もする。だが「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」じゃあるまいし、事件の報道記事としてはあまりにも幼稚。すねた子供のようで情けない。◆近頃、特に産経新聞のスタンスが理解できなくなってきた。筆力の弱さが目立ってきた。少なくとも社会面での事件の報道はもう少し公平、冷静であるべきだと思う。◆この事件は朝日新聞も29日の朝刊で扱っている。「女性殺害ほのめかす供述 ASA従業員の容疑者」とみだしにある。記事の中で「ASA(朝日新聞販売所)」と触れている。記事にする苦しさが伝わってきた。記事にするほどの事件じゃないが「朝日」が係っている以上書かないわけにもいかない。そんな苦しみが理解できる。◆少なくともこの事件の報道に関しては朝日新聞の方がはるかに大人であった。産経新聞はみっともなかった。

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2015年09月29日 ---- ボス

税務調査

boss-4

爽やかな秋晴れ。昨夜、飲み過ぎなかったため寝起きも悪くなかった。早朝、自宅近所のヨガスタジオへ行った。今朝のレッスンは屋外のウッドデッキで行われた。女性インストラクターにオジサン生徒が3人。オジサンたちは皆カラダが思ったように動かない。それでも頑張って一時間、汗を流した。帰宅し、シャワーを浴び、スーツを選び、久しぶりにネクタイを手にした。「そうだ、今日からネクタイをしよう」・・・ウッドデッキの上でウサイン・ボルトのような恰好をしているときにふと思ったのだ。◆この秋、最初のネクタイをどれにするか、少し迷った。迷った末に、お気に入りのエルメネジルド・ゼニアの赤いネクタイを選んだ。気分が引き締まる。ちょうど今日から我が社へ税務調査が入る。なにも悪いことはしていないが、それでも外部の方にすべてを見られるのは気持ちの良いものではない。緊張もする。「イヤだな」そう思いながらネクタイを締めているときに榎徹(えのきとおる)君のことを思い出した。◆今は大分県東部振興局長という要職にある榎君は佐伯鶴城高校の一年後輩であり、一浪して入学した私と九州大学では同学年になり、私と同じく5年間大学に通って、一緒に卒業した。卒業前の一年間はほぼ毎日一緒に生活していた。私が高校時代に一学年上級であったという理由だけで榎君はいろいろと気を使ってくれた。私は彼を、弟のように感じていた。本当にお世話になった。その榎君は卒業し大分県庁に入ると最初に県税事務所に配属された。就職後、彼と最初に会ったのは多分正月休みで私が実家に帰省したときだったのだろう。榎君はずいぶんと疲れていた。疲れているようではあったが笑顔でいろんな話をしてくれた。◆「キノシタさん、県税事務所っち言うところん仕事はきついでぇ。なんもいいことん無えで。仕事とはいえ、どこに行っても嫌われるしなあ。割に合わん仕事やわあ。笑顔で『いらっしゃい』って迎えられることなんか無えけんなあ」・・・高校時代、大学時代と榎君は人に嫌われることがまったく無かった。誰からも慕われていた榎君にとって、県税事務所の仕事は「嫌われるのも仕事」であり、かなり厳しいものであったようだ。私は榎君に同情した。◆「今日は芝税務署から来られる係官の皆様を笑顔でお出迎えしよう」・・・ネクタイを締めながら榎クンを思い出し、優しい気持ちになった。

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2015年09月25日 ---- ボス

いくら言ってもわからない

boss-2

20年前に一人でラーメン屋を開業した。一人で試行錯誤して美味しい味を見つけ出し、店の場所を探し、不動産屋と交渉した。開業資金がないので綿密な事業計画書を作成し、銀行に持ち込んだ。メニューを決め、店の内装を決め、掃除をし、看板を作り、ビラを撒き、客を待った。開業し、徐々に客は増えたがなかなか利益は上がらない。少し蓄えができるとすべてを新しいレシピ作成に回していた。そうして20年が経った。今では「日本で一番美味しいラーメン」「カラダに害のない、安全な素材のラーメン」「とても安いラーメン」との自信を持っている。◆ラーメン屋は大きくなった。かつては私一人でやっていたことを、多くの部下にやってもらうようにした。世代交代が必要だ。私はまじめな彼らに責任と権限を委譲しようと試みた。◆ラーメン屋は銀座の大きなビルの中に移転した。多くの客が来るだろうと準備した。「レシピを考える係」「実際にラーメンを作る係」「会計係」「銀行担当係」「掃除係」などがそれぞれ、自分の担当部署を一所懸命に頑張った。だが売り上げも利益も当初予想を大きく下回った。ずっと一人でやってきた私には原因は見えている。ずっと我慢していたが、とうとう見かねて注意をした。「いくら美味しいラーメンでも、いくら安全なラーメンでも、いくら安いラーメンでも、いくら都心に店を構えても、いくら大きな店であっても、いくら店がキレイでも、いくら笑顔で接客しても、それだけじゃ客は来ないよ。・・・それだけで客が来ると思っているんじゃないか?」◆「どれだけの通行人が『銀座〇丁目の〇〇ビルの〇階に美味しいラーメン屋がオープンした』と知っているんだ?」・・・・「いくら美味しいラーメンでも、いくら安全なラーメンでも、いくら安いラーメンでも、いくら都心に店を構えても、いくら大きな店であっても、いくら店がキレイでも、いくら笑顔で接客しても・・・・・客が知らなきゃ来ないでしょ!」◆私は「ビラと看板を大至急用意しろ!」と命じた。2か月経った。売り上げも利益も増えない。私は責任者に問い質した。「ビラと看板はどうなったんだ?」・・・・責任者は申し訳なさそうに答えた。「社長から注意されたので、すぐにデザイン会社にビラと看板を発注しました」◆不思議に思って私はさらに問い質した。「そのビラと看板は?」・・・責任者は笑顔で答えた。「ええ、なかなか素敵なデザインのビラと看板がすぐに届きました。社長も見ますか?私のデスクの後ろにおいていますよ」

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2015年09月18日 ---- ボス

野党の負け!

boss-5

「健康診断、特に人間ドックなどは受診しないほうが良い」と強く主張している医学者は意外と多い。◆レントゲン撮影では放射線が使わる。胃のバリウム検査や、CT検査などでも放射線が使われる。私が1年に1回受診している「PET検査」ではなんと放射性同位元素を注射器で体内に注入する。いわゆる被ばく状態になるわけで「注射後24時間は小さなお子様には近づかないでください」と注意される。PET検査を受診した者が翌日福島の除染作業所に入ろうとしたらガイガーカウンターの針が振り切って大騒ぎになった、との話を聞いたこともある。「健康診断や人間ドックを繰り返すことにより、健康であった人がカラダを壊す」と主張する医学者の理論も理解できる。◆「そうではない。検診によって体内に摂取する放射能はとても微量でカラダへの影響はほとんどない。カラダを壊すというリスクよりも癌(がん)などの重病を早期に発見できるメリットの方が大きい」と反論する医学者も多い。こちらの意見が大勢を占めている。◆私は双方の意見を聞き、あとは自分で判断した。週刊誌上でたまに双方の医学者が議論を交わすが自分が支持する意見と違うほうを「殺人者!」などとののしる者はいない。なぜならどちらの主張も「国民がより健康でいられるために」との思いで研究して得られたものだから。◆昨夜、みっともない国会中継を観た国民は多い。情けない国会議員ばかり。議論になっていない。◆私は今回の「安全保障関連法案」に関しては、これを「戦争法案」などと名付け、アタマの悪い学生や感情的な主婦層を味方に付けようとした野党の負けと見た。◆本来、国民は双方の主張を冷静に聴き、どちらの主張がより戦争になる危険性が小さいのか、万一戦争になった場合にどちらの方が犠牲が小さくて済むのか、を自分のアタマで考え、自分はどちらに着くのかをジャッジすべきであった。ところが一部野党議員が「戦争法案」と名付けたことでバカな学生と感情的な主婦が「戦争反対」と言い出した。議論にならない。野党はそれを受けて調子に乗ってさらに「戦争法案反対」と繰り返した。◆相手の考えを聞こうとしない、国民に冷静に長所短所を説明することができない、今の国会議員とほとんどすべてのマスコミ・・・「こんなもの要らない」という気持ちになった。

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2015年09月16日 ---- ボス

転職

boss-1

忙しい。人手が足りない。人材が十分でないので3年後、5年後のイメージがなかなか具体的にならない。そこで当社は常に中途採用者を募集している。私も月に2~3人を面接することになる。転職を希望して当社の門を叩いてくるのは30歳代前半の方が多い。現在勤めている会社に不満があったり不安があったり。そんな彼らに私は決まって同じことをアドバイスする。「過去と途切れてはダメ。過去を捨ててはダメ。」と。◆昭和63年、私は新卒で採用され6年間お世話になった前田建設工業を辞めた。随分と身勝手な辞め方だった。もちろん私なりにいろいろと事情もあり、苦しみもした。1年間以上悩み、決断した転職であった。後に副社長にまでなる当時の私の上司、川嶋課長(当時)には特に強く慰留された。それでも私の決意は翻らなかった。◆九州大学出身の土木技術者。前田建設は新卒の私を期待を込めて厳しく指導してくれた。橋梁・護岸・上下水道・共同溝・道路・・・いわゆる「都市土木」と言われるすべての工事を経験させた。頭でっかちの、いいかげんな学生が、6年間鍛えられやっと一人前になろうとするときに彼が「辞める」と言い出したのだ。上司としても、会社としても面白いはずがない。◆実は当時の私には「上司や会社に迷惑をかける」という意識が希薄だったのかもしれない。それよりも「できる限りのことは一所懸命にやった。身も心も前田建設工業に捧げた6年間だった」との意識が強かったように思う。今思うとまったくの世間知らずであった。◆誰にアドバイスを受けたわけではないのだが、ここからの私が偉かった。上司の慰留も聞かず自分勝手に辞めておきながら、そういうことは全く気にせず、上司や先輩や同僚とコンタクトを取り続けたのだ。そんな私に対して前田建設工業の皆さんは、飲み会の予定が決まると「オマエも来ない?」と誘ってくれた。おかげで私は新卒から6年間を必死に働いた前田建設工業での経験や人脈を「過去のもの」と切り捨てることなく「私の大切な大切な宝物」にすることができた。腹の中に計算があったわけではない。ただせっかく出会った「魅力的な人」「優しい人」「仕事のできる人」とは繋がっていたい、というような感情があったのだろう。◆そしてその「私の大切な大切な宝物」は数十年後、何十倍、何百倍にも大きな宝物になった。◆私は身を持って体験したことを、いま居る会社を辞めて「御社にお世話になりたい」と頭を下げる若者たちに必ず話している。私のアドバイスが無ければ、彼らはきっと今お世話になっている会社や先輩との縁を切ってしまいそうだから。

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2015年09月15日 ---- ボス

名医

boss-b

ニュー新橋ビル3階にある「田中医院」で毎月一度、簡易なメディカルチェックを受けている。そこは去年までは「田中医院」ではなく「中村医院」であった。中村先生が高齢のため引退することになり、自分の医院を、信頼できる後輩の田中先生に引き継いでもらうことになったのだ。中村先生はできるだけ時間をかけ丁寧に診察し、私の体の状態を、毎回分かり易く説明してくれた。とても穏やかで優しい目をしておられた。いつもニコニコしておりユーモアのあるチャーミングな老医師であった。患者にも看護婦にもファンが多かった。私もそんな中村ファンの一人であった。◆「中村医院」から「田中医院」に変わった。「とってもいい先生だよ。僕なんかよりも見立てがいいよ。」田中先生のことを中村先生はそんな風に紹介してくれた。田中先生は私とほぼ同世代、私よりも1年年長だった。◆昨日、朝からのどの調子が悪い。のどの左奥に魚の小骨が刺さっているような感じの痛みがある。「扁桃腺炎だったらヤバいな。早めに手当てしなければ・・。週末は大切なお客様とのゴルフが控えている」そう思い、仕事の合間、午後3時過ぎに「田中医院」に行った。田中先生は私ののどを見て、首を触診し、聴診器で心臓と肺の音を聴き、笑顔で言った。「どこも悪くありませんよ。扁桃腺炎でもありません。帰ってうがいをしてください。どこも悪くないのでお薬は出しませんよ」◆中村先生が紹介したとおり、田中先生もとてもいいお医者さん。東大医学部卒業とは思えない。エリートぶらず丁寧。最近は必要以上に薬を出す医者が多いと聞くが田中先生はこちらが「のどが痛い」と言っているのに「どこも悪くないのでお薬は出しませんよ」とハッキリ言う。こちらはオカネはかからず、不要な薬は飲まされず、そして安心する。田中先生に言われたように私は昨日何度かうがいをした。うがい薬も使わず、水道水でうがいをした。半日経った今、まったく痛みはなくなった。◆田中先生のファンも増えていることだろう。かつての中村先生のファンの数に追いつく日も近いと見た。

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2015年09月15日 ---- ボス

こすれる音

boss-c

「バイオリンの音はこすりあわせて出すじゃあ。わたしゃ、あのこすって出る音が好きじゃないんよ。まだギターみたいに弾いて出す音がいいし、やっぱり叩いて出すピアノの音が一番いいな」 私が高校生の頃、テレビで『題名のない音楽会』を観ながら母はよくそういうことを言っていた。「こすれる音が好きじゃないんよぉ」との母の発言を何度聞いたかしれない。◆幼い子供二人を母に残し、父は交通事故で他界した。そのとき母は33歳であった。それ以来、一切贅沢をせず、懸命に私たち姉弟を育ててくれた。恐らく母は私の小学校の音楽会以外は生の演奏会に行ったことはないのだろう。演奏会どころか演劇も(もちろん宝塚や劇団四季も)観に行ったことはないだろう。ひょっとすると父が他界して以降は映画館にも行ったことがないかもしれない。かわいそう。申し訳ない。◆「こすって出す音が好きじゃない」という母親に育てられた私だが、なぜだか逆にバイオリンの音が大好きだった。やっと買ってもらったステレオで高校生の頃、イムジチの演奏する「アイネ クライネ ナハトムジーク」をレコード盤が擦り切れるほど聴いた。大学生になりジャズを聴くようになってもジョー・ヴェヌーティやステファン・グラッペリなどのジャズヴァイオリンが大好きだった。昨年、カントリーミュージックを聴きに米国ナッシュビルに行ったのだが、そこでもフィドル(ヴァイオリンのこと)が入っているバンドの演奏ばかりを追いかけていた。そして東京では二胡のウェイウェイウーのコンサートには必ず顔を出す。◆10年ほど前の話になる。招待されて八尾の「おわら風の盆」を観に行った。流雪用水路を流れる雪解け水の音。人々の話声。そこに編み笠を被った集団がゆっくりゆっくりと踊りながら近づいてくる。胡弓の音が徐々に大きくなってくる。幻想的。もの悲しい。「こすれる音」は本当にもの悲しい。念のために申しておくが、形も音色もとても似た感じの楽器「二胡」と「胡弓」だが構造も奏法も全く違うもののようです。◆ヴァイオリン、フィドル、胡弓、二胡、ついでにチェロまで 私はこすって音を出す楽器の音色がたまらなく好きだ。

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2015年09月14日 ---- ボス

飲酒・喫煙年齢

boss-b

自民党の特命委員会が、法的に飲酒と喫煙が許される年齢を現行の20歳から18歳へ引き下げることを検討している。公職選挙法の投票年齢を18歳に引き下げたことがきっかけであることは間違いない。それに対し朝日新聞が社説で「引き下げ反対」を表明した。飲酒と喫煙を若年化させるメリットはない、と主張する。「酒たばこは始める時期が早いほど依存が高まるといわれる。がん予防のため、分煙化を進め、たばこ消費を抑えようという社会の流れとも逆行する」と言う◆一昨日、ゴルフ帰りのクルマでラジオを聞いていた。辛坊治郎さんがこの朝日の社説に噛みついた。「飲酒喫煙年齢を引き下げたところで18歳がみんな煙草を吸い始めるわけじゃないんだよ!」とかます。極めつけは次の言葉。「偉そうに、朝日の記者は!じゃあ聞くけどこの社説を誰が書いたのか知らないが、あんたは18歳19歳のときに酒を飲んだことがないのかね。きっと飲んでるだろう。自分は18歳から飲んでいたけど今の19歳は飲んじゃダメだ、という根拠などないじゃないか!」◆いつも辛坊さんの話は小気味いい。私は辛坊ファンの一人。「さすが!辛坊さん」 膝を打った。◆話は違うが、私は選挙の投票年齢の引き下げに関しては「反対」であった。この欄でも何度か書いた。もちろん今でも「引き下げるべきではなかった」と信じている。ところが朝日をはじめすべての新聞、すべての政治家は私と反対であった。結果的に満場一致で投票年齢は18歳に引き下げられた。残念!・・・一方、私は法で定めるだけの飲酒喫煙年齢など18歳でも20歳でもどうでもいい。「好きにしてください」と言いたい。だが「おりこうさん」ぶっている朝日新聞の頭でっかち記者への辛坊さんの痛快な批判に関してはもちろん辛坊さんに軍配をあげた。「辛坊さんの勝ち! 朝日の負け!」というわけだ。◆話はここで終わらない。続きを私は考えた。「もしオレが社説を書いた朝日の記者だったら、辛坊さんになんと反論するだろう」・・・・そして思いついた。「辛坊さん、じゃあ、あなたは『高速道路の速度制限を現状の100キロから120キロに変更しよう』と自民党が言いだしたら賛成するのか? もし誰かが 『安全を考えて反対』と主張したときに『オマエは速度制限をオーバーして走ったことは一度もないのか?』と言われたらどうでしょう?  『自分は速度オーバーしておきながら反対するのか!』と言われたらどうでしょう?」 ・・・・うーん、確かにこの反論は成立する。厳しい。◆私は車の中で『一人ディベート』を楽しんでいた。特に若い人へはこんな『一人ディベート』を勧めたい。



 
 
 酒たばこは始める時期が早いほど依存が高まるといわれる。がん予防のため、分煙化を進め、たばこ消費を抑えようという社会の流れとも逆行する。

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2015年09月10日 ---- ボス

青春

boss-c

私の人生で、楽しかった思い出の9割は15歳~24歳の10年間のものだ。カネはなく明確な目標もなく、適当に流されるままに生活していた。向う見ずで生意気で怖いもの知らずであった。友人たちと過ごす、たわいない時間がなぜかものすごく楽しかった。苦しい恋も、悲しい別れも、みんなみんな良い想い出になっている。毎日毎日とにかく楽しかった。大勢で居酒屋で飲んだ夜も、徹夜マージャンで大負けしボロボロになった朝も、居留守を使って彼女と二人で過ごした雨の日の昼間も、たった一人でウィスキーを飲みながら画集を眺める夜も、ボロアパートで焼きナスを食べながら白黒テレビで巨人の応援をしていた真夏の夕暮れも、みんなみんな楽しかった。まさに青春時代、私は大きな大きな想い出と言う財産を得た◆15歳までの人生と、25歳からの人生にも楽しい想い出はたくさんあるのだが、実はこの時期は苦しい想い出の方が多かったように感じている。◆58歳になった今もなお「あの頃に戻りたい」と思う。だからなのか58歳になった今もなお「青春小説」を読み、あの頃へ一人で逃避行する。これまでに私が読んだ小説、感動した小説には「青春小説」が多い。私の「青春小説率」は多分、日本人の平均値よりもはるかに高いだろう。ちなみに私がこれまでに読んだ「青春小説」の中での「私の好きなベスト3」は・・・・①『翼はいつまでも』(川上健一)  ②『青が散る』(宮本輝)  ③『69』(村上龍) の三作になる。「私の好きなベスト3」であって「お勧めベスト3」ではない。というのもオススメする自信がないのだ。人に勧めるからには「面白かった。良い本を紹介してくれてありがとう」と言われたい。だが・・・。◆小説というのは不思議なもので誰もが面白いと思うようなものはない。いつ読んでも面白いというわけでもない。◆若い頃、宮本輝の『春の夢』を読んでとても感動した。あの感動をもう一度、と思って昨年読み返してみたのだが残念ながらさっぱり面白くなかった。『されど我らが日々』(柴田翔)でも同じような経験をした。同じ小説でも、それを読む時期で感動は異なるものなのだろう。◆昨日、今年の直木賞受賞作『流』(東山彰良)を読了した。大変面白かった。だが、この小説は30年前の私が読んでも良さが分からなかったかもしれない。58歳の私には感動を与えてくれた。◆「魚がいいました・・・わたしは水のなかで暮らしているのだから あなたにはわたしの涙が見えません」・・・・・・・・いいなあ、このフレーズ。寺山修司を思い出した。◆『流』・・・私には面白かったが決してお勧めはしない。

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2015年09月09日 ---- ボス

親しき仲にも礼儀

boss-c

当社が導入したあるシステムを見せて欲しいとマッちゃんが昨日私のオフィスにやってきた。私と長い付き合いの友人である。一緒にお酒を飲むこともゴルフを楽しむことも多い。人懐っこい、小さく可愛いテディベアのような容貌のマッちゃんは誰からも好かれている。銀座のオネーサンにもゴルフ場のキャディさんたちにも人気がある。プロ野球ロッテ球団の「影の応援団長」のようなマッちゃんは男の友達も多く、年下の友人たちは皆マッちゃんを尊敬している。ロッテの本拠地、QVCマリンフィールドのビール売りのオネーサンたちにとっても一番の人気者だという。そのマッちゃんが(遊びの打ち合わせではなく)仕事に関することで当社に来るというので私も「失礼があっては申し訳ない」と部下たちに粗相がないよう注意をしていた。◆マッちゃんは夕方5時に当社に来ることになっていた。私は3時から飯田橋で行っていた商談が思ったより時間がかかっていた。もう少し時間をかけて詰めたいところもあったがマッちゃんを待たせることがあっては失礼だ。途中で切り上げた。4時45分にオフィスに帰り着きマッちゃんの来社を待った。マッちゃんはアポイントより10分遅れて当社へ来た。応接椅子を勧め、秘書がお茶を出した。お茶を飲むまでもなくマッちゃんが切り出した。「キノシタさん、トイレであっちですよね。ちょっとトイレを貸してください」 マッちゃんは私の部屋を出て行った。◆10分経ってもマッちゃんが戻ってこない。「腹を壊してるんだろうか」私は心配になって廊下を覗いた。するとマッちゃんは携帯電話で誰かと話をしていた。顔は笑顔であった。私の部屋を出て15分後何事もなかったような顔をして「失礼しました」と戻ってきた。「うん、そりゃ失礼だよね。」私は親しいから率直に言った。だがマッちゃんには効かなかった。顔色ひとつ変わらなかった。それどころか応接椅子に腰かけてお茶を一口飲んだマッちゃんが言った。「キノシタさん、さっきトイレに入ったところで電話が鳴って、それで外に出て・・・。だからさっきはトイレできなかったんですよ。ちょっとトイレにまた行ってきます。失礼します。」私は驚いた。不愉快な声で言った。「うん、失礼だよ。はいはい、どうぞトイレに行っておいで」◆10分後、戻ってきたマッちゃんとやっと本題に入った。システムをいろいろと紹介した。マッちゃんは真面目に聴いていた。◆さらに30分後、二人で食事に出た。ステーキ屋へ行った。ここでマッちゃんの食事の姿勢が悪い。テーブルに肘をつき話す。箸の持ち方が汚い。「オレ、ダメなんですよ。すぐにテーブルに肘を附いちゃうんです」といいながら肘を附いた腕に顔を乗せる。だらしない。◆マッちゃんはとてもいいやつ。楽しい男。だが彼と仕事を一緒にすることは今後決してないだろう。そう強く思った。◆「仕事を一緒にしない。ただの仲の良い友達だ」・・そう決めたら急に楽になった。立っていた腹も治まった。深夜遅くまでカラオケをマッちゃんと楽しんだ。マッちゃんはとても楽しい、とてもいいやつ。だが仕事は無理だな。

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2015年09月08日 ---- ボス

美しい日本の歌声

boss-c

昨日の当欄の「ボスのスケジュール」の中で、夕方の私の行動が [ 六本木『ヴィルボード』にて会食 ] となっていた。ウェイウェイウーの二胡コンサートを見ながらの会食を予定していた。『ヴィルボード』に向かう途中に友人からメールが入った。「『ヴィルボード』ではなく『ビルボード』ですよ」との内容だった。確かにそうだ。「BILLBOARD」は「ヴィルボード」ではなく「ビルボード」と表記すべきだ。反省。またまたひとつおりこうさんになっちゃった。◆ウェイウェイウーの演奏はこの夜も最高に素晴らしかった。二胡の演奏はもちろん、優しい人間味あふれるMCも、そして透明な歌声も。そしてこの夜は途中、二胡を置きバイオリンを持ち、私の大好きなリクエスト曲「Dance me to the end of Love」まで演奏してくれた。本当に本当に素晴らしかった。涙があふれた。大満足。◆話は変わる。3週間ほど前、深夜のテレビ番組で「昭和ムード歌謡 CD5枚組」を紹介していた。「銀座の恋の物語」「ウナセラディ東京」「バスストップ」「ラブユー東京」「よせばいいのに」「赤坂の夜は更けて」「うしろ姿」・・・昭和の名曲が並ぶ。すぐに購入した。60歳近くになると40年も昔のことが妙に懐かしくなる。2日後にCDは届いた。それ以来、ゴルフ場への往復はずっとムード歌謡を聞いている。◆不思議なのはフォークソングとジャズを聴いて青春時代を過ごしてきたつもりだったのだが昭和のムード歌謡のほとんどの歌詞を覚えていること。ゴルフ場へ向かう高速道路。「♫ ♫ なーないろのにじがー きーえーてしまあったのー シャーボーンだまのよーな わたしのなみだー」 などと歌っていた。口ずさめる名曲は素晴らしい。ありがたい。◆この名曲集の中に、たまらなく優しく、たまらなく切ない歌声が二人出てくる。その一人はテレサテン。彼女の歌う「つぐない」「愛人」「別れの予感」を聞いていると泣けてくる。なにも悪いことをしていないのに「ごめんね」と謝りたくなる。この気持ち、わかってくれる男の人も多いだろう。そしてもう一人の優しく切ない歌声。それはシルヴィア。ロス・インディオス&シルヴィアの名曲は多い。「それぞれの原宿」「うそよ今夜も」「別れても好きな人」どれも優しくチャーミング。男は心を乱される。さらに菅原洋一とデュエットする「アマン」は秀逸。たまらない。「シルビア」ではなく、こちらは「シルヴィア」◆「ヴィルボード」じゃないよ、との指摘を受けたときに「シルヴィアはシルビアじゃないよな?シルヴィアでいいよな?」となぜかそんなことを考えていた。◆本日はどうでもいい話に終始した。

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2015年09月03日 ---- ボス

本を読まない人たち

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我が家では私以外は読書をしない。家人が読書する姿を見たことがない。息子も娘も、母親の影響なのか全く本を読まない。息子はマンガを、娘はファッション誌をたまに読んでいる程度。少なくとも彼らが小説を読んでいる姿に接したことがない。私が「この本面白かったよ。よかったら・・」と言って彼女らにあげても「ありがとう」と受け取りはするが読むことはない。読書好きの私としては共通の話題ができず、寂しい。◆「若者の読書離れ」が言われて久しい。確かにそれを感じる。我が家に限らず、我が社でも読書を趣味としている者はほんのわずか。たまに出張に同行しても新幹線や飛行機の中で彼らが小説を読んでいる姿を見たことがない。そして彼らはゴルフをするわけでなし、映画に詳しいわけでもなく、美術館めぐりもしない。もちろん麻雀のルールも知らない。◆仕事はまじめ、性格もまじめ。仕事が終わったら自宅へ急ぎ、家族の生活を大切にする。・・・・悪いことではない。悪いことではないが私はとても心配だ。◆読書から得るモノは大きい。ゴルフや映画や美術館から得られるモノもとても多い。彼らはそれを放棄している。仕事と家庭を大切にしてるだけで満足しているように見える。本来なら視野が広がっていく時期に、家庭と仕事だけにしか目が向かないようでは人間の器が小さくなる。協調性に欠け、自己主張の強い「仕事バカ」になりかねない。私は多くの「仕事バカ」を見てきた。そして同じくらいの数の「勉強バカ」も見てきた。プライドだけ高く、「私はお勉強ができる」「オレは誰にも負けず一所懸命に働いている」と思っているような奴らには期待できない。

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2015年09月02日 ---- ボス

すっきり

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今日、午後から胃カメラでの検査を受ける。胃に不快感があるからではない。年に一度の定期検査。あまり心配はしていないがそれでもやはり検査というものは楽しいものではない。もし「早期の癌が見つかりました」などと言われたらどうしよう、などと思ってしまう。◆「検査前日はお酒はダメですからね」ときつく注意されていた。昨日は銀座の寿司の名店「くろ寿」の個室で四人で会食となったのだが私はビールも飲まなかった。最高に旨い寿司をお茶と一緒に楽しんだ。旨い寿司はビールや日本酒がなくても十分に旨く感じる。いやむしろアルコールなしの方が美味いかもしれない。◆アルコール無しで床に就いたのは2か月ぶりくらいだろうか。悪くない。通常よりもいくらか深い眠りに落ちた感じ。相変わらず1時間に一度は目が覚めるのだが不快感は少ない。そして私は今朝、五時半にベッドから抜け出し、シャワーを浴び、近所のヨガ道場へ向かった。爽やか。◆週に一度は休肝日を作ることにしよう、本日そう誓った。

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2015年09月01日 ---- ボス

寿司屋で「大将」はないだろう!

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酔っぱらって帰宅し、シャワーを浴び、バスタオルでカラダを拭きながらテレビを点けた。画面に旨そうな寿司が映っている。どうやら「高級寿司店でのマナー」を若いグループ歌手の面々が競う番組のようだ。◆それぞれが女性を連れて寿司屋のカウンター席に座り注文をしたりエスコートする女性に話しかけたりしている。それを寿司通を気取る芸人が、ああだこうだと評価している。ある若い男がお勘定をお願いするのに「おあいそ」と言った。寿司通の芸人が注意する。「『おあいそ』って言うのはな、お店側が言う言葉であって客が使うのはおかしいんだよ」というようなことを言っていた。その通り。通ぶって醤油のことを「むらさき」だとかお茶のことを「あがり」などと呼ぶ恥ずかしい客は依然多い。スマホで写真を撮るのもマナー違反だろうし、煙草を吸ったりキツイ香水の匂いも回りの客には迷惑だ。そういう意味ではバラエティー形式でマナーを学ぶ番組は悪くない。だが・・・◆若い男が知ったかぶって「卵を食べるとその寿司屋の力量が分かるんだよ」というようなことを女性に言っていた。先輩の寿司通がすぐに反応する。「おいおい、大将の前でそんなこと言うなんてなんて無神経。そりゃ大将に失礼だよ」と。その後も若い男たちの幾つかの言動に対し先輩寿司通芸人が「大将に失礼だ!」と注意していた。◆私はだんだんと不愉快になった。「寿司屋の主人を大将と呼ぶな!」と一人で怒っていた。なぜテレビ局はチェックしない?大阪ならともかく東京の高級寿司屋でまともな常識のある客は決して主人を「大将」とは呼ばない。「ご主人」か「親方」だろう。「板長」の場合もある。居酒屋ならともかく「高級すし店でのマナー」を云々する番組で「大将、大将」はないだろう。それこそ馬鹿にしているようで「ご主人に失礼だろう!」と言いたかった◆成り上がりがカネの力で毎日高級料理店を食べ歩くことには文句は言わない。だがマナーも知らない男が通ぶって、公共の電波を使って、マナーを語るのは許せない。成り上がり芸人は無教養なので仕方ない。無教養な芸人をチヤホヤと一流食通のように扱うテレビ局に腹がたった。

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2015年09月01日 ---- ボス

前科〇〇犯

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「大阪府寝屋川市の中学1年、平田奈津美さん(13)への死体遺棄容疑で逮捕された山田浩二容疑者(45)が13年前に起こした監禁事件で、約1カ月の間に男子中高生を含む少年7人が被害に遭っていたことが、当時の弁護人らへの取材で分かった。いずれもわいせつ目的とされ、車に連れ込んだり、手錠をかけたりしていた。」・・・これは本日(9月1日)毎日新聞が配信した記事。容疑者逮捕から既に10日間も経っている。◆私が子供の頃は犯人が逮捕されるとマスコミは「山田浩二 (前科〇〇犯)」というように必ず顔写真と前科を併せて発表していた。顔写真は前科時に警察で撮られたものが使用されていた。悪い人相のものばかりであった。◆いつの頃からだろうか、犯人も懲役を終え娑婆に戻れば「十分に罪を償った」「みそぎを済ませた」とばかりに一般人として扱われるようになった。ヤツに前科があるのかないのか週刊誌が書くまで分からない。警察には前科時の写真があるのに公表しない。テレビ局にはその写真が届かず、たまに制服を着た「中学生時代の写真」などが容疑者名と共に映される。馬鹿みたい◆私は常々「罪と罰。現在の我が国はあまりにも罰が軽い」と言ってきている。犯罪を犯した者は懲役刑を終えても罪が消えるわけではない、と考えている。江戸時代は前科者は腕刺青を入れられた。娑婆に戻ってもすぐに前科者だと分かった。そこまでやることはないが、せめて再犯を犯したら瞬時に「前科〇〇犯」の報道はあっても良いと思うのだが、どうだろう?◆マスコミが前科時の弁護士を見つけ出し取材するまで報道できないというのは「行き過ぎた人権擁護」の典型だと思うのだが。

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2015年09月01日 ---- ボス

締め出し

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お盆に里帰りできなかった家人が先週末から福岡の実家に帰っている。多くの男性諸氏にはご同意いただけると思うが、家人のいない休日はそれだけでなぜかウキウキとするものがある。家人が留守のこの週末、残念なことに私のスケジュールは既にビッシリと埋まっていた。連日、仕事とゴルフと法事などでハメを外すことはできなかった。◆土曜日にゴルフへ行った。夕刻、帰宅すると大学生の息子が一人でインスタントラーメンを食べていた。「父さんもいる?作ってあげようか?」との優しい言葉をもらったが遠慮した。ゴルフ仲間との反省会に参加する予定になっていたのだ。息子に「うん、ありがとう。でも父さんちょっと食事会があるから」と言って家を出た。反省会は私の自宅から徒歩2分の広尾「しょうみん」で開かれた。「しょうみん」は安くて最高に美味い店。芸能人の来客も多い隠れた名店だ。お勧めです!◆「しょうみん」でお酒と食事をたらふく楽しんだ後、タクシーに乗り込むゴルフ仲間を見送って自宅へ戻った。エントランスでインターホンを押すが応答がない。しようがなく自分のキーで開けようとポケットを探るがキーが見つからない。「しまった!キーを持って出るのを忘れた!」恐らく息子はあのあとどこかへ飲みにでも行ったのだろう。まず娘に電話した。すぐに娘が出た。「今、どこにいる?」尋ねると娘は「父さん、私、いま伊豆だよ」と答える。母親の留守に、娘は上手に羽を伸ばしている。息子に電話する。出ない。何度鳴らしても出ない。困った。どうしよう。◆3分おきに息子に電話しながら、マンションのエントランス前でしばらく待っていた。突然、尿意を催した。困った。再び「しょうみん」に戻ってトイレを借りることも考えたが恥ずかしい。「しょうみん」の皆様に心配をかけてしまう。といって立ちションなどできない。私は近所の公演に急いだ。なんとか間に合った。息子は相変わらず電話に出ない。どこかで飲んでるのだろう。恵比寿あたりなら「タクシーで帰ってこい。タクシー代は父さんが出してやる」と言うつもりだった。だが電話がつながらないことにはそれも言えない。私は息子にLINEでメールを送った。「どこで飲んでるの?これ読んだらすぐ連絡ください」と。さらに30分くらい経った。酒の酔いもあり、疲れから眠気も襲ってきた。どこかホテルに泊まろうか、と考え一番近くのアパホテルへ向けて歩き出したとき息子から電話がきた。「恵比寿かせめて渋谷あたりで飲んでますように!」「女の子と一緒だったら申し訳ないな」などと思いながらも「やっと救われた」と安堵感を覚えながら電話にでた。◆「父さん、ごめんね。電話、気付かなかった」申し訳なさそうな息子の声。「キミ、いまどこにいるの?」尋ねた。「えっ?オレ家にいるけど。どうしたの?」◆ラーメンを食った大学生は満腹感を持って幸せに眠っていたようだ。まったく腹は立たなかった。家人がいないとこのような不都合も起こるものなのか。

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2015年08月26日 ---- ボス

子供のしつけ

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今月12日、羽田空港はお盆の帰省客や旅行客などで混雑していた。早めにセキュリティーチェックを終えた私はエアポートラウンジに入りiPadでメールをチェックしていた。お盆前ではあったがラウンジには黙々と仕事をする多くのビジネスマンの姿もあった。パソコンを開いている者や飛行機を眺めながら静かにコーヒーを飲んでいる方も多い。そんな中、お盆の帰省客と思われる親子が入ってきた。父親と男女の子供。お兄ちゃんは小学校の低学年、妹は3歳か4歳か。ラウンジに入ったのは初めてのようで二人とも嬉しそう。はしゃぎだした。そんな子供たちを父親は注意しない。男の子がラウンジ内を走り回りはじめた。妹も兄を追いかけるように走り回る。読書をしている者は、不愉快そうにチラリと子供たちを見遣るがすぐに視線を本に戻す。父親は全く子供たちに関心がないようで自分はコーヒーを飲みながら週刊誌を読み始めた。母親の姿は見えない。◆私のすぐ脇を男の子が走って行く。そのうち父親が注意してくれるだろうと思い我慢していたがバカな父親には「子供が人様に迷惑をかけている」ということが分かっていないようだ。3回目だったか4回目だったか、男の子が私の横を走りかかったとき私は腕を出してその子を止めた。そして優しく言った。「ボク、こういう場所では走り回ったりしちゃダメなんだよ。頑張って静かにしてなくちゃね」と。男の子は一瞬キョトンとした顔をしたが小さな声で「うん」と言って歩いて父親の方へ向かった。私が子供を注意したことに父親は気付かなかったようだ。◆そのすぐあとのこと、相変わらず声を出しながら走り回っている妹に向かってお兄ちゃんが言った。「〇〇ちゃん、ここはね、静かにしていないといけない場所なんだよ」と。それを見て、私はとても嬉しくなった。◆お兄ちゃんは私の方を指差して「あの怖いオジサンに叱られるよ」とは言わなかった。利発な彼は、私の方も父親の方も向くことなく、自分の言葉でお兄ちゃんとして妹に注意していたのだ。「静かにしてないとダメなんだって」と言わず「静かにしていないといけない場所なんだよ」と自分の言葉で注意したのだ。◆子供のしつけを放棄し、「人様に迷惑をかけてはいけない」という基礎の基礎すらを父親が教えないことが寂しい。迷惑を掛けられているのに注意もせず、「自分が我慢すればいいや」と済ます多くの「事なかれ主義」のビジネスマンが悲しい。幼いころに誰かがきちんと教えれば、多くの子供はその時点で物事の善し悪しに気付くものだ。◆自分の子供をきちんと注意する親が少なくなった。他人の子供でも関心を持って悪いことは悪いと教えてあげるオトナは殆どいなくなった。親がきちんとしつけをしていれば、回りの大人がきちんと注意をしていれば、防ぐことができた事故や事件は多い。

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2025年01月07日 ボスの
スケジュール
  • 午前接客(来客多数)
  • 午後事業計画チェック
  • 夕方西麻布某所で会食
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